9.幸運注意報
――わたしは最近、幸運を使い過ぎている気がする。
佐奈は隣を盗み見て、また前を見る。
もうすでに三回確認しているのだが、どうやら隣に滝川さんがいるのは現実のようだ。
また、お話しできるといいなと思った先週。
それは幸運が起こした偶然なのだから、そうそうあるもんじゃないと思っていた。
しかし現実は先週だけで三回、今週は四回。しかも今日は木曜日だから、実質毎日で、佐奈は一生分の幸運を使っているのではないかと疑い始めていた。
「……今宝くじ買えば、当たる気がする」
「ん? 何か言った?」
「はっ! なんでもないです!」
源泉から幸運が溢れ出る勢いである。
こ、このままでは幸運が枯渇してしまう!
どうにかバルブを調整して、幸運を小出しにしたい。だけど一体何を締めればいいのだろう。
佐奈はとりあえずそれっぽい物を探したが、当然ない。仕方がないので、つまめそうなものをと思えば自分の脇腹ぐらいしか見当たらず、それは超えてはいけない一線と諦めた。現在も幸運はざばざば流れている。
「……と、思うんだけど……。って、聞いてる?」
「あっ! ご、ごめんなさい! 聞いてませんでした!!」
流れ出る幸運にかまけて、滝川さんを放置してしまっていた。なんて罰あたりなわたし!
慌てて笑顔を作り、「もう一回お願いします!」と伝えれば、何故か滝川さんは「ごめん」と目線を落とした。
「嫌だったよな、仕事終わってんのに、仕事の話ばっかで」
「へ? いや、そんな」
「共通の話題って、なかなか思いつかなくって。気付けば仕事の話になっちまう」
悔しそうに眉根を寄せる彼に、佐奈は何も言えなかった。
その言い方では、仕事の話をしたいわけではない、と言っているように聞こえる。
……つまり、仕事以外の話が良いって事?
それならと佐奈は頭に浮かんだ内容を言葉にした。
「滝川さん! ご趣味はなんですか!?」
言って、すぐ後悔した。
なんでプライベートを聞くような事を。
「え? 趣味?? あーと、スポーツとか、映画とか?」
それでも律義に答えてくれる滝川さん。良い人。
佐奈は嬉しくなって、「わたし運動はあれですけど、映画は好きです!」と元気よく答える。
「映画好きなの? どういう系が好き?」
「ファンタジーとか、戦記ものとか。アニメも見ますよ」
「ただしホラー系とか、ぞわぞわするヤツは見ませんけど」と続ければ、滝川さんが「想像つくかも」と、柔らかく笑った。
――あ、わたしこの笑顔好き。
反射的に思って、佐奈は自分の顔が赤くなるのが分かった。
こ、この人の笑顔危険!!
ぱたぱたと手で顔を扇いで、「き、今日も暑いですね~」なんて、今更な事を言う。でもそれは藪蛇で。
「……どっか、涼みに店入る?」
「ふぇ!? お、お店!?」
「あー、でも明日も仕事あるから、コーヒーショップぐらいになっちまうか」
さらりと続ける滝川さんに、「コーヒーはマグカップ派です!」と叫ぶ。最早何を言っているのか、佐奈にも分からなかった。そんなおかしな言動にも気にした様子はなくて「マイボトル持ってそうだもんな」とまた笑う。
ずくんと、胸を射ぬかれた気がした。
急に耳の隣で心臓が鳴りだしたような、不思議な感覚。
周りの音が遠くなって、それでも滝川さんの声だけはよく聞こえて。
息がうまくできなくなってきているのに、それは嫌な苦しさじゃない。
「そうなると自炊? 仕事しながらだと大変だから、無理のない程度ってとこかな」
話を続ける滝川さんは、柔らかな笑みを浮かべたまま。
その笑顔はやっぱり、佐奈の好きな――。
も、もうだめ。
佐奈は耐えきれなくなって、「わ、わたし、用事がありまして!! 今日はこれにて失礼します!!」と、くるりと身体の向きを変えた。
「え、あっ……!!」
「ま、また明日!!」
何か言いかけた滝川さんを振り切って、佐奈は駆け出す。
逸る心臓。
苦しい呼吸。
これは走っているせい? それとも――。
佐奈はそれ以上続きを考える事を放棄した。
――やっぱりわたしの幸運は溢れているらしい。
これ以上浸かっていたら、溺れてしまいそうだった。
◇◆◇
佐奈は戦々恐々していた。
幸運に溺れかけて、滝川さんから逃げた昨日。
自宅に戻り、改めて自分の行動を省みて、ちょっと失礼すぎやしないかと落ち込んだ。
今度こそ、嫌われたかも。
ただ帰りに話をしていただけなのに。逃げる奴なんて、呆れるよね。
でも、出会いすぎだと思うの。
だって、昨日ですでに七回だよ? ラッキーセブンだよ? 三つ続いたら、大当たりじゃん。……はっ、当たりだから笑顔のご褒美? このままいったら、ホントに幸運枯渇だよ……。
佐奈はとりあえず何かしておこうと思い、試しに脇腹を捻ってみた。
……ただ、切なくなっただけだった。アホらし。やっぱりダイエットしよう。
再び考える事を放棄した佐奈は布団を被って寝てしまった。そして、現在に至る。
今日は会えないよね。
佐奈は社内の戸締りを確認し、エレベーターを待つ。
日中見かける事のなかった滝川さん。
いつもなら一回ぐらい佐奈のいる高峰文具に来るので、多分今日はお休みか外回りなんだろうと予想する。もし仮にいつも通り出社していても、今日の佐奈は鍵番。いつもより遅い退社なので、偶然会う事もないだろう。
そう考えると、今日は金曜日なので、次は早くて月曜日。
それは近くて遠い、週明けだ。
昨日まで続いた幸運は七回だから、終わるにも丁度いい回数な気もする。
佐奈は二階の警備事務所へ行って、退社ファイルを出して。いざ、帰ろうと思い、ふと濡れた窓を見て、傘を忘れてきた事に気がついた。
面倒に思いながらも再び十ニ階へと戻り、ポツンと残されていた自分の傘を掴んでエレベーターへ向かう。しかし今度は、いま使ったばかりのエレベーターが下へ向かっていて。佐奈はぼんやりと幸運の終わりを悟った。
結局エレベーターを諦め、階段へ向かった。
トントントンと、リズムよく降りる。
登りは大変なのに、降りる時はあっという間で。なんとなく佐奈は自分の刻む足音を聞き、子供の遊びを思い出していた。
じゃんけんグー、グリコ。
じゃんけんチョキ、チヨコレイト。
じゃんけんパー……。
足元を見ながら、「パイナツプル」と言いかけた、その時。人の気配を感じて、佐奈はハッとした。
十階フロアの階段踊り場。
そこから階段を見上げて立っているのは――……
「た、滝川さん!?」
どうやら佐奈の幸運は、まだ尽きていなかったらしい。
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