魔物の恨み
あともう少しで森から抜けることができる。
ワーウルフに襲われた以外に特に危険なことがなくてよかったと、ほっと胸を撫でおろしたマユラは、道から外れてどこかに行こうとしているレオナードの腕を掴んだ。
「レオナードさん、一人でどこかに行かないでください」
「いや、あちらに何かの気配がしたような気がしてね」
方向音痴の自覚があるのかないのか、レオナードはすぐにふらふらとどこかに行こうとする。
ふらふらと──というか、よどみない足取りで。
一見迷っているようにはまるで見えないのだが、その実、全く違う方向に、森の奥へと突き進んで行こうとするのである。
道を真っ直ぐ歩けば森から出られるのに、そうはならないのがレオナードのすごいところだ。
「さがっていろ、マユラ」
「え……」
ただ──魔物の気配にはとても敏感である。
レオナードの言うとおり、彼が気配を感じていた方向からガサガサとシダールラムの群れが現れる。
ガサガサというか、ころころ、というか。
小さなシダールラムがころころ、転がりながら草むらから現れたと思ったら、その後からのしのしと、シダールラムの親玉のような、通常のシダールラムの何倍もの大きさの巨大シダールラムが現れた。
「ぴぃ!」
極楽鳥がぱたぱたと羽をはばたかせて、レオナードの肩からマユラの頭の上にやってくる。
『ずいぶんでかいな』
「大きいですね……」
何故彼らがシダールラムと呼ばれているかと言えば、元々シダール地方でよく見られていた羊型の魔物だからだ。シダール地方は寒冷地である。
そのためかどうかはわからないが、シダールラムの体毛も、普通の羊に似てもふもふしている。
大口を開けて噛みついたりしてこなければ、きっと愛玩動物になっていたぐらいの可愛さである。
だがそのシダールラムたちは、今はぎらぎらと怒りに目を光らせて、牙を剥き出しにしていた。
明らかに、マユラやレオナードを敵視しているようだった。
杖を構えようとしたマユラは、レオナードの背後に庇われた。
「君は怪我をしている。俺に任せておけ」
「私も少しは戦えます」
「大丈夫、この程度なら俺一人で十分だ」
それは、頼りになる背中だった。
どういうわけか、マユラの腕の中で師匠が『格好をつけるな、馬鹿のくせに』とふてくされている。
師匠は口が悪いが、レオナードに対してかなりあたりが強い。
「俺に対して怒っているんだ、こいつらは。森をさまよっている間、かなりの数を倒したからな」
「だから、シダールラムの親玉が……!」
「まぁ、所詮はシダールラムだ。すぐに終わらせる」
レオナードは剣を抜くと、シダールラムたちに向かって駆ける。
シダールラムたちが一斉にレオナードに噛みつこうと、レオナードに飛びかかった。
剣を振って襲い来るシダールラムたちを軽々と切り倒し、放たれる氷玉を剣で弾き飛ばす。
弾き飛ばされた氷の玉は木々や草むらに飛び散って、一部を凍り付かせた。
あっという間に小さなシダールラムたちが霧散していく。
ぽろぽろと氷結袋がこぼれ落ちるのを、マユラはありがたくいただくことにした。
氷結袋は一つしか手に入っていなかったので、正直とても嬉しい。
レオナードは最後に巨大シダールラムに向かい一瞬で駆けると、木々と同じぐらいの高さに飛び上がり、大きく開いたシダールラムの口の中へと飛び込むように剣で刺し貫いた。
巨大シダールラムがぱっかりと真っ二つになる。
ずしん! と、地響きを立てて倒れるシダールラムの前にレオナードは降りたって、何事もなかったように剣を鞘へとしまった。
「レオナードさん、ご無事ですか? すごい、お強いのですね……!」
それはそうだろう。
極彩色の森よりもずっと恐ろしい魔物が出る深淵の森で、魔物退治をするような男である。
レオナードに駆け寄るマユラに、彼は僅かに恥ずかしそうにしながら「いや、それほどでもない」と小さな声で言った。
『私の方が強い。全盛期の私なら、この程度の魔物など視線を向けるだけで倒すことができた』
「それもすごいです。流石は師匠」
『そうだろう』
拗ねていた師匠は、褒められて若干機嫌をなおしたようだった。
きっと、ぬいぐるみの体になってしまい何もできないことが歯がゆいのだろう。
『マユラ。親玉シダールラムからは、特大氷結袋と、シダールラムの毛皮と、魔羊の肉を採取できる』
「……いただいてもいいのでしょうか」
「構わない。君の好きにしていい」
「ありがとうございます!」
レオナードが頷くので、マユラはありがたく素材をいただくことにした。
採取を終えると、レオナードの荷物はもう両手には何も持てないぐらいにいっぱいになった。
彼が一緒にいてくれてよかった。
マユラ一人ではとても倒せなかった。思わぬ収穫に嬉しくなりながら、マユラはレオナードを連れて森から出たのだった。