お兄様、衝撃を受ける
目覚めのいいマユラが、ぱちっと目を開くと、ものすごく至近距離に顔のいい男がいた。
「ひ、ぁ……っ」
人生色々ありすぎて、少しのことでは驚かなくなっているマユラだが、さすがにびっくりした。
ばくばく脈打つ心臓をおさえて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「……お、お兄様……」
兄だ。
兄が無言で、マユラの眠るベッドサイドに座り、覆いかぶさるほど近くでマユラの顔を覗き込んでいる。
「……起きたか」
「起きました」
起きたのだから離れて欲しいのだが、兄は至近距離から動いてくれない。
遅ればせながら目覚めた師匠が『……朝からなんなんだ』とぼんやりしながら呟いている。
『……兄ではないか』
「おはようございます、師匠。よい朝ですね」
『礼儀正しいな、ユリシーズ。なかなか見込みがある』
「妹の師匠は私の師匠でもありますから」
「あの、お兄様、どいてくださるとありがたいのですが……」
「マユラ。……なぜ、レオナードがここにいる?」
ユリシーズはマユラの顔の横に両手をつくと、口付けでもするのではないかというぐらいの距離で尋ねてくる。
マユラからしてみればなぜ兄がここに……という感じなのだが。
「私はお前と共に暮らせないというのに、レオナードと同居を……? マユラ、私はお前の顔を見に来るのは一日に一度と決めて耐えているというのに、レオナードは常にお前の傍にいることができるのか?」
「お兄様、おちついてください、お兄様」
矢継ぎ早に尋ねられて、思いつめた顔をするユリシーズを、マユラは宥めた。
兄の中でそんな縛りがあるとは知らなかった。ということは、昨日も来たのだろうか。
確かに兄からの贈りものの錬成素材はおいてあったのだが。
「あぁ、ユリシーズ、マユラ、師匠おはよう」
騒ぎに気付いて、レオナードも目覚めたらしい。
もぞもぞと起き出したレオナードの体の上からルージュがころっと転がり、またぱたぱたと羽ばたいて飛んで、レオナードの枕元に戻った。
「なにがおはよう、だ。マユラの隣でなにを平然と寝ている? よもや、何かしたのではあるまいな」
「何か、というのは」
「人畜無害そうな顔をしているが、こういう男が一番おそろしいのだぞ、マユラ。何をされるかわからん」
「とりあえず、どいてくださいませんか、お兄様……」
この距離で話すのはさすがに辛い。いかに兄の顔がよかろうが、至近距離過ぎて心臓に悪い。
ユリシーズは名残惜しそうにマユラから離れると、ベッドサイドに座ったまま優雅に足を組みなおした。
レオナードがあくびをしながら起き上がる。何故か上半身裸になっている。
マユラは身支度を整えながら起き上がり『朝から騒がしい』と不機嫌になっている師匠を膝に乗せた。
「レオナード……何故脱いでいる。何かされたのか、マユラ、このけだものに」
「何もされていませんよ、お兄様。レオナードさん、服、どうしました? 暑かったのですか?」
「……あぁ、いつもの癖で、脱いだらしい」
「自宅では服は着ない派なのですね」
それなら裸にマントでもよかったのでは、と、マユラは思う。
確かに貴族服は眠るときには少し窮屈だろう。脱ぎたくなる気持ちもわかる。
「すまない、なんだか自宅のような安心感があり……」
「長年連れ添った夫婦のようなことを言うな。マユラは私の妹だ。妹と書いて妻と呼ぶわけだが」
「妹は妹ですよ、お兄様」
こういうとき頼りになるアンナはどこかと、マユラは視線を巡らせる。
騒ぎをききつけてすぐにやってきそうなものだが──。
「マユラちゃん、おはよう。ユリシーズさん、おはよう。レオナード君も師匠もおはよう、ご飯できているわよ」
マユラの心の声が聞こえたかのように、壁からひょっこりアンナが顔を出した。
「アンナさん、お兄様が来ているの、知っていたのですか?」
「ええ、知っているわ。今日もマユラちゃんに贈りものを届けに来てくれたのね。ついでにマユラちゃん用の可愛い服も持ってきてくれたわよ。スキンケア用の化粧品や、バスソルトセットもあるわ。私、嬉しくて」
『……懐柔されているな』
「お兄様、そういうところ案外そつがないのですよね……」
兄の凄いところではあるのだが、自分勝手なように見えて社会不適合者というわけではないのだ。
案外人望があるとは、シグマから聞いた。
興味がなさそうなように見えるのに、部下の祝い事にはさらっと贈り物を渡したりするらしい。
「今日はお出かけでしょ、マユラちゃん。ユリシーズさんが届けてくれた新しい服を着ましょうね、きっと似合うわよ」
「いつもの服でいいのですが」
「マユラちゃん、錬金術師でしょう? それらしい格好をしないといけないわ。錬金術師ですって格好をしないと……!」
「それはそうかもしれないのですが……」
うきうきした様子でアンナが壁の中にぬるっと戻っていった。
『まったく、ここは私の家だというのに。やかましくてかなわん』
「それは失礼しました。妹の身が心配なあまり、つい。マユラ、レオナードの同居を許すというのなら、私も共に住む。マユラ、私もお前の寝顔を一晩中眺めたい。おはようからおやすみまで、お前の暮らしを支えたい」
「こ、困ります……。お兄様にはレイクフィアの家がありますし……それに、レオナードさんがここにいるのは、呪いをとくためなのですよ」
「私も呪われたい。羨ましい、レオナードめ……」
「なんだか、すまない」
レオナードは半分寝ぼけた顔で軽く首を振ると、昨日脱ぎ散らかしたらしいフリルのシャツを羽織った。
もしかしたら、見かけによらず朝には弱いのかもしれない。
これはクリスマスの朝から顔がいいのにシスコンを拗らせすぎて気持ちが悪いお兄様です




