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天国のカウンセラー

作者: 弊順の嶄

【警告】


この小説には、自殺・性犯罪に関連するテーマが含まれていますが、これらの行為を教唆する意図はありません。


精神的に落ち込みやすい方、こういった内容に敏感な方は、閲覧をお控えください。


この警告文を十分にご理解いただいた上で、ご自身の判断と責任において小説をお楽しみください。





 天国には病院がない。

 みな死んでいて、病める肉体を持たないからだ。


 だがそんな天国に、例外的に存在する医療機関がある。


 心療内科だ。


 肉体がなくとも、人は魂を病むのだ。




「次の方、どうぞ」


 その言葉を投げかけてから程なくして、診察室の引き戸が開かれる。

 一瞬だけ見えた扉の向こうには、ずらりと人が並んでいた。


 亡者の審判を待つ列よりも長いんじゃないんだろうか。いや、言い過ぎた。あそこまで長くはない。

 これだけの人数が揃っているにも拘わらず、待合室は驚くほど静かだ。



 天国に住む死者の精神を病む者の多さといったらない。


 天国に召されるような善良な人間だから、きっと心根が優しく、生前で我慢ばかりしてきたのだろう。

 事実、私が診てきた患者はそういう人間ばかりだった。



 これまでいろんな死者を見てきた。


 妻と娘を未成年に遊び半分で殺され、加害者は少年法に守られ無罪放免。殺人計画を実行するも叶わず留置所内で自殺をした男性。


 冤罪で自白を強要させられ、有罪判決となり投獄。刑期を終えて出所するも雇用先が見つからず、貧困で本当の犯罪に手を染めてしまい、獄中で自殺をした中年男性。


 複数人に強姦された挙句、生かされたままでの解体や拷問をされ、それの地続きのまま錯乱した状態でやってきた若い女性。


 同学年の子供たちからの暴行によって命を落とした少年。下界では少年1人が起こした不慮の事故として扱われており、いじめは一切無かったものとしてもみ消されていた。



 さて、次の患者は―――カルテに目を通す。


 この世界のカルテは診療前に作られる。

 名前や生前の経歴、死因、死因の詳細などが主に記される。なので診療録というよりは死亡診断書だ。だがそう呼ぶのはあまりに不謹慎だということで、医者らしくそう呼称することになっている。

 何より、患者側にこちらが詳細な情報を握っていると知られるのはまずかった。信頼関係が構築するにあたって差し支える。知っていると教えるのは、死因や事件のあらまし程度。



 次の患者は若い女性。

 死因の欄には〝自殺〟とあった。


 自殺をして天国にやってくる者は少なくない。

 自殺をタブーとしている宗教は多くあるが、地獄送りにされる例は半数かそれ以下程度だ。少なくともこの天国では、自殺は罪ではないのだ。

 特にこの心療内科は無宗教者の多い日本支部なので、数は他国に比べて段違いだ。


 自殺者は、開口一番にこう話す。


「なんで、まだ生きてるんですか、私………」


 何度も聞かれた。

 自殺者の常套句だった。


 ここは天国だからですよ。と返す。

 その返答に対する返答も、聞きなれたものだった。


「死なせてください………」


 自殺者でなくとも、天国であることを喜ぶ人間はあまりいなかった。


 誰もが最初は困惑する。もう一度蘇らせてくれと無茶を言う人も少なくない。

 だが自殺者の多くは、再び死を選ぼうとする。


 どうしようもなくなった人への救済措置もある。だが、まずは引き留めねばならない。


 何故なら、私は天使だから。


 天使とは、天国での公務員を指す。

 そして、この施設での天使の仕事は、カウンセリング。


「本心を打ち明けてくれて、ありがとうございます」


 彼女の手を握って、落ち着かせるように語りかける。


 それからは他愛のない話をした。

 この天国のこと。診療所のこと。

 幸いなことに、死後の世界は話題には事欠かない。


 無理に彼女に自分のことを話させる必要などない。こういった自殺者は強制的に心療内科行きになるが、本当は別に診療を受けなくたって良いのだ。

 だが、ここに来ている以上は。

 魂だけでも生きていく気力を取り戻す手伝いをしなければならない。


 しばしの閑談の後、彼女は死を選ぶまでの経緯をぽつぽつと語り始めた。


「転入先の学校で、クラスメイトの男の子と付き合っていました」


 友人も多く、明るい男だったという。

 ヒエラルキーで最もトップのグループに属している。


 その男子生徒を仮にAとする。

 転入したての頃、よく世話になったそうだ。当初は友人もおらず、他の女子生徒とも距離があったそうで、ありがたかったと。

 だが、話しかけられるのはいつも決まって放課後だった。


 そしてある日の放課後。体育館裏に連れ込まれ、襲われたらしい。


「それから……断ったら死ぬって脅されて、付き合うことになりました……」


 突然の急展開に唖然とした。

 カルテに書かれている通りではある。が、本当に間髪入れずにそんな話に飛躍したとは。


 彼女自身も一時期自殺をしようとしていた時期があったため、情が移り、また懇意にしてくれていたこともあって断り切れなかったという。

 資料を見ずとも分かる。断れない性格なのだろう。それに加えて父親による虐待もあったようだから、特に男性に脅されてしまっては断れないだろう。


 その後、Aはやはり性行為を迫ってきた。あまりにしつこく、遂に折れてしまった。

 だが事後、Aの態度は激変する。

 それまで彼女に分かりやすく優しくしていたのが急に淡白になり、しきりに別れを勧めるようになったのだという。うっかりと〝体の相性が合わなかった〟と本音をこぼしたこともあるそうだ。それだけには留まらず、暴力も振るわれた。

 耐え兼ねていざ別れると、Aは即座に別の女子生徒と付き合い始めた。よく彼が話しかけていた女子で、彼女の数少ない友人だった。


 よくある話だった。当人もそう思い気にしないようにしていたそう。

 だが、ここからが問題だった。彼女が別の男子生徒と付き合い始めると、またも事態がまたも急変する。


「その子から、友人ぐるみで嫌がらせを受けるようになりました………」


 それまで学校だけでなく、知人にも交際をひた隠しにしていたAだったが、突如彼女の実名を出し、あの女に色仕掛けをされて付き合ったら裏切られたと触れ回った。

 交友関係の広かったAのデマは、瞬く間に学校内に広がった。


 訳が分からなかったという。確かに珍しい部類だった。この手の人間は別れてそのままフェードアウトするのが大半だったが、攻撃をしてくるケースはまれだった。

 強姦未遂の口封じだろうか? 先手を打てば有利だと思ったのかもしれない。実際、そのデマはAに有利な状況を作り出した。


 交友関係の広いAに敵うはずもなかった。大人しく、元々他の生徒と距離があった彼女は、いびりやいじめ以上の扱いを受けるようになった。

 友人と新しい彼氏からの対応もお察しの通りだ。彼女を信じる者はおらず、四面楚歌になった。


「もちろん認めるとは思っていませんでしたが、悔しくてこれまでのことを電話で問い詰めました。全部覚えていないの一点張りで………『証拠が無いんだろ、ざまあみろ、悔しいだろ』って………」


 無罪の人間が証拠を出せ、と言うのなら分かるが……後半はもう逃げ切りが確定した犯人のそれじゃないか。

 向こうも相当切羽詰まっていたのが伺える。


 カルテに付随している資料がある。これは、審判の際に彼女の視界を介した映像をそのまま文字に起こしたもの。

 幻覚や幻聴などは、記憶に残っても記録には残らないため、ここに記されているものはありのままの事実だ。


 資料を見てみる。電話の内容は───彼女を罵倒したり、時折何かを殴る音も聞こえた、とのこと。異常に声が震えており、質問の答えにも多くの矛盾が見られたという。

 あまりのAの情けなさに思わずため息が出そうになった。

 PCで彼女の実際の記憶から抽出した音声を聞くこともできたが、聞く気にはなれなかった。


 苦肉の策で、先ほどの電話の録音を学校へ提出した。

 決定打に欠ける内容ではあるが、別にこれは裁判に提出する証拠ではない。これを聞けば異常を感じて、流石に呼び出しはするだろう。

 だが案の定、翌日にはなかったことになっていた。もみ消されたのか、はたまたAの電話の状態から、逆に彼が脅されていると取ったのか。


 心配をかけまいと思ったようで、母親や友人にも相談はしなかった。


「証拠もないし、そのうち、いじめっ子たちから妄想だと謗られるようになって………自分でも本当かどうか分からなくなって。それから………」


 その先は言われなくても分かった。


 悲しいが、よくあることだった。

 だからといって許される話ではないし、それで気をしっかり持てなどと残酷なことを言うつもりもなかったが。

 だがそれは当人も理解していたようだった。だからこそ我慢しようと思ったのだろう。


「天使さんに、聞いてもらえてよかった」


 話を聞いているうちに、彼女の中で渦巻いていた感情の正体が見えてくる。

 誰かにずっと打ち明けたかったのだろう。


 加害者に対して怒ってほしい人。一緒に泣いてほしい人。多くの人間に周知してほしい人。ただ黙ってそばにいてほしい人。

 いろんな人がいた。そういった患者のデータは億をゆうに超えている。それでも適切な対応が制定されてないのが実情だった。人への対応はそう簡単には型に嵌められない。

 ひとまず事実のみを伝える。


「死後の世界では、生前の世界と違って犯罪は浮き彫りになります。加害者は必ず罰される。いずれ、そいつも死んだら地獄行きになるから………」


 だが実際のところ、このAという男がどう審判されるかは分からなかった。

 もしも本当に自殺を考えていて情緒不安定になっていた人間であれば、強姦未遂も突然の嫌がらせも、情状酌量の余地があると判断される。

 そんな事実は伝えなくても良い。なんにせよ、今後の彼女には関係のない話だ。


「それでも………」


 彼女は俯きがちにこぼした。


「私の人生は、戻ってこないんですよね」


 そうだ。

 死んでしまえば、もう取り返しがつかない。


 天国はある程度下界を模倣した世界だ。だが現実世界の代替品にはこれっぽっちもならない。できることも限られている。

 生前親しかった者や両親も、ここにはいない。


 彼女に、これ以上の未来はないのだ。


「だから、天国があるんですよ」


 死者の悲しみに寄り添うには、同じ死者でも、カウンセラーでも、あまりにも無力だった。

 当人でない人間には、その場しのぎの気休めの言葉を使うことしかできなかった。



 診察が終わると、少しの休憩時間が挟まれる。

 次の患者の資料を確認したり、面倒な同僚に絡まれるので、だいたい休憩は取れずに潰れる。


 味を楽しむだけのコーヒーを傾けながら、私は先程の少女の資料を資料をぼんやりと眺め入った。


 彼女が打ち明けたことはすべて真実だった。

 もちろん疑っていたわけではない。そしてもし仮に嘘であっても、カウンセリングでそれを指摘する必要は無い。ここは閻魔が裁きを下す場ではないのだ。


「自殺者だけ、そのまま魂も消えちゃえば良いんですけどね」


 空から声が降ってきた。

 顔を向けなくとも、誰なのかはっきり分かる。


 つい数行前に記した、〝面倒な同僚〟だ。


「………こンのクソサイコパスが……」


 言い方ってもんがあるだろう。

 だが、いつもこの同僚はこんな調子だ。

 それも、いつも決まって爽やかな満面の笑みで言う。こんなサイコパスがカウンセラーなんてやって大丈夫なのかと度々思う。


 だが、これは単なる罵倒ではない。

 事実なのだ。

 天国のカウンセラーにはそういった人間が多い。というか、率先して選ばれている。現世ではどうか知らんが。


 もちろん、人間の心が完全に理解できないやつは入れない。

 入れるのは、他人に共感することはなくても、その感情が手に取るように理解することができる人。


 この男は、生前は他人の心を読んで、卓越した容姿と演技で洗脳し、ネズミ講まがいの───恐らく、それ以上に酷いビジネスを展開していたと聞いている。

 それで、意図的でないにしても何人かを自殺に追い込んだこともあると。

 悪事を悪事と認識して、迷わず実行するタイプ。本来なら問答無用で地獄行きになる犯罪者だった。


 こいつはそういったタイプの犯罪者の中でもとりわけ演技力があり、人心掌握に長けていたので、その能力を買われ、〝罰〟として天国で働かされている。

 彼がここに寄越された日のことは、昨日のことのように覚えている。数百年に一度の逸材。本当に酷い新人だった。そう、あの日は―――



 そんなことを回想しながら、ふとその同僚を見遣ると、なんと私の患者のカルテを盗み見していた。先ほど少女のものだ。


「オイ。プライバシー」

「僕プライバシーなんて名前じゃないですよ。それに、あなたが潰れて僕の患者になるかもしれないじゃないですか」

「私が潰れてからやれ」


 私の言葉には聞く耳を持たず、同僚はカルテを読み進める。

 そして、ああ、と納得したように声を上げた。


「あんまり入れ込んじゃダメですよぉ」

「この子に入れ込んでるなら、とうの昔にしてるっつーの」


 これまで、何度もそういう患者を受け持ってきた。

 それほど世の中は改善されていないのだ。



 ここで話を戻すが、自殺者は死後魂が消えてしまえばいい―――という発言には、少しばかり同意する。



 一度死を経験した人間、特に惨い死に方をした人間は、死に対して異常に恐怖する。第二死恐怖症と呼ばれているものだ。

 カウンセリングや時間経過によって回復するケースも多いが、大半はそれ以降もPTSDに悩まされるのが現状だ。


 特に問題なのが自殺者。

 天国には魂を完全に消滅させることができるシステムが導入されている。

 例の〝どうしようもなくなった人への救済措置〟というやつだ。


 完全に消し去られた魂は転生せず、本物の死を迎えることができる。



 自殺者の自殺傾向が薄れることはまれで、多くの人がまた自殺することを望む。


 だが一度死を経験していると、死にたくても、死ねなくなる。

 たった一度きりのはずの死の決断を、再度迫られるのだ。躊躇する人間は多い。


 その決断に何百年もの時間を有する人もいた。

 その間、生前の傷が癒されることはなく、ずっと苦しんでいた。


 最期の数年は、死刑を待つ囚人のようになっていた。

 それでも、完全に消滅することを選んだ。



 死後、天国でですらそんな思いをするくらいなら、いっそ自殺時に魂を消してやれれば楽になれるだろうに。

 天国だ天使だと大層な名で呼ばれているが、患者を救えることはほぼなかった。


 天国は、必要な人間にだけあればいい。

 そして、この心療内科も。



◇ ◇ ◇



 それからの彼女の診療は、比較的順調といえた。

 だが、実際のところは彼女にしか分からない。このまま彼女が私で良いと言ってくれる間は、しっかり寄り添っていけたらと思う。


 今は母親のことが気がかりなようだった。夫のDVから抜け出し、女手一つで育ててくれたという母。

 私も死後、母のことだけが気掛かりだった。彼女の気持ちは痛いほど分かる。


 今日も彼女は予約を入れている。

 これから診察する初診の患者の後に入ってくるようだ。



 今日も今日とて、施設は盛況だった。

 さて次の患者は。山積みになったカルテに目を通す。

 と同時に、思わず声を漏らした。


「………こいつ……」


 52歳。男性。死因・他殺。

 それらのプロフィールの下の欄には、余罪アリの記載。

 罪状の欄には簡潔に〝暴行・強姦〟とあった。


 余罪という単語は下界での使われ方とほぼ同義で、生前露呈していない罪のことを指す。

 付随資料を制作する際、〝獄卒〟と呼ばれる存在によって、おおよそ自我が芽生え始めた頃からの記憶を何年もかけてじっくりと検証と記録がなされる。

 獄卒───天国の公務員である天使に対する、地獄の公務員のようなものだ。


 審判の時、獄卒は対象者の記憶を視ることが許されている。

 ポイ捨て程度の罪から未解決の完全犯罪まで、露呈していないあらゆる犯罪が丸裸にされる。

 だからいつまで経っても長蛇の列が解消されないのだ、天国は……まあ、今はそんな愚痴は置いておいて。



 そこで、強盗や詐欺師といった、明らかに悪意をもって罪を犯した人間は、一発で地獄行きの裁きが下される。

 ただそういった輩は、それに至るまでの経緯や事情を汲んで、また別な審査を行う場合があるのだが……それは地獄側の仕事なので、今回は言及しないでおく。


 さて。こいつは余罪アリでも天国行きだと判断されている。

 詳細はカルテを最後まで見ないことには分からないが、その後は善良な生き方をしていたのかもしれない。もしくは、更生の余地があると判断されたのか……。


「代わりましょうか?」


 あの同僚からのお声がけがあった。

 先ほどの言葉で何かを察したのだろう。女性には辛い現場だと判断したのか。


 だが、その程度の理由で代わってもらうわけにはいかない。

 気持ちだけもらっておく、と断って、私は診療室へと向かう。


 思うところのある患者だったが――以前も言った通り、この施設の天使が行うべきはカウンセリング。

 生前の余罪について、私から問い質すことはないし、その必要もない。



 診療室には、既に例の男性がいた。

 初対面の印象は、年齢の割には挙動不審。カクカクと膝をゆすり、爪を噛んでいる。

 だが私を見つけるや否や、ヘラヘラとした調子になった。


「カウンセラーってお姉ちゃん? いやー可愛い人で良かったわ~。ほんとに天使みたい!」


 男性はそう言って身を乗り出すと、私が聞くまでもなく、自分の身の上話を語り始めた。

 それも、死因に掛る話だけでなく、出生から学生時代、新卒時代まで洗い浚いだ。

 確かに不憫ではあったが、話が愚痴まじりで誇張も多く、冗長だったため、要点をかいつまんで以下にメモをしておく。


 男性の死因は他殺。

 昔、同級生からのいじめを受けていたらしい。最初は過度ないじりから始まり、自殺を考えるまで苛烈になっていったと。


「俺も辛かったんすよ………学校でもいじめられて、いざ社会に出たら会社でも家でもいびられて………で、それまではちゃんと絶ってたんすよ? でもあの、ちょっと気がまいっちゃって、出会い系……みたいな? やつを始めて。」


 すっとぼけても無駄だ。出会い系で女を漁っているのは、大学生時代からだと資料にしっかりと記載されている。

 あからさまな年齢偽装をした未成年や、闘病中の配偶者がいる既婚女性、妊娠初期の女性…その他数十名の女性と性的関係に、と記載がある。向こうの女性も相当なものだ。

 一概に悪だとは言えないし言わないが、こういった類の欲求の発散をしたことのない個人としては気分が悪くなる。


「それでメンヘラな子に当たっちゃって~……まぁ俺もメンヘラなんすけどぉ。その子、若くて可愛かったんですけど、若いのに子供堕ろしてて………でも俺、我慢したんですよ? 気持ち悪かったけど。んで、その子に殺されちゃって」


 かなり経緯を端折ったな……詳しい原因は何だろうかとカルテに書き込んでいる風を装って、資料に視線を移す。

 死因の詳細は、その女性との首絞めプレイの一環によるものだった。他殺には違いないが、これで死んだとは口が裂けても言えないだろう。ここには深く言及しないでおこう。


「可笑しいですよね? 急に殺されるって」

「そうですね……いかなる状況においても、殺人は正当化されませんよ」

「ホントっすよ! あ~あ。まだまだこれからだったのに……あの女……」


 あくまでも被害者という立場に居たいらしい。

 資料との食い違いや、その場しのぎの取り繕いがあまりに多い。本人があまりに嘘が下手なので、どれもカルテを見る前に嘘だと察せたが……。


 常識の範囲内でクズだが、極悪人ではない。小心者な子悪党といった印象を受けた。

 幼少期に家庭や学校で暴力を受けたりした人間が、それまでの反動で立場の弱い者に対して加害するのはよくある。

 彼も中学生時代、いじめられていたようだし。嘘ばかりで塗り固められた男だったが、カルテを見るにそれは事実のようだった。



 ただ不思議なことに、ここまで話を聞いても、例の余罪に関する話が一切出てこない。

 故意に隠しているのか、はたまた完全に忘れているのか……。

 カルテの余罪の欄の続きを見ると、泥酔状態で友人の彼女を強姦、とあった。



 …お言葉に甘えて、次はあの同僚にやってもらおう。あの同僚は確か、こういう欲望まみれな人間のカウンセリングが大好物だった。

 天界のトンデモ技術を駆使して、同僚を美少女にでも見せるホログラムを使ってやれば、この男も喜ぶだろう。


 ……それにしても。


 何か、何かが、引っかかる。


 ここは罪を裁く場所ではない。

 あくまで患者に寄り添わねばならない。それが100%の嘘であっても。


 …この男に対してバイアスが掛かっているのは、自分でも重々承知だ。

 だが、ここまでやっておいて、果たして天国行きになるのだろうか?



 不満を垂れて満足気な男の背中を見送りつつ、私は再度カルテに目をやる。


 確かに、よくあることではあった。

 よくあること───



 私は即座に、男の出生年の記載されているページを開く。


 次に男の方に視線を移すと、廊下と待合室への扉を開ける寸前だった。

 すべてを理解した私は声を上げた。


「馬鹿!! 扉閉めろ!!!!」


 思わず普段の口調を出してしまった。

 それくらい焦っていた。


 扉の前の待合室に、次の患者が立っていた。すぐこの診療室に向かえるように、診療室が見える位置にいたらしい。


 こちらを見るや否や、診察室に駆け寄ってくる。

 私や他の職員が止めに入る前に、その患者は拳を振りかぶった。


 あの少女だった。

 あの、以前カウンセリングした、自殺者の。

 今日も予約が入っていた。



 気が抜けていた。

 よくある話で、珍しい話ではなかったから。


 ―――死後、加害者と被害者同士が、数十年の時を跨いで、同じ施設で、同じ日に、立て続けにカウンセリングを受けるなんて状況のほうが、よっぽど珍しい―――



 瞬間、その場一体が、水色のモヤに包まれる。


 住民にストレスを与えないようにするための天国特有のシステムだ。感情の高ぶりを察知すると即座に展開される。

 外部からは全く別な映像がホログラムのように見えるという優れものだ。本当にこれがあって助かった。


 でなければ―――男が少女に馬乗りになって殴られている現場が、精神的に不安定になっている他の患者に晒されるところだった。



 痛みは通じない。接触する肉体も、感触を伝える神経も、痛みを発する脳も無いのだから。

 ただ意識に〝殴っている〟という印象が伝わり、相手にも〝殴られている〟という印象が伝わるだけ。

 虚しい時間だった。


「落ち着いてください!」


 慌てて二人に駆け寄ろうとした直後、今度は赤い光が瞬く。

 その後、光は稲妻のように垂直に空間を裂き、その隙間から、動物の頭を持った禍々しい容姿の二足歩行の生物を遣わせた。


 例の獄卒というやつだ。

 彼らも患者たちにはもちろん見えないようになっている。目にしただけで精神力が削れてしまうような姿だからだ。


 そんな獄卒もまた、見た目は異形なれど天使と同じく元人間だ。

 ごくまれに、本当にごくまれにだが、ヒューマンエラーを起こす。

 ただ、それが今、こんな最悪な奇跡を伴ってそれが起きるなんて……。


「スミマセン天使さん。配送ミスだったみたいで。コイツ、本当は地獄行きです」

「ふざけんな!! 今何兆分の一ってくらいの確立の大事故が起こったぞ!!」

「スミマセン。ビミョーなラインの人だったんで………」


 獄卒に怒号を投げた。これも彼女や他の患者に聞こえないように処理されている、はずだ。


 だが…私も油断していた。本当にあってはいけないことをしてしまった。

 生前の被害者と加害者を鉢合わせるなんて。



 よくある事件で、しかも二人の年齢が違ったから気付けなかった。

 先程カルテを確認して分かった。彼らは同い年だ。そして、同じ学校出身。

 男は、かつて少女を自殺に追いやった男子生徒その人だ。


 きっと、あの行列の所為だろう。

 罪人は審査しやすい。ほんの少しでも罪人としての条件を満たした時点で、地獄行きにできるからだ。死後、すぐに移送される。


 反対に、天国に行ける善良な人間というのは、今際の際まで厳密な審査が必要だ。

 少女は自殺後、男が中年に差し掛かるほどの時間で、綿密な審査を重ね、やっと天国行きだと判断され、こちらに移送されたのだろう―――だから、天国行きの行列はいつまで経っても解消されないのだ。



 私の所為でもある。だが怒りがどうにも収まらなかった。

 もう一声、獄卒に八つ当たりも同然の罵声を浴びせてやろうと口を開く―――が、その怒号は、他の声にもみ消された。


「お前は地獄行きだ!! ざまあみろ!! ざまあみろッ!!!!」


 獄卒と二人して声のした方を見遣る。


 あれほど大人しかった少女が、鬼の形相で叫んでいた。

 頬を見えない涙が伝っていた。

 見た目が年老いていても分かるのだろう。自分を自殺に追いやった人間だと。


 男の方はというと、押し倒されはしたものの、モヤの所為で彼女の姿は見えていないようだった。

 呆気にとられた表情を浮かべている。

 だが恐らく、実際に彼女を見ても、同じような表情を浮かべるだろう。

 きっと、彼女が誰なのか、男は覚えていない。


 彼女が警備の天使たちに連れていかれている間、私はただ、自分の不甲斐なさに打ち震えることしかできなかった。



◇ ◇ ◇



 夕焼けを見ていた。雲一つない、天国の夕焼け空。

 この施設で唯一好きなところ。屋上が解放されていて、視界いっぱいの空が拝めるのだ。


 騒動後。私は、フェンスにあぐらで腰を掛けて、黄昏ていた。

 落ちても死ぬ危険はない。もう死んでいるのだから。


「良かったですね。地獄行きになって」


 背後から言葉を投げかけられる。例の同僚だ。

 あの男のことだろう。


「良かないよ……」

「なんでですか」


 彼女からすれば、それなりに鬱憤が晴らせたかもしれない。

 だが、その後に残るのは虚しさだけ。


 その次に患者に待ち受けているのは、途方もない後悔だ。

 下界に置いてきてしまった両親。

 子供が死を選んでしまった親の気持ちは想像を絶するものだろう。当然だが、それを想像する死後の自殺者の苦しみも計り知れない。

 中にはすぐに再会する親子もいる。つまりは、そういうことだ。


 私もその一人だった。


 それで今も、ここにいる。

 また自殺しようなどという気は、とてもではないが起きなかった。



 ああいう自殺者を担当すると、ふと考えることがある。


 私が死を選んだ意味はあったのだろうか?

 分かっている。ただ自分が死にたかったから死んだだけ。それだけだ。だが。


「一般人の死にさして影響力なんてありませんよ」


 私の心を読んだように、同僚が何かを言っている。


「ああいう輩は、誰が死のうと変われないし、変わらないですよ。僕みたいにね」


 流石。何人も自殺者を出していながら全く動じず犯罪まがいの行為を続けていた男が言うと、説得力が段違いだ。

 彼はこちらに反論する隙を一切与えず、さらに追い打ちをかけてくる。


「あなた、学生で死んだから見てきた世界が狭いんですよ。そういうのを傲慢って言うんです」

「……知っとるわ」


 本当に饒舌で、人の心を読むのが上手い男だ。だがお前が言うな。


 そんなこと、30年もこの仕事をしていれば嫌でも思い知らされる。

 それでも。


 犯罪者は幼少期に暴力や迫害を受けていた者が多い。あの男もそうだ。

 そこを無視してやるのは、あまりにやるせない。


「まぁ…なので、あまり思い詰めないでくださいよ、今回の件は、獄卒のほうのミスなんですから」


 取ってつけたようなフォローにもなっていない言葉を投げかけられる。


「今日も施設の前、長蛇の列だったね」

「そうですね」

「私もいつか、あれの最後尾に並ぶ日が来る気がするよ」


 私のような、元々うつ病を患っていた人間がカウンセラーなんてしていては。

 それも、やるせない事故や極悪犯罪に巻き込まれて死んだ患者の相手を何百年も続けてしまえば、また壊れてしまう。うつ病は再発するものだ。


「その前に辞めればいいんですよ。あなたの代わりなんていくらでもいるんですから」


 この男は頭はおかしかったが〝患者〟の扱いはよく心得ていた。

 代わりがいると言われるのが、私にとってどれだけ至上の救いの言葉か。

 私のような人間は山ほどいるのだろう。罰としてではなく、進んでカウンセラーなどしようと考える死者は……。

 だが、それでも。


「ここに患者として通うことになっても、カウンセラーは辞めないよ」


 彼の言うように、傲慢なのは百も承知だった。


 私のように、それ以上に、やるせない思いで死んできた人々の拠り所に、少しでもなれれば良いと思っている。

 カウンセラーを続けているのは、私自身のためでもあった。




 それからまた数十後、彼をいじめていた主犯格のカウンセリングを行う機会が巡ってきた。

 生前の痴呆による意識混濁が見られたためだ。


 主犯格は、寿命を全うしての衰弱死。

 百三歳。家族に看取られての大団円だったそうだ。

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