太陽のように
アンナが用意してくれた魔物肉の煮込みを、レオナードと一緒に食べて、明日も早いからと就寝することにした。
アンナが調理した魔物肉は臭みがなく、庭で採取した香草と一緒に煮込まれていてすっきりとした味わいで美味しかった。
今日一日の疲れが取れるようだった。
アンナが動かせるものは、無機物、というしばりがあるのだとマユラは気づいた。
命があるものには触れることができない。だから、マユラには触れないし、ニワール鳥も捕まえることができない。
食材は触ることができるようだ。けれど生きている草花にはやはり触ることができない。
ハサミを動かして切ってしまえば、触ることができる。土を動かして根っこから動かせば、触ることができる。
この触るとは、動かすということである。
そこには明確な、生者と死者の境があるように感じられる。
じゃあ魔物とはなんだろうか。大地に満ちる魔素が、形になったもの。
アンナの死んだ子供の魂の悲鳴に魔素が呼応して、スキュラになった。
他の魔物もそうなのか。それとも、あれは特別だったのか。
──師匠は、そういったことを研究していたと言っていた。
その研究の延長線上に、肉体と魂の分離法があったのかもしれない。
マユラはベッドに入ると、そんなことを考えていた。
いつものように綺麗に洗った師匠を腕に抱いている(あまりにも嫌がるので一緒に風呂には入らなかった。桶で洗った)。
ルージュはレオナードの傍で丸くなっている。
ルージュは彼をお父さんとでも思っているようだった。
レオナードはマユラのベッドの隣にあるベッドに横になっている。
同室というのはと困った顔をしていたレオナードだったが、元々ここは夫婦の寝室だったようで、ベッドは部屋に二つある。
他の部屋は掃除が終わっていないとアンナがさめざめ泣くので、優しいレオナードはそれ以上拒否をするようなこともなかった。
「君の話を、少し、聞いていいだろうか」
「……私の話ですか?」
暗闇の中でレオナードに話しかけられて、マユラは視線を向ける。
レオナードは横向きになり、マユラの方を向いていた。
「君は、レイクフィア家の娘で、ユリシーズの妹だった。それで、オルソンと結婚をして……」
「レオナードさんは、オルソン様のことをご存じですか?」
「あぁ、一応は。これでも公爵家の長男だったから。面識はあった」
「ジュネ様と、オルソン様、レオナードさんの家が、三大公爵家と言われていますものね」
貴族のことについては疎いマユラだが、オルソンの妻だった時代に少し学んだ。
社交界で困らないためではなく、商売に役立つからではあったものの。
「レイクフィアの家で私は……その、お兄様が言うには、厳しく育てられて」
『ようするに、虐められていたのだろう』
「厳しいご指導だったそうなので、それはもう、いいのですけれど。私は魔法がまるで駄目だったものですから、レイクフィアの家では基本的には家事全般を任せられていました」
『雑用だな。召使いだ』
「師匠、そのことはもういいので、そう怒らないでください」
『ふん』
師匠の過去も、マユラの過去に少し似ていた。
師匠の方がマユラよりもずっと孤独だったのだが──と、マユラは夢の中で見た師匠の記憶を思い出す。
「十六の時に、オルソン様に嫁ぎました」
「それは、ずいぶん若いな」
「レイクフィア家は爵位が欲しかったのです。いくら魔導に長けていようと、魔物討伐ができるただの庶民でしかありませんから」
「……その格差は、根深いものだからね」
レオナードが小さく溜息をついた。
「レオナードさんのような貴族は珍しいですね。それに、ジュネさんも少し変わっていました。シグマさんや、バルトさんも。貴族の方々にも、色々な人がいます」
オルソンは──お前のような庶民の娘を家に置くなどは本当はしたくないのだ、家に追い返されたくなければ役に立てと言っていた。
マユラはそういった言葉に慣れていたのでなんとも思わなかったが──というよりも、オルソンについて諦めていたので、さしてなんの感情も動かなかったというのが正しいのだが。
「オルソン様と四年、一緒にいましたけれど、オルソン様にはリンカ様という大切な人がいました。あの場所では、私はそれこそ本当に召使いのようなもので。屋根があって食べるものがあるだけ有難いことでしたけれど」
「マユラ……」
「悲しい話じゃないんですよ、これは。あの場所でも、いい人はたくさんいましたし。使用人の方々や街の皆さんにはずいぶんとお世話になりました。でも、つい最近離縁を言い渡されましたので、意気揚々と家をでてきたのです」
「意気揚々と?」
「はい。ようやく自由になることができて、ここに。はじめて自分の居場所ができた気がします」
そこまで話をして、そういえばマユラはレオナードのことも何も知らないと気づいた。
「レオナードさんは、グレイス家の長男なのですよね? 貴族の長男は普通は家を継ぐのだと思うのですが」
「あぁ、俺は……いわゆる、婚外子なんだ」
「婚外子?」
「外聞が悪いから、グレイス家の長男だと届け出が出されているけれどね。父と、出自がよくわからない母の子なんだ。母は精霊の森という場所に住んでいて、父と知り合い俺を生んだ。俺を生んだ時に命を引き取ってしまい、父が俺を家に連れて帰った」
「つまりは、お父様が浮気を?」
「父に一度その時の話を聞いたことがある。父はグレイス家の記憶を全てなくしていて、自分が誰なのかが分からなかったそうだ。記憶をなくした父を助けた母のことを愛していたが、それはまやかしだったと母が死んで気づいたらしい。父はずっと、妻……俺の義理の母のことを愛していたようだね」
なかなか複雑な話だ。
それでは──レオナードは、家の中でかなり肩身の狭い思いをしたのではないだろうか。
よく今のような優しい人に育ったものだと、マユラは師匠を眺めながら思う。
『なにか言いたげだが、マユラ』
「い、いえ、とくには……レオナードさんは、それで、家を継がなかったのですね」
「あぁ。弟はこのことを知らないから、ずいぶん怒られたが。出奔するのも同然で、家を出てね。……世の中を恨みたくなることも、少しはあって。でも、ひどい人間にならないように。太陽のような温かさを忘れないように、騎士であることに誇りを持つために、太陽の紋様を肩に入れたんだ」
「レオナードさんは、本当に太陽の騎士なのですね」
マユラは起き上がって、レオナードの傍にぱたぱたと歩いて行く。
手を伸ばして、その頭をよしよし撫でた。
「よく頑張っていますね、レオナードさん。これ、私が幼い時にしてもらいたかったことなのです。……レオナードさんもきっと同じだと思いますから」
「あ……あぁ、ありがとう」
レオナードは暗闇の中で目を細める。
人には色々な事情があるのだなとマユラは思う。
「おやすみなさい、レオナードさん。お話が聞けてよかったです。私の話も、聞いてくれてありがとうございます」
今まで率先して自分の話をしたことがないマユラだったが、こうして口にするとすっきりするものだなと、妙に胸のつかえがとれて軽くなったのを感じていた。




