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スキュラとの戦い



 どれほど待っても、スキュラは現れない。

 両手で聖杯を掲げていたマユラは、腕のしびれを感じて小舟の先端に座ると、聖杯を膝に抱えた。


『まぁ、待つしかあるまい。今日中に出会うことができれば幸運だ』

「運はいいほうだと思います」

『それは結構なことだな』


 師匠はふあっと欠伸をして、マユラの隣で丸くなる。

 

『私を落とすなよ、マユラ。私は外に出るとただの可愛いぬいぐるみだからな』

「気をつけますね。大切な師匠ですから」

『ふん、わかっていればいいのだ』


 黒々としたどこまでも続いているような海に師匠を落としてしまったら、とても探し出すことなどできないだろう。

 ぬいぐるみの中で永遠に生きている師匠が海の底に沈んでいくことを考えるだけで、その空恐ろしさに肝が冷える。


 沖合に出た小舟からは、豆粒のように小さくなった王都の街の灯りが見える。

 王都は夜でも明るい。中央にそびえ立つ大きな城の姿を遠目に見ることができる。

 ふと、オルソンのことを思いだした。

 四年共に暮した男だ。リンカと仲良くしているだろうか。ヴェロニカの人々は元気だろうか。

 

「寒くはないか?」

「ありがとうございます、レオナードさん」


 レオナードが自分のマントを外して、マユラの肩にかけた。

 レオナードのマントはあたたかい。すっぽり包まれると、海風の冷たさからマユラを守ってくれる。

 夜の海は、まだ秋とはいえ寒い。冬になる前に金を稼いで、服や暖房器具をどうにかしなくてはいけない。


「マユラ、君はグウェルさんたちとは出会ったばかりだろう?」

「そうですね。引っ越した初日に、たまたまわだつみの祝福亭に食事をしにいったのです。そこで、話を聞いて」

「出会ったばかりの人たちを、危険をおかして助けようとしている、ということだね」

「……ニーナちゃんから、お父さんを奪ってはいけません。あんなに愛されていて幸せな子が不幸になるなんて、いけないことです」


 両親に愛されなかったマユラは、ニーナのような両親からの愛情に恵まれている子供を見ると、とても眩しく感じる。

 守れるものなら、守りたいと思うのだ。


「目の前に困っている人がいて、自分がどうにかできそうなのだとしたら、手を差し伸べないときっと後悔します」


 それは──人として、ごく当たり前の感情ではないのか。

 自分の行動に疑問を持つことがなかったが、あらためて尋ねられると、そう思う。


「レオナードさんも、一緒ですよね。そうだ、これは水中呼吸のキャンディです。そろそろ食べておいてくださいね」


 マユラはレオナードに、水中呼吸のキャンディを渡した。

 レオナードは泳ぎが得意だという。人魚の尾はいらないと言っていた。

 レオナードは水中呼吸のキャンディを口に含む。


「ありがとう」

「どういたしまして。今日中にスキュラに会えることを祈りましょう。きっと大丈夫です。私は運がいいほうなので」

「マユラ、俺は……」

「……っ!」


 レオナードが何かを言いかけたときである。

 大きく、船が揺れた。

 マユラは師匠が落ちないように掴むと、船床に置いてある鞄の中に入れる。

 それから水中呼吸のキャンディと人魚の尾を、ワンピースのポケットの中に突っ込んだ。

 キャンディを一つ口に含む。口の中でそれはすぐにとけて、薄荷のような味が広がった。


「スキュラ!」


 水面からぬるっと顔を出したのは、黒い犬だ。

 水に濡れた黒い犬は、その顔だけでもマユラの体ぐらいの大きさがある。

 犬の顔と同じ黒々とした触腕が、何本も小舟にびたりとはりついている。


『出たか』

「はい。やっぱり幸運です、運がいいですね!」

「マユラ、船から落ちないように。すぐに倒す」


 レオナードが剣を抜いた。

 小舟を沈めようとしてくる触腕を、切り裂いていく。

 水面からスキュラが伸び上がるようにその姿を露わにした。

 腰からは何頭もの黒犬の顔がはえており、その下半身は触腕に覆われ、更にその先に続く足は、鱗のある蛇のような、魚のものだ。

 犬の顔からは上半身がはえている。

 

 白い肌がなまめかしい女性の姿である。

 体に長い黒髪が纏わり付いている。黒々とした目の奥には、鮮血のような瞳孔がある。


「……アンナさん!」


 その顔は、アンナと同じ顔をしていた。

 アンナの体は魔物になってしまったのだという。それが、スキュラ──ということだろうか。

 ともかく──倒さなくてはいけない。

 グウェルのためにも、アンナのためにも。


「聖なる劫火よ、燃やし尽くせ!」


 マユラは劫火の聖杯をスキュラに向ける。

 スキュラと目があう。激しい脱力感を感じる。

 まるで、自分はここには存在してはいけないような。

 世界の全てから否定をされているような、黒々とした気持ちが全身に広がっていく。


 これが呪いだ。飲まれるわけにはいかない。

 聖杯の効果を最大限に発揮する呪文を唱えると、聖杯から炎がぶわっとスキュラに向かって巻き付くように放たれた。


 炎に体を包まれて、スキュラは激しく身もだえる。

 マユラの横を、レオナードが駆けていく。

 スキュラの体を剣で真っ二つにしようとして──小舟は、上空から飛来した何かによって粉々に砕かれて、マユラとレオナードは、夜の海へと叩き落とされた。



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