大山犬とレオナード
ジュネは「話し疲れちゃったわ」と言って、侍女に果物入りの酒を持ってこさせた。
再び侍女たちに足や手を揉んでもらいながら長椅子でくつろいで、昼間から酒を口にする。
自堕落にして優雅、そして退廃的な美しさがそこにはあった。
ジュネはメルディを少しだけ哀れんで、隣国のファスティマ王との仲をとりもつためにおまじない程度の効果のある恋の薬を渡しただけだ。
メルディには確かに問題があったのだろうが──その程度のジュネの応援は咎められるものではないだろう。
「ジュネ様に聞けば何かわかると思ったのですが、メルディ様に何があったのか……そう簡単にはいきませんね」
「役にたてなくて悪いわね。私が何かしっていたら、とっくにハルバードに伝えているわ。そうしたら、レオナードも責任を感じて騎士団をやめなくてもよかったかもしれないもの。レオナードとは話したのよ? あなたのせいじゃないってね」
「レオナードさんは、それでも騎士団を辞めてしまったのですね」
「まぁ、責任感の強い人だし。それに、彼は騎士団という華やかな職業にはむいてないのよ。ここにいる子たちだって、レオナードにきゃあきゃあ言っていたぐらいだもの」
ジュネが肩をすくめると、何人かの侍女たちが恥ずかしそうにうつむいた。
「騎士団長は目立つし、レオナードは優しくて美形だもの。メルディが惚れてしまうぐらいだから、他の子たちだって、ねぇ」
意味ありげな視線を送られて、侍女たちは更に顔を赤くする。
マユラとユリシーズと、師匠の視線がバルトに向いた。
「そこの兄妹、そして師匠、俺を見るな。いいか、俺は愛妻家だ!」
「バルト様、まだ何も言っていませんけれど。私はバルト様もさぞ大変でしょうと思っただけで……」
「騎士団長というのは大変だな、団長殿」
「マユラ、天然だな!? ユリシーズは確信犯だな! 俺は女性からきゃあきゃあ言われたことなど、生まれてから一度もないが!? 女というのは背の高い、顔がこう、ユリシーズのようにしゅっとした男が好きなんだろう、知っているのだぞ、俺は!」
「バルト様、奥様がいるのですから、女性から人気になる必要はないのでは……」
バルトはいい人だが、その態度や口調で誤解をされやすいのかもしれないなと、マユラは思う。
怒ってばかりのバルトよりも、物腰の柔らかいレオナードのほうが女性から人気がある。
そして無愛想だがやたらと顔のいいユリシーズも人気がある。
女心とは、難しいものである。
「マユラちゃん、バルトさんの奥さんは、すごく綺麗な人よ。アフロディテの花と呼ばれていたぐらいで」
「俺のことはいい。ジュネ殿、邪魔をしたな」
「警備の確認はいいのかしら」
「もう終わった。何か不備があれば、いつでも俺に言ってくれ」
「わかったわ、バルトさん。マユラちゃん、またきてちょうだいね。そうだ、私があなたのところに遊びに行けばいいのだわ。うん。それがいいわね。そうするわね。遊びに行っていいかしら」
バルトに促されてマユラたちが退室しようとすると、ジュネが寂しそうに話しかけてくる。
大人の女性ではあるのだが、その悲しそうな顔は、妙に母性本能をくすぐられるなにかがある。
彼女の周りの侍女たちも「ジュネ様」「ジュネ様……」と言いながら、頬を紅潮させている。
「ジュネ殿、マユラの元に来る必要はない。あなたのような派手な女と関わると、マユラの清純さが損なわれる危険がある」
「お兄様、失礼ですよ。ジュネ様、今日はありがとうございました。私は海辺の丘にあるマユラ・グルクリム錬金術店にいますので、いつでもいらしてください」
「グルクリム……?」
ジュネは不思議そうに呟く。ユリシーズと、ラストネームが違うことを訝しんでいるのだろう。
『女、お前は天才錬金術師かもしれんが、私は天才魔導師──』
余計なことを言う兄の背を押し、更に余計なことを言おうとする師匠をかかえて、マユラはジュネの元をあとにした。
「まったく、やっかいな仕事をさせてくれる。俺は騎士団長だぞ!?」
「バルトさん、今度お礼をさせてくださいね。奥様が喜ぶような錬金魔法具をプレゼントしますので」
「そ、そうか!?」
ぷんすか怒っているバルトを宥め、仕事を放棄してマユラと共に帰ろうとするユリシーズを、シズマの元まで送り届けて、マユラは城から出た。
『結局、無駄足だったな』
「ぴぃ」
やれやれと師匠が呆れて、ポケットから出てきてマユラの肩に戻ってきたルージュが、マユラの頬に顔をすりつけた。
「ジュネ様と話ができたのですから、十分な収穫ですよ。魅惑の糖蜜、売れそうですよね」
『媚薬を売るな』
「媚薬の効果をなくして、滋養強壮の効果にしたらどうでしょうか? 飲むと元気が出る薬です。何かに混ぜ込むというのはよくありませんから、チョコレート菓子とかにして……」
『魔改造をしたがるな、お前は』
師匠と話しながら城門前を通り過ぎて乗り合い馬車の停留所に向かう。
停留所には既に多くの人が並んでいる。少し待たなくてはいけないなと思っていると、遠くから名前を呼ばれた。
「マユラ!」
それは、黒い山犬に乗ったレオナードだった。
狼に似た馬ほどに大きな犬には、騎乗酔用に鞍と綱がついている。
そういえばレオナードのいる傭兵ギルドでは、山犬を移動に使っていると言っていたことを思いだした。
「レオナードさん、こんにちは」
馬車道を山犬が駆けてきて、マユラの前でとまった。
山犬はお行儀よく座り、レオナードがその背から軽々と降りてきた。




