現代版『因幡の白うさぎ』 〜 美少女ヒッチハイカーさん、サメは怖いよ気をつけな 〜
私は『因果応報』など信じない。
悪いことばかりしている人に幸運ばかりが降り注ぐことも、善良を心掛けて日々生きている人が不幸な目にばかり遭うことだって、ふつうにあるものだと思っている。すべては偶然なのだ。神など存在しやしないのだから、すべてのことは偶発的で、因果応報という言葉がぴったりと当てはまるようなことがたとえ起こったとしても、それは後から理由づけをした、つまりは結果論に過ぎないのである。
しかし、そうは思っていてさえ、これは何か神的な力によるものなのではないかと、そうとしか考えられないようなことは、ある。
◆ ◇ ◆
白いキャビンに赤い文字で『白兎運送』とかわいく入れた大型トラックが私の城だ。
私の名前は白兎美奈子45歳。同会社の社長である。
従業員は私以外に3人、一人は事務員なのでドライバーは私以外には2人だけという小さな会社だ。ちなみに事務員は私の妹が片手間でやってくれている。
とにかくドライバーが少ないので、利益を出すには私も走らなければならない。幸い、車の運転は好きなので、辛いことはなかった。
社員になるべく利益を還元し、私腹を肥やすようなこともしていないので、社長というには貧乏だ。とはいえ大きな車に乗って遠くの景色を見に行くのはいいものだ。事務所の社長椅子でふんぞり返っているよりは、走り回っているほうが性に合っている。
某県のバイパスを走っている時だった。側道から私の前に、無理な割り込みをして来た乗用車がいた。
私は舌打ちをしながらも、予測していたので排気ブレーキの減速だけで合わせることが出来た。しかし口から独り言が漏れてしまう。
「荷物満載の大型トラックが急に止まれると思ってるのか? 荷物に何かあったら弁償してもらうところだぞ?」
無理やり割り込んで来たくせにノロノロ走り出す。こういう運転をするのは大抵オッサンだ。そう思いながら見ると、全開にした運転席の窓からやはりレンコンみたいな太い腕が覗いていた。
それからすぐのことだった。私の前を悠々とアホっぽくオッサンが走り続けていると、その前に側道から急に軽トラックが割り込んで来た。オッサンは予測出来ていなかったのか、びっくりして急ブレーキを踏む。私がさっきの割り込みにムカついて車間距離を詰めてでもいたら玉突き追突になっていたところだ。
やるやつは、やられる。不思議にこういうことは、ある。
こういう時、何か神的な力を信じてしまいそうになる。車間距離は私とオッサンの間のほうが空いているのに、なぜか罰でも受けるかのように、割り込みをしたオッサンは割り込みをされるのだ。
◇ ◇ ◇
浜松のサービスエリアで休憩している時、コンコンとドアをノックしてくる者がいた。
窓から覗いてみると、可愛い女の子がこちらを見て笑っている。19歳ぐらいだろうか。アイドルのように可愛い娘だ。
私は窓を開け、『何か?』と顔で尋ねた。
「この車、東京まで行きますかぁ?」
「うーん。東京方面ではあるけど、通り越して茨城まで行くよ?」
「いいです。じゃあ茨城まで乗せて行ってくれませんか?」
「通り越しちゃっていいの?」
「そこまで止まらないんですよね?」
「一応、海老名あたりのサービスエリアで休憩しようとは思ってるけど?」
「いいです。茨城まで行って、また戻る車を探します」
「うん。じゃあ、乗って」
「ありがとうございます」
大きなボストンバッグを持って、彼女が助手席に乗り込んできた。柔らかい香りが車内に漂った。
「女性のドライバーさんに会えてよかったです」
そう言ってにっこり笑う彼女を見て、私は心の中で『かわい〜い♡』と何度も叫んでしまった。仕草に少し出てしまったかもしれない。
「東京に何しに行くの?」
走り出しながら私が聞くと、結構意外な答えが返ってきた。
「あたし、セクシー女優としてデビューするんですよ」
セクシー女優ってなんだっけ? と一瞬考えたが、すぐに『ああ』とわかった。
今どきはこんなアイドルみたいな子がそういうお仕事をするんだなぁ。
彼女は続けて話した。
「セクシー女優っていうと穢れた仕事みたいに思われるかもしれないけど、最近じゃそこから有名になってテレビドラマとか人気バンドのMVとかに出ることもあるんですよ〜?」
「うん……。職業に貴賤はないよね」
そう言いながら、正直彼女を色眼鏡で見ようとしていた自分に気づく。
「芸名ももう決まってるんです。桃色満子って名前、覚えておいてくださいね。絶対有名になってみせますから」
「じゃあ、満子ちゃんって呼ぶね」
「お姉さんは? 名前聞きたい」
「私は白兎美奈子」
「かっこいい名前!」
「白うさぎだよ? 因幡の白うさぎの……。だからかっこよくはないよ。……それで、どうしてヒッチハイクなんてしてるの?」
「ここまで2台の車に乗せてもらってきたんですよ〜」
なんか質問の答えになってないなとは思ったが、「ふぅん」と答えておいた。そして「2台とも女の人?」と聞いてみた。すると返ってきた答えに少し引いてしまった。
「2台とも男の人です。20代のお兄さんと、40代のおじさん。2人とも『ヤらせてあげる』って言ったら気前よく乗せてくれて、ごはんまでごちそうになっちゃった。ウフ!」
「や……、ヤらせたの?」
彼女が長い髪をぶんぶんと横に振る。
「サービスエリアで止まった時、『おトイレ行ってくるね』って言い置いて、まいてやりました」
「えー……」
思考がちょっと停止してしまった。
「ま……、まあ……。自分を大切にしたんだよね?」
「いいえ、騙したんです」
ぺろりとピンクの舌を見せて愉快そうに言う。
「エロいブ男を騙すのって最高に楽しいんですよ。一生モテなさそうな顔してるくせに、このあたし様とヤれるとか期待してるそのデレ顔が、絶望の表情に変わるところを想像すると、あたし、濡れちゃうんです」
「す……、凄い性癖だね」
「変態だからこそセクシー女優になるんです、あたし」
自慢そうに言う。
「まぁ……で、でも。あんまりそういうこと続けてると危ないよ?」
「大丈夫です」
可愛く両手でゲンコツを作って言う。
「あたし、世間を舐めきってますから」
地道にコツコツやってきた私とはまったく別の世界に住む子だなと思った。
まぁ、他人の私がどうこう言うことではない。こういう人種にはこういう人種の生き方があるんだろうなと思うことにした。
こんな生き方でうまく行くなら、私なんかはアホみたいなものだなと思える。私がコツコツ一日数千円の利益を稼ぐ横で、パチンコで時給数万円の利益をあっという間に得るパチプロでも見ているような気分だった。
「あ。お腹空いたなぁ。お姉さん、何か食べるもの恵んでくれませんか?」
「蒸しパンだったらあるよ」
「それでいいです。ください」
小腹が空いた時用に持ってきていたB5サイズ5センチ厚の蒸しパンをラップにくるんだのを渡すと、ぱくぱくと食べはじめた。
「美味しい! これ、お姉さんの手作り?」
「うん。いつも作って持ってきてる。小腹が空いちゃうからね。……っていうには特大サイズだけど」
「食べちゃっていいんですかぁ?」
「うん、好きなだけ食べてね」
彼女の細い身体を見て、そんなには食べないだろうと思っていたのが間違いだった。
「ごちそうさまぁ」
ぺろりと全部食べきってくれた。
私の小腹が空いた時用のおやつを。
ま……まぁ、美味しいと思ってくれたわけで、嬉しいと思わなきゃ……と思ってヒクヒク笑っていると、彼女が不満そうに言った。
「でも、やっぱり手作りは、市販のやつには劣りますね。後味がちょっと気持ち悪い」
「ハハ……。そ、そうだよね」
「デザートが欲しくなっちゃった。何かないですか?」
「あー……。いや、何も……」
「あるじゃないですか!」
座席の後ろのビニール袋から勝手に私のういろうを取り出して、はしゃぐ。
「いただきますねー」
長い距離を走るのに話し相手になってくれたら嬉しいと思っていたのだが、結局茨城に着くまで彼女の自慢話とちっとも興味のないアイドルの話を延々と聞かされただけで、私の得になるようなことは何もなかった。
高速道路を降りた頃にはもう0時を過ぎていた。神栖市のラーメン屋さんの前の広いところにトラックを停めると、私は聞いた。
「ここでいいの?」
「はい。ここでいいです。ありがとうございました」
「ここからまたヒッチハイクで?」
「はい。またエロいやつ騙して東京まで行かせますんで」
「気をつけなよ? 悪い人多いんだから。その……こ、殺されたりしないようにね?」
明るく私の言葉を笑い飛ばすと、降りたところのラーメン屋をチラリと見てから、振り返った。
「お姉さん……。あたし、ラーメン食べたい」
「え?」
「お金、持ってないんですよぉ〜」
同情を引く表情を作り、右手を差し出してくる。
「千円、恵んでくれません?」
「ご……、ごめんね。お給料前で、財布に五百円しかないんだ」
情けない話だが、ほんとうだった。
「じゃ、五百円でいいです」
「えっ?」
「五百円で食べられるラーメン探しますんで」
「ごめん! これあげちゃったら、私がごはん食べらんなくなっちゃうから……」
彼女がぷう、と頬を膨らませ、唇を尖らせる。
「ケチだなぁ。じゃ、誰かオトコ騙して奢らせますんで」
そう言うと、くるりと背を向け、歩いて行った。
◆ ◇ ◆
やはり『因果応報』などないのだ。
私は困っている人のために善いことをしたといえるのだろう。しかしおやつの蒸しパンを全部食べられ、興味のない話を一方的に聞かされ、最後には後味悪く後ろ足で砂をかけられた気分だった。
まぁ、それでも他人を助けることが出来たのだからいいか、私が彼女を傷つけたとかいう話ではないのだから、と気分を切り替えて運行を続けた。
荷降ろしをして、次の荷物が積めるようになる時間まで仮眠をとった。夕方に帰りの荷物を積み込み、出発だ。
高速道路を走り、休憩をとろうと海老名のサービスエリアに入った時だった。まさか再会することになるとは思ってもいなかった。
駐車場内をトラックをゆっくりと走らせていたら、植え込みの中から彼女が私の前に飛び出してきたのだ。
すっ裸だった。
びっくりして止まった私のトラックの助手席を開け、大急ぎで乗り込んでくる。
「み……、満子ちゃん!? どうしたの……」
「美奈子さん! まさかまた会えるとはぁ〜! 会えてよかったぁ〜!」
結構シワの目立つ白いお腹の下のワカメに目が釘づけになった。太ももでそこを隠し、両腕で胸を隠しながら、彼女は涙をぽたぽたとこぼした。
「もしかして……。悪い男の車に乗っちゃったの?」
ぶんぶんぶんと彼女が長い髪を横に振る。嗚咽を漏らしながら、語ってくれた。
「優しいおじいさんだったんですよぉ……。もう、性欲も枯れ果てちゃってるみたいな歳で。下心もなく、親切で乗せてくれたから……。つい、ほんとうのことを話したら……」
「話したの? 『ヤらせてあげる』って騙しながらヒッチハイクしてたってことを?」
「はい……」
「そうしたら?」
「『けしからん!』って怒りだして、ここに車を停めて、あたし、襲われちゃって……」
「襲われたの!?」
「っていうか、服を全部剥ぎ取られて……。そのままレイプされるのかと思ったら、なんにもせずに、ただ車の外に放り出されて……」
「あらら……」
「あたし……ずっと……植え込みの中に隠れて……うぐ……どうしようかと絶望してたら……ひっ……ぐ。お、お姉さんが来てくれたぁ〜……」
駐車場の枠に車を停めると、私の着替えを貸してあげた。ぺこぺこ頭を下げながらそれを着る彼女を見ながら、くすっと笑ってしまう。やっぱり見た目は可愛いだけに、こうやって素直にしてくれていると飼い猫みたいに可愛い。
「それにしても……。セクシー女優になるために東京に行くんじゃなかったの? ここ、神奈川だよ?」
私が聞くと、また衝撃的な答えが返ってきた。
「あっ。あれ、嘘です」
「う、嘘……?」
「はい。ほんとうはただの家出少女なんです。ヒッチハイクで男どもを騙してどこまで行けるか? みたいな遊びをしてたんです」
「東京には行かなかったの?」
「あっ、行きました。一応スカウトとかされるかと思って町を歩いてみたんですけど、声かけられなくって……」
「東京のどこの町を歩いたの?」
「世田谷です」
「せ、世田谷かぁ……」
私もよく知らないけど、スカウトされたいなら原宿とか歩いたほうがいいんじゃないだろうか。
ハァ……と溜め息を漏らすと、聞いてみた。
「家……、どこよ?」
その答えはまた意外にも、鳥取県の、私の会社のある町だった。学生かと尋ねると無職とのことで、私はあまり考えないままにその言葉を口にしていた。
「私の会社に就職しなさい」
◇ ◆ ◇
彼女の本名は『白井うさぎ』だった。
私は彼女に営業をやらせてみた。本来は社長の私がやるべき仕事なのだが、あいにく人と接するのが苦手な私には、それは不得意な仕事だったのだ。
「社長ぉ〜!」
外回りから戻ってきたうさぎちゃんが事務所に飛び込んできた。
「サンクスのお仕事、取れましたよぉ〜! 専属でさせてもらえるって!」
事務所にいた私は身を乗り出し、思わず声を上げた。
「で……、でかした!」
サンクスといえば倉庫業最大手だ。まさかウチみたいな弱小運送会社がそんなところと取引させてもらえるとは思ってもいなかった。
うさぎちゃんは営業職には不可欠な、『愛されキャラ』と『図々しさ』を兼ね揃えていたのだ。もう一つ絶対に不可欠な信頼感に欠けてはいたが、そこは私がカバーした。ほんとうにコイツはとんだ『拾い物』だったといえよう。
これも私が地道にコツコツとやってきたから、神的なものが与えてくれたプレゼントなのだろうか? いやいや。私は因果応報なんて信じない。すべては偶発的なものに過ぎないのだ。
とはいえ、やはりそれを信じてしまいそうになることというものは、あるものなのである。
七海糸さま、お題をどうもありがとうございましたm(_ _)m