18.ひんやりシートのイケメン
月、火曜と直帰で仕事を終え、水曜日。
帝司は明日の午後休に合わせて、仕事を早めに進めていた。
そろそろコラボ企画も大詰めで、みな頭を抱えつつ目の前のパソコンを睨みつけている。
帝司も最後の土日は家に引きこもり、企画に没頭しようと決めていた。
状況としては、いくつか思うものがある。
だが、それらが強烈な案でない事は自分が良く理解していて。追いこまれた方が面白い物が出てくるかもという期待を込めての行動だった。もし、新たな案を思いつかなくても、用意してある案を掘り下げる時間に使えばいいというのもある。
企画案はこれでよいとして、帝司には別の心配があった。
週末を彼女と過ごしたこの半月。折角習慣になりつつあるのに、このまま自然消滅してしまうのは嫌だった。
だから山に行ったあの日、週末ではない、次の約束を取り付ける事を考えていて。世間話に織り交ぜ彼女の予定を確認した。すると偶然にも、明日の午後休が被っていることが判明。彼女は高山田書店の棚を見に行くと言っていたので、帝司が車を出すと言った。ちょうど、自分も見ておきたいと思ったから。
うそ、じゃあないからな。
……思いついたのは、彼女が口にしてからだったけど。
彼女は「偶然ですね!」とニコニコ笑ってくれた。とても可愛い笑顔だった。
コホンと、一つ咳払いをして、帝司はファイルを保存した。
この後は外で打ち合わせ。今日も直帰になるので、彼女に会う口実はない。残念だが、仕方ないだろう。
必要なものを手早く用意し、忘れ物がないかチェックをする。机は朝と同じ程度に片づけ、パソコンの電源を落とした。その音を聞いて、山下さんが顔を上げた。
「帝司、今から外?」
「はい。今日はそのまま直帰します」
「じゃあ悪いけど、これ十ニ階に頼むわ」
「わかりました」
ラッキーだった。
ここ一週間、帝司が十ニ階に行く事はなかった。
いつもなら自分が呼ばれそうな案件でも、最近は席を立ちあがった人に用事を頼むという景色が繰り返されていた。理由はみんな忙しいから。ついでに言えば帝司が外回りで、社内にいない事もそのひとつであった。
久しぶりに十ニ階へ向かう。
ノックをして扉を開ければ、中は人が出払っていて、いるのは一人だけだった。
帝司は彼女が居ない事にガッカリしながらも、残っていた一人、高田歩美に愛想よく笑みを浮かべた。
「こんにちは。みんな外回りですか?」
「ええ。今週はそういう予定が多くて。時期の問題ですよね」
「そうですか。俺も今から外なんで、わかります」
当たり障りのない会話をしつつ、帝司は持ってきた資料を手渡した。
「五件分あって、上の三つは高峰社長に。この緑のファイルは高杉さんに。一番下の水色は高田さん宛てです」
「わかりました。確かにお預かりいたします」
「あと、これはうちの社長から皆さん宛てで、『企画が終わったら、合同でぱーっと飲みに行こう』と」
「それは楽しみですね! みんなに伝えます」
「細かい事は、幹事を一人ずつ出して決めたらいいかなって思っていますので、そちらもよろしく」
「わかりました。恐らくうちからは高杉か高谷が出ると思います」
高谷。
一瞬誰かと思って記憶を攫い、それがひんやりシートイケメンだと気がついた。
――そういえば、まだ顔を見てないな。
ぼんやりと、どんなヤツなのだろうと想像していたら、背の高い優しげなイケメンが浮かんできた。
皆に可愛がられている弟のような、そんな感じの。それはとてもほのぼのとしていて、高峰文具の雰囲気にピッタリだった。
高峰文具は、社員全員の名字に『高』がつくので、名前で呼び合っている。
そのせいもあるのか、皆家族のように仲がいい。彼女だって、男女問わず「佐奈」と呼ばれている。きっと、イケメンの高谷にも「佐奈」と――。
想像して、苛立った。
呼ばれてにこにこ笑う彼女が脳裏に浮かんできて。社風なのだと言い聞かせても、正直イラッとする。
「滝川さん? どうかしました?」
「――っ!」
無意識に顔をしかめていたのだと気がついて、帝司は慌てて作り笑いを浮かべた。
「っと、いえ。そういえば高谷さんとは仕事が一緒にならないなと思って」
だめだ。何を想像しているだよ。
明らかに高谷はとばっちりである。すまない、高谷。
内心での謝罪を終え、前を見れば、高田歩美が一瞬不思議そうな表情を浮かべた後、「そうですね、言われてみれば」とニッコリ笑う。
帝司の額に冷や汗が浮かんだ。
明らかにこちらに合わせてくれたような気配。これは、ひょっとして。
――会った事、あるのかも。
たらりと、汗が流れる。
十ニ階でイケメンに会った覚えがないと言えば失礼な話だが、それらしい人物と話をした覚えがないのは本当だ。
顔見せ会でイケメンだと言った高田歩美の美的感性と合わないだけなのかもしれない。もしくは親切でイケメンという話かもしれない。たしかあの時聞いたのは、傘を貸してあげて自分が風邪を引いた話だったはずだから。
あれこれ考えても顔が分からないのは事実。
帝司は次から十ニ階に来る時はもっとしっかり周りを見ようと決めた。
それでは。と、帝司が退出しようとして。「滝川さん」と、何故か呼びとめられた。
振り返ると、高田歩美がニヤニヤした笑顔を浮かべながら一つの席を指差す。
「高谷の席、ここですからね」
助け船を出してくれたのだと気付き、苦笑する。
「ありがとうございます」
「いーえ。分かった方が見つけやすいでしょ?」
その通り。
気付かれず確認するには本当に助かる。
帝司は位置を覚えがてら、机を眺めた。
ほどよく整理整頓が行き届いている机上。最近流行っている、機能性の高い持ち運び可能なペン立て。カラフルだが、目に優しいファイルの数々。その横にはお土産なのか、ガラスの瓶の中にお菓子が入っていて――。
「あ」
帝司はパソコンの前にいる黄色いひよこを見つけた。
あれはたしか。
高田歩美がクスリと笑った。
「滝川さん。『ぴよ太』って知ってます?」
知っているもなにも。
あのキャラクターは彼女が好きな――。
こくりと頷けば、「あの子、ずっとこれが好きなんですよね~」と微笑ましいものを見るように笑う。
帝司は以前、高谷と高田は恋人同士なのかと思った瞬間があったが、これは違うと直感した。高田歩美の柔らかい視線は、家族に向ける親愛というのが相応しい眼差しだったから。
でも、その表情には何か含みがある気がして。それは何か分からないのに、自分の心臓が嫌な音を立てているのを感じた。
もしかして。
不穏な考えを振り払う。
そうだ。これはあくまで勝手な想像。誰も何も言ってないじゃないか。だから、気にする必要はない。
ちらつく、名前を呼ばれて、にこにこしている彼女。
ぴよ太を紹介してくれていた時の彼女はとても幸せそうだった。
それは、このキャラクターが好きだから? それとも。
「まあ、一筋って、いいことですよね? 滝川さん!」
帝司は何も言えなかった。
いつもお読みいただきまして、ありがとうございます!!