レオナードの実力、ユリシーズの本気
ユリシーズの相貌が、ぱちぱちと瞬いた。
水中呼吸のキャンディというのは、水中の中であらゆる呼吸を可能にするものらしい。
つまり、皮膚呼吸然りだ。
体の周囲に空気の薄い膜が張っており、水の抵抗や浮遊感を感じるが、服が濡れたり海水によって視界が悪くなることはない。
つまり、ユリシーズはその冷たい瞳でじっと。じいいいっと、マユラを見据えている。
(こ、こわい……っ、よりによってお兄様とこんなところで出会ってしまうなんて……)
四年ぶりの兄だ。やはり怖い。マユラの脳裏に、マユラを冷たい目で見下して「そこの愚鈍」「役立たず」「邪魔だ、どけ」と短文で話すユリシーズの姿が過ぎる。
レイクフィアの家族にはもう関わらないと決めていたのに。王都に戻ったのが馬鹿だったのだ。
でも、王都以上に商売に適している場所はない。
王都に戻ったから師匠やレオナードと出会うことができたわけで──などと、混乱した頭でぐちゃぐちゃと考える。
「マユラか」
「は、はい、お兄様」
「マユラに似た人魚……セイレーンではないな。会話が可能だ。お前は人魚だ。しかもマユラに似ている」
「え、ええ……」
「連れて帰るか。マユラではないが、似ている。私の妻として迎え入れてやろう」
「ま、待ってください、お兄様! お兄様は混乱していらっしゃいますね、今はそれどころではありません……! わ、わ……っ」
理知的に、冷静に判断して、ユリシーズはマユラをすっと指を指した。
マユラの周囲の海水が凍り付き、氷の檻を形作りはじめる。
このままでは助けた兄に人魚として生け捕りされてしまう。
人魚とは伝説上の生き物である。魔物のセイレーンとは違う。その肉を食べると不老不死になるという噂もある。つまり兄に生け捕りにされた挙げ句、踊り食いされるかもしれない。
「お兄様、私たちは今、リヴァイアサンとスキュラと戦っているのです……! 私を氷漬けにしている場合ではありません!」
「人魚よ。何故私を兄と呼ぶ」
「私は人魚ではなく、マユラだからです……! あなたの妹の、役立たずの魔法が使えない落ちこぼれの、マユラです!」
『……おい、マユラ。なんなんだ、この男は。強く頭でも打ったのか?』
状況に耐えかねたように、マユラの腕の中にいる師匠が呆れたように呟いた。
マユラを囲う氷の檻が砕け散る。
剣で氷を砕いたレオナードが、マユラの腰を抱えるとユリシーズの前から退こうとする。
「どうなっているんだ? あれはユリシーズに見えるが、スキュラは幻術でも使うのか? それよりも大丈夫か、マユラ。氷漬けにされていたように見えたが」
「無事です、ありがとうございます、レオナードさん。レオナードさんもご無事ですか?」
「あぁ、俺は問題ない」
レオナードに怪我はないようだ。
レオナードの視線の先で、脳天を切り裂かれたリヴァイアサンが長い体をぐるぐると揺らしながらのたうっている。
「すごい、レオナードさん、お強いですね!」
「いや。まだ終わっていない」
喜ぶマユラに、レオナードは少し恥ずかしそうに答えた。
「──来たれ、氷魚」
そんなマユラとレオナードを、ユリシーズがどういうわけか睨み付けている。
リヴァイアサンよりもユリシーズのほうが恐ろしい。短い呪文の詠唱と共に、ユリシーズの周囲の海水が凍り付き、氷魚を象った。
「冷凍マグロに乗ったお兄様だわ……」
冷凍マグロではないが、冷凍マグロに見えた。
ちなみにかなりの高級魚である。
イケメンは冷凍マグロに乗っていてもイケメンだ。四大エレメント魔法でつくりあげるこういった動物の造形は術者の美的感覚に左右される。つまり、ユリシーズには絵心がない。
完璧超人ユリシーズの唯一の可愛気だが、マユラはそれを口にしたことはない。だって、怖い。
「これは夢ではない。幻ではない。私は死の淵にはいない……」
氷魚に乗ったユリシーズが、ぶつぶつとなにやら呟いている。
「マユラが、レオナード・グレイスと共にいるのも、現実。……レオナードが、リヴァイアサンごときに攻撃を通したというだけで、マユラが喜んでいるなど……間違っているな、あぁ、間違っている」
「お兄様、やはり強く頭を打ったのでは……」
『あれは本当にお前の兄なのか? ずっと様子がおかしいが』
「師匠に少し似ているのですが……」
『私には似ていない。似ていないだろう、どう見ても』
ユリシーズの氷魚が、マユラの目の前でぴたりと動きを止める。
ユリシーズはマユラに向かい、嘲笑に近い笑みを浮かべた。
(すごく怒っている、怖い……)
やはり勝手に唇を奪ったことで激怒しているのだろうか。兄の機嫌については正直よくわからないことが多いのだが、嫌われていることは確かだ。
「マユラ、見ていろ。レオナードごときを褒めるな。私にかかれば、あんなものは一瞬だ」
──お兄様は、そのリヴァイアサンと戦って、死にかけていたんじゃないかしら。
と思ったが、心の中にとどめておいた。
レオナードも何か言いたげな顔をしていたが、何も言わなかった。大人だ。
「つらぬけ、氷槍」
言葉と共に、海水が凍り付き、人の体の何倍もの長さのある鋭い氷の槍が何本もリヴァイアサンの前に現れる。
その槍が、剣による致命傷を受けてのたうつリヴァイアサンの体を一気に刺し貫いた。




