狂王ヴォイドガルグ・アルーシェ
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ヴォイドガルグが何故狂王と呼ばれたのかについて、私から話してやろう。
ありがたく聞くがいい、マユラ。
私が多くを語ることは珍しいのだからな。
狂王ヴォイドガルグは、もともとは賢王だったと言われている。
妻と子と、自国民を大切にしたそうだ。
私も全てを知っているというわけではないが、ある時から王は魔導の研究に没頭しはじめた。
国中の本を集め、来る日も来る日も読みふけった。
やがて彼は城内の多くの人間を、唐突に斬り殺したのだという。
理由は明らかにされていないが、私はそれについては魔導の研究のためだったのではないかと考えている。
呪殺魔法のひとつかとは、いい質問だな、兄よ。
呪殺魔法は、誰かの命と引き換えに事象を起こす魔法だ。
呪いがかかるという状態だな。呪い男がそれにあたる。
この呪いは、多岐に渡る。単純に相手を殺すというわけではない。
誰かの魂という膨大な質量を魔法に変える行為だ。その者の魔力量が少なかろうが、誰かの命を贄にして魔法を使用するわけだから、当然それは強力な力となる。
まぁ、未だに呪い男にどのような呪いがかかっているかはわからんがな。
ともかくとして、ヴォルフガングの場合はそうではないと私は考えている。
彼は人体の研究をしていたのではないか。
何故そう思うか?
私の閉じ込められていた幽閉塔は、もともとヴォルフガングを閉じ込めるためのものだった。
どうやら彼は強大な力を持つ恐ろしい男だったらしい。
処刑するよりも幽閉するほうが簡単だったのだ。幸いにしてヴォルフガングは、彼の弟の呼びかけで大人しく幽閉の提案に従ったそうだ。
己が集めた全ての本を、塔に運び込むことを条件にな。
私が閉じ込められた時、幽閉塔にはヴォルフガングの膨大な知識と研究の名残が残っていた。
当然本人は既に死んだあとだ。所詮は人間、永遠に生きられるわけでもない。
本や研究ノートの切れ端を読みふけるうちに気づいた。どうやらヴォルフガングが探していたものは、死者の国であると。
彼は、人の体の中を調べていた。人の体の中にある、人を人たらしめるものを調べていた。
それは心臓であり、脳であり、肺であり、臓器であり、血であり肉である。
だが──それは、人が生きるための器官に過ぎない。
そうではなく、人の人格。魂を探していたのだろう。
あぁ、そうだな、マユラ。きっとヴォルフガングがアンナに出会ったら、泣いて喜ぶだろう。
あれは、魂そのものだ。
アンナが言うには、人の魂とは大地に還るのだという。
大地に満ちる魔素は、魂。この世界には魂が循環している。
ヴォルフガングはそれを知らなかった。人の中には魂があり、それは死後どこかに向かうと彼は考えていたようだ。それが彼の研究だ。
何故そんなことをしていたのか?
知らんな。だが、少し考えればわかることだろう。
◆
師匠の話を真剣に聞いていたマユラは、僅かな沈黙のあと口を開いた。
「大切な人を失った……などでしょうか」
『さぁな。単純に、不死を求めていたのかもしれん。ヴォルフガングの記録は彼の犯した罪以外は消されている。王家にとってはその名さえ残したくはないものだったのだろう。その後王家を継いだのは王弟だった。ヴォルフガングの妻子がどうなったのかは、どこにも書かれていなかった』
師匠はそこまで話すと、話疲れたと言って黙ってしまった。
これほど長く師匠の声を聞いているのも珍しい。
低くよい声だ。涼しい秋の、静かな雨の日を連想させる。まるで子守歌のように、聞いていると眠くなってしまう。
「大切な人を失って、どこかに魂があるというのならば取り戻したいと願うのは当然だ。私が彼であっても同じように考えるだろう。マユラを失ったら、なんとしてでも生き返らせたいと願う」
「ありがたいですが、できれば静かに眠らせてください。死は一度きり。人生も一度きりです。だからこそ、頑張ろうって思うんです。私の場合は多分、そう。もちろん、死なないようにはしていますけれど」
兄が葡萄酒を飲みながら真剣に言うので、マユラは困り顔を浮かべた。
レオナードがどこか心配そうな視線をマユラに向ける。
「マユラ。以前から思っていたが、君はもう少し自分を大切にしたほうがいい。自分の命を軽んじている気がしてならない」
「そんなこと、ないですよ」
「そうだろうか。クイーンビーとの戦いの時にも、君は大怪我をしていた。もちろんそれは、俺が不甲斐ないせいではあるのだが……」
「落ち込まないでください、レオナードさん。明日はちゃんとお兄様とレオナードさんの後ろに隠れています。危険な場所に向かうのは、十分わかっているので。あぁ、でも、ほら、杖も強くなりましたし、カトレアさんからも攻撃用の錬金魔法具をいただきました。少しは役にたちますよ、きっと!」
レオナードを励ますために明るい声をあげたところで──隣のテーブルで食事をしていた男女が、マユラたちの元へと近づいてきた。
一人は銀の鎧を着た騎士である。頬に十字の傷がある、逆立った灰色の短い髪と青い瞳が印象的な、どことなく獅子を思わせる強面の男だ。
一人は眼鏡をかけた柔和そうな艶やかな赤毛と紫の瞳の、三十代半ば程に見える女性だ。
「今の話、もう一度詳しく聞きたいのですが」
「猫ちゃんが喋っていたわ! すごいわ。精霊か何かなのかしら。喋る猫ちゃんを連れた魔女なんて、はじめて見る!」
礼儀正しく、男性が言う。それから、明るく弾むような声で女性が言った。