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3:未完成の公式

 白色蛍光灯がカラカラと音をたて点滅する。オフィス三階の廊下の突き当たりで、無機質な光は壁によりかかるセーラの足元にくっきりと影を落とす。

 廊下には彼女以外に誰もいない。空気は冷えている。


「…うん、ポーランドの家系らしいからそっちで口利きをお願いできないかなって。…いいや、無理なお願いなのはわかってる…うん、ありがとう、それで大丈夫…」


 耳にあてた携帯端末に呟くように話す。右手で携帯端末を持ちながら、左手は着ている白衣の前を閉じて押さえている。まるで北風から身を守るかのように。


「じゃあまた、うん、近々予定が合えばどこかで会おう、それじゃ。ありがとう、ヴィヴィ」


 親密さを滲ませる声で別れを告げ、端末から耳を離す。切断ボタンを押し込む…その直前、ザリザリと耳障りな音と共に、端末から怪しげな男の声が聞こえてくる。


『ブロード家にポーランドへの口利きは難しいんじゃないかな』


 その瞬間、セーラは左手人差し指で自分のこめかみを素早く三度小突く。これは彼女の作り出した強力なルーティンのようなもので、この動作の際に一瞬意識をシャットダウンするように体を訓練し、異能力やその他の精神影響から脱することを目的としている。

 ほんの一瞬落ちた意識は急激に再起動され、未だ端末からノイズが発せられていることを認識する。どうやらテレパスや催眠の類ではないらしい。

 端末に増設した、逆探知のボタンを押し込む。


「…誰」


 警戒を含んだ声。誰、と聞いたものの、セーラには相手が何者であるのか、大体の想像はついていた。

 男の声は朗々と答えた。


『まず言おう、君の敵じゃない。それと、僕は君が想像している相手で間違いない。ついでに、谷沢フレムスは完全に偶発性コロニストだから、ポーランドの家筋を辿っても僕ら機構の息のかかった家は出てこない…元よりドイツとポーランドの関係からして権力を届かせるのは難しいだろうけど。最後に、逆探知に意味は無いよ』


 耳障りなBEEP音が、逆探知が失敗に終わったことを知らせる。


「…叙文の番人。大層な名前だよね。内部監査の権限って、組織内通信の傍受どころか割り込みまでできるんだ。どうしてそこまでの権限が君等にあるのか、私にはちょっと理解できないな」


 セーラは嫌そうな顔で眉をひそめる。

 通信割り込みが可能な組織内グループで、直近で動きが活発、なおかつ何時間か前に日本支部異能処理班が確保した偶発性コロニストを押収していった、叙文の番人。このタイミングでコンタクトを取ってくるのは、彼ら以外にあり得ないと彼女は判断していた。


『君も第一研究室という権限を持ってるじゃないか。研究局とは別に予算が割り振られる、君専用の部署。十分大層だと思うよ。もっとも、僕はその理由が君がシュタイン家だからだということを理解しているけれど。ついでに言うと、僕ら番人の権限の一つの理由は、先の”背信戦争”で矢面に立ったことにある。大元は別にあるけどね』

「だから信用してフレムスを渡せ、ってことかな。あの戦争はほとんど記録に残ってない…記録にないことを理由にすることは出来ない、だから私は君等を信用できないな。…そろそろ、本題を話してくれてもいいんじゃないの?フレムスの件だけで、ここまでのことをするとは思えない」


 明らかに勢いづいた声で、男はセーラの問いを無視して言う。


『そう、記録に残ってないんだよ』


 セーラの背がこわばる。何も思い当たることが無いのに、何か途方もなく、恐ろしい出来事を聞かされるような予感がした。そしてそれがもう、取り返しがつかないということを、何の文脈もないのにそう感じた。

 彼女の戦慄など知ることもなく、男はまるで同胞に語るかのような声で、世界の秘密を開示する。


『大きな争いだったはずなのに、閲覧できる記録がほとんど無い。隠されているのか、消されてしまったのか…背信戦争だけじゃない、多くの出来事が気づかれずに記録を失っているんだ。背信戦争よりももっと重要な出来事でさえも。僕の父親は何かを隠していた。そして君の父親も、無関係じゃない』


 最後の言葉がセーラの頭を急速に冷やした。第六感めいた感覚で得ていた予感を、理性で押しのける。


『本題だ。「人間機密」を探してほしい。その代わり、記録も記憶も残さずに消えた、存在したはずの君の父親の空白を辿る手助けをしよう』


 ………


 廊下に面する扉がゆっくり開き、中から背の高い女性が顔を出し、目で左右を素早く見渡す。そのたびに彼女のラベンダーカラーの毛先が揺れた。市川真愛(まな)は廊下の突き当たりに座り込んでいるセーラを見つけると、ファイルを片手にセーラの元へ向かい、声をかける。


「電話は終わりました?」

「…終わったよ。出てきたってことは市川さんのほうも?」

「谷沢フレムスの身辺情報ですよね。今わかる分だけやけど…これ。日本人とポーランド人のハーフ、中堅小説家。機構のフロント企業の株式会社書記出版機構からも本を出してはりますね」


 セーラは壁に背を押し付けながら立ち上がり、目を閉じて細く息を吐くとファイルを受け取る。市川はそのセーラの様子を見て、心配そうに顔を曇らせる。


「あの、セーラさん?大丈夫ですか…?顔色悪いみたいやけど…」

「う〜ん、ちょっと働きすぎたかな!帰ったらぐっすり寝るから、今は大丈夫。心配してくれてありがとね」


 ファイルから目を上げて、セーラは笑顔を作る。ファイルの内容を検めて、叙文の番人の男が持っていた情報と比べると、彼らの方が一枚上手であることがわかってしまっていた。

 市川は未だ心配そうだったが、セーラの言葉に一応の納得をする。


「あと一応、電話の内容は一切聞いてません。情報部やからね、情報を扱うには信頼が第一なので」

「ありがと。私はもう市川さんのことを信頼してるよ。だから市川さんも私のことを信頼してね。市川…真愛ちゃんって呼んでいい?どうも肩肘張るのが苦手でさー」


 セーラの突然の申し出に、市川は少し黙る。市川は困ったような、照れたような顔をしていた。想像していなかった反応に、セーラまで困ったような表情をして言う。


「あれ…ダメだった?」

「別にええけど…年下の女の子にちゃん付けで呼ばれると、ちょっとくすぐったい気分やなって」


 今度はセーラが少し黙る番だった。市川は失言をしたかと焦って訂正する。


「あ、もしかして、お偉いさんやった?私末端の人間やから、セーラさんがどの立ち位置の人なのかわからなくて」

「いや…違いないよ。年下の…年下の女の子、だね」


 作り笑いではなく、心底嬉しそうな笑顔を浮かべたセーラは、勢いづけて廊下の行き止まりから歩きだす。市川の横を通り過ぎてすぐに振り返り、ふざけたようで最大限の信頼を込めて、市川に言葉を贈る。


「私のこともセーラちゃんと呼んでくれたまえ、真愛ちゃんや!」

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