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【栄光あるマルーン5部隊の遭難】

カニエ・ウェストの「Heard 'Em Say」という曲を聴きながら書きました。

辺見庸の「もの食う人びと」の一遍が元ネタなのですが、かけ離れた話になったような気もします。

戦争がテーマの話ですが、それほど残虐な描写はないと思われます。

 マルーン5部隊のことを知っているだろうか。その部隊に関する物語のことを? 


 それが人々の間で話題になったのは、先の大戦が終わり、その混乱が収束に向かい始めた頃。今からもう30年ほども昔の話だ。その後、映画やドラマにもなったので、知っている者も多いかもしれない。だが、多くの場合がそうであるように事実は映画と大きく違う。そもそも、マルーン5という正式な部隊があったわけではない。部隊と言ってもリーダーの私、リーナル・マルーンを含めて、4人しかいなかったのだ。それも引退した兵士と新兵2人が構成員だったのだから、小隊と呼ぶにも程遠いだろう。そして、この部隊……というよりグループは本来ならば、その日の内に解散するはずだったのだ。それがマルーン5部隊と呼ばれ、人々の記憶に残るようになったきっかけは、私の上官の単なる気まぐれだった。


「少佐、一つ、輸送任務を頼まれてくれないかね」

 キム大佐はそう言った。

 大佐の部屋に呼び出された私は非常にとまどっていた。兵士ならば上官の命令は即座に了承するのが本筋だろうが、私には2つ、とまどう理由があった。まず、私は大洋上の空母を離れて帰国することが既に決まっていたこと。もう一つ、これまで軍の中で輸送任務と呼ばれる行為をしたことがなかったからだ。

 私は軍の士官ということにはなってはいたが、言語学の研究者が実際の仕事だった。いや、軍でも自分は言語学者であると思い続けていた、というほうが正しいかもしれない。私の進学した大学は軍に付属する機関であった。この大学を選んだのは奨学金が出る利点と、戦争などそうそう始まらないだろうという甘い推測の為であったが、世界情勢程に予想できないものはない。私は卒業後、引き続き研究室で助手をしていたが、戦争の激化に伴って暗号解読の専門家として前線に召集されることになった。

今思えば、軍の付属大学なんては早めに離れるべきだった。だが、私は世界情勢を甘く見ていたし、助手のポストはたまらなく魅力的だった。そして、何より私は暗号解読というテーマに魅せられていた。本来は正確に内容を伝えなければならない文章が、無秩序な形へと一旦、変化させられ、更に元の形に復元されるというプロセスに言語学者として興味を抱いていたのだが……まあ、専門家の熱意ほど、他人に理解されないことはないことは、妻との会話で理解しているので、ここでは詳しく語らないでおこう。


 戦争は世界中の国々を巻き込んでいたが、私の国は大洋を隔てた位置にあるヤハンという国と戦っていた。海軍は大洋上で奇襲を仕掛けてくるヤハン国空軍に手を焼いており、いち早く敵の動きを知るために暗号解読の迅速化を試みていた。私は空母上で傍受したヤハンの秘密通信を解読する任務についた。その頃の肩書きは特務中尉だった。戦時中のみの臨時の階級とは言え、不釣合いなほど高い階級だったが、軍大学で暗号解読に関して働いていることから上級仕官として扱われたのだ。

「確かに軍では階級を重要視するがね。ここで解読をしている分には階級など関係ないよ。それに解読した者の階級が高いほど、情報にも箔が付くってものじゃないかね」

 キム大佐はそう言った。たたき上げの海兵である彼は何故か私のことを気に入ってくれ、親身にしてくれた。後に私の解読したあの暗号を最初に信じてくれたのも彼だったし……マルーン5部隊の時も、その親密さがそもそもの原因だったような気がする。


「大佐。失礼ですが、私は輸送任務など行なったことはありません」

「任務と言っても、ただ別の空母まで行ってくれればいいんだ。パイロットを含めて3人ほどつける。朝に出発すれば昼過ぎには着くだろう」

「何故、私に?」

「この艦で暇な士官は君だけだからだ。もう、ここですべき君の仕事はないからな」

「本国に戻って早急に報告を行なわねばならないのですが」

 マルーン少佐、とキム大佐は言った。日に焼けた厳つい顔の上で悪戯っぽい瞳が笑う。

「少佐、これは重大で極秘の任務なのだよ。兵の士気にも大きく影響する重要な任務だ。この任務が失敗すれば、どのような災いが我が軍に降りかかるかわからない。それに向こうも君に来て欲しがっている」

「……内容をご説明願えますか?」

 私に言えたのはそれだけだった。そのような重大かつ極秘で危険な任務というのものが想像できなかったし、大佐はそれを暇だからという理由で私にやらせようとしているのだ。

 大佐は任務の内容を説明し……私は大きくため息をついた。

「やってくれるかね? 少佐」

「…………了解しました」

 やはり言えたのはそれだけだった。


「では明日の0730に出発だ。少佐」

「了解しました」

 かなり投げやりな口調で私は答えた。

「ぼやくな少佐。行きたくても行けない者も多いんだぞ?」

「……それでは失礼します」

 立ち去ろうとした私に大佐が声をかけた。

「そうだ。せっかく君が指揮をするんだ。チームに名前をつけよう」

「名前ですか?」

「そう。マルーン部隊はどうかね?」

「有り難いお言葉ですが」

 大佐はニタニタ笑いながら言った。

「これは命令だよ。少佐」

「…………了解しました」

 

 翌朝、私を含めた4人は飛行艇に乗ってヤハン国を目指していた。

「高名なマルーン少佐の指揮下に入れて光栄であります」

 しなくていい敬礼をしながら二等兵のヘンミが言った。童顔の男で、実際に年も若い。恐らく、私が実際にどのような仕事をして少佐に昇進したのかも知らないのだろう。

「少佐、今回の任務の目的は何なのでしょうか?」

 こちらは用心深そうな口調でヨウ二等兵が言った。私と同年代で神経質そうなメガネの男だ。

「我々はこれからヤハン国の沿岸に停留する空母ディスカバリーまで物資を届けにいく……言っただろう?」

「どのような物資を届けるのでしょうか? 見たところ、非常に大きいですが」

「それは極秘だ」

 素っ気無くそう答えると、目を閉じた。慣れない小型機での飛行で気分が悪くなっていた。飛行艇後部に積まれたコンテナのことを考える余裕もない。

 ……それとその前に。

「伍長、頼むからボリュームを下げてくれないか」

「すいません。少佐。ですが、この船に乗ったのなら我慢して貰えますかね」

 パイロット席のスミス伍長は答えた。スミス伍長は私のいた空母ゴールドフィンガーの名物男だった。黒い肌と咥えた葉巻がトレードマークで、いつも陽気に笑っている大柄な老人だった。だが、初対面の人間はその顔に走った大きな傷に驚くだろう。

彼は伍長とは呼ばれていたが、既に退役しており、雑役夫として再び海軍に雇われていた。飛行艇の運転が出来るので細々とした買出しや、物資の運搬も行なっていた。この任務で使用している飛行艇もほぼ彼の専用機となっていた。飛行艇は胴体の下部が船のようになっており、主翼にフロートを備えている。海面からの離着水ができるだけでなく、車輪も格納しているので空母の上からでも発着できる優れものだが、正直、古くてガタがきていた。

 そして機体の側面には、由来は不明だが、大きく「5」のペイントがなされており、この飛行艇の写真が出回っているのが、実際には4人しかいなかったのに「マルーン5」と呼ばれるようになった原因だと私は考えている。


 飛行艇の中にはある歌手の曲が大音響で流れていた。当時、人気のあった(・・・・・・ここで訂正を求められたので、現在も、と付け加えておく)西・カニエという若い女性アーティストで、どうやらスミス伍長は年甲斐もなく彼女のファンであるらしい。音楽を聴きながらも、手際よく操作を行っているのは、さすがと言うべきか。

「そのアイドルの曲は任務が終わってから、好きなだけ聞けばいいだろう」

「こちらは老い先短い身ですから、時間を無駄にしたくはないんですよ。歌詞を確かめておきたいんでね。それに少佐も彼女の歌は覚えておいたほうがいいですぜ?」

「結構だ」

「それと、彼女はアイドルじゃなくて、アーティストです」

「・・・・・・知っているよ」

 どうやら伍長はこの任務の目的を知っているようだった。キム大佐と彼は昔、同じ部隊にいたことがあり、今も親しいから、ありうる話だな、とも考えた。

「少佐、この任務に危険はないのでしょうか?」

 一変して気弱な表情でヘンミが尋ねた。恐らくヨウにいらない不安を吹き込まれたのだろう。

「この任務は極秘だが、危険はない。第一、君もわかっているだろう。この海域に既に敵はいないよ」

 だが、私は世界情勢を読み間違えた時のように、この時も自分の運命を読み違えていた。私達の「部隊」を乗せた飛行艇はこの後、ある島に不時着し、私達は「敵」と出会う。この海域での戦闘は既に終わり、敵はいないというのが、私を含めた海軍全員の見解だったが、私達は「敵」に出会うこととなる。


 航程も3分の2を過ぎた時、我々の飛行艇は突如、雷雨に見舞われ、一時的に近くの無人島に不時着した。降りたほうが無難だろうとスミス伍長が言ったので、許可した。元より飛行プランに関して彼と争う気はなかったし、荷は夕刻までに届ければよいことになっていたのだ。飛行艇で来てよかったな、とこの時は呑気に考えていた。

 島は一周10km程の島で、島の中心部は小高い山となり木々がうっそうと生えている。地図にも名前が載っていない島だったが、資料では居住可能となっていた。飛行艇が着水した浜辺の近くに小さな川があり、その上流の島の中心部に池があることが地図には書かれていた。


「水とか確保しておいたほうがいいかな。伍長?」

 私は機体の点検をしているスミス伍長に言った。傍らには飛行艇の停留をやらされて疲れはてたヘンミとヨウの両二等兵が座り込んでいた。作業に参加しなくて良いのは階級が高い者の特権だ。だが、何もしないのも気が引けたのでスミス伍長に尋ねてみたわけだ。

「それには及ばないでしょう。少佐」

 飛行艇のハッチの中を覗き込みながら伍長は答えた。

「燃料も水も十分ありますし、機体にも問題ありません。この季節はこんな嵐が良くあるんですよ。ぼんやり待っていれば、すぐに飛べるようになるでしょうな」

 少し遅れるだろうと、通信を入れておきましたからね、と伍長は言った。ベテランのパイロットがいれば、レーダー室に閉じこもっていた少佐など要らないらしい。実際、既に雨も止み、黒い雲は水平線上に見えるだけだった。風向きも考えれば、確かに後一時間もすれば飛べるようになるだろう。


「それより、山のほうに気をつけておいてくださいよ。少佐」

「何故だ?」

「少佐も知っての通り、ほんの少し前までここらの島にはヤハン兵がいたのですよ。今も1人ぐらい何処かに隠れているかもしれません」

 スミス伍長の言葉に震え上がったのは二等兵二人のほうだった。

「伍長、まさかそれはないだろう」

 私は苦笑いした。

「この海域での戦闘は3ヶ月以上前に終結している。付近の島では大規模な戦闘があったが、そこが占領されてからは至って平穏なものだ。第一、この島を通過する航空路が既に出来ていて、日に何度も輸送機が飛んでいることは伍長だって知っているだろう」

「航路はこの島の上を通りませんよ。この島に降りた者もおりません。だから、我が軍がこの島について知っているのは、ずいぶん前に書かれたその地図ぐらいです」

 木々が風にざわつき、手にした地図もはためいた。航空写真を元に書かれたと思われる簡単な地図だ。

「ここでの責任者は貴方だ。もし、島に残っているヤハン兵が襲ってきたらどうします?」

 スミス伍長が尋ねた。

「お、俺は戦いますよ」

 何故かヘンミ二等兵が先に答えた。飛び上がらんばかりに敬礼をして。

「俺は戦いに来たんです。敵をやっつけるために来たんです。船の掃除や修理をするためじゃありません」

 ヨウ二等兵もしぶしぶといった様子ではあったが、俺も戦いますと言った。

 やれやれ、と私は思った。彼らは最近になって空母に配属された補充兵なので、実際に戦闘というものを体験したことがないのだ。私達の空母は先の戦闘でダメージを受けたので、前線には上がらず、通信や物資、航空機の中継を行なっている。だから、配属されて掃除と修理しかしていないというのは本当だろう。それに不満をもつというのは、一応は戦闘というものを体験している私には余り同意できない意見だ。

「このグループのリーダーとして、私は二つの指令を受けている。一つは物資を空母ディスカバリーに届けること。もう一つは君達を無事に送り届けることだ。どちらの任務を優先させるとの命令は受けていないが、二択を迫られれば、後者を優先させたい」

 私は肩をすくめた。

「もし、腹をすかせたヤハン兵が来たら、物資を囮にしてその隙に逃げよう。……無駄な戦闘と犠牲はなるべく避けたい」

「少佐は軍人には向いていませんな」

 笑いながら、スミス伍長は言った。非常に朗らかな笑顔だった。

「だが、いい人だ。きっと将来、成功する」

「そりゃ、どうも」

 軍でこれ以上出世したくはなかったが、そう答えておいた。


 スミス伍長が何故、こんな質問を私にしたのかはわからない。この後、何度か彼に尋ねてみたが、答えははぐらかされたままだ。実際には彼もこの島に生き残りのヤハン兵がいるとは信じていなかっただろう。恐らくは古参兵が何も知らない若い士官をからかっただけだろう。私の答えを彼がどう思ったのかもわからないが、あの出来事を経て生まれた私達の友情はこの後も長く続くことになる。

 スミス伍長が葉巻を差し出した。私はタバコを吸わないし、それでなくても伍長の葉巻は匂いがきつすぎた。ちょうどヨウが質問してきたので、胸ポケットに葉巻をしまった。

「しかし、良いのでしょうか?」

「何がだ?」

「極秘任務の物資をくれてやるなど、軽々しく言うことではないと思われますが」

「いいんだよ。どうせあの女の我侭だ」

 きょとんとした顔でヘンミとヨウが顔を合わせた。


「さて、天候もよくなってきたようですし、もうしばらくしたら出発しましょうかね」

 笑いながらスミス伍長が言った。

「腹をすかせたヤハン兵に見つからないうちに島を出ちまいましょう」

「だが、もし出ても二等兵諸君が戦ってくれるだろうから、安心だがね」

 私の言葉にヨウ二等兵が軽くうめいた。後から知ったが、彼は本国に妻と幼い子を置いてきており、危険は避けたかったのだった。

「大丈夫だよ。この海域が我が軍に占領されてからもう三ヶ月も経っているんだ。物資もないから、もしいたとしても気力も体力も尽きているさ」、と私は言った。


 ……それが起きたのは、その時だった。

凄まじい勢いで何かが飛行艇の機体に突き刺さった。反射的に振り返ると、そこにはボロボロのヤハン国陸軍の制服を着た男が立っていた。男は中肉中背で手には木製の弓を持ち、背には何本かの刀と、弓矢が入った筒を背負っていた。そして腰には短銃と大きく膨らんだ袋を下げている。曇天のため顔は良く見えなかったが、私はスミス伍長との会話が現実のものになったことを理解した。そして、飛行艇の機体に深々と突き刺さった矢は、そのヤハン兵が少しも衰弱してはいないことを物語っていた。


「貴様らが来るのを待っていたぞ」、とヤハン軍の兵士は言った。

一列に並ばせた私達に短銃を突きつけながらだ。

運悪く、二等兵たちのライフルは作業の邪魔になるのでは船内に置いたままだった。私は懐の拳銃に手を伸ばしたが、取り出す前に首筋に刀が突きつけられた。

動くな、と兵士は叫んだ。

もっとも、スミス伍長以外の二等兵二人は体を強張らして動けそうにもなかった。スミス伍長が訴えるように私を見たが、私は小さく横に首を振った。相手が1人とは言え、武装した兵士を丸腰で相手にするのは危険すぎる。それに相手は相当な戦闘能力を持っているようだ。今は相手の指示に従って、隙を伺うべきだ・・・・・・そう考えた。

「君は誰だ」

 私は兵士に尋ねた。

「ヤハン陸軍第3部隊の竹田大尉だ」

それ程大柄でもないのに地の底から響いてくるような声が返ってきた。ちなみに、私はヤハン語には詳しかった。日常会話程度なら話すことができ、それが前線に呼ばれた理由の一つでもあった。

「お前の名を聞こう。お前達は何者だ」

 血走った目を向けながら竹田大尉が問いかけた。

「リーナル・マルーン……海軍少佐だ」

「随分、若いな。おまけに生白い」

 竹田大尉は言った。声が荒立ったのは別の国の軍とは言え、私の階級が自分より上だったためかもしれない。

「我々はマルーン部隊だ!」

 片言のヤハン語でヘンミが怒鳴った。彼も少しヤハン語ができた。だが、中途半端なのが逆に始末に悪い。

「部隊?」

「……ちょっと深いわけがあってな」

「成る程、偵察隊と言うわけか」

「いや、そうじゃない!」

 私が叫んだ時、余り事態を把握していないヘンミが再び怒鳴った。

「我々は絶対に負けないぞ」

「黙れ!」

 竹田大尉はヘンミを蹴り飛ばした。ヨウが叫びながら竹田大尉に掴みかかり、投げ飛ばされた。この一件で唯一の負傷者は蹴り飛ばされた時に顔を切ったヘンミであり、竹田大尉に何らかの形で接触できたのはヨウということになる。二人とも勇敢な私の部下だ。

「かかって来い!」

 我々の言葉……それも強烈なスラングで叫ぶとスミス伍長が殴りかかった。強烈な右ストレートをかわし、竹田大尉は後ろに飛びずさった。

 スミス伍長が身構える。彼は素手だったが、怯む様子はなかった。後になってあの時戦っていたら、どちらが勝っただろうと考えることがある。だが、この時はそんな悠長なことを考えている余裕はなかった。

「竹田大尉。待ってくれ!」

 私は二人の間に割って入った。危険な行為だが、無我夢中だった。

「君は勘違いをしている。我々が戦う理由は何もない」

「お前達は連合軍だろうが!」

 竹田大尉が叫んだ。どうやればあんな声が出せるのかと未だに不思議に思う。

「そして我々は栄光あるヤハン国軍だ。お前達が敵である以上、我ら第3部隊は戦うのだ」

「我々?」

 今度はこちらが戸惑う番だった。彼の一人称は確かに複数形だった。周囲を見回したが、他に兵士が潜んでいる様子はなかった。

「君の他にも兵士がいるのか?」

「4ヶ月前、ここには第3部隊58名がいた。連合国の豚を皆殺しにするためにな。だが、今は一人だ」

「他の者達はどうした? 病気か何かになったのか?」

 竹田大尉は笑った。彼はヤハン人に特有のすっきりとした顔立ちの美男子だったが、口がいささか不釣合いなほど大きかった。そして、彼が笑うとその口は益々大きくなり、唇の隙間からひどく尖った犬歯が見えた。

「俺が食べた」

 竹田大尉は腰に下げた袋を投げ捨てた。地面に転がり、広がった袋の口から飛び出したのは人間の足だった。……この時、私は自分が相手にしているのが、人間の領域をかなり踏み外した化け物だと気付いた。


「お前達に我々、第3部隊の話をしてやろう。我々がどのようにこの島で生き残り、お前達を待ったか、をな」

 竹田大尉は見下した視線を我々に向けた。それは宗教の狂信者が浮かべるような表情だった。いや、彼は明らかに自らが……彼らの部隊が作り上げた宗教の狂信者だった。


 竹田大尉は武器で脅しながら、島の裏側へ私達を促した。

島はひどい惨状だった。私達が不時着したのとは逆側の浜辺にヤハン軍の駐屯地があり、そこには彼らが上陸に使ったらしい船と、運んできた戦車が一両あった。だが、そのどちらも大破していた。そして、浜辺とその周辺は地面には穴が開き、木がなぎ倒されていた。それにも関わらず、一人の死体も転がってはいなかった。

「我々、第三部隊は連合軍がこの海域に来るのを向かえ撃つために、この島に配備された。丁度、4ヶ月前のことだ」

 4ヶ月前と言えば、大洋上の海戦に勝利を収めた連合軍が一気に攻勢に転じ、この海域の諸島を制圧し始めたころだ。

「ここで待っていれば、お前達、連合の豚どもは間違いなくやってくる。だから、我が部隊はここに陣を張り、鍛錬にいそしんだ。自らを鍛え上げ、鋼鉄の刃と化すためだ」

 ちらりと後を振り返ると顔に怪我をしたヘンミも、彼に付き添ったヨウも呆然と竹田大尉の話を聞いており、さすがのスミス伍長も当惑した視線を私に向けた。彼はヤハン語を殆ど解さなかったが、いくつかの単語とニュアンスで、大体の雰囲気は掴んでいるようだった。

「連合軍の侵攻は続き、ついには隣接する島にまで到達した。ついに我々の出番だと胸が高鳴った。だが、お前達はやっては来なかった。我々はお前達も連戦に疲労し、体勢を整えているのだと考えた。そのうちに奇妙なことが起きた。補給が途絶えたのだ。使いに出した航空機も帰っては来なかった。だが、補給の遅れは良くあるものだ。我々は備えを続けた」

 ……何も奇妙な話ではない。この島は「順番を飛ばされた」のだ。攻撃の対象から除外されたのだ。航空機の航路から外れていることからもわかるように、この島は他の島とは少し離れたところにある。重装備の陸軍が船で移動するならともかく、空母や航空機ならこの島に立ち寄る必要はない。だから、攻撃の対象から、この島は外されたのだ。……というより、連合軍はこの島にヤハンの部隊がいるということさえ考えていなかった。連合軍はこの島を通過し、次の島を攻撃した。空母の航空機と戦艦によって深夜に攻撃したため、この島には連絡が行く時間もなかったのかもしれない。補給線は途絶えがちだし、島ごとに配備されている部隊間では手柄争いがあったことも伺えた。手前の島が進行されたと言った時の彼の表情は非常に興味深かった。

「物資が少なくなるにつれて、不都合が生じ始めた。残りの物資では部隊全員の食料を確保することが困難となったのだ。だが、我々に撤退は許されなかった。ここで敵を迎え撃つのだ。我々の撤退はその分、敵を本土に近づけることになる」

「それで仲間を食い始めたのか?」

「食料の確保と無駄な人間の排除が一挙に出来る方法だからな」

 竹田大尉は何事もないような口調で言った。我々は駐屯地の中を移動した。やがて、我々は広場に出た。そこには1人の死体が転がっていた。その死体はやはりボロボロの軍服をまとい、胸には刀がつき立てられていた。それはこの島ではじめて見た死体だった。

「確かに、最初は我々にも戸惑いがあった。人を食うことへの戸惑いもあった、人数が減ることで戦力が落ちることを不安に思った。だが、すぐにそれは杞憂だとわかった。我々の方法は公平なものだった。皆でクジを引いて、選ばれた者同士が戦い、負けた者が食われるのだ。最初は二等兵を中心にクジを引いた。数が余っていたからな」

 二等兵と聞いてヘンミがうめき声を上げた。竹田大尉はそれには構わず、話を続けた。もうこの頃になると彼は自分の話に酔っていた。

「負けた者を最初に食べるのは勝者と決まっていた。人を食べることに戸惑いを持つ者も多かった。だが、勝者に戸惑いはなかった。自らの命を賭して戦うことで、その者は戦士としてより高い位置へと上ったのだ、と我々は考えた。敗者を食らった勝者の姿は本当に神々しいほどの力を漲らせていた。残りの者は残りの肉を食べたが、そのような効果は現れなかった。きっとそれは戦い、勝利した者のみが得られるのだと俺は考えた」

 ここで大尉の一人称が複数系から「俺」に戻った。私は彼の精神状態を解明できるわけではないが、過去のその時点で彼の中で何かが変わったのだろうことは理解できた。ただ、その狂気は他の者の心にも同時に生まれていたことも想像できた。

「次のくじ引きの時、俺は自ら戦うことを志願した。他にも志願する者が何人か出たが、俺は選ばれた。その時、選ばれた者には初回の勝者も含まれていた。彼も自ら志願したのだ。そいつを含めて志願した者達は俺と同じことを考えていたに違いない。俺は運良く、初回の勝者と戦うことができた。奴は強かった。元々は貧弱な二等兵だったのが、俺を上回るような気迫と力を示したのだ。死闘は続いた。……俺は勝利し、奴の肉を食べた。奴の肉を食べた時、俺は奴の力が流れ込んでくるのを感じた。奴だけではない。奴が倒した二等兵の力も同時に流れ込んできた。そして俺は力を得た。3人分の力をな」

 そんな訳はない……そう言いたかった。だが、彼は信じていた。間違った考えでも、歪んだ論理でも確かにそこには強固な信念と力があった。


「戦いを繰り返しながら、俺は考えた。いや、正確には俺を含めて5名の者が同じ考えに至った。こうやってお互いに戦い、負けた者の肉を食らえば、我々はより強い存在へと進化できるのではないか……とな。無駄な人員を排除し、本当に強い者のみで構成された最強の部隊を作れるのではないか……とな」

「……狂っている」

 ヘンミの通訳を聞いたスミス伍長が呟いた。ヤハン語ではなかったが、ニュアンスは解したのだろう。竹田大尉は嘲るような視線を私達に向けた。

「お前達にはわからんだろう。これは実際に戦い、死線を潜り抜けた者だけが理解できる境地だからな。だが、部隊の中にもそれを理解していない者もいた。無能な上官や、腑抜けた新兵どもだ。……我々はまずそいつらから排除を開始した」

 大尉の一人称は再び複数形に変わっていた。私にはこの島に出現した新種の生物の姿が見えた。それは5人の軍人によって構成された一匹の生命体。仲間の命を食らい、成長する不定形のアメーバのような存在だ。

「我々、5名はまず提携を結び、余分な人員を排除した。それは容易な仕事だった。奴らは逃げ惑うばかりで我々に歯向かおうともしなかったからだ。我々と戦い始める者も出てきた。その中には中々に強い者もいた。だが、我々は勝った。何故なら、我々は肉を食らっていたからだ。肉を食らい、負けた者の力を取り込んでいたからだ」

 戦いが始まったのは3ヶ月前のことだ、と竹田大尉は言った。奇しくもそれは連合軍がこの海域を制した頃であった。

「そのうちに我々の考えに賛同し、協力する者も現れ、我々の人数は増えた。皆、肉を食らい、強くなった。そうなると後は簡単だった。2ヶ月程前、我々に抵抗する者はこの島から消えた」

 竹田大尉は大きな口を引きつらせ、笑みを浮かべた。それは勝利の笑みだった。

「君の仲間はこの島にいるのか?」

 そう私は尋ね……それと同時に馬鹿な質問をしたと後悔した。仲間が残っているなら、もう集まっているはずだ。彼らはその為にこの島にいたのだから。私には竹田大尉たちによって占拠された島で、この2ヶ月の間に何が起きたのか容易に想像できた。

「腰抜けどもを粛清し、この島を制圧した後、我々の中である問いが生じた。我々の中で本当に強いのは誰か、とな。我々は肉を食らい、強くなった。……だが、もっと強くなれるのではないかと考えた。結局、残ったのは最初の5人だった。後から加わった者を食らうのには一週間もかからなかった。だが、残りには2ヶ月かかった。俺以外の4人を倒すのにはな」

 彼は広場の死体を刀で示した。

「遠藤少佐だ。彼は強かった。だが、俺は勝利した。決着がつくまでに、半月がかかった。だが、今日、雷雨の中で俺は彼の心臓に剣を突き刺した。そして肉を食らった。それと同時に彼が食ってきた者の力が私の中に入ってきた。……俺は力を得た。第三部隊58名全員の力を。つまり、俺は……俺こそが第三部隊だ」


「我々の力を見ろ!」


 大尉は叫んだ。とても1人の人間が出しているとは思えないような声だった。まるで58人が同時に叫んでいるような声だった。

「我々の力を見ろ! 我々は物質主義に毒されたお前達とは違う! 純粋な精神を持った民族だ! 純粋な民族の力を見ろ! 鋼の精神を見ろ! 鍛え抜かれた体を見ろ! 我々はお前達を打ちのめす。不純で薄汚い民族をな! そして我々が君臨するのだ!」

 竹田大尉は刀を抜き、水平に振った。それは遠藤少佐に突き刺さった刀に当たり、刀は二つに折れた。ヤハン国の刀の強靭さを考えると、それは凄まじい力だった。


「わ、私達も殺すのか?」

 私は尋ねた。声が上ずっているのが自分でもわかる。

「すぐには殺さん」

 竹田大尉は言った。

「後方に控えている本隊の情報を聞き出さないといけないからな。……それにお前達を食っても我々が強くなるとは思えん。むしろ、純粋さが損なわれるだろう」

「竹田大尉、君は勘違いをしている」

 話し始めると冷静さが何とか戻ってきた。かえって彼を逆上させることになるかもしれないが、私には彼に情報を伝える義務があると考えた。

「私達は偵察隊ではない。ただの輸送部隊だ。ヤハン国の沿岸にいる空母にある物資を届けるために飛び、ここに不時着した。君の考えるような本隊などいない」

「……嘘をつくな!」

「嘘ではない。真実だ。それどころかこの海域に連合国軍の船はもういない。主要な艦はこの島を通過してヤハン国へと向かっている」

「ならば戦況はどうなっているというのだ!」

「竹田大尉、冷静に聞いてくれ」

 私は深呼吸をしてから、言葉を続けた。

「戦争はもう既に終わっている。半月前にだ」

「馬鹿なことを言うな」

 刀が突きつけられた。背後でスミス伍長のうめき声が聞こえたが、全員動くなと私は言った。

「君にとっては残念だろうが、本当のことだ。ヤハン国は既に無条件降伏を受け入れている。港も開け放たれ、我が軍の空母はそこに停泊している。抵抗活動も殆どないそうだ」

「黙れ! 黙れ!」

 竹田大尉は刀を振り上げた。

「我々はそんなことは信じない。お前は嘘をついている。……さっき自分達は輸送部隊だと言ったな。戦争が終わったのなら、輸送部隊などいらないはずだ。そうだろう?」

 私は改めて理解した。この男に何を言っても無駄なのだ、と。

 実際には駐留のためなどの物資や機密書類を本国から運んだりすることは多かったのだが、彼はそこまでは頭が回らなかった。だが、私達の命を救ったのは、実はこの質問だったと思う。

 私は覚悟を決めた。彼がそれを望むなら、私も「敵」と戦おう、と。


「わかった。・・・・・・真実を話そう。あの飛行艇の運んでいる物資は重要なものだ。私は直属の上司から直接この任務を任された」

「それは何だ? 新兵器か?」

「・・・・・・そのとおりだ。白兵戦において非常に高い効果を発揮する新兵器だ。我々はその試作品を付近に停泊している空母に届けるはずだったが、暴風雨に巻き込まれてこの島に不時着した」

「やはりな」

 真実よりも嘘のほうが耳に心地よいこともある。大尉は満足げに頷いた。

「やはり、戦争は終わってなぞいない」

「・・・・・・そうだな」

 君の頭の中ではな、と私は心の中で呟いた。そして、私達にとっても、だ。

「それを欲しくはないか? 竹田大尉。部下を解放すれば、新兵器を君に提供しよう」

「命乞いか。連合の兵士は情けないな。お前に言われずとも、その兵器は利用させてもらう」

「そうはいかない」

 予想通り、大尉は話に食いついてきた。島内での激戦で銃弾の類は殆ど使い切ったに違いない。彼は短銃を持っているが、弾薬が十分ならば、弓矢は必要ないはずだ。取り上げた私の拳銃も大事そうにベルトに挟んでいる。ならば、白兵戦用の兵器を欲しがらないわけはない。

「あの飛行艇には爆薬が仕掛けられていて、遠隔操作で爆破できる。そうなれば新兵器も破壊される」

「それをお前が持っているのか?」

「さあ、どうだろうな。部下の誰かが持っているかもしれない。・・・・・・ひょっとすると全員かもな?」

「くだらん小細工だ」

「飛行艇の所まで行くくらいはいいだろう? そこで部下を解放してくれればいい。私が新兵器の説明をしよう」

「・・・・・・試運転はお前達を標的にすることになるな」

 私は答えなかったが、竹田大尉は私達に海岸へと戻るように指示した。


 大尉と遭遇してから1時間も経ってはいなかったが、既に海岸は薄闇に包まれていた。水平線に目を凝らしたが、救援の船や飛行機の光はなかった。

「ここからは私1人でいいだろう。部下を開放しろ」

「爆破されては困る」

「・・・・・・私ごと爆破はしない」

「信用できないな」

「君の部隊ではどうかは知らないが、私の部隊で仲間の命を粗末に扱う者はいない」 

「腑抜けた連中だ。いいだろう。部下は開放してやる。少しは狩りが楽しくなるだろう」

 私は部下に逃げるように言った。部下達は拒否したが、私は指示を繰り返した。

「君達、これは命令だ!」

「・・・・・・・・・・・・了解です。少佐」

 スミス伍長が答え、残りの二人を促した。

「伍長」

「何でしょうか?」

「火をくれないか? これが最後の一本になるかもしれない」

 私は胸ポケットから葉巻を抜き取った。

 竹田大尉が何も言わないのを確認してから、伍長が差し出したライターで火をつけた。

「タバコは寿命を縮めるぞ、少佐」

 大尉が笑った。

「軍人が長生きしたいのか?」

 大尉が刀に手をかけたが、無視して浜辺へと向かった。


 暗闇の中、飛行艇は何事もないかのように波打ち際に佇んでいた。私は格納部分の鍵を開けた。息苦しいのは、慣れない葉巻を咥えているからだけではないだろう。

「竹田大尉。私は暗号解読を専門としている」

「・・・・・・なんだと?」

 時間稼ぎのための会話のつもりだったが、大尉は些か予想外なほどの驚きを見せた。

「どおりで口が回るわけだ。さっきの爆薬の話もどこまで本当かわからんな」

 全部、嘘だ。

 だが、覚悟を決めたのは嘘ではない。そして、これ以降、私の言葉は全て真実だ。

「私は君に嘘をついていた・・・・・・この中味は武器ではない」

「なんだと?」

「運んでいるのは武器ではない。だが、我が軍の士気に大きく影響するものだ」

「・・・・・・意味がわからんな」

「儀礼的な存在と言えるだろう。君の国にだってあるはずだ。人々の崇拝の対象になる存在が」

「国旗か? 神体か?」

「もう少し、俗っぽい物だな」

「偶像のようなものか」

「そうだな。でも、本人はアイドルと呼ばれると怒るがな」

 私は扉を一気に開いた。

 そこにあったのはズラリと並んだ色とりどりの衣装だった。

「何だ、これは」

「……西・カニエだ」

 戸惑った声の大尉に私は答えた。大尉が私を見る。それは誰だ、という表情だ。

「歌手だ。私達の国で絶大な人気を誇っている……アーティストだ」

「それが何だ?」

「ヤハン国の港に駐留している空母で今夜、彼女による戦勝記念コンサートが開かれる。海兵を慰安するための催しだ」

 私はため息をついた。脳裏に長い髪を風にたなびかせて甲板に立つ小柄な女の姿が浮かんだ。

「先日、私のいる空母にコンテナ二つ分の荷物を持って彼女が来た。私が対応したのだが、非常に我侭で気難しい性格の女で、まるで台風が来たようだった。彼女自身は一昨日、ヤハン国へと向かったが、輸送機の大きさの都合で荷物の半分を空母に残していった。今回のステージではこんなに衣装はいらないとコンサート担当者も文句を言っていたしな。だが、彼女の気が変わったらしく、連絡が来た。残りの荷物を持ってこい、と。・・・・・・この中には彼女のステージ衣装と舞台装置が入っている。それを運ぶのが私達の任務だ」

「な……何だと?」

 大尉がうめいた。彼と共感しあう部分が全くないが、その気持ちだけは私にも良くわかった。

「お前達は女の服を運ばされているのか?」

「それと舞台装置」

 隅に並んだ小型コンテナを指差したが、竹田大尉の耳には届いていなかった。彼は叫んだ。

「貴様ら、それでも軍人か? 女の服など運ばされて悔しくはないのか?」

「……重要で重大で危険な任務だよ」

 私は上官の言葉を繰り返した。

「それに駐留している兵士の士気にも大きく影響する。彼女の実力と人気は確かだからな」

「何たることだ!」

「大尉、もう一度言おう。・・・・・・戦争はもう終わっているんだ」

 私は口に咥えた葉巻を投げ捨てた。逆上した大尉を前にして、自分でも驚くほど冷静だった。

「君が最後に知っている戦いから、すでに4ヵ月も過ぎているのだぞ。この島に進行してくるのにそんなに時間をかけるはずがないだろうが。君達がこの島で殺し合いをしている間に、我が軍はこの島を通り過ぎたんだ。そして、君達の国は負けた。停留している空母では呑気にコンサートが開かれている。もう私達が戦う理由などないのだ」

「お前にはなくとも我々にはある」

 竹田大尉は無茶苦茶に刀を振り回した。

「我々はこの島で敵を迎え撃つのだ。その為に我々はこの島にいるのだ。我々の存在が無駄だというなら、我々はなんの為に死んだのだ!」

 竹田大尉の中で自分と死んでいった者達の境界線は薄れ掛けているようだった。

「そんなことは知らない。君達が勝手に殺しあったのだ」

 竹田大尉が吼え、刀を振りかざす。私は後退したが、彼は私を見ていなかった。

「なんと堕落しきった軍隊だ。なんと恥ずかしい者達だ。そんな豚どもに我らの国が負けたというのか? いや、そんなことは信じない!」

 ……我々の力を見せてやる。竹田大尉は叫ぶと、船内に入り、滅茶苦茶に刀を振り回した。カニエの衣服が切り刻まれ、カラフルな断片が空を舞った。雄たけびを上げる大尉の姿から、私は我々の文明が薄闇の奥に押し込めた血なまぐさい中世の戦士の姿を連想した。

 私はふっと我に返って、一目散に浜辺を駆け出した。

 森の傍に近づいた時に、スミス伍長と二人の二等兵が茂みから顔を出した。

「少佐、早く!」

「逃げろと言っただろうが!」

「すいません、少佐」

 スミス伍長は倒れこんだ私の肩を抱えた。二等兵二人にも騒ぐなと命じた。

「ヤハン陸軍の船が破壊された一隻だけとは思えない。どこかに別の船や装備が残っているはずだ。それを探して、体勢を立て直そ……」

 その時、凄まじい音が響いた。それは竹田大尉が飛行艇に切りつけた音だった。彼は外に出て、何度も何度も刀を機体に叩きつけた。その度に機体が大きく歪み、火花が散り、大きな穴が開いた。飛行艇が古いとは言え、その力はもはや人間の物ではなかった。彼は船を破壊しながら叫んでいた。あの地獄の底から響いてくるような声でだ。

「鋼の精神を見ろ! 鋼鉄の肉体を見ろ!! 我々の力を見ろ!!!」

 最後に聞き取れた彼の言葉はこれだ。この後、彼は機体に開いた穴から船内に入った。そして今度は船内から物凄い音が聞こえ始めた。

 刀が機体を叩く金属音と、彼の叫び声が一体となって辺り一面に響き渡った。もはや言葉の意味は聞き取れず、まさに地獄からの音としか言い様のない音であった。私達は逃げるのも忘れて呆然とその光景を見つめていた。

 その内、異なる音が混じり始めた。何かが爆発する音だ。

 ……私にはそれが何かわかった。船に積んでいた大量の花火が爆発しているのだ。

その花火はステージのクライマックスに打ち上げるはずだったものだ。使用の許可が得られなかったので私達の空母に残していたのだが、急に話が変わったらしい。……恐らく、カニエが押し通したのだろう。

 膨大な荷物を船内に搬入するにあたって、荷物の配置には苦労した。問題だったのが、頑丈な荷箱に入った花火だった・・・・・・だから、この時、花火が蓋のない木箱に入っていて、おまけに上から網を被せて固定してあったのは仕方のないことだと思って欲しい。

 私は葉巻をその木箱に投げ入れた。だが、ひょっとすると竹田大尉の刀で生じた火花が引火したのかもしれないし、電気系統が火を噴いたのかもしれない。ただ、その時、花火に火がついたことは確かだ。

爆発音に混じって轟くような声が聞こえた。後になって、このような状況で人の声が聞こえるはずがないと言われたが、確かに聞こえたし、他の者も聞いた。

 それは悲鳴だったか? とも尋ねられた。爆発に巻き込まれた悲鳴だったか? と。私にはそうは聞こえなかった。それは喜びの声だった。戦いに解き放たれた野獣が吼える声だった。


 後になって竹田大尉の履歴を見せてもらった。驚いたことに彼には実戦経験がなかった。そうは見えなかったが、小さい頃から肺病を患っており、志願しても軍にはなかなか入れなかったようだ。入隊が決まってからは猛烈に体を鍛え、見違えるように健康になったという。だが、前線に出ることはなかった。頭が良く、情報部で暗号の作成を主に行っていたらしい。戦場から遠ざけられた分、戦争への熱意は大きかったようだ。

病弱だったためか、幼い頃から栄養管理には気を使っていたらしく、家が大地主だったこともあり、高価な……文化圏の違う私には些かゲテモノに見える物を取り寄せて食べていたらしい。食べることで強くなれるという彼の考えは、その辺りから来ているのではないかと思う。

 何にせよ、大尉が実際に戦場に来たのは、この島への任務が初めてだった。そして彼は敵を待ち続けた。自分の全てをかけて戦うべき相手を。

 ……だが、来たのは私達だった。


 火花が燃料に引火したのか、大きな爆発が起こり、飛行艇全体が一瞬、持ち上がった。赤い火柱が立ち上がり、四方に火花が飛び散った。この炎はこの日の夜遅くまで燃え続けることになる。私達が早期に発見されたのも、この炎が遠くから見えたからだ。

 傍らではヘンミとヨウが座り込んでいた。特にヘンミは呆然とした様子で炎を見つめていた。彼は竹田大尉と同じく、戦争という夢を胸に抱いていたが、それは最も残酷な形で打ち砕かれてしまった。私が横に座って肩に手をやると、わっと泣き出した。

「本当に人間だったのでしょうか?」

 ヨウが呟いた。

「アイツの体に触った時、物凄く冷たかったんです。まるで氷みたいでした」

「……人間だよ」

 私は呟いた。

「だから、怖いんじゃないか」

飛行艇の跡から竹田大尉の遺体は発見されなかった。だが、彼が生きているとは思わない。もし、彼が本当に人外の存在となったとしても、もう私達に何もできないだろうと思った……少なくとも、この時は。

「どうします、少佐?」

 スミス伍長が葉巻を差し出したが、もう葉巻は結構だった。

「とりあえず、生きてこの島を出ないとなあ」

 私は呟いた。そして、スミス伍長にこう言ったことを覚えている。

「運ぶはずの物資は燃えてしまった。私に残された任務は君達を無事に送り届けることだけだ……そうだろう?」

「その通りです。少佐」

 スミス伍長は微笑を浮かべながら私に敬礼した。

 

 その後の話をしよう。幾つか話していないことを含めてだ。

 飛行艇を失い、島に取り残された私達はその翌日に救出されることになる。島に着陸前に伍長がおおよその位置の報告を行なっていたことと、飛行艇の炎が目印となり、夜のうちには私達が島にいる可能性がわかっていたようだ。


 私達の話から、島の捜索が行なわれた。それと同時にこの一件に関して他の者に口外しないようにと私達は命令された。連合軍とヤハン国政府との間で今件を合同で調査する取り決めがなされたのだが、実際には戦争が終結したとは言え、海軍が女性歌手を招いて空母上で慰安コンサートを開催したり、彼女の荷物を航空機で(個人所有の飛行艇でとは言え)運んだりしていたことがばれるのを恐れたのではないかと私は考えている。

 真実が秘密にされたのが逆に人の興味を引いたらしく、私を含めた「マルーン5部隊」の4人への取材は多かった。勿論、私達は秘密を守ったが、島に潜んだヤハン国の兵士と私達が遭遇したということは何処からか漏れ、話には尾ひれがついて急速に大きくなっていった。しばらく経ってから私達のことを扱ったテレビ番組が作られ、その後に映画になった。筋書きは秘密精鋭部隊の「マルーン5部隊」に所属する「5人の軍人」が不時着した無人島でヤハン国の1個師団と戦うアクション映画だった。軍は決して真実を公開することはなかったが、映画化を規制することはなかった。ひょっとすると軍の宣伝材料として利用していたのではないかと私は考えるが、本当のところはわからない。何にせよ「マルーン5部隊」という呼び名が定着したのはこの頃だ。そして、メンバーは必ず5人だった。

 現在までの約30年の間で「マルーン5部隊」はテレビ番組を含めると5回映像化されている。いずれの場合も主人公の「マルーン少佐」は勇敢で精悍な根っからの軍人で、何よりもヤハン国軍人を倒すことに情熱を注いでいた。マルーン少佐とその「4人」の部下は竹田大尉がそうでありたいと願ったように、勇敢かつ冷酷な殺人マシーンであった。

 映画化の話を聞くたびに、私は妻に『あれは私じゃない』と言った。私は栄光あるマルーン5部隊のマルーン隊長ではないし、5人目のメンバーなど知らないよ、と。

 ショービジネスの中で生きてきた妻はその度にそんなことは私だってわかっているわよ、言わんばかりの表情を浮かべて、こう言う。

「でも、あの映画に出ているハンサムで冷酷な軍人さんは、貴方自身でもあるのよね」、と。


ただ、研究者としては現実のものではない「マルーン5部隊」が独りでに大きくなっていく課程は興味深いものだった。一番、最近の映画にはスミス伍長の孫が役者として出演した。役はマルーン隊長の有能な右腕である「スミス伍長」だ。伍長の孫は演技こそいまいちだったが、高い運動能力と人から愛される雰囲気を持っていて、この時の出演者の中では現在、一番の出世株だ。

晩年、私が訪ねると、年老いたスミス伍長は嬉しそうに孫の話をして、いつも彼が出ている映画を見ることになった。二人で映画を見ながら、私は壁にかかった伍長の若い頃の写真を眺める。孫と彼自身の若い頃は本当に似ていた。ただ、映画の中の「スミス伍長」の顔には大きな傷のメイクがあるが、写真の中の若いスミス伍長の顔に傷はない。あの傷はキム大佐の部下だった40代の頃に負ったものだ。だから、私は時折、映画の中の「スミス伍長」の方が本当の彼であるように思う時があった。スミス伍長自身がどう思っていたのかはわからないが、孫の出演した映画を見ながら、彼は自分の若い頃に想いを馳せ、それと同時に孫の将来に思いを馳せていた。

そんな彼も昨年、亡くなった。大勢の子と孫と曾孫に見守られながら、彼は旅立って行った。


現実の私の部下であるヨウは戦後、故郷に残してきた妻と子の元に帰り、自動車販売業で成功を収めた。慎重で冷静な彼は軍と縁を切り、自分が「マルーン5部隊」の関係者であることを誰にも言わなかった。私も彼とは手紙のやり取りをする程度で会うことは少なかったが、昨年、スミス伍長の葬式で久しぶりにあった。二人で酒を飲みながら、彼はポツリと言った。

「でもね。マルーンさん。最近思うんですよ。映画の中で嘘っぱちの俺達がどんなことをしようと知ったことじゃないが、あの時の俺達は栄光あると称えられるに相応しいものだってね」

 そして、今は亡き戦友達の為に飲んだ。栄光あると称えられるべき者達のためにだ。


 迷ったようだが、結局、ヘンミはそのまま軍に残った。続けることでしか答えの出ないものもあると考えたのだろうし、私も反対はしなかった。彼はヤハン国へ駐留し、平和になった時代に軍人として生き、少佐まで出世した。もう少しで階級が追い抜かれそうだな、と私は彼に言ったものだ。その後、基地で起きた航空機事故の救助に向かい、彼は死んだ。不時着し、炎に包まれた機体に入り、中から乗組員を救出した。そして、最後の乗組員を機外に連れ出すと同時に力尽きた。

 私とは違い、彼こそは栄光あると呼ばれるのに相応しい軍人であったと思う。二階級特進により、彼の最終的な階級は大佐だ。


 私は一件の調査もかねてヤハン国に暫く駐留した後、本国に帰国し、結婚した。本来ならば、もっと早くにするはずだった戦時中の暗号解読に関する報告を行った後、大学に戻った。軍はこのまま軍に残り、情報部で勤めるように誘ったが、私は研究者として生きることを選択した。だから、軍人としての肩書きは少佐で終わりだ。とは言え、軍の大学に所属はしている状況は変わらなかったので、完全に軍と関係が切れるのはまだ先のことだったが。

 ヤハン国で勤務をしている時に、ヤハン国の暗号通信に関して調査を行い、内勤時代の竹田大尉がそれに関わっていたことを知った。彼はある海戦に関する通信の暗号を担当していた。……その暗号を解読したのは私だ。

 空母上で暗号解読の仕事を行なっていた私は、秘密通信を傍受し、その暗号を解読した。それは常識はずれとも言える大規模なヤハン国の奇襲に関する内容であった。最初は上層部には信じてはもらえなかったが、キム大佐は私を信じてくれた。それと同時に無関係と思われていた幾つかの情報からその計画が真実であることが示され、連合軍はその海戦に勝利することができた。それまでは拮抗していた両軍のバランスはこの戦いの後に大きく崩れることになる。

 竹田大尉が前線に送られたのは、この時の失敗の責任を取らされたという面もあったようだが(本人にとっては左遷ではなかっただろうが)、彼の暗号は良く出来ていた。私が暗号を解読できたのは、彼が暗号の鍵に私も好きな文学作品の文章を用いていたからだ。病弱だった彼は小さい頃から、読書をよくしていたという。もっと別の形で会うことができれば、彼ともヤハン国の文学について語り合ってみたかったとも思う。

 

 ヤハン国での駐留は多忙だったが、特にトラブルはなかった。人々は温厚で、慎み深く、数ヶ月前は敵であった私にも良くしてくれた。この時に作った人脈が後になって役に立つことになる。2ヶ月の駐留を終え、本国に帰る時、キム大佐が私を訪ねてきた。二人で港に行き、彼は空母に乗って帰らないかね、と言ったが、私は断った。また、妙な任務を押し付けられてはかなわない、と。航空機に乗って遭難する方が怖くないのか、と彼は笑った。

港には修復中の連合国軍の戦艦が停泊していた。その船は甲板上が大破していた。戦争の末期、ヤハン国軍は航空機自体を爆弾として敵艦に突撃する自爆攻撃を行なった。その戦艦もその被害を受けた内の一隻だった。

「私は哲学などというものには関心も必要も感じない人間だが、それでも時折、考えることがある」

 キム大佐は呟いた。

「どんなことをですか?」

 私の問いに彼は傷ついた戦艦を指差した。

「あれは、本当に我々にとって必要なものなのか?」

 そう言った彼の表情を言い表すことは難しい。彼は勝者の側の軍人だが、もう一方の側の死んでいった者達のことを考えていたのかもしれない。戦争中は使い捨てにされ、戦争が終われば、切り捨てられる者達のことを。

「捨て去ることは難しいでしょうね」

「……だから、私のような人間にも仕事がある」

 キム大佐は小さく微笑んだ。

「お別れだ。少佐。私達の人生はほんの一瞬、重なり合ったが、これからはまた別の道へとお互いに進むことになるだろう。短い間だったが、君のような人間と会えて楽しかった。軍にいると君のようなタイプには中々出会えない。しかも、好感が持てる相手となると更に少数だ」

「また、何処かでお会いしますよ」

「かもしれないな」

だが、結局、彼とは今に至るまで会ってはいない。今も健在なので会おうと思えば会えるのだが、直接会う機会はなかった。彼と私は本当に別の道にいるのかもしれない。だが、道は完全に離れているわけではないと思う。


 私が失敗した輸送任務の顛末について語ろう。

 私達がヤハン国にたどり着いた時に、只1人激怒した人間がいる。西・カニエだ。彼女は私達が到着しなかったので、不完全な演出(彼女はそう感じた)でステージをせねばならず、不機嫌だった。

 私が空母ディスカバリーに着いた時、彼女も空母にいた。私がステージ衣装と舞台装置を燃やしてしまったことを報告に行くと、『相変わらず使えない人ね!』と怒鳴って、そばにあったクッションを投げつけた。片手で持ち上げられそうな華奢な体の何処にこれだけのエネルギーが詰っているのか、今でも不思議だ。その可愛らしい外見に騙されて、初対面ではひどく彼女を怒らせてしまったものだ。

 ひとしきり文句を言った後、私が疲れ果てた様子だったのに気付き、どうしたの? と尋ねた。服を燃やした言い訳があるなら、聞いてあげてもいいわよ、と。

 私はことの顛末を彼女に語った。だから、この一連の出来事をあるがままに知っている民間人は長い間、彼女1人だった。

 話し終わった後、いつの間にか泣き出した私を彼女は抱きしめてくれた。

「勘違いしないでよ」

 この償いはしてもらうからね、と彼女は言った。


 彼女は各地で行われる慰安コンサートのためにしばらくの間、ヤハン国に滞在し、その間、私は花を彼女の楽屋に届けた。私にとって二回目となるこの輸送任務は、私たちが本国に戻ってからも続くことになる。彼女は我侭で気難しく……魅力的な女性だったが、恋愛の対象になるとは思っていなかった。だが、気がつくと私は彼女と結婚していた。その過程に関しては自分でも未だに謎だ。そして、周囲の予想に反して、私と妻との結婚生活は円満だった。



 ……私はそこで言葉を区切り、周囲に目をやった。

 焚き火に照らされた目が私を見つめる。

 そこは洞窟で、私以外に十数名の人間がいた。……外は雪山の中腹。そして、吹雪。


 ……私達は遭難していた。


 あの事件から10年後、私はヤハン国のある大学に準教授として移ることになった。誘ってくれたのは、ヤハン国に駐留中に世話になった研究者で、私はその申し出を了承した。軍の大学での研究内容の秘密保持や、私自身が軍人であったことなど、難しい問題は多かったが、それでも私はヤハン国で暮らすことを選択した。

 それから約20年、私はヤハン国の大学で教鞭を取った。やりがいのある研究と、多くの素晴らしい生徒に恵まれ、研究者と教育者としての私の歩みは順調だった。妻とは別々の生活が続いたが、妻も私とこの国で暮らすようになった。

 その間にも何回か戦争があり、多くの人が犠牲となった。だが、ヤハン国に戦災が降りかかることはなく、軍とも縁を切った私はいつしか戦争の存在を忘れるようになった。

 ……私達が遭難したのは、そんな時だった。


 小旅行を兼ねた学会の帰り、私と妻、そして研究室の教員と学生達は、小型飛行機である山脈での遊覧飛行を行い、突如として吹雪にあった。飛行機は方向を見失い、山肌に不時着した。負傷者は出たが、全員移動は可能であったので、私達は近くにあった洞窟に避難した。

 死者が出なかったのは、奇跡的だと思うが、軍での経験から言えば、負傷者は他の者の手を拘束する。皆の顔には疲労とショックの色が濃厚に張り付いていた。そして、日が暮れて、その絶望はますます深刻なものになる……特に私にとってはだ。この数年、私の目の機能は低下していた。日中であれば問題ないが、光の弱い所では視力が極端に落ちる。暗い洞窟の中では尚更だ。焚き火の向こう側も不明確にしか見えない。

 ……このままではいけない。私は皆に物語を語ることにした。忘れかけていた昔の物語だ。私はどの文明でも物語を作り、その語り部を必要とした理由を改めて認識した。ほんの一時、夜の闇を忘れさせ、自らの置かれた現実を忘れさせる。そして、もう一つ。私は話しながら、竹田大尉のことを考えていた。記憶の底に埋もれかけていた物語を掘り起こすにつれて、私は彼の存在を色濃く感じるようになっていった。彼は記憶の底から蘇り、暗闇の向こうにいた。私と彼は向かい合い、そして、一つに重なろうとしていた。

「私は今、竹田大尉のことを考えている」

皆、私の話に耳を傾けている。私が良い語り部であったかはわからない。だが、彼らは一時、自分たちの状況を忘れ、話と共に笑い、恐怖した。ヘンミ大佐のくだりでは涙を浮かべる者もいた。

「私は考える。何故、竹田大尉……正確には彼を含む数名の者達はあのような行動をとったのか、と」


 竹田大尉達の行動の理由については多くの者の考えを聞いた。飢えのためであるとか、戦争中に行われた教育のせいであるとかだ。大尉自身の精神異常が原因であるとの考えもあった。私自身、駐留期間中に何度か、あの島へと足を運んだ。そして、大尉を狂気へと駆り立てたものの正体を知りたいと考えた。

 

 私は島を調べ、いろいろな奇妙なことを発見した。

 最初に人肉食を行った理由は食料の不足によるものだと大尉自身が言っていた。確かに、島には50名以上の兵を養うほどの食料は存在しなかった。だが、けっして食料となるものがなかったわけではない。島には川があり、そこや海の浅瀬には魚がいたし、果物も自生していた。軍の専門家は、十数名程度なら、島にある食料だけで生活できるのではないかと述べた。実際に、かなり後の方にまで生き残った者(誰かはわからないが)が、島の魚を獲って食べていた形跡もあった。だが、彼らの主な食料は仲間達の肉であり、最後の方では共食い自体が彼らの目的になってしまっていた。竹田大尉と思われる人物が生活していた洞窟には保存用に干した人肉が大量に残っており、生存している人間に対して食料は過剰に存在していた。

 そして、洞窟の壁には木炭を使って大きくこう書かれていた。

『肉こそが、俺達を強くする』、と。


「結局、やつらは狂っていたのさ」

 と島に同行した精神科医は私に言った。……だが、私はそうは思わなかった。


「竹田大尉の行動は確かに狂気だったのかもしれない。だが、彼は彼なりに生き残ろうとしたことは確かだ。困難な自分達の状況を打開するために行動したことも。……だが、彼はその方法を間違えた。そして、もっといけなかったことは目的と方法を取り違えたことだ」

 私は洞窟にいる者達に語りかけた。そして、自分自身にも語りかけた。自分に付きまとう、竹田大尉の影にも。

「彼の失敗は自らの弱さを排除しようとしたことだ。弱い者を殺せば、強い者だけが生き残ると考えた。殺した者の肉を食らえば、自分が強くなると考えた。確かに彼は力を得た。だが、それには限界があった。彼も結局は一人の人間だった。どれほど人を殺し、その肉を食らい、強くなろうとしても、一人の人間ができることには限界がある。……結局は、舞台用の花火にも負けた」

 傍らにいた妻は先程から私の話の内容が気に入らなかったので、不機嫌そうだったが、そのとおりね、と私に手を差し出した。私はその手を取り、皆に語った。

「私達の置かれた状況は竹田大尉達が置かれた状況よりも不利なものだ。救助はいつくるかわからないし、吹雪がいつやむのかもわからない。だが、希望を持ち続けよう。できることは何でもしよう。食料がどうしても足りないとなれば、私は自分の肉を君達に与えるつもりだ。しかし、私達は竹田大尉と違う。私達がなすべきことは一人でも多くの人間が生き残ることだ。竹田大尉は一人の人間に他の者の力を集めようとして失敗した。だから、私達はお互いにお互いを助け合おう。一人の人間よりも二人の人間の方が強い。そして、二人よりも三人、三人よりも四人だ。誰かが、ではなく。私達が生き残るのだ」

 私は闇へと手を差し伸べた。竹田大尉が背を向けた方向へだ。

「私はここにもう一度、マルーン5部隊を作ろうと思う。私達は新たなマルーン5部隊だ。そして、前回もそうであったように、私の任務は唯一つ」

 

「君達と共に生き残ることだ」

 差し伸べた手に、多くの者の手が触れるのを感じた。



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