温泉巡りと森の隠れ家
温泉巡りは温泉街の各所に建物があり、それが女湯と男湯に分かれている。
共同風呂が至る所にあるような印象だ。
それぞれの風呂は少しずつ形が違う。たとえば、何十人も入れるような広い風呂だったり、全体を壁で覆って外からは見えないようになっているが、天井は作られていない露天風呂だったり。
レオナードとユリシーズとそして師匠は、一つ目の風呂に入った時点で飽きてしまったらしく(おそらく飽きたのは師匠とユリシーズである)マユラがゆったり湯に浸かっている間に食事ができる場所を探すと言って一度別行動になった。
ちなみに師匠も別行動になったのは、男女別の温泉は湯浴み着を着ないで入るからだ。
マユラ一人だけなら気にすることはないが、他の女性の裸体を自称麗しの成人男性である師匠が見るのはやはり問題があるだろうという判断からである。
ユリシーズやレオナードにゆっくりしていいと言われたので、マユラは今三箇所目の露天風呂に入って空を見あげている。
夜空には星が輝いていて、露天風呂に置かれたランプと相まって幻想的な景色だった。
白乳色の湯に体を沈めていると、疲れが吹き飛ぶようだった。
アンナやルージュは元気だろうか。店は今、どうなっているだろう。
はふと吐息を漏らす。なんだか色々あった。師匠の夢。それから、魔物の声。失われた魂の記憶。
師匠と出会ってから、不思議なことばかりだ。
レオナードと出会って、ユリシーズと和解して。
和解──かどうかはわからないが、少なくとも昔の関係とは違う。
わだつみの祝福亭の皆や、傭兵団の皆、そして騎士団本部の人々やジュネ。
アルヴィレイスやカトレア。
錬金術店をはじめて、沢山の人々に出会った。なんだか、幸せだ。
深く体を湯に沈めて、目を閉じる。
消えてしまったメルディ王女の手がかりはまるでない。魅惑の糖蜜を作ったところでレオナードの呪いがとけるわけではないのだろうが、レオナードになぜ魅惑の糖蜜が効かなかったかを確かめることはできるだろう。
(どうして、目が赤くなったんだろう。まるで、別人みたいだった)
レオナードには大丈夫だと言って励ましたが、何か理由があるのかもしれない。
ともかく、明日。頑張って素材を手に入れたら、王都に戻ろう。
風呂から出たマユラを、レオナードたちがベンチに座って待っていてくれた。
浴衣に着替えた風呂上がりのマユラがぱたぱた駆け寄っていくと、ユリシーズが両手を広げて迎え入れてくれる。
「おかえり、マユラ。魅力的な姿だ。あまり人には見せたくない」
「お待たせしました。お兄様もレオナードさんもよく似合いますね、浴衣」
大人しくユリシーズに抱きしめられて、マユラはもごもご言った。
兄の胸板に顔を押し付けられて少し苦しい。
マユラの浴衣には金魚が泳いでいる。兄のそれは白地に花模様。レオナードは黒地に水の波紋のような模様が描かれている。
師匠だけはいつもの師匠だ。
「マユラ、よさそうな店を予約してきた。支払いは俺とユリシーズで行うから、気にしなくていい」
「申し訳ないです。でも、お言葉に甘えさせていただきますね。ありがとうございます」
レオナードにマユラは礼を言う。せっかくの好意だ、素直に受け取ろう。
「明日からまた野営になる。今日はできる限り食べておいたほうがいい。滅びた地下都市では獣も狩れないからな、携帯食糧に頼ることになるはずだ」
兄はマユラの体を離して、優しく言った。
マユラは師匠を抱き上げると「そうですね、明日に響かない程度にお酒も飲みたいです、せっかくなので」と微笑んだ。
レオナードたちが予約をしてくれていたのは『レストラン・森の隠れ家』という、その名の通り木々に囲まれた小道を進んだ先にある建物で、おとぎ話に出てくるような可愛らしい小さな建物だ。
観光客が多い街はどの店も賑やかで、それでもあまり人が多すぎない場所を選んでくれたらしい。
麦酒のジョッキが三つと、チーズの燻製、キノコの油煮、鹿肉のロースト、串焼きの鳥などでテーブルがいっぱいになる。
師匠も食べることができればいいのにと思いながら、マユラはジョッキを手にした。
「それでは、お疲れ様でした。レオナードさん、お兄様、師匠。明日からもよろしくお願いします」
「あぁ、お疲れ様、マユラ」
「明日とは言わず、永久にお前のために生きよう」
『明日向かう場所は、到底お前では太刀打ちできない魔物ばかりだ。兄とレオナードの後ろに隠れていろ、マユラ』
「はい、わかりました。気をつけますね」
マユラたちはジョッキを軽く傾けて乾杯をする。
食事を始めると、扉から立派な身なりをした騎士のような男や眼鏡をかけた真面目そうな女性が入ってきて、マユラたちから少し離れた席に座った。