1:不完全な真空
どこかの本棚から時折、私の脳内へ本が一冊引き出される。それは大抵の場合、図書館へ行こうとインターネットで探そうと見つかることはない。私はそれを読むことを何者か(本能?はたまた神であろうか)に強いられ、私自身も抗うことなく読んできた。一冊を読み終えると私は書評を書く。言うなれば夢日記のようなもので、現物の残らない数多の脳内に訪れる本たちの、記録を残しているということだ。
時期が来れば、私はこれを本にしようと思っている。この病気めいた現象が、少しでも生活の足しになるのなら、まだ私の苦悩の日々も報われるというものだろう。
『悪魔存在による災いの歴史』
ラテン語で書かれており、中世盛期に書かれた書物かと思われる。様々な歴史書、魔導書と思われる書物を参照し、それらに記載されている”悪魔的存在による現実世界への被害”の描写を引用、それらを比較検討し論じている。奇妙なのが、その引用元である歴史書、魔導書らもまたほとんどが存在しないことである。加えて、数少ない存在する引用元を実際に見ても、この書物が引用している部分は存在しないのだ。この書物が全くのデタラメであるのか、それ以外の理由が存在するのか。後者であるなら、この世界には大きな文化的空白が存在することになるが…果たして。
『冰凌花』
一般的なノートに書かれた漢詩集。漢詩自体については詳しくないため正しい評価を下すことは出来ないが、意味だけ取るととある女性についての詩であるらしい。題名にもなっている冰凌花は日本では福寿草と呼ばれる植物で、氷雪の中でも黄金色の花を咲かせることで知られている。詩の中でその女性は冰凌花に例えられ、特にその髪の色を冰凌花の黄金色となぞらえて表現される。
詩の大意としては美しく、素人目に見ても完成度の高いもののように思えるが、そこはかとなく気持ち悪さが感じられてしまうのは何故なのだろうか。
『裏日本書紀』
この古書を手にしたとき、脳に震えが起こった。幾度か経験がある、この文書が本当に重要機密であることへの本能的な意識の警告だろう。この記録たちを書籍化する際には切り取らなければならなくなるが、とにかく今は記録しようと思う。
私の脳にもたらされたのは巻第二である。大筋は日本書紀と変わらない、国譲り神話や天孫降臨の話だ。だが要素が大幅に違う。話の筋すら異なる場合もある。これは思うに…ヤマト王権の成り立ちに、なにか国外の、それも日本近域ではない民族が関わっていることを表している。なにせ神話であるから、記述内容に正当性が求められるようなものではないが、公にされている日本書紀の記述との比較と、この頭を揺らす文書への畏れが、裏日本書紀の記述が示す真実を真実たらしめている。
これ以上の記録はよそう。安易に踏み込んではいけない領域というものが、世の中には存在するからだ。
『外宇宙との交渉』
日本語で書かれている、あまり整えられていない文書。本になる前の文章であるように思える。作者として記名されていた編籠スグロウについて調べると、著名な天文学者だったらしい。「だったらしい」というのは、彼は現在失踪中とされているからだ。この文書の内容を読めば、彼が天文にのめり込み過ぎて発狂し失踪したというインターネットの噂も、多少は信憑性を帯びてくる。
彼が想定しているのは、太陽系外からやってくる知性体、外宇宙文化圏との交渉である(ここで言う交渉は、通信、チャネリングなどの直接的でないものからClose Encounter、会話、異文化交流、条約締結、果ては全面戦争まで)。その交渉を、天文学の範疇を飛び越えて考察しているらしい。正直なところを言うと彼の思考はとても正常ではないように思える、宇宙人との交渉においての理路整然とした想定(そう、想定でしかない)とは反対に、宇宙人が存在し、そして地球にやってくることそのもののエビデンスは何も示されていない。それが当たり前過ぎてわざわざ示すことでもないと言っているようだ。
それを言うなら、この私という惑星に飛来する書物たちは、イカれた私の無意識が生み出したものではないというエビデンスは、一つも無いのだが。
『マルマン クロッキーブック』
題名は商品名そのままである。裏表紙には軽葉 流華という名前が書いてある。
私が脳内に受け取る書物にしては珍しく文字情報がほとんど無く、主にシャープペンシルを用いたスケッチで埋められたクロッキーブックだった。特筆すべきは、このクロッキーブックを埋め尽くしている絵の、写実性である。作者は中学生なのだろうか、描かれているのは中学校での光景が多いのだが、騒がしい教室の様子、放課後の校舎の静けさ、美術室の独特の雰囲気、全てが手にとるようにわかるほど写実的なのだ。風景画のみならず、生物の絵であれば、犬ならば今にも吠えだすようだし、ウサギならその速く細い呼吸までもが聞こえてくるようだ。特に複数回描かれている人物もおり、同じ中学校生徒なのか、制服を着たポニーテールの顔つきのはっきりとした少女が群を抜いて多く登場する。あまりに写実的過ぎて、彼女のスケッチを数回見ただけで彼女と知り合いにでもなったかのような錯覚に陥るほどだ。
人の感覚、心にまで影響を与える絵を描く中学生が、この日本という国のどこかに居るのだ。私はとんでもない原石を発見したのかもしれない。
『意識戦闘のススメ』
タイトルは意訳。東洋の漢字のような言語で記されているが、どうやら地球上の言語ではない。時折このような書物を引き出してしまうことがあるが、何故だか私の知らない、更には人類未知の言語であっても、意味だけは手に取るように解るのが不思議だ。文字情報そのものではなく、意味としての情報を受け取っているのだろうか?意味がわかっても、理解できないことも多いのだが。
どうやら戦い方を記した書であるらしい。物理的なものではなく、理解し難いが、精神上での戦い方についてだ。入門書のようであり、文から受ける印象は堅苦しく、軍部の書類のようでもある。
一節を引用しよう。
"我々/彼ら の装甲はもはや強度/密度 において数値は意味を持たない。争いは現実下では意味を持たない。生存/未来 のためにこれは必要とされる。肝要なのは輪郭/器 の構造に直接干渉することである。"
一つの字に複数の意味が含まれる、又は適切に訳すことが不可能なため、訳しきれない部分はスラッシュで複合的に表記した。詳しい方法は記載されていかなかったが、具体的な戦い方の名前も列挙されている。"感情爆弾"、"Neuronフラッド攻撃"等。訳すのに苦労した。どれも精神に攻撃を加える方法らしい。理解不能な情報を得すぎて頭が痛くなってきた。私の精神もこれらの手段で攻撃されているのかもしれない。
『Edward:2015』
この手の書物は結構な頻度で現れる。本当に様々な書物が得られるなかで、この名前と西暦がセットになったタイトルは一割から二割はあるだろう。これらを私は"ただの日記"と呼んでいる。いわゆるハズレだ。ほとんどが非常に冗長で、つまらない、文にするようなものでもない、なんてことのない記録である。これは特につまらない。この作者は無自覚なようだが、記録者は被記録者に首ったけで、そして、恋する女子大生のストーキング日誌を誰が楽しく読めるだろうか。うじうじと頭の中だけで考えを巡らせており、展開が無いので毎ページに全く同じ内容が書いてあるように思えてしまう。
賭けてもいいが、このエドワードという男は読み進めていくと死ぬだろう。何十何百とこの手の物語を読んだ身からすると、このエドワードという男が失われる、そうでなくてもこの作者の前からは姿を消すということが容易に想像できる。人間の人生というのは千差万別、一つとして同じものはないように思えるが、実際には類型に分けられ、終わり方には数種類ほどしかないのだ。そしてその中でも、どうしようもない終わり方が”別れ”だ。人間は芸がないとつくづく思う。出会いと別れ、その繰り返し、幾度となく読まされた、代わり映えのしない数多の凡人の人生である。勝手に頭に入ってくるのだから、もう少し面白みのあるストーリーであってほしいものだ。
………
そこで谷沢フレムスの体は動きを止めた。
谷沢の体だけではない。彼のアパートの自室の時計、カップの中のコーヒー、宙に浮かぶ埃すら、動きを止めていた。
その完全な静寂を、扉を開く音が破る。すべてが静止した空間に足を踏み入れたテクノカットの女は、左耳にインカムを装着し、片手に何やら怪しげな本を携えていた。書名"エイシストール"、使用者の半径22mに存在する『心』を停止させる力を持つ異端書である。
その力を行使した張本人である長南シユキは、小説家でもある谷沢フレムスの、母親譲りの日本人離れした顔を用心深く見据える。アパートの部屋は物が少なく、白を基調とした家具で揃えられており、どことなく非日常や谷沢の一般的でない内面を感じさせた。ポーランド人と日本人のハーフである谷沢フレムスの部屋は、完全に静止してもなお一定の自我をもって、完璧な静寂ということ以上に長南シユキに圧をかけているようだった。
彼女がこの場に来た理由は、このアパートの一室から大きなイデア粒子の波/変化/異常が観測されたからだった(イデア粒子の振る舞いには未だ確たる名前が付けられていない)。シュタイン=ベルガー乖離観測器が示したこの座標で、異能力の行使が行われたことは確実だった。それゆえ、異能力者に対して確実な先手を取ることができる彼女がこの場に派遣されていた。
座ったまま時の止まったフレムスの背後に長南シユキは立ち、その周囲を最低限の目の動きで窺う。まず彼女は、このフレムスという男の異能力が何であるか、見極める必要があったからだ。
彼女は鼻から短く息を吐くと、ゆっくりとした足取りで左回りにフレムスの座席を回り込んでいく。彼の手はノートPCのキーボードの上でEnterキーを押し込んだまま止まっている。心を停止させられているため、彼のノートPCに表示されている文面もまた停止されており、無限に改行されているということはなかった。
彼女は静かに眉をひそめる。一見すると、異能力の行使が行われている瞬間には思えなかったからだ。
一旦身を引き、長南シユキは一瞬考える。異能力とは関連が無いかもしれないノートPCの表示内容を勝手に読んでいいものか、と思案していたが、そもそも不法侵入をしているので自分の心配があまり意味のないことに気づく。
フレムスに触れないように長南シユキは腕を伸ばし、ノートPCを抜き取る。そうして抱えたノートPCの画面上に書かれた内容によって、彼女は息を呑むことになる。
日付と共にそこに並べられていた書名の中に、隠匿対象、そのうえ特定機密書物に属する書物の書名が書き連ねられていたからだ。記憶を辿るに、特書(特定機密書物の略称)の第一類、いわゆる『ブラック』と呼ばれるものすらあった。
長南シユキの脳内を思考が駆け巡る。同時にPCをまさぐる手の速さも速まっていく。これだけの機密をどこで?手段は?ハッキング?電子上にデータ化されていない書物はどう説明する?スパイ?これだけの情報をただこのPCのみに留めて、情報を送信どころか受信した痕跡すらないのは何故?…濁流めいた思考の果てに、彼女は一つの仮説に行き着く。
フレムスの目は虚空を見つめている。Enterキーを押す右手ではなく、その左手は、なにか書物をめくるような所作のまま、静止している。
シユキの目線はその左手にとまる。彼の力とは、つまり"手元にない書物を形而上で手にすることができる"力なのではないか?彼女はそう考えると同時に、この機密の山が世に出ていないことが、この男のさじ加減でしかないことに気づいて戦慄する。
実際には谷沢フレムスの力とは"世に出回らない書物の内容を時折脳内に受け取る"ことだったが、シユキにとっては大差のないことである。
ともかく致命的な情報漏洩が起こる前にフレムスを拘束できたことに安堵し、シユキは緊張を口から抜くように空気を吐く。
程度の差はあれど恐ろしい程の機密の並ぶ項目を、次々にスクロールしていく。その中の一つに、彼女の目は引き付けられる。タッチパネル方式でカーソルを動かし、Enterを押し込む。その項目の名前は『Edward:2015』だった。
スクロールをすればするだけ、シユキの眉根には皺が寄せられていく。時計の秒針の音すらしない空間で、ただ重い感情がシユキの胸郭を内側から押し広げようとしている。
その書評を読み終えたシユキの顔には、静かな、それでいて明確な、怒りが孕まれていた。フレムスに向けたもののようでそうではない。『こうあるべきではない』という、現状に対する怒り。この『Edward:2015』という書物が赤の他人に読まれ、何も知らない人間に好きなように、何かわかったようなつもりで書かれている現状に対する苛立ち。シユキはフレムスを見る。この男は何も悪くない。ただ数ある隠された書物を取り出せるから取り出して、読んで書評を付けていただけだ。それでも、どうしてもシユキはアンネ・ラインハルトのことを想った。彼女がこれを書き残した経緯を知っていた。どうしても、憤らざるを得なかった。
独り善がりだと言われようとも、アンネ・ラインハルトが思うより、長南シユキはアンネ・ラインハルトに思いを遣っていた。心を配っていた。
シユキは数秒ディスプレイを睨んで、ノートPCを畳むと床に放り、腰から抜いた拳銃でニ、三度撃った。
撃ち抜かれたノートPCは生きているように跳ね、銃声が響き終わるか否かというところで煙と断末魔をあげて動かなくなった。
シユキは正確にSSDを撃ち抜かれたノートPCを拾い上げ脇に抱えると、インカムに何事か声を吹き込みつつ入ってきたドアから出る。そしてエイシストールを持っている手の親指で撫で、魔導書の行使を止める。
データは消去しても復元されうる、それ故に物理的に破壊しておく必要があった。そんな言い訳を考えながら、アパートの階段を降りる。後ろでは待機していた機動部隊が時の進みの戻ったフレムスの確保に部屋の中へ殺到している。アンネ・ラインハルトがこのことを知ったら、なんと言うだろうか。慣れない日本語でからかわれでもするだろうか。それとも、案外まっすぐに感謝されたりするのだろうか。
「どちらにせよ、知られないに越したことはないな…」
そう呟いて、シユキは未だ血の滲む親指をちらと見た。
その手に持たれたエイシストールは、徐々に粒子に還っていく。