さまよいがちな男
ずしんと、ワーウルフの巨体が草むらに倒れる。
ワーウルフから剣を引き抜きて、美しい所作で腰の鞘に剣をおさめた男は、ワーウルフがもう動かないことを確認してから呆然としているマユラに手を伸ばした。
師匠を腕に抱えて呆然としていたマユラは、遠慮がちに男の手に捕まる。
男は金色の髪に空色の瞳の、精悍な顔立ちの若い男だ。
年齢はマユラよりも上だろう。二十代半ばといったところだろうか。
体格がいい長身の男で、軍服を着ている。いかにも、騎士──という見た目だ。
「ありがとうございます、助けていただいて」
ぐっと手を握られて助け起こされたマユラは、草だらけで乱れた衣服を軽く払って、師匠の体も軽く払って、丁寧に礼をした。
「どういたしまして。危ないところだった。怪我は……しているようだが、命が無事でなによりだった」
ワーウルフに押さえつけられたときに切れたのだろう。
思いだしたようにずきずきと痛みを訴えてくる左腕に、マユラは視線を落とす。
二の腕から血が滲んでいる。男は僅かに眉をひそめたあとに、ごそごそと腰のベルトにつけている物入れから包帯をとりだした。
「治癒のポーションさえあれば怪我もすぐなおるのだが、今は手に入りにくくなっていてね。とりあえず止血をしよう。消毒をして包帯を巻いておくから、手を出して」
「申し訳ないです。何から何までありがとうございます」
「人を助けるのも怪我人を治療するのも、当然の義務だ。気に病む必要はない」
親切な男はそう言って、てきぱきと慣れた手つきでマユラの腕に、持っていた小瓶の液体をかけて消毒すると、ガーゼを押し当てる。それから包帯を巻いた。
それだけでも、痛みがだいぶ和らいだ。
「ありがとうございます。すみません、助かりました」
「いや、構わない。本来なら、この場所はあのような魔物はいないのだが……このところ、魔物が増えていて。ワーウルフに遭遇してしまうとは、運が悪かった」
「はい。でも、助けていただきましたので、運はいいのだと思います」
「そう──だろうか。ともかく、無事でなにより。俺はレオナード・グレイス。傭兵だ」
「はじめまして。私はマユラ……マユラ──」
ラストネームを名乗れないというのは、問題である。
マユラの抱えている事情については隠しているわけでもないのだが、わざわざ説明するようなことでもない。
「マユラ・グルクリムです」
『……!?』
マユラが名乗ると、腕の中の師匠が手をばたつかせた。
アルゼイラ・グルクリム。師匠の名前である。
ラストネームを勝手に借りたので怒っているのだろう。とりあえず、あとで謝ろう。
「マユラ、よろしく。腕の包帯は応急処置だ。家に戻ったらきちんと診療所で診て貰ったほうがいい」
「そうですね、ありがとうございます」
元々、錬金魔法具というものは高価で、市場に出回る数も少ない。
錬金魔法具の登場で診療所が閉じたかといえば、そんなこともなかった。
小さな街までは錬金魔法具は出回っていない。
王都で比較的手に入りやすかったが──今はそれも、なくなってしまったようだ。
「ところで、どうして女性が一人で森の中に? ワーウルフは危険だが、それ以外にも森にはシダールラムやら、スライムやらが出没する。全く危険がないわけじゃない」
「私、錬金術師──見習いなのです。王都でお店を開く……予定です。解熱のポーションの素材を集めに来たのです。シダールラムは先程倒せたのですが、ワーウルフはとても、歯が立たなくて。まさか襲われるとも思っていなかったものですから」
「錬金術師? それはすごい。最近では錬金術師は希少だ。……ということは、つまり君は魔力持ちなのか」
マユラは「魔法はあまり得意ではないのですが」と苦笑した。
それから、そわそわしながらレオナードとワーウルフ、交互に視線を送る。
「どうした?」
「あ、あの、倒していただいた身分で申し訳ないのですが、ワーウルフからも素材をいただいていいでしょうか? もちろん、レオナードさんが必要がなければ、ですが」
「あぁ。俺は錬金術師ではないし、魔力もない。だから、必要ない。好きなだけとっていってくれ」
マユラはいそいそと、ワーウルフから素材を剥ぎ取った。
ワーウルフから捕れるのは、堅牢な獣牙と、血みどろの爪、獣の心臓、獣人の肉である。
剥ぎ取るときの光景はあまり人には見せたくないものだ。
とはいえ、錬金術師としてそんなことは言っていられない。
マユラは剥ぎ取った素材をぱんぱんの鞄に押し込めようとして「ちょっと待て」と、レオナードに止められた。
「──荷物が、ずいぶん多い。そして君は怪我をしている。助けたよしみだ、それは俺が持つ。王都まで同行しよう」
「ですが、これ以上迷惑はかけられません」
「構わない。……というか、だ」
レオナードは困ったように、腕を組んで深く溜息をつく。
「是非、同行させて欲しい。実は、かれこれ一週間、森の中で迷ってしまって。王都に帰れないでいたんだ」
レオナードの頭に、ぴょこんと、虹色の翼を持つ小鳥がとまって「ぴ!」と鳴いた。