はじまりの依頼
ニーナは部屋に入るとすぐに「お父さん!」と、グウェルの元に駆け寄る。
「エナさん、グウェルさんのお加減はいかがですか?」
「レオナード君じゃないか、久しぶりだね。グウェルは、見てのとおりさ。刺しても死なないような男だったのに、情けないよ」
病床の横の椅子に座るエナはやや疲れた顔で、首を振った。
ニーナがエナの腕をひき、マユラに視線を向けた。
「お姉さん、来てくれたの。約束、守ってくれた」
「はい。約束しました。解熱のポーションを作ってきましたよ」
師匠を片腕に抱えていたマユラは、ごそごそと鞄から解熱のポーションが入った袋をとりだした。
「本当かい? 本当に、解熱のポーションが……」
「きっと大丈夫だと思います」
まだ見習いだとか、作ったばかりだとか、自信がないとか。
口に出そうになった言葉をマユラは呑み込んだ。
そんなことを言っても、相手を不安にさせるだけだ。
安心させるように、笑顔で。胸を張って。
「あぁ。きっと大丈夫です、エナさん。マユラは素晴らしい錬金術師です」
レオナードが安心させるように、マユラの言葉の後に続ける。
「ありがとう、マユラ。レオナード君の知り合いだったんだね」
「いや……森で偶然出会ったんです。解熱のポーションの素材を手に入れるために、マユラは」
「レオナードさん、その話は……ともかく、早く熱をさげてさしあげないといけません」
マユラはレオナードの腕を軽くひいて、首を振った。
怪我をしたなどということが知られてしまえば、余計な気をつかわせるだけだろう。
素材の採集はマユラが好き好んでしていることなのだから、誰かに余計な気づかいをさせる必要はない。
レオナードは「そうか、すまない」と小さく言って、黙り込む。
マユラは袋の中から小さな粒状のうさぎ型ポーションをとりだした。
「わぁ、可愛い。美味しそうなお菓子みたい」
「ポーションってのは、瓶に入った水薬だと思っていたんだけれど、違うんだね」
「基本的には、瓶に入った水薬なんですけれど、こちらのほうが飲みやすいかと思い、形状を変えたんです。効き目は同じだと思います」
グウェルの元に行くと、彼は薄く目を開いた。
優しげな鳶色の瞳だ。浅黒い肌に、黒い髪と髭。元気な時はとても凜々しい男性だったのだろう。
今はその顔はやつれて、高熱にうなされているので、元気だった時の顔立ちは想像するしかないが。
「グウェルさん、口を開けますか? お薬です。熱をさげるための薬ですよ」
「……あぁ」
「頑張ってくださいね。きっと、すぐに熱がさがります。大丈夫です。大丈夫」
グウェルの薄く開いた唇の狭間に、マユラは解熱のポーションを押し込んだ。
口の中に入ったポーションは、唾液でとけて吸収される。
無理に飲まなくても、食べなくても。吐き出さない限りその効果はすぐに──。
「……っ」
グウェルは驚いたように目を見開いた。
それから、がばっと起きあがる。頭に置かれていた水に濡らして絞った布がぼろっと落ちる。
「グウェル、あんた、大丈夫なのかい?」
そんなグウェルを支えながら、エナが興奮と心配がない交ぜになったような表情を浮かべた。
「……あ、あぁ……体の重苦しさが、熱さが、消えた」
「お父さん、本当? よかったぁ!」
「ありがとう、マユラ! あんたのおかげで、熱がさがったよ。本当によかった……」
グウェルの頭や首をぺたぺたと触って確認したあとに、涙声で、エナが礼を言う。
マユラは微笑んだ。
──役に立てたことが、とても嬉しい。
グウェルの生気のある瞳が、まるで今目覚めたばかりのようにマユラやレオナードに向けられる。
抱きついてきたニーナを受け止めて、その髪を撫でた。
「嘘のように体が軽い。今なら王都を何周でも走れそうだ」
「いや、やめてくださいね、グウェルさん。何日も高熱が出ていたんでしょう。体力が落ちているはずです。熱がさがったとはいえ」
苦笑交じりに、レオナードが注意をする。
グウェルは困ったように笑って、それから深い息を吐いた。
「そうか、そうだよな。あぁでも、本当に、奇跡のようだ。俺はもう、駄目かと思っていた。死ぬのかもしれないなと」
「縁起でもないことを言わないでちょうだい。ニーナの前で」
「そうだな、すまん」
それでも横になっている姿は見せられないと、グウェルはベッドサイドに座った。
体格のいい男だ。今は少し痩せたのだろう。けれど、元々かなり筋肉質だったのだろうその体は、エナの倍ぐらいの大きさである。
剥き出しの肩には、魚を模した紋様が描かれている。
軽々とニーナを膝に抱き上げて、グウェルはマユラに頭をさげた。
「ありがとう、錬金術師のお嬢さん。おかげで助かったよ」
「こちらこそ、お役に立てたようでなによりでした。解熱のポーションは熱をさげるためのものです。熱がさがって食事をとることができれば、体力も回復していきます。ですが、病気がなおったわけではありません。熱が高くなったらまた、ポーションを飲んでくださいね」
「……そうか、わかった」
「グウェルさん。病気の原因にお心当たりはありますか?」
マユラが尋ねると、グウェルは表情を曇らせる。
「それが……熱が出る前、俺は船で漁に出ていたんだ」
それは──思いがけない、次の依頼のはじまりであった。




