第2話 ゴブリン達を撃て
悪質妖精魔族 ゴブリン
英雄異星人 ルキフェル・ゼクス 登場。
彼らと言葉を交わし、文化を教わったのは、地球人の感覚で言えば随分昔になるか。
彼らにも役割が有る事、料理という行為が存在し、その内の一つ、カレーが美味な事、何かを失う痛みというものがある事、信頼を得る事の難しさと嬉しさも。
自分の意志を伝え、地球人に擬態して服を買ってもらった事、隊員として仕事を任され、ほんの2年程度だったのに、当時の日本支部総括と、隊員の皆が正式に隊員とするように頭を下げてくれた事もあったか。
思い出の数々が、ルキフェルの頭を駆け巡る。
かつて、地球人には走馬灯というものがあるという事は、図書館で読んだ事が有った。
嗚呼、恐らくはこういう物を言うのだろうか、とルキフェルは冷静に分析する。
ルキフェルにとって、自らの死とはただの現象でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。
そこに意味を付与する等、地球に来るまではありえない概念だった。
――――今や、その価値観が呪わしいと思う程に、彼の意識を繋ぎ止めさせては、また記憶の波にさらわれさせていく。
嫌だ。
嫌なのは、何故だ?
稚拙な感情は、持つべきではない。
受け入れるべきだろうに。
――彼らと、まだ生きて居たい。
あの日本支部に――――帰るんだ。
目が覚めた時、ルキフェルの目の前に飛び込んできたのは光だった。
そうだ、あの星で初めて見た太陽は、丁度このように小さく――――広く青い、第二の海のような空が広がっていた筈だ。
手の近くにある物を、ルキフェルは少し握ると、柔らかい感触が伝わってくる。
握ったものを見てみると、そこには根ごと引き抜かれた雑草と、土が握られていた。
ルキフェルが立ち上がり、周りを見渡すと、一面は草花生い茂る平原が広がり、さながら死後の世界を彷彿とさせる。
どこの宗教観が正解となるのだろうか、などと考えていた時。
「ちょっとそこの君ぃ、冒険者?」
地球言語、それも日本に似た発音の声が、ルキフェルの近くから聞こえてきた。
ルキフェルの声の方角を向くと、そこには赤髪の、活発そうな愛らしい少女の姿があった。
少女の姿は、まるで中世西洋世界にある鎧と、現代のファッションを織り交ぜたような恰好をしており、地球の文明を知っているのならば、異様な物に見えるだろうもの。
「なんて事だ。死後の世界はコスプレイヤーの少女が案内するのか」
「こす……なんだって? 死後? その恰好、ひょっとして、裁縫師の方? じゃあ、なんでここに?」
「裁縫師に就いた経験は無いんだ」
「え、あの……え?」
二人はお互いに顔を見合わせる。
ルキフェルが少女の頭上を見下ろすと、少女はルキフェルの下を見上げた。
少女が右側を向けば、ルキフェルは左に回り少女の側面を見る。
ならば、と言わんばかりに互いに手を合わせてみたり、また目を泳がせていく。
そこで、互いは初めて悟る。
――向かった相手が、異邦人、である事を。
「あなたどっからきたの?」
「Mhgareacc001001星と呼称すべき星から地球へやってきた。が、少し仕事でへまをして」
「えっと、星の愛好家な国から来た、って事にしとくね。私ヴィナス! よろしくね」
「ヴィナス……愛の女神に似た名前があったが、さしずめここは古代ローマといったところか……? 否、にしては鎧の造形が特殊、か」
ルキフェルがヴィナスの胸元の装甲をまじまじと見つめる。
ヴィナスは、目を背けながら、それを受け入れていたが――――二人の体感にして、1分程度だったところで、素早く反転して言う。
「さ、さあて! 私そろそろスライム退治に行かないとー!」
「それが君の仕事なのか、すまない時間を取らせてしまって」
ズボンのポケットからスマホを取り出してみる――――が、通信が圏外となっており、まともに使えないとルキフェルは見てしまいこんでいった。
もしや、別の星に転移してしまったか。
ルキフェルが襟元に手をやると、伝わってくる硬質な感触に気付き、慣れた手つきでそれを剥がし、手の平に乗せてみると、そこには壊れた筈のバッジがあった。
使い古した筈のバッジは、手垢すら付いていない新品も同然の状態になっており、ピカピカと太陽光を反射し続けるバッジを、ルキフェルは天高く掲げる。
普段ならば、本来の姿に戻り、巨大化する筈。
しかし、何も起こらなかった。
壊れた様子は見当たらないし、ルキフェルが握ってみても潰れる事も折れる事も無い。
偽物とは到底思えないが――。
まじまじと見ていた時、ルキフェルは背後から視線を感じた。
「ねぇ、それなに?」
「彼らがゼクス・バッジと名付けてくれた、本来の力を解放する為のスイッチみたいなものだ……って」
「へぇ、凄い綺麗……なんだか、星みたい。それに、なんだかぽかぽかする……炎属性でも付与されているのかな」
ルキフェルは、少女の顔を見てふと、脳裏に疑惑の念を過らせる。
もしや、この少女がここに連れてきて、能力を奪ったのではないか? 透視光線ならば、一応地球人状態でも使えた筈――――。
透視光線を目から繰り出し、ルキフェルは少女を見つめる。
すると、黒い半透明の枠が現れ、数字と文字がその中を埋め尽くしていった。
【ヴィナス 身長149㎝ 体重 46㎏ 倫理属性 善+30 悪+2 レベル20 ジョブ 剣士 HP130 気 250 MP0 力50 総合攻撃力 70 素防20 総合防御力50 素早さ50(+10) 装備 鉄のレイピア(+1強化済)鉄のチェストガード レザーアーマー 鉄のサバトン(+素早さ10の付与) 技 礫投げ 一文字薙ぎ 縦斬り 連続刺突】
ルキフェルは一瞬で出た数値と、説明文に困惑した。
参った、これはまるで――RPGのステータスウィンドウじゃあないか。
得られた情報は、今の時点ではさらさら役に立ちそうもないが、とはいえ善、と出ている以上は少し信頼して良いし、倫理属性というのが生来の物だとしたら、誘拐なんてもっての他だろう。
しかし、複雑な気分だ。などとルキフェルが顎を擦りながら俯いていると、ヴィナスは突然飛び上がった。
「まてこのゴブリンー!」
ルキフェルの現在の身長は、173㎝と日本の成人男性でよく見られる身長である。
それを、ゆうに超える高さで跳ねあがり、彼の頭上を一瞬で飛び、後ろへと回って行く。
ルキフェルが後ろを向くと、ヴィナスは何やら赤と緑のだんだら模様の、人型生物の頭に剣を振り下ろしていた。
その奥に居る、棍棒や錆びた短剣を握った同じような生き物の群れは、何やら怯えた様子で声を漏らしている。
そんな生き物達を前に、レイピアを振り回し飛び込んでいくヴィナス。
ルキフェルは、地面を蹴り、すぐさまヴィナスの剣を片手で受け止めた。
「待て、ヴィナス。この生物達は何もしていない。無益な殺生を好まないのは人間の道徳だった筈だ」
「え……? あの、え、だってゴブリンだよ?」
「名前は覚えた。しかし、人型であるならそれは種族名であって個体名ではない筈だ。彼らには武器を扱うなどの知性を感じる。和解できるかもしれない」
「と、とにかく放してよ!」
ヴィナスのレイピアの刀身を離し、振り返ってゴブリン達の方を向き直し、ルキフェルは両手を広げる。
「君達の仲間を殺害した事は、深く詫びる。申し訳ない事をした」
ゴブリンの一匹は、舌なめずりをしながら答えた。
「死んで当然。あいつ弱かったしな……手前ェも小娘と一緒に死に晒せ!」
ゴブリンの一匹がルキフェルの目の前で飛び上がり、棍棒を振り上げた瞬間。
バッジが光り輝き、それは温度としてルキフェルに伝わって来る。
ルキフェルが地面に転がり回避すると、ゴブリンの棍棒が空を切って地面に叩きつけられた。
ルキフェルがバッジを取り出し、額に持っていき、虹色に輝くのを見て、頭上に掲げた刹那――――。
ルキフェルの全身を、白銀の六芒星が取り囲み、その中から青緑色と黄金の人外が現れる。
黄金の角と、ひし形の目。
なめらかな青緑色の全身をした人型は、向かってくるゴブリン達の一斉攻撃を躱し、ゴブリンの一匹の、短剣を握る手を叩き、武装を解除させる。
後ろに回り込んできたゴブリンに、人外と化したルキフェル――否、本来の彼は裏拳を放ち、遠くから来る火球を避ける。
「熱い……!」
後ろを振り向くと、そこにはゴブリンと戦っているヴィナスの姿があり、どうやら背中に着弾したようだった。
透視光線でヴィナスを見て、ルキフェルは彼女のHPが、20減っている事に気付く。
避ければまずい、か。
ルキフェルは前を向き直し、襲い掛かって来た6匹の、自分の胸や腹に頭が来る程度の小さな生き物達に、手を擦り合わせるような仕草を見せる。
すると、合掌した手から水流が迸り、ゴブリン達を滑らせ、退かしていった。
ルキフェル・ウォーター……まさかこの期に及んで使う事になろうとは。
水流によってゴブリン達が目の前から退き、散り散りになったのを見て、飛んでくる火の玉の方角をルキフェルが向くと、杖を持ったゴブリンが何かを唱えているのが見えた。
杖の先端から、火の玉をゴブリンが放つと、ルキフェルはその前で四角形を片手で描く。
その動作に、応じるように現れたのは透明な壁だった。
壁は片手の前で浮かび続けながら火の玉を吸収し、ルキフェルは前へと進む。
ルキフェルの姿を前にして、杖持ちのゴブリンは、杖を投げ捨て、後ろを向いて逃げていった。
それを見て、ルキフェルは手を下ろして後ろを向き、汗だくとなったヴィナスの前に歩みよって、手を伸ばす。
「え……?」
手を伸ばすと、ルキフェルは少し力を入れると、淡い光が溢れだし、その光はヴィナスを包み込んでいった。
2秒の間、光に包み込まれ、光が消えていくとヴィナスの体の傷は、全て癒えた。
ヴィナスは信じられなさそうに、自身の両手を見てみると、手のマメすら消えている事に気が付き、何度も視線をルキフェルと自身の手とを行き来させる。
ルキフェルはその場から飛び上がり、飛行する。
空中で本来の姿から、人間の姿へ戻ってから、ヴィナスの側に生えている木に下りて、地面に着地して姿を現す。
ヴィナスは、ルキフェルを見てすぐに近付いて問うてきた。
「か、完全治癒魔術……? あなた聖者だったの?」
首を横に振ってから、倒されたゴブリンの死体へと近づく。
死体を、一匹ずつ丁寧に屠ると、ルキフェルは向き直してヴィナスに問う。
「何故、彼らを殺した」
「いやいやいやいや、だってゴブリンだよ? 言ってみれば、暴力と盗み、殺戮上等の連中だよ? それに、褒賞金も出るし……ああ、埋める前に、何か剥ぎ取っとけばよかった」
「そうか、それはすまない事をした……待て、何故アレが私だと気づいた? ほんの一瞬だったし、君はゴブリン達の相手で忙しかった筈だが……」
「珍しくないしね、戦闘中に鎧を呼ぶ人」
「そうか、ならそれで良い……なんと言った? “呼ぶ”?」
「うん。魔術師の方にお金を払って、体の一部と鎧に刻印をしてもらって、いつでもどこでも戦闘となると鎧を装着できるようにするっていう冒険者が居るんだよね……でも大体は、レベル30以上くらいの人が多いかなぁ、たはは……お金があればなぁ……」
そうして会話をしていた時。
ルキフェルの、腹の虫が鳴った。
それを聞いて、ヴィナスは笑う。
「しばらく何も食べてなかったのを思い出した」
「じゃあ、私が奢るから着いてきて、治癒のお礼もしたいし」
そう言い、ヴィナスは「ほんじゃ、レッツゴー!」と威勢よく片腕と足を上げて、足を進めていった。
一体、どこへ向かおうとしているのか。
ここはどこなのか。
何故、バッジが機能したりしなかったりしたのか。
ルキフェルはただ、この異質な状況に身を委ねる他に、選択肢は無かった。