滅びた地下都市への旅路
キリア領を抜けて北に五日。
広大な樹海、原初の森の奥に古びた地下都市はある。
原初の森のほど近く。シャルケ辺境伯領に点在するいくつかの街の一つ。
最果てのカンデュリアと呼ばれる中規模の街で、原初の森に出立する前に泊まることになった。
キリア領で泊まった村に比べると、倍以上に大きい。
それもそのはずで、シャルケ辺境伯といえば武勇に名高い代々国境を守護してきた家の一つ。
辺境伯家といえば、王以外に軍事行使を許されている家だ。
他の貴族たちは独自の武力を有しているものの、王命に従い軍を動かす。
だが辺境の地まで王命が届くのは時間がかかる。王命を待っていたら隣国の侵略に対して対処が遅れ、土地を切り取られて奪われてしまう。
そのため、辺境伯家は辺境伯領が一つの国家であるように、己の采配で隣国から領地を守るために軍を動かすことができる。
領地の広さも、街の規模も。
田舎者を自認しているアルヴィレイスの土地とは比べるべくもないほど、栄えている。
「そういえば、シズマさんの弟さんは、辺境警備隊で働いていると言っていましたね」
「あぁ。よく覚えているな、マユラ。お前は優秀だ。だが、私以外の男の名を口にしなくていい」
「……あの、お兄様」
「なんだ?」
「もう一週間以上、騎士団を留守にしていますけれど、大丈夫なのですか?」
「問題はない。帰ろうと思えば一瞬で帰ることができる。お前は何も心配しなくていい。……もしや、私と離れることが寂しい、という意味か、今の言葉は。案ずるな、マユラ。私はお前の傍にいる」
「……ありがとうございます」
──そういう意味ではないのだが。
辺境の地に来たらシズマの弟について思いだした。だから、兄は帰らなくていいのかと疑問に思っただけである。
まぁいいかと、マユラは街を見渡した。
街のそこここには櫓が組まれていて、櫓の下の井戸からはもくもくと白い煙がふきでている。
街の中央に流れる川からも、白い煙がたなびいている。
「最果ての街なんて名前だから、どんなに怖い場所かなって思っていたのですけれど、案外栄えていますね」
「このところ、国境での諍いは落ち着いているからね。他国からの侵略よりも、魔物の被害のほうが大きいぐらいだ。だから、辺境伯は領地の発展に尽力していてね」
「なるほど。だからこの街には、人が多いのですね」
「あぁ。辺境伯は、国境警備隊を指揮している。この国境警備隊は、他の土地から流れてきた者も多いんだ。所属する理由は様々だけど、単純に金を稼ぎたいというものや、シズマの弟のように強い敵と戦いたい者、色々いる」
レオナードの説明に、マユラは頷く。
街には多くの人が歩いている。路上には露店が並び、大通りの建物には食堂や装飾品屋や、土産物屋や宿など、様々な店の看板が掲げられている。
「国境警備隊は、もちろん他国の襲撃から国境を守るのも仕事だが、何もない時でも魔物狩りを行っている。辺境にはどういうわけか、強い魔物が沸きやすいからね」
「どうしてなのでしょう?」
『さてな。昔からそうだった。……私が幽閉されていた場所は、原初の森の中だ。周囲には、竜やら何やらがうろうろしていたな』
「あぁ、あの塔! 原初の森の中にあったのですね」
師匠が過去について自ら口にするのは珍しい。
幽閉──と、レオナードとユリシーズが訝しげに眉を寄せるので、それについてはあとでゆっくり話すことにした。どうにも長くなりそうである。
「これから行くことになる、滅びた地下都市自体に魔物が沸く。何故かはわからん。広すぎて調べ尽くす前に寿命が尽きる。わざわざあの場所に行く物好きは少ない」
珍しく、兄が真面目に説明をしてくれる。
レオナードもそうだが、兄もまた、騎士団所属ということで国のことをよく知っている。
マユラはふむふむと頷きながら、辺境伯と国境警備隊、滅んだ地下都市について何度か頭の中で反芻した。
『魔物を狩る趣味でもあれば、また違うのだろうがな。私にとってはあの場所は、素材庫のようなものだった。いつでも必要な魔物がいる。最奥まで行けば何かあるのかと思い行ったこともあるが、特に何もなかった』
「奥まで行きましたか、師匠」
『あぁ。好奇心故な。だが、何もない。ただの遺跡だ。かつては栄えた都市が遺跡になった。だから魔物が沸くのだろう。都市が滅んだということは、そこには多くの死者がいたということだからな』
それは確かにそうだ。
そこに多くの死者がいたということは、多くの負の感情が残っているのだろう。
死者の魂は魔素となる。多くの死があればあるほど魔素は濃くなる。
そして、負の感情が凝っているほどに魔物が沸くのだ。
『お前程度が行くべきではない場所だ。本来はな。今回は呪い男と兄がいる。だからまぁ、大目に見るが。そうでなければ死にに行くようなものだ』
「そうですよね。レオナードさんとお兄様には感謝してもしきれません」
「いや……君に無理をさせてしまっているのは、俺の責任だ。俺が呪われていなければ、君は危険な場所に行く必要などないのだから」
「全くその通りだ」
兄に冷たく言われて、レオナードは落ち込んだようだった。
マユラは励ますために、レオナードの背中をぽんぽん叩く。
イヌも「わふ」と、レオナードに声をかけた。
「これも経験です。行くと決めたのは私なのですから、レオナードさんは気にしないでください。それに、この街はいいですね。なんだか、うきうきします」
「……さきほどの話の続きだが。国境警備隊に多くの流れ者を受け入れているため、辺境伯は彼らに給金を支払う必要がある。そのために、領地を発展させて税収をあげる必要がある。だから、辺境の街のほとんどが観光地になっていてね」
「このふわふわの湯気。まるで雲の中を歩いているみたいですよね」
「ここは湯畑。要するに、温泉街だな」
「温泉!」
マユラは両手を胸の前で打って喜んだ。
湯畑も温泉街も話には聞いたことがあるが、実際に来るのははじめてだ。
だからこの街はこんなに人が多いのかと──マユラは弾んだ気持ちで考えた。
これから恐ろしい場所に向かうわけだが、今日は一晩ゆっくり過ごしてもいいだろう。