世間は広いようで狭い
──それにしても。
偶然出会ったレオナードがユリシーズの元上司で、オルソンとも知り合いだとは。
不思議なものだ。その上レオナードはグウェルとも知り合いだった。
これが、縁というものなのだろうか。
商売人は縁を大切にする。ヴェロニカグラスが成功したのも、オルソンが国王陛下の血縁だったからだ。
心情的にはユリシーズと関わりたくはないのだが、海でユリシーズと出会ったのも縁というものなのだろう。
(レオナードさんにもお兄様にも、助けていただいた。あまり怖がるのも、いけないわね)
今までの冷たい兄とは別人のようでいて、根本的には同じ気もする。
何を考えているのかよくわからないところなど、特に。
一方的に嫌われていないのならそれでいいような気もする。
確かにマユラは、レイクフィア家で鍛えられた。だからこそ、呪いの館に住もうと思ったし、師匠を恐れず、逃げ出さずにすんだ。
強くなったのは、レイクフィア家のおかげといえばそうだ。
怖い──けれど、嫌っているかといえばそんなこともない。
これはオルソンやリンカに対してもそうである。苦労はしたけれど、嫌いかと言われればそんなことはない。
ヴェロニカの街の人々にはよくしてもらったし、使用人たちもマユラの味方をしてくれた。
お互い、大人だ。それに、レオナードや師匠にあまり情けない姿を見せるのは恥ずかしい。
更に言えば、わだつみの祝福亭で待っているニーナに、兄と不仲な姿や、兄に怯える姿を見せたくない。
──大人として。
「……あの、お兄様」
「どうした?」
以前よりも若干柔らかさを帯びた声音で、ユリシーズが言う。
「助けていただいて、ありがとうございました。リヴァイアサンとスキュラの討伐、ご協力感謝します」
「──私も、お前がいなければおそらくは死んでいた。ありがとう、マユラ。今まで、すまなかったな」
「わ……」
「なんだ?」
「……なんだか、家族になれたようで嬉しいなって、思いまして」
レオナードの背後にこそこそ隠れながら、マユラは照れる。
「和解できてよかった……と言っていいのか?」
『甘いのだ、マユラは。まるで砂糖を吐くほどに甘い。人に対して甘すぎる』
「それは長所だと思うぞ、師匠」
『そのうち痛い目をみる』
「なら、そうならないように俺が守ろう」
『は?』
「今のはそういう流れではないのか?」
『は?』
なにやら、レオナードと師匠が喧嘩をしている。
口を挟もうと思ったが、その前にわだつみの祝福亭前に到着していた。
わだつみの祝福亭の前には、毛布にくるまったニーナが座っていた。
どうやらマユラたちが戻るのを、心配して待っていてくれていたらしい。
ぱっと顔をあげて、駆け寄ってくる。
「お姉さん、ひどい怪我! お兄さんもぼろぼろ……もう一人のお兄さんは、びしょびしょ……!」
マユラたちは自分の姿を確認した。
確かにニーナの言うとおり、マユラは怪我をしているし、レオナードは魔物との戦闘でぼろぼろになっていた。怪我はないが、服が裂けたり、破れたりしている。
ユリシーズは海に落ちているので、海水に濡れている。
色々あって失念していた。せめて着替えてくればよかったと思うが、グウェルが心配だったのである。
「お父さん、また、夜に熱が出て……でも、げねつのぽーし、ん、で、元気になったの。お母さんには寝てなさいって言われたけど、お姉さんが帰るのを、ここで待っていたの」
「ありがとう、ニーナちゃん。お姉さんたちは無事ですよ、ちょっと怪我をしましたが、このとおり、元気です」
マユラは焼けただれた手のひらを隠しながら、腕をあげた。
レオナードもにこにこしながら「心配ないよ」と言っている。
「……怪我を治す魔法は、私は使えない。私の唯一の汚点だ。……マユラ、すまないな」
「お兄様にそんなに謝られると、戸惑ってしまいますね……大丈夫ですよ。家に帰れば、治療のポーションがあるはずです。いくつか残していたかなと思いますので」
謝罪をしてくるユリシーズに、マユラは困ったように笑った。
優しい兄というのは──慣れるまで、時間がかかりそうである。
「ニーナ、グウェルさんの様子は?」
「ええと……」
「……あんたたち、戻ったのかい!」
騒ぎを聞きつけたのだろう、扉が開きエナが顔を出した。
そのすぐ後から、グウェルが出てくる。
二人ともすっかり朝の支度を調えている。グウェルはニーナを抱き上げると、明るい笑顔を浮かべる。
「スキュラを討伐してくれたんだろう、マユラ、レオナード。それから……ユリシーズだな。噂は聞いている」
「グウェル殿ですね。私もあなたの噂は耳にしたことがあります。騎士団をやめて、食堂で働いている変わり者だと」
「はは、そのとおりだ! スキュラの討伐、感謝する。驚くほどに体が軽い。久々に、悪夢を見ずに眠ることができた。呪いが消えたんだ。皆のおかげだ!」
グウェルの表情は晴れやかだった。
その姿からは、もう呪いの気配は感じない。
陰りのようなものが消えていた。
「それに、ほら」
グウェルはニーナを降ろすと、自分の服をめくりあげる。
腹には、犬の歯形のような赤い跡が残っていたが、マユラたちの見ている前で、傷は煙をたてながらするりと消えていった。
「……熱が出てから、この噛み跡は日に日に濃くなっていった。ニーナが心配するから、秘密にしていたが。だが、消えた。もう大丈夫だ、すっかり元気なグウェルさんに戻ったぞ!」
ニーナがグウェルに抱きついて、エナが涙を拭う。
「よかったです、本当に。スキュラは無事に退治しました。その後不調があったら、すぐにおっしゃってくださいね。いくつかのポーションを調合できると思います」
「あぁ、ありがとう、マユラ。この礼はきっちりさせてもらう」
マユラはほっと胸を撫でおろした。
──助けることができて、よかった。
安堵から、腰が抜けるような脱力感を感じる。
そういえば一睡もしていない。気怠さと眠気に一気に襲われる。
今日はゆっくり眠ることができそうだ。




