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マユラ、人魚になる



 冷たい海水の中にばしゃんと落ちて、マユラは小舟の木片と共に水流にきりもみ状態になった。

 ぐるぐると体が海水の中で回る。息苦しい気がして喉をおさえたが、顔の周りに薄い膜があるように、息を吸い込んでも口の中には水が入ってこなかった。


(落ち着け、落ち着け、落ち着け……!)


 自分に言い聞かせて、ポケットの中から指に触れる硬いものをとりだした。

 人魚の尾を下腹部にあてると、両足がかっと、燃えるように熱くなる。


 人魚の尾が、下腹部に吸い込まれるようにして消えていく。

 熱を持つ両足が形を変えていく。マユラの両足は、魚の尾に変化していた。


「師匠!」


 水中呼吸のキャンディの効果か、海水の中でも言葉を話すことができた。

 魚の尾で水中を蹴る。すいっと、マユラの体はそれこそセイレーンのように、簡単に水中を進むことができた。


 海底に落ちていく、水中を明るく照らす炎の聖杯を拾い上げ。あたりを照らす。

 海面にぷかぷか浮かんでいる鞄の中から師匠が顔を出している。


『マユラ、無事か!?』

「はい、師匠もご無事でよかった!」


 マユラは海面に顔を出すと、師匠に向かい手をふった。

 師匠は鞄の中で漂流してくれている。ひとまずは大丈夫そうだ。

 

『私のことはあとでいい。気をつけろ!』


 気をつけろというのは──と、マユラは一瞬混乱した。

 海に落ちた衝撃で、どうしてこんなことになったのか、頭からぽっかりと抜け落ちていた。


「シャギャオオオオ!」


 頭にガンガン響くような叫び声が、海面を波立たせる。

 マユラの頭上には──怒りに燃えるような赤い目をした、青い巨大なウミヘビのような魔物の姿がある。

 叫び声と共に大波が起こり、マユラは師匠を片手に抱えると、再び海の中に潜って波から逃げた。


 海中に、ウミヘビの体が長くのびている。巨大な貨物船か、それ以上の大きさのある硬い鱗に覆われたウミヘビのような魔物が、海の中で体を大きくくねらせていた。


 その体は、まるで頭上を覆う船底のようだ。

 

「リヴァイアサン……」


 マユラたちの乗る小舟を襲ったのは、リヴァイアサンという海の魔物。

 津波を起こし、港町を壊滅させることもある、恐ろしい水竜である。

 そのあまりの大きさに、恐ろしさに、マユラは師匠をきつく抱いた。


『落ち着け。お前は今、人魚の姿だ。水中呼吸は一時間。予備の飴もあるだろう』


 そもそもぬいぐるみなので呼吸の必要がない師匠は、水の中でも会話が可能らしい。

 マユラは頷いた。武器は、炎の聖杯のみ。だが、炎の聖杯の劫火は、尽きることがない。

 なくさなければきっと、大丈夫だ。なんとかなるはず。


「わぁ……っ」


 聖杯の炎が届かない海中の暗闇から、マユラに向かい何本もの触腕が伸びてくる。

 触腕はマユラの腕に、腰に絡みついた。

 触腕の先からぬるりとアンナの顔がマユラに近づく。


『ゆるさない、ゆるさない、憎い、憎い……』

「あ、アンナさん、落ち着いて……っ! 気持ちはわかりますが……!」


 アンナの顔をしたスキュラは、アンナに似た声で怨嗟の言葉を吐き続けている。

 それは──憎むだろう。

 愛した男に殺されて、海に落とされたのだから。

 不憫ではあるが、これは魔物だ。アンナの憎しみに魔素がとりつき、形になったものだ。


 マユラの首に触腕が巻き付き、ぎりぎりと締めあげてくる。

 マユラは聖杯の炎で触腕を焼いたが、触腕はすぐに再生して、マユラの体に纏わりついた。


『マユラ、逃げろ!』


 師匠の切羽詰まった声が耳に響く。

 攻防を続けるスキュラとマユラを喰らおうと、海中に体を沈めたリヴァイアサンがばっくり口を開いて、マユラたちに向かってきている。


 その口はまるで、巨大な洞窟だ。凶悪に並んだ歯列の奥には、暗黒が続いている。


「マユラ! 無事か!?」


 触腕の拘束が外れる。海の中に、ちぎれた触腕が無数に揺蕩った。

 レオナードが触腕を剣で切り裂いた。まるで空でも飛ぶように、海中で揺れる小舟の木片を足場にしながら、リヴァイアサンに向かっていく。

 レオナードの剣が、リヴァイアサンの脳天を刺し貫く。リヴァイアサンは苦しげに巨体をうねらせた。


 マユラはスキュラに聖杯の炎を向ける。

 照らした先に──海底に沈んで行こうとしている、人影がある。


「人が……」

『放っておけ。誰だかわからんが、死んでいる』

「そういうわけにはいきません」

『スキュラを逃すぞ』

「でも、放っておけません!」


 リヴァイアサンの波に巻き込まれた釣り人だろうか。

 マユラはスキュラの隣をすいっと通り過ぎて、沈みゆく人の元まで泳ぐ。

 それは男だ。

 意識を失って沈んで行く男は、とても美しい容姿をしている。

 まるで、沈没する商船から落ちた彫刻のような。

 

「……っ、お兄様!?」


 その美しい男を見た途端、マユラの背筋に悪寒が走った。

 それは──兄だ。

 ユリシーズ・レイクフィアが、どういうわけか海に沈んでいこうとしている。


 状況からしてリヴァイアサンと戦っていたのだろう。

 リヴァイアサンに負けるような兄ではない。どうして、どうしてと思うが、悩んでいる場合はない。

 ユリシーズは優秀な魔導師だが、空は飛べても海中で呼吸をすることはできない。

 できないはずだ。

 そもそも、意識をなくしていては、魔法の構築などはできない。


『なんだ、知り合いか。残念なことだな』

「い、生きています……あぁ、もう、助けます……!」


 怖い人だが、兄だ。彼はマユラを嫌っているが、兄は兄だ。

 マユラはポケットの中から水中呼吸のキャンディをとりだした。

 一瞬悩んだが、見殺しにはできない。

 自分の口の中にキャンディを含むと、兄の口に自分の口を重ねる。

 キャンディをねじ込んで、同時にふううと酸素も吹き込んだ。


『お、お前は、人妻だけあって、大胆だな』

「今のは、不可抗力です……あとでお兄様に殺されるかもしれませんが、人命救助です……!」


 初めてのキスを兄にささげたことよりも、勝手に兄の唇を奪ってしまったことのほうが恐ろしい。

 そんなことよりもこれは人命救助だ。

 他に方法は思いつかなかったし、探している暇もない。


「お兄様、目覚めてください……もう、大丈夫です」

「マユラ……?」


 声をかけながら、その頬を軽く叩く。

 兄は長い睫のはえた相貌を薄く開いて、その冷たいアイスブルーの瞳にマユラをうつした。


「よい、幻だ……」


 どういうわけか兄は、マユラの腰を引き寄せて、再び唇を重ねようとしてくる。

 マユラは慌てて兄の腕の中から逃げた。

 ──どうやら、兄は錯乱しているらしい。




 



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― 新着の感想 ―
主人公の周りの拗らせた男どもが愉快すぎる。
お、お、お兄さまーーーー!!! え、あっ、ちょっ…お兄さまーーー! 狼狽える師匠も可愛ゆすぎます…!!
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