僕と彼女しかいない世界 あるいは終末
週末の人が多い待ち合わせ場所で、長い髪が揺れている。夜みたいだと誰かが言っていた気がする。
僕はそんなことを思ったことがあるだろうか。思ったとしてそれを伝えていただろうか。
彼女が振り返り、僕に笑いかける。
これは記憶だ。
忘れてはいけない、忘れたくない僕のよりどころだ。
口が開く、声は聞こえない、もう思い出せない。
顔はまだ覚えている。背の高さもまだ。手の温度はもう思い出せない。
名前は、皇さやか。僕の幼馴染で、普通の女の子だ。
彼女がこちらに駆け寄ってくる。手を振っている。僕はあいまいに振り返す。
あの日は苦しいくらいの青空で、いやになるくらい太陽が照りつける夏の日だった。
彼女の足元。白いサンダルの下が彼女がこちらに駆け寄ってくるたびに赤黒く変色していく。
アスファルトをヒールがたたく硬い音から、まるで泥を踏みつけるような音に変わる。
それでも彼女のサンダルは汚れない。嫌味なほど真っ白なままで。
赤黒いそれはどんどん広がっていく。周りの人間がそれに気づく。
僕は彼女の手を引いて逃げる。手の温度はもう思い出せない。
彼女がなにかを叫んだ気がする。声はもう思い出せない。
青空の下、彼女の体を白い槍が貫く。黒いワンピースも長い髪も血を吸って一段と暗くなる。
手を握る。手の温度はもう思い出せない。忘れたくなかったのに。
「ごめんね」
僕が言ったのか彼女が言ったのかはもうわからない言葉が宙に浮いた。
そこでようやく、目が覚めた。
僕、佐々良ゆきの回想はいつもここで終わる。
ため息をついてから枕もとのスマホをみれば、目覚ましの鳴る十分前だ。
仕方なく起き上がり、朝の支度を始める。
歯磨き、洗顔、着替えをしてから食卓へと向かう。
「おはよう」
そう言えば鈴の音が返ってくる。
「昨日、あの日の夢を見たよ」
りん、と一回。
「まさか。後悔とかはしていないよ」
りんりん、と二回。
「本当だよ。まぁ、悪いことした気はするけどさ」
鈴の音がまた一回だけ鳴る。
僕はそれを鳴らしている彼女へ、手を伸ばす。
泥のような手触り、僕を染めない赤黒い色。
「でもさ、どうせいつかはこうなってたんだからさ。いいんだよ、これで」
開けた窓から朝の風が吹き込んできて心地がいい。
目を細めて日の光に照らされる外を見る。
僕以外の人も僕らが住むここ以外の建物もない、ただただ赤黒い大地。
「ああ、いい終末だ」
りん、と彼女が鈴を鳴らして金属のような笑い声をあげた。