捜索
カイルは壁を通しても聞こえる母親の金切声を聞き流し足を速めた。
本来ならもう寝ている時間だ。けれど、この騒ぎでたぶん起きてしまっただろう。一人で部屋にいる本当の可哀想な妹の元に急ぐ。
住み込みの使用人たちが右往左往している廊下を縫うように歩く。ラミラの思い付きの指示に皆振り回されている。ある者は清潔なシーツを抱え、ある者はお湯を運び、ある者は食べ物を持って。明日にはみなピクニックの準備などしたくなくなるほど疲れきっているだろう、きっと。
「ノア、起きてる?」
カイルは扉を叩いて一応声をかける。ノアの専属の侍女までラミラに駆り出され、この部屋に一人でいるはずだった。
返事がないけれど扉を開けて部屋の中に入る。照明の点いていない部屋は、窓から入る月明かりに照らされていた。
「ノア?」
月が空にある時は窓辺に座り見上げている姿が今夜は見当たらない。
ベッドにも寝ていない。もしかしたら、喉が渇いて厨房に水を飲みに行ったのかもしれない。
何事もなく戻って来るといいんだけど。
迎えに行くか迷って、カイルは冷たくなったベッドに座った。騒ぎが起こるなら、ミアの部屋に近いこの場所のほうが分かりやすい。
来月ようやく五歳になるノアの背はまだまだ低い。七歳のカイルでさえ、荷物を抱えた使用人から見えていないことが多いのに、カイルより背の低いノアがラミラの指示で慌てて動いている使用人たちとぶつかってしまうのは当たり前だと思う。そうして、小さな騒ぎが起こるとラミラがノアを怒るのだ。
『かまって貰えないから騒ぎを起こしている』
ノアの専属侍女さえ側にいれば起こらないことなのに、それを口にすると「ミアがどうなってもいいのか」とラミラが泣き喚く。子供のカイルにさえ、屋敷にいる使用人を全てベッドに寝ている子供に当てる必要などないと感じるのに。
ふと、ノアがいるはずだった窓辺に視線を向ける。
カイルは窓際に置いてある絵本を見つけた。なんとなく手に取る。読んだことのある絵本だった。誰もが知っている内容の。
「…、月のみず」
まさか!
カイルは部屋を出て、廊下で最初に会った侍女にノアが居ないことを伝え急いでノアを探しに出掛けた。
厨房にノアの姿はなかった。厨房には来たみたいで、ずいぶん前にコップを一つ借りていったと今頃デザートを作っている調理人が教えてくれた。今作っているデザートはミアが今から食べるそうだ。夕食を半分以上食べなかったからお腹が空いてくる頃。教えてくれた調理人は二人の分は残しておきますからと約束してくれた。
カイルは庭に飛び出した。夜の水辺は昼間よりも危ない。ノアもそれが分かっているはずなのに。
広い庭園にある水路、表と中庭にもある池、ミアのために作られた人魚の入江という名の水場…。一人では探しきれない。
「カイル様」
執事見習いのウェンターと馭者見習いのトマスが来てくれた。
頼りに出来る大人の登場にカイルは泣きたくなる。けど、ノアを探しに来たんじゃないことは分かっていた。子供には夜の庭は危ないからカイルを屋敷の中に連れ戻しに来ただけだ。
「ノアがいないんだ!」
「厨房に…」
「厨房に行った。けど、もうずいぶん前に出たって」
「では、部屋に…」
「月のみず…、部屋に月のみずの絵本が…」
ウェンターがはっとした顔になった。
カイルは頷いた。今夜は綺麗な満月だ。優しいノアなら考えそうなことだと思う。
「ノア様は月のみずを探しに…?」
ウェンターは空を見上げ月の位置を確認する。
「月がこの位置でしたら、どちらの池も屋敷や木の影になっております。庭園か人魚の入江のほうかと…」
カイルは眉を寄せた。庭園は広い。探すのは人手がいる。けれど、ここにいるのは三人だ。足りない。ノアを探すのに人が足りなかった。
「庭園は広くて人手がいります。もう少ししたらミア様も落ち着かれるでしょう。先に人魚の入江を見に行きましょう」
カイルはその言葉でラミラがノアを探すために人を回すつもりがないことが分かった。どうせまた気を引くためにノアが騒ぎを起こしていると思っているのだろう。
「カイル様。館内は侍女たちが(合間に)探しております。見付かったらすぐに連絡がきます」
屋敷の中で見付かったらどんなに安心か。
けど、屋敷にはきっといない。
「トマス、人魚の入江に行くことをウォルフ様に伝えてくれ。それから、タオルを数枚こちらに持ってくるように」
トマスは頷くとすぐに屋敷の方に走っていった。
「カイル様、さあ、急ぎましょう」
人魚の入江と名付けられた水場は、絵本の挿し絵を見てミアが欲しがったものだ。岩を組み合わせて作ってあり、一番中央の高い大岩に人魚が腰かけていた。大岩には窪みがあり、そこには水が溜まるように随時水が流されている。窪みは絵本と同じように人魚の鏡で、人魚はそれを見ながら長い髪を解かしているように作られていた。
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