閑話:店番ルージュと看板お姉さん幽霊
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長い坂道を登らなくてはいけないのかと、坂道の下にとめた馬車の前でうんざりと坂の上を眺めていた。
バルト・ロードメルク三十歳。
運動は苦手である。
ロードメルク家の次男であるバルトが騎士団長になったのは、完全にロードメルク家の威光だ。
バルト自身そんなことはよくわかっている。
騎士団長とは管理職だ。前線で戦う必要はない。
ロードメルク家から『ルクスソラージュ王国騎士団』の騎士団長を輩出したというのが肝要なのだと、バルトの父は言う。
ロードメルク家は王国の南の肥沃な土地を領地に持つ由緒正しい家だが、ただ一つ、コンプレックスがある。それは、田舎者だということ。
豊かな土地、豊富な資金。そんなものがあったとしても、ジョイス家や、アルティナ家、グレイス家という三大公爵家よりは家格が落ちる。
社交界では『土臭い田舎者』と言われる。これはロードメルク家が肥沃な土地を生かした農産や畜産で潤っているからだ。
バルトの父は苛烈な性格をしており、よく「何が土臭い、か! 皆、飯を食って生きている癖に!」と怒っていたものである。
──なんだか懐かしく回想してしまったが、父はまだ壮健だ。
もうすぐ六十歳になるが未だに元気であり、戦いなど苦手なバルトを騎士団に突っ込んだのも父である。
実力も家柄も全くもって敵わないレオナードがいなくなり、父の根回しでバルトは騎士団長の座に納まった。
今のところバルトの人生は順調だ。
第二部隊長のユリシーズ・レイクフィアが、何を考えているかわからずに少し苦手だったものの。
「あのユリシーズにも弱みがあるとはな。ふふ、はは! 待っていろ、マユラ! 顔は人並み、背丈も力もないが、俺には財力があるのだ」
長い坂道を登るのは嫌だなぁと思いながら、バルトは独りごちる。
バルトの背後に控えている立派な体躯の護衛の従者たちが「さすがはバルト様」「よ、お金持ち!」と、バルトの気持ちを盛り上げる。
ユリシーズを従順な部下にするために、まずは懐柔しやすそうな彼の妹を手懐ける。
どうやらマユラは金に困っているようだった。常連客となり、錬金魔法具を購入しまくるのだ。
そうするとマユラは
『きゃー! バルト様、素敵、今日もたくさん買ってくださってありがとうございます~!』
となるはずであり、
ユリシーズは
『我が妹が懐いている団長殿は、人格者だな。私はこれからもあなたのために働こう』
となるはずだ。
そうなれば、バルトは最強の矛を手に入れた、ということになる。
ユリシーズは不気味な男だが、その力は本物だ。そしてちょっと度を超しているぐらいにシスコンだ。
血のつながりのある妹と本気で結婚したいと思っていそうで怖い。
バルトの常識の中では、かなり、ちょっと、とても、どうかと思う。
とはいえ、これを利用しない手はない。
──バルトの計画は完璧である。
「あら」
「げ……っ」
「げ?」
「い、いえ、なんでもありません。これはこれは、ジュネ様ではないですか」
坂の上を見あげてふふんと不敵に笑っていたバルトの鼻に、やたらといい香りが届いた。
そして無駄に艶のある、可憐にして妖艶な声が聞こえた。
視線を向けると、ジュネがいた。ジュネは、屈強な男たちが担ぐ人力輿に乗っている。
四本の太い木枠で組まれた神輿のような乗り物である。ちなみにこれに乗っている人間を、バルトはジュネしか知らない。
まさしくバルトの敵としか言えない屈強な美形の男が四人、ジュネを担いでいる。中央の椅子にしどけなく優雅に座り、日傘を差しているジュネが、バルトの姿を見てにこりと微笑んだ。
「バルトさん、こんにちは。マユラちゃんの元に行くの?」
「ま、まぁ、そうですな」
「あらあら、一緒ね。じゃあご一緒しましょう。私もマユラちゃんの元に行くのよ。お店が開店したと聞いたものだから、お祝いを届けようと思って」
ジュネの人力輿には豪華な蘭の鉢植えが積んである。重そうだなと、バルトは思う。
だがジュネを担ぐ男たちは涼しげな顔をしている。
「バルトさんもお祝い?」
「祝いもありますが、何か買ってやろうかと思っておりましてな。開店したばかりでは、客も少ないでしょうから」
「まぁ、そうなのね。バルトさん、案外優しいのね」
マユラを懐柔しようとしていることは、黙っておいた。
ジュネは悪い人間ではないものの、バルトは少し苦手である。
なんというか──何を考えているのかわからないという意味では、ユリシーズに通じるものがある。
涼しい顔でジュネが輿に乗って坂を登る横を、バルトはぜえぜえしながら歩いていく。
護衛たちがバルトの背中を押してくれる。ジュネは「バルトさん、運動不足ね。騎士団長とはとても思えないわ」と言って、ころころ笑っている。
坂を登り切ると、古びた屋敷が現れる。
屋敷の向こう側には海が広がっている。どうやらここは、呪いの屋敷と呼ばれている場所らしい。
ここに来るまでに噂を聞いた。
バルトは自慢ではないが、お化けの類いは苦手である。
よくもまぁそんな場所を借りて店を出したなと感心する。
さすがはユリシーズの妹だ。少し変わっているのだろう。
アルティナ家から離縁されたばかりなのに、ずいぶんと元気そうだった。地味だが、結構愛らしい見た目をしていた。バルトの妻に化粧やドレスなどを任せたらもしかしたらもっと綺麗になるかもしれない。
そのうち話してみようかと思う。
古びた屋敷の入り口に『マユラ・グルクリム錬金術店』という看板がかかっている。
妙に気が抜ける絵と共に書かれた看板からは、幽霊屋敷の雰囲気は感じない。
「入るぞ」
「マユラちゃん、来たわよ」
輿から降りたジュネと共に、バルトは錬金術店の入り口をくぐる。
中も案外綺麗だ。瓶の中には、ラムネの形をしたポーションがいくつも入っており、それがいくつか並んでいる。
その前に、可愛らしい絵が描かれた小さな薬箱が積まれている。
奥にある支払い台の上には、虹色の小さな鳥がちょこんと座っていた。
「ぴい!!!」
その鳥が、バルトたちの姿を見て大きな声をあげる。
ジュネは「まぁ、可愛い」と嬉しそうに笑い、バルトはびくりと体を震わせた。
鳥が鳴くと、するりと──ぬるりと、壁からエプロンドレスを着た女が現れる。
女の瞳には白目がない。真っ黒な瞳に、中央には赤い瞳孔がある。
「ぎゃああああっ! ゆ、幽霊! 幽霊屋敷の幽霊!」
バルトは一瞬唖然とし、一拍間を置いて大声をあげた。
アンナさんとルージュちゃんはちゃんとお店で頑張っています