夜の海へ
夜になり、マユラは師匠や必要な錬金魔法具を鞄に入れて、片手に炎の聖杯を持って外に出た。
炎の聖杯は、聖杯の中で燃料もなくただ炎が燃えているという不思議な魔法具である。
それは確かに炎なのに、持ち手の聖杯にも炎にも熱さを感じない。
聖杯の炎が夜道を明るく照らす。
レオナードと並んで歩き、わだつみの祝福亭に辿り着いた。
本日は営業中。店の中は多くの客で賑わい、解熱のポーションで熱がさがったグウェルは調理場で働いていた。
「あ、マユラお姉さん! レオナードお兄さん!」
マユラとレオナードに気づいたニーナが、すぐに駆け寄ってくる。
そのすぐあとに、エナがやってくる。
「二人とも、食事かい? 何でも食べていってくれ。もちろん、サービスだよ」
「ニーナちゃん、こんばんは。エナさん、今日は食事に来たのではないのです」
「そうなのかい?」
「お願いがあります。船を貸していただきたいのです」
「船?」
「はい。魔物の討伐に行くために」
他の客がいる手前、密やかな声でマユラは言う。
エナは俄に目を見開くと、大きな声を張り上げた。
「マユラ、うちの人のために化け物を退治をしてくれるのかい!?」
「え、エナさん、声が大きいです……」
「いいんだよ、隠しているわけじゃないし。あんたの店の宣伝になるだろう? こういうのは、皆におおっぴらに言うべきだよ」
エナは両手を腰にあてて、明るく笑った。
グウェルもマユラたちに気づいて、フライパンをふりながら片手をあげる。
「マユラさん、レオナード、ありがとう! 皆、聞いてくれ! ここにいる錬金術師マユラは、スキュラの呪いにかかった俺の熱を、解熱のポーションでさげてくれたんだ! これから、腕利きの傭兵レオナードと共に呪いの元凶のスキュラを退治しにいってくれるそうだ!」
エナとグウェルの声に、店の客たちから「おぉ」「それはすごい!」という声があがる。
「船ならいくらでも貸そう! ありがとう、二人とも! 皆、二人を盛大に見送ってくれ!」
「あ、あの……」
「マユラ、諦めろ。グウェルさんは昔からああいう人だ。エナさんもよく似てる」
「夫婦は似るものだからね」
「だからね!」
諦観したようにレオナードが言う。笑うエナの真似をするニーナの頭を、マユラはよしよしと撫でた。
「お姉さん、気をつけてね!」
「はい、気をつけていってきますね。化け物退治は任せてください」
こうなってしまっては仕方ない。
うまくいくかどうかわからない、はじめて行う自信のなさに蓋をして、マユラは力強く頷いた。
「マユラには俺がいる。だから、大丈夫だ」
「レオナードお兄さん、強いって。いつもお父さんが言ってる」
「あぁ」
レオナードの言葉に、ニーナは安心したように笑った。
鞄の中で師匠が『さわがしい』と小さな声で呟いたが、あえて外に出てくるようなことはなかった。
おそらく、しゃべるぬいぐるみまで現れることで、更に騒ぎになるのが嫌だったのだろう。
マユラたちは店の客たちに盛大に見送られながら、店を出た。
グウェルが港に停泊している釣り用の小舟の元まで案内をしてくれる。
「船の漕ぎ方は……レオナードならわかるな。本当は一緒にと言いたいところだが、今の俺じゃあ足手まといだ。すまないが、任せた」
「俺一人でも大丈夫ですが、今はマユラが一緒です。才ある錬金術師が相棒にいれば、怖いものなどありません」
「……え、ええと、それは褒めすぎなのですが……ともかく、行ってきます。きっと呪いはとけますよ、グウェルさん。エナさんとニーナちゃんにはお父さんが必要です。きちんと討伐してきますので、ご安心を」
レオナードは本気でそう思って褒めてくれているので、中々に恥ずかしい。
マユラはまだ駆けだした。今のところ討伐できた魔物はシダールラムだけ。
錬金魔法具も、解熱のポーションと治癒のポーションは問題なく使用できたが、他の錬金魔法具は作りたてで、スキュラ討伐が上手くいくかはわからない。
胸を張っているものの、それは商人としての虚勢がほとんどである。
自信と確信に満ちているレオナードを眩しく感じる。
レオナードが先に船に乗り、マユラに手を差し伸べる。
マユラはその手をとって、トンと、桟橋から小舟に乗り移った。
夜の海は暗い。黒々とした水に、炎の聖杯のあかりが揺らめいている。
小舟と桟橋を繋いでいるロープを離す。
ぎぃ──と、軋む音をたてて、レオナードがオールを漕ぎはじめる。
小舟はゆっくりと、桟橋から離れていく。
『……まったく、騒がしかった』
「師匠、静かでしたね」
『子供は苦手だ。私の顔を見た途端、撫でようとしてくる』
鞄の中から、師匠が顔を出す。
撫でようとしてくるのは、師匠が可愛いからだ。仕方ない。
海は静かなものだった。月明かりが、海面に落ちている。マユラは小舟の先に立ち、聖杯の炎を掲げた。
ゆっくりと、船は沖へと進んでいく。
マユラはただひたすらに、炎にスキュラが呼び寄せられるのを待ち続けた。




