マルティナ・シャルケとリカルド・シャルケ
何も言わない兄と師匠、そして二人に見覚えがあるのか懸命に何かを思い出そうとしているレオナードの代わりに、マユラは急いで口を開いた。
「はじめまして、錬金術師のマユラともうします。こちらは、兄のユリシーズ」
「未来の夫の」
「兄のユリシーズです。こちらが傭兵のレオナードさん、そしてこちらは師匠です。精霊が本当にいるのかどうかはわからないのですが、精霊のようなものです」
精霊や妖精などは、おとぎ話に出てくるような存在だ。
幽霊もそれに近かったが──実際にマユラはアンナに会ってしまったしその上同居しているので、もしかしたら精霊や妖精も本当にいるのかもしれない。
マユラが思っているよりも世界は広い。人生の中で知ることができるのはほんの一握りの世界だけだ。知らないことのほうが多いまま死ぬのが普通である。
一歩外に出たら魔物や危険な獣がいるわけだから、生まれた街から出ないで一生を終える人のほうがずっと多いのだ。
錬金術師や傭兵、そして騎士。
マユラたちは国を巡る、少し特殊な職業についていると言える。
「丁寧にありがとう! マユラちゃんね、よろしく。私はマルティナ。そしてこちらが弟のリカルドよ」
「マルティナ……リカルド……あぁ、シャルケ辺境伯の!」
「一目見ただけで気づいてよ、レオナード君。久しぶりね」
「レオナード殿、ご無沙汰しています。最近姿が見えないと思っていたのですが、傭兵になられていたのですね」
女性はひらひらと手を振った。
それから二人で椅子を引っ張ってきて、マユラたちのテーブルに合流をした。
「ご飯、足りてる? もっと頼みましょうか。お姉さん、注文お願い。赤葡萄酒のボトルと、フレッシュチーズと生ハム。それから雉肉の猟師風煮込み。夢見る蛹パイと、ティラミスもお願いね」
「夢見る蛹パイ……?」
「蛹は入ってないわよ。形が似てるだけね。パイの中に入っているのはチョコレートとりんごとナッツ。美味しいわよ。あ、あと、滅びた地下都市まんじゅうもね、お願い」
店員の女性が注文を聞いて去っていく。
滅びた地下都市まんじゅうは、街の散策の時にも見た。小麦の皮の中に豆で作った甘い餡が入っているお菓子だと、まんじゅう売りのおばあさんにマユラは教えてもらった。
『なんだ、こいつらは』
「あらまぁ。口の悪い精霊ね。いいじゃない、一緒に食べても。ご飯は大人数で食べたほうが美味しいのよ。ねぇ、リカルド」
「そうですね、姉さん」
「ええと、お二人はご姉弟なのですね。それに、シャルケ辺境伯……」
確かそう、レオナードが言っていた。
レオナードは頷いて、マユラたちに二人を紹介してくれる。
「マルティナさんと、リカルドだ。二人は姉弟で、マルティナさんは魔物研究家をしている。辺境警備隊の警備隊長の妻だ。リカルドは辺境伯」
「ずいぶんお若いのですね。想像とは違います」
思わずマユラが口にすると、リカルドは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「想像……どのような想像なのでしょうか、辺境伯とは」
「そうですね、強面の四十代ぐらいの将軍を想像していました」
リカルドは強面ではあるが、礼儀正しい紳士という印象である。
「俺は、強面の将軍には見えませんか」
「強そうな紳士に見えます」
「嬉しい。ありがとうございます、マユラさん。どうにも女性には怖がられる傾向にあります」
「そうなのよ。りっくんは可愛いのに。マユラちゃん、りっくんと結婚する?」
「え……ええと、いえ、その、私はそういった立場のものではありませんので」
マユラはそういえばと、兄に視線をうつした。
辺境警備隊に、兄の部下であるシズマの弟が所属しているはずだ。
兄は忌々しそうにリカルドを睨んでいる。
「マユラはユリシーズの妹なのでしょう? 十分リカルドの妻になれるわ。大歓迎よ」
テーブルに頬杖をついて、マルティナがにこにこしながら言う。
「会ったばかりなので、困ります」
「……アルヴィレイスといい、辺境伯といい、昨今の貴族は嫁に困っているのか? マユラは私のものだ」
「お兄様のものでもありませんけれど……お兄様を知っているのですか?」
「もちろん。ねえ、りっくん」
「はい、姉上。ユリシーズ殿を知らない人間はいませんよ。レイクフィアの天才魔導師。騎士団に所属していて、レイクフィア男爵としても社交界で評判です」
「別に、有名になりたくて働いているわけではない」
「お兄様、辺境伯様に失礼ですよ……」
マユラはこそこそと兄を注意した。
兄はバルトにはすごく丁寧に接していた気がするのだが、貴族を相手にその態度はいけないのではないかと不安になる。
「気にしないで、マユラちゃん。ユリシーズもレオナード君もお忍びでここにきているのでしょう? ここは公式な場ではないし、くだけた態度で接してくれたほうが私としても気が楽よ」
「そうですね。気にしないでください。ユリシーズ殿はずいぶん妹君を大切にしていらっしゃるのですね。俺も姉とは仲がいいですが、姉の結婚についてまでは口を出しませんでしたよ」
「私のマユラへの愛と、お前の姉への愛を比べるな。私の愛に勝てる兄妹愛などこの世界にありはしない」
「変なところで張り合わないでください、お兄様……」
挨拶を交わしていると、店員が沢山の料理をテーブルに並べていく。
隙間がないほどにテーブルはいっぱいになった。新しくグラスに注がれた酒で、とりあえずマユラたちは乾杯をすることにした。
「それでは、せっかくですので。旅の出会いに乾杯ということで」
「はい、乾杯~」
言うが早いか、ぐいっとマルティナはグラスの酒を飲みほした。
どうやら彼女はかなり酒に強いようだった。