2.棚上の彼女
土日を使って、会社の引っ越しがあった。
景気は徐々に回復というけれど、様々な業種の再編は続く。その波がついに、自分のところまでやってきた。
引越祝いでいい所に連れて行ってくれるという、高山社長の口車に乗せられて、僅か八名の従業員はひいひい言いながら荷物を運ぶ。途中、合併先である高峰文具の男性従業員の応援もあり、なんとか引っ越しを終える事ができた。
「これからよろしくな」
差し出された手の持ち主を見るために顔を上げる。
――多分、百八十ぐらい。
反射的にそんな事を考える。自分と同じぐらいの者などあまり見かけないのに、実に嫌な反射であった。
帝司は肩を回しながら、エレベーターのボタンを押した。
ランプが二階、三階と上に進み始める。二機あるのに両方とも上昇中のようで、タイミングが悪い。
それにしたって、何で十階なんだよ。
前の事務所は二階だったので、むしろエレベーターを使った事がなかったが、さすがに十階までとなると、なかなか登る気にはなれない。帝司はちらりと内階段を見て、見なかった事にした。
ガラガラと背後から音がした。首だけ動かして視線を向ければ、段ボールを五つほど乗せた台車と小柄な女性が立ち止まる。
お互い挨拶をかわし、エレベーターのランプを見上げる。一つは六階、もう一つは八階、まだ上昇中。人間待っている時間は特に長く感じるせいもあり、少しうんざりした。
そのうち、一人、また一人と背後の気配が増えてゆく。エレベーターはまだ来ない。少々イライラしながらランプを睨みつけて過ごし、そして続く新たな台車の音を聞いて、帝司は遂に内階段へと向かった。エレベーターはまだ十ニ階で止まっていた。
広く取られた窓から、朝日が差し込む。
見慣れぬ景色は新天地にきた証拠。帝司は土日で疲れた身体を叱咤し、景気よく二段飛ばしで階段を登ってゆく。
滝川帝司二十四歳。
得意な事はスポーツ全般。苦手な事は棚上の物を取る事。――身長、百六十二センチ。
中学までは某アイドルグループのような見目のおかげで持て囃されたが、成長があっさり止まり、いつの間にか可愛いキャラポジションになっていた高校大学時代。
身長も童顔も自分ではどうする事も出来ないと分かっているが、好意をもった相手に「可愛いよね」と言われたときはやっぱりへこんだし、文化祭で女装しろと言われた時には殴りたくもなった。
鍛えても筋肉ムキムキになるタイプでもないので、身体の幅すらままならない。ついでいえば食べても太らない体質なので、横にも増えなかった。
まあ、今更だし?
その今更を思い出したのは、昨日の件があったからだ。
自分が欲しかった長身。
軽々と棚上のファイルを取り、手渡してくれた行為。
シチュエーションだけで言えば、何かが始まりそうな気配がするのに、如何せん立場が逆。ファイルを取ってくれたのは、長身の女の子だった。
そういや、ちゃんと礼を言ったっけ?
久しぶりに感じた強烈な劣等感。普段なら社会人としてちゃんと対応しているのだが、あの瞬間だけは自信がなかった。
帝司は足を止め、階段を見上げる。
背後から現れたところを見ると、彼女は階段から現れたはずだ。
十階より下では帝司を見かける事はない。同時に自社の人間でなかったのだから、彼女は十一階か十ニ階の従業員と予想する。ただ、そんな上層階の人間がなんで階段?
――と、そこで下の階から声が聞こえた。
「やっぱりエレベーターの台数を増やした方がいいと思うの。だってちっとも来ないしさー!! ……わかってる。もっと朝早く出勤しろって言うんでしょ? 無理無理わたしギリギリ大王だもん! あー! 足痛い! イエス平地! ノー段差!!」
赤裸々なぼやきと、一段一段踏みしめるような足音が一人分。
どうやら上層階で階段を使うのは自分だけではないらしい。
◇◆◇
今日も今日とてエレベーターは台車待ち。
佐奈は仕方なく今日も階段を登る。
「いやまじで、これ筋肉ついちゃうかも。足速くなる? それなら小学生の時が良かったー!!」
佐奈がもうひと叫びした時、上の方から音が聞こえた。……パタン。
……って、まさか、誰かいた!?
慌てて口を押さえるも、今更である。佐奈は「あちゃー」と頭を抱えつつ、今度は必要以上静かに階段を登り始めた。
現在九階。
今まで佐奈は、ほぼ階段で人と会った事がない。
それはこのビルに入っている会社が中、小規模であるため、従業員の人数が少ない事が一つ。
さらに活動時間が微妙にずれている事が一つ。そして最後に、上層階になるにつれ、エレベーターを使う人ばかりだから、これは当然と言えば当然。佐奈が階段で人と会ったのは、精々三階ぐらいまで。だから、通常この高さなら誰もいないはずなのだ。
もしかしてユーレーとか?
もしそうなら朝から元気のいい幽霊である。
……まあ、それよりは空耳だったのかも。
基本、細かな事は気にしない高谷佐奈。
十階に着た頃にはすでに音の事は忘れて、軽く鼻歌を歌いながら最上階を目指していた。
「顔見せ会、来週末な」
「はい! 俺おいしいもん食いたいっす!」
「あ、わたし、高級フレンチがいいです!」
「あほか。チェーンの居酒屋にきまってるだろ」
高級フレンチは彼氏に連れてってもらえ。社長―ひどーい! 居ないの知ってるくせに! リイサちゃん! 俺給料出たら……! 高山さんとこイケメン居るかな~。ああっ、またスルー! 可哀そうな俺!
各自、言いたい事を言う社長と同僚達。
佐奈は手帳に予定を書き込んで、微笑ましくその様子を眺めた。
火曜日の昼下がり。
昼食を終えた後の、仕事モードに入る前のちょっとした時間は、佐奈にとって癒しの時間。たとえ会話に参加していなくても、気安い雑談は心地がよい。
……と、そこで会話の紅一点、高花理衣沙がこちらを振り返った。
「ねえねえ佐奈! イケメン、居ると思う?」
「どおだろうね?」
「社長抜きで男性従業員は五人いるらしいんだけど、一人ぐらいきらめくイケメンいてもよくない?」
「二十パーの割合でイケメン? そりゃ世間一般ではフツメンというのだよ」
「もう! 歩美はそーゆー夢のない事を!」
プンと可愛く怒る理衣沙に、社長と店のランクアップ交渉していた高杉浩太が「はい!」と元気よく挙手をする。
「リイサちゃん! イケメンならここにも……」
「はいはい、雰囲気イケメンはいいの」
「雰囲気だけでもイケメン認定ならうれしい!!」
雰囲気だけでいいのかと、歩美が呆れ、どうかイケメンが居ますようにと、お空に祈り出す理衣沙。営業中二人と倉庫検品中二人、あと有給休暇が一人で合計十人。高峰社長率いる高峰文具はいつもこんな感じ。佐奈はこの家族のような会社をとても気に入っている。
「佐奈! ちょっと覗きに行ってみない?」
「またそーゆー転校生を見に行くような事を」
「歩美は誘ってもきてくれないじゃん!」
「正しい認識ありがとう」
「もう!! 歩美は見た目とギャップがひどいから!!」
「ギャップ萌え?」とニヤリと笑って見せる歩美に、「萌えないよ! 中身は乙女のドリームクラッシャーなのに!!」と理衣沙は叫ぶ。
「ドリームクラッシャー歩美……。売れない芸人みたいだね」
「佐奈。あんたも人の事言えないから」
「ええ? わたし、むちゃ普通じゃん」
「何言ってんの。あんたはどっちかって言うと歩美寄りだから」
「え、残念イケメンみたいな?」
「自分でイケメン言うな! 黙ってればイケメンだけど!!」
理衣沙がぎゅうと抱きついてくるので、期待に応えて佐奈は席を立つ。
出来た身長差は軽く二十センチ以上。理衣沙曰く、この身長差が彼女のツボらしい。
「佐奈は素でイケメンイベント起こすからな……」
「手の届かないファイルとか取ってもらって、笑顔で「はい」って。やっぱキュンキュンする!」
「リイサちゃん! 今度手の届かないのあったらとってあげる!」
「ブッブー! そう言うのは下心があったら駄目なの!」
「おーぅい。お前ら、そろそろスイッチ切り替えろよ~」
アットホームでも、そこは社会人。
社長の一声にみな返事をして、各自、席に戻る。
……よかった。
佐奈はこっそり胸を撫で下ろした。
理衣沙の言うイケメンイベントとやらを、つい先日男性相手に起こしてしまった身としては、なんとも言えない展開だ。
正直、気落ちした彼の顔を思い出せば、またへこんでしまう。しかも、これが原因で嫌われてしまうのはあまりにも悲しかった。
謝りたいけど、謝れない。
こういう時、どうしたら挽回できるのだろう?
「佐奈ー! ごめん、あれ取って!!」
呼ばれて返事をすれば、棚上の荷物を指差した同僚の姿。
頷いていつものように荷物を取ると、輝く笑顔でお礼を言われる。佐奈は「どういたしまして」と、笑みを返す。
やっぱり笑顔は性別問わず癒される。
だから佐奈は彼にも笑って欲しいと思った。今はマイナス印象でも、仲良くなれば、きっと。
チャンスは顔見せ会。
佐奈は謎の指名感に燃え、午後の仕事に取り組んだ。
お読みいただきましてありがとうございました!!




