水中呼吸のキャンディ
アンナと話していたら、夜が明け始めていた。
ベッドに戻る気にもならずにソファでうとうとしていたマユラは、美味しそうな卵の焼ける匂いで目を覚ました。
すっかり朝である。欠伸をしながら周囲を見渡す。ルージュも師匠もすやすやマユラの傍で眠っている。
マユラは驚きにぱちりと目を見開いた。
「わぁ……」
マユラがうとうとしているほんの少しの間に、部屋が見違えるほどに綺麗になっている。
もちろんマユラも掃除をしていたが、まだ綺麗とは言えない程度の雑然とした状態だった。
それなのに、リビングは暖炉のすすは払ってあるし、窓もピカピカに磨かれている。
テーブルには清潔なクロスがかけられていて、花まで飾られていた。
「あら、マユラちゃんおはよう! 起きたのね、早いわね、まだ寝ていていいのよ?」
「アンナさん……」
ふわふわ浮きながらテーブルにふわふわのオムレツを準備しているのはアンナだ。
どうやら掃除をして料理までしてくれていたらしい。
「その卵はどこから」
「マユラちゃん、じつはね、生前の私は食費の節約のために、裏庭でニワール鳥を飼っていたの。それが今や野生化して、少し探すと卵があるのよ」
「野生化……」
「ぱぱっと奪ってきたわ、卵」
「アンナさん、強い。どうして殺されたのかわからないぐらいに強いです」
「ほら、幽霊だから。もう怖いものはないのよね。マユラちゃん、そのうちつかまえて、小屋に戻してくれると嬉しいわ、ニワール鳥」
マユラは頷いた。師匠には内緒にしておこう。
敷地内に野生化したニワール鳥の群れがいると知ったら怒りそうだ。
「私、居候の身分だもの。マユラちゃんには私が無事に成仏できるようにお願いをしているから、少しぐらいは働かないとね。でも、ニワール鳥を捕まえることはできなかったわ。マユラちゃんと握手ができないのと同じね」
「幽霊にも何か決まりがあるのですね、きっと」
「そうなのよ、たぶん」
マユラは水瓶の水で顔を洗うと口をゆすいで、ありがたくオムレツを食べた。
ややあってルージュが起きてくる。アンナがルージュに柔らかい葉や木の実を食べさせてくれるので、マユラは礼を言った。
「極楽鳥も餌はニワール鳥と同じでいいのかしらね。ニワール鳥は、畑の虫やら雑草を勝手に食べたけれど」
「ぴ!」
「同じでいいのだと思います。森に住んでいますから、虫や木の実やキノコなんかを基本的には食べますね」
マユラはルージュのふわふわの体を指でつつくと、ごちそうさまを言って立ちあがる。
空の食器がふわりと浮きあがり、シンクの桶の中にちゃぽんと入った。
「アンナさん、洗い物ぐらいはしますよ」
「いいのよ。生前よりもすごく楽なのよ、家事が。なんせ指を一振りするだけで、食器が浮かぶのだもの。まるで魔法使いみたいでしょう?」
「そうですね、素敵です」
「だからね、私に任せて。マユラちゃんにはお仕事があるでしょう?」
なんだか──お母さんみたいだと、マユラは思った。
アンナとはさほど年齢が離れていないので、せめてお姉さんにしておかないと失礼かと、考え直す。
「ありがとうございます、アンナさん。すごく助かります。頑張って、アンナさんの体を探しますね」
「期待しているわ、ありがとう!」
マユラが錬成部屋に向かうと、そこには師匠がいた。
テーブルの上で己の書いた記録書を開き、ぱらぱらとめくっている。
「師匠、おはようございます」
『あぁ、おはよう』
「師匠が挨拶をしてくれた……感動です。嬉しい。おはようございます、師匠』
『うるさい、しつこい、さっさとこちらに来い』
言われるままに近づくと、師匠はとあるページを開いて見せてくれる。
『お前は私のような大魔導師ではない。ワーウルフにも勝てないぐらいでは、とてもスキュラに勝つことなどできん』
「そうなんですよね。レオナードさんに討伐を任せっきりにするというのも、情けないですし」
『レオナードに頼るな』
「それもそうですね。独り立ちをすると決めた以上、あまり頼り過ぎるのもいけません」
頼るのならば、正式な依頼として傭兵レオナードにお金を払うべきだろう。
だが、マユラがスキュラをなんとかするとグウェルたちに約束をしたのだ。
自分の力で何とかしなくてはとも思う。
『そこで、だ。スキュラを見つける前の準備として、討伐用の錬金魔法具を用意しなくてはいけない』
師匠が開いて見せたページには『水中呼吸のキャンディ』と書かれている。
◆水中呼吸のキャンディ
材料
クシュアドラの空気膜
神秘の糖蜜
地底湖飛魚の鱗
※これは一粒でおおよそ一時間ほどは水の中での呼吸を可能にするものである。ただし、泳げるかどうかは本人の能力に依存する。人魚の尾との併用が望ましい。
「師匠、すごく難易度が高そうです。主に素材が……ポーションとは大違いなのですが」
『お前がスキュラを倒すと言ったのだろう。なんとかしろ』
「なんとかします」
なんとかするしかない。
素材の場所を調べていると、「マユラちゃん、お客様よ」と、アンナさんが呼んだ。
「はい、どなたですか?」
「おはよう、マユラ」
「レオナードさん、おはようございます」
扉を開くと、レオナードが立っている。
レオナードの後ろには、見慣れない数人の、筋骨隆々な男たちがずらっと並んでいた。




