93話 だいすき
フリードさんは、僕に何かを言った。その内容を理解するのに一瞬を要する。
と、討伐? カルナを討伐? ちょ、
「ちょっと待ってください!!!! 何を言ってるんですかあなたは!!」
僕はアレンの力を借りて過去に大きな魔物を2体討伐している。バハムートとグランダラスだ。その経歴を知っているからフリードさんはそんなことを言っている。
「アスト・ローゼンなら討伐が可能」だと。けど、これはそんな話じゃない……!
僕の手で、カルナを殺せ……? そんなことできるわけないだろ!!
『冷静になるんだ。君の周りに倒れている仲間は何人いる?』
フリードはいたって冷静。カルナとの関係がないから、ではない。「仕事」と割り切っているからだ。
アストの周りには傷ついている仲間が多数。中には今すぐに治療をしなければ命の危険がある者も。
『さっきから君以外に通信をかけていたんだが誰にも繋がらなかった。つまりほぼ全員が瀕死状態にあるはずだ。それを見ても君はまだ討伐しないと言うのか?』
「それとこれとは……」
『関係大ありだよ。ハッキリ言う。このままじゃそこにいる者は全員死ぬ。そいつを放っておけば他の吸血鬼にも被害がいく。仲間を殺したくなければ、君が討伐するしかないんだ』
フリードさんは僕に残酷な選択肢を突き付ける。
カナリア達を死なせるのならカルナを放っておけ。
カナリア達を死なせたくないならカルナを殺せ。
そんな地獄の選択を。
『言っておくけど魔法騎士団としてもあれは放っておけない。もし君がやらないなら俺が特殊魔法武器を使って遠隔から仕留める。』
「!」
僕が殺さないならフリードさんが殺す。
それって……どっちにしたってカルナを殺せと言っているようなものじゃないか……。
『アストくん。1分だ。1分で決めろ。もし時間が経過してもアクションを起こしていない場合は言った通りにする。よく考えてくれ』
よく考える?こんなの考えるとかじゃない。そもそも成立していない選択肢だ。
僕の不満が通じてしまったのか。フリードさんは最後に、
『アストくん。「救う」とは、簡単なことじゃないんだ……! ただ強いだけじゃダメだ。その時にその状態を治す、対処できる、そんな「適切な力」がないと意味がない。「救う」は難しいことなんだ。……わかってくれアストくん』
そこで通信魔法が途切れた。僕はあと1分で自分の手でカルナを殺すか誰かの手でカルナを殺してもらうかを決めることになった。
なんだこれ。なんだよこれ。意味がわからない。
「はは……なんでこうなるんだよ。カルナが何をしたっていうんだ。僕達が何をしたっていうんだ」
ただ少女の笑顔を守りたかっただけ。それだけなのに。この世界は地獄を見せてくる。
理不尽で残酷な世界。それがこの世界の真の姿。希望なんかすぐに絶望となって消えていく。
こんな世界に、希望なんて。
─アスト。
僕が絶望した時、どこからか声が聴こえた。その声は……
「カルナ……?」
カルナは目の前の魔物だ。声が聴こえるわけない。それでも……確かに聴こえた。「耳」ではなく、「頭」に。アレンでも、バハムートでもない。
─アスト。いいよ。
「いいって……?」
─わたしを斬って、いいよ。
その声は天使の声か悪魔の声か。カルナの声で、カルナを斬っていいと言ってくる。
もしかすると……この声は魔物になってもまだ生きている「彼女の心」が僕へと何かを伝えようとしているのか。
─わたし、アストたちといっしょにいたい。でも、アストたちを傷つけるのは嫌。わたし、とってもかなしい。
まるで僕のすぐ傍にいるみたいに感じられる。僕はその声と対話し続ける。
─わたし、アストにいっぱい大切なものをもらった。なのに、わたしがアストからなにかをうばいたくない。だから。斬って。わたしを。
「嫌だ……僕、君を救うって約束したんだ……。『助ける』って……」
─来てくれただけでうれしかった。もう、わたしはすくわれたよ!
少年が見た幻想の少女は笑顔だった。泣き顔じゃない。綺麗な笑顔。
─わたしはアストの中でずっと生きてる。いなくならない。もっと遊びたかったけど……これからはお空でアストのこと待ってる! 死んだらきっと……こんどはお空をビューってとべるよね!
空、それが意味することは、バカな僕でもわかる。
─だから、斬って。わたし、アストのこと嫌いになんかならないよ? わたし、前を向いてるアストがいい。いつもあったかい、笑顔でいるアストがいい。
─だから、前を向いて。
僕は─
「リーゼ。ごめん…………」
先に謝る。これから僕がすることは謝って済むことじゃないけれど。
「……わかり、ましたわ」
リーゼもそれ以上は何も言わない。アストを責められない。残酷な選択に押しつぶされていることを知っているから。
『アストくん。時間だ』
「フリードさん。手は出さないでください。……絶対に。何があっても」
『……そうか。わかった。誓うよ。何があっても手は出さない。君に任せる』
「ありがとうございます」
『すまない……アストくん』
フリードさんの通信魔法はまた切れた。もうかかってはこない。たとえ僕が死にそうになっても。これから僕のすることを見守ると決めたから。
「あ!! あああああああああすううううううううっとっとおおおおおおおおお!!」
カルナは僕を見つけて腕を伸ばす。僕はそれを……
斬り飛ばした。
「ああああああああああああああああ!! いい、い、い、いたああああああああああいいたああああああああああい!!!」
僕はギリッと歯を食いしばる。そして……走る。
「おおおおおおおおおおおおああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
斬る、斬る、斬る、斬る、斬る、斬る、斬る。
少年は「涙を流しながら」迫りくる腕を斬っていく。
ボロボロと大粒の涙は止まることなく。腕を斬り飛ばすごとにまた新たな涙が流れていく。彼の口から出る叫びも気合いではなく、「悲鳴」なのかもしれない。
「いたいいたいいたいいたいいたい!!!!! あすとおおおぉぉなんでこんなことするのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
カルナは叫ぶ。
「わたしはみんなといっしょにいたいだけなのに!!!! がいとぴあのきれい!! らいはおもしろい!! みるふぃあやさしい!! かなりあいろんなことしってる!! みんなといっしょにいたいだけええええええええなのににいいいぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
一瞬の躊躇。覚悟を決めたアストでもそれは止まってしまう。
そこを、狙われた。
「つううううううううぅっぅうぅヵああまああああああああああああああえたああああああああああああああああ♡♡♡」
アストはいくつもの腕に絡めとられ身動きが取れなくなる。
まだまだ何本も残っているカルナの腕と足がアストの腹へと向かっていく。
ドゴッ! ガッッ!! バキグシャメキグドベキ!!!!!!!
矢の嵐のような連撃に見舞われアストは血を吐きまくる。骨もボキゴキッメキッ!と悲鳴を上げる。
「…………!……ッ!……ッ!!」
血だらけのボロボロになって捨てられる。もうアストに再生能力は使えない。
「あ……ぁ。は…………は……かふ…………」
体の全てが引き千切れそうだった。それでも……アストは立った。リーゼとカルナの間に入るように。
向こうに休ませる気はないのか。もう一度腕と足が矢のようにこちらへ向かっていく。
アストは手を広げてリーゼを庇うようにすると……その全てを体で受けた!
「ぐ、があ、ああああああ、ああああああああああああ……!!」
皮膚を裂き、体を貫き、骨を折る。アストは真っ赤に濡れて今にも死にそうだ。
「アストさん! 私を庇う必要なんてありませんわ! 魔力が尽きても再生はできますのよ! だから私のことは守らなくても……」
「ダメだ。それだけは……ダメだ」
理屈ではそうだ。リーゼの再生能力は恐ろしいほどに強い。カルナの攻撃を耐えるのは確実だ。
しかし、
「傷は治っても……心の傷は治らない。カルナは君のことが好きだって言ってた。君もカルナのことが好きだ。カルナが君を傷つけたと知ったら、きっとカルナの心は深く傷つく。君も大好きな妹に傷つけられたら心が傷つくはずだ。そんなこと、させはしない。僕はカルナも、君も、どちらの心も守る。そう決めたから……!!」
「……!」
だから2人の間に立つんだ。カルナがリーゼを傷つけないように。リーゼがカルナに傷つけられないように。姉妹2人の心だけは傷つけさせないために。
その言葉にリーゼは俯いて。
「……もう。本当に罪なお方ですわね。ベルベットが貴方のことを好きになる気持ち、わかってしまいましたわ」
「え……むぐっ!」
そう言ってリーゼは僕の前へ移動してきてこんな時なのに…………口づけをした。頬へのキスなんかじゃない。口と口で。
綺麗なピンクの花の蕾のような唇が自分の唇に触れ……甘い味がする。
その後、血の味がした。リーゼがどこかを噛み切って僕の口の中に自分の血を流し込んできている……?
「ぷはっ! こんな時にな、なにを……お、あれ?」
僕の体が少しだけ、回復していく……! 血だらけだった体はアレンの異能の『革命前夜』で再生されているかのように。元通りとは言えないが……これはいったい?
もしかして僕も異能が使えたのか?……と思っていたら。
「吸血鬼の血を少し与えましたわ。それでアストさんの傷を治しましたの。行為に関しては……目を瞑ってくださいまし」
な、なるほど。でも……これでまだ動ける!
「リーゼ」
「妹をどうか……お願いしますわ」
「……うん」
僕はもう一度カルナの下へと走る。
無限の手足の中へと突っ込む。
「あすとあたたかいあすとあたたかいあすとあたたかいあすとあたたかいあすとあたたかいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!」
「君は僕のことを、そう言ってくれたね」
一緒にご飯を食べたね。一緒に遊んだね。一緒に過ごしたね。一緒に観覧車に乗ったね。
君と僕との天空庭園。ここはまた夢の場所。
君と過ごした日々を思い返せば……そこにどれだけの君の笑顔があっただろうか。どれだけ君に好きだと言われた笑顔を向けることができただろうか。
君は楽しかった? 君は満足してくれた? 君は幸せだった?
─うん! しあわせだったよ!
……僕も幸せだった。
─びーふしちゅーおいしかった!
あれは大変だったなぁ……。美味しかったけどさ。
─ガイトのピアノもっとたくさんききたかった。
きっと聴こえるよ。空の上でだって。
─ミルフィアともっといっぱい遊びたかった。
フィアちゃんも遊び相手がいなくなって悲しむよ。
─ライハともっといっぱいお話したかった。
それ聞いたらライハ喜ぶだろうなぁ。無表情だからわかりづらいけどね。
─カナリアにもっといっぱいべんきょう教えてほしかった。
カルナはすごいなぁ。僕は勉強苦手だからさ。
─………。
……。
─アストと、もっといっしょにいたかったなぁ……。
僕もだよ…………カルナ……。
「あああああああああああああああああああああああああうううううううういたいよぉおおおおぉぉぉおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっぉぉぉっぉおぉぉぉぉおぉおおおぉぉ!!!!!!」
全ての腕と足を斬り落とした。あとは……核となる体だけ。これを斬れば全て終わる。そう。全てが。
「ブラックエンド…………タナトス」
蒼く光る剣を漆黒の大剣に変える。
真っ赤な血で濡れた道を、僕は踏み歩く。
ごめん。もう苦しませはしない。これで……終わりにするから。僕のせいで……本当に、ごめん。
─アスト、わたしね。やっとわかったの!
僕は走る。大剣を構えて。カルナのところへ。
─「あたたかい」ってなんだったのか。やっとわかった。それをアストに、伝えたかったの!
僕は振り下ろす。漆黒の大剣を。
─わたしね。アストのこと…………
これで……終わ─
「だ…………い…………す………………き……………」
「え……」
「頭」ではなく、「耳」に届いたその声に呆然となりながら、
漆黒の大剣は、その声ごと核を斬り裂いた。
異形の体は光の粒子となって霧散し、空へと飛んでいく。
「あ、あ……あぁ……あああああああぁぁぁ!!!! か、カルナ……待って……いかないで!! カルナ……カルナ……!!」
手を伸ばす。光の粒子は高く、高く、空へと飛ぶ。
「カルナぁ…………ごめん……カルナぁぁ……!!」
光の粒子は、空へ消えてなくなった。
「カルナああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
幼い少女が言語化するには難しい感情。
普通の「好き」とは違う。とても甘くて、苦くて、温かい。
そんな少女が最期に残した「愛の告白」は少年の心に残り続けた。
星が光る夜空の下で少年の泣き叫ぶ声だけがこの世界の静寂を破る音だった。
ここは君と僕との天空庭園。空中ブランコを離れていって、
君だけが先へ行っちゃった…………。




