92話 貴方は真っ赤な剣を握る救世主様
アストがリーゼと戦っている時、カナリアは扉の前でずっと迷い続けていた。
(何やってんのよあたしは……)
アストが人間と聞いてからずっとこれだ。何もアストを裏切ったとかそんなことではない。
体が……動いてくれないのだ。
アストのことが嫌いになったとかでもない。アストは仲間で友達だ。そして自分が特別……想いを寄せている……かもしれない。かも!だ。そこは重要である。
それなのに。体が動いてくれない。
アストがピンチになった時に助けようと動き出すが、「アストは人間」ということを思い出すと体が不思議と止まってしまう。
なぜだ。なぜなんだ。
カナリアは自分にとって最も大切な人であった母を人間に殺されている。それ以来人間を憎んできた。
人間への恐怖や憎悪が体に刻み込まれているのか。アストを助けたいという心の表面に現れる気持ちと、人間は助けなくていいという表面には現れない心の底に沈んで隠れている気持ちの2つが存在している。後者はカナリア自身も気づいていない。
仲間がピンチなのに助けないなんて最低だ。命に関わることだから洒落にならない。
ガイトや、ライハや、ミルフィアが繋いでくれたここまでの道。カナリアはその全てを裏切った行為に等しいことをしてしまっている。
自分はどうしてしまったのか。また迷いの渦に囚われそうになった。その時だった。
ズズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンンン!!!!
外ですらわかるほどの大きな振動が届いた。明らかな異変を感じ取る。
さすがにこの時はカナリアも迷いを振り切った。異常事態が巻き起こっても迷い続けているほどカナリアは落ちぶれていなかった。
「アスト!!」
扉を開けると、今作戦の重要警戒対象であるリーゼ。それに守られる形でアストが後ろで倒れていた。この時点で事態が呑み込めない。
それだけではなかった。そのリーゼとアストに向かい合うようにして蠢いているのは異形の化け物。
(なにあれ……魔物……でもない、魔人でもない……、あんなの見たことないわ……!)
手足が何本もメチャクチャに生えている化け物。目、口、鼻、が出鱈目で無数。なんだあれは。
見た限りではなぜかアストはリーゼに守られている。なら、自分もそれに加勢しよう。
(今は人間とか、魔人とか、そんなの後回し。アスト……さっきの分までひっくるめてあたしが守るわ!!)
♦
「……さ……ん」
ん?
「ア……ト……ん……」
なんだ? なにか、声が……
「アストさん!」
その声でハッとする。僕は気絶から覚めた。目を開けると心配そうに見つめるリーゼの顔が真っ先に見えた。
「あ…………う……」
「目覚めて良かったですわ。事態は良くはないですが」
「何が……」
僕はリーゼが見た方向に目を向けた。そこには……異形の化け物。それと戦っているカナリア、ライハ、ガイト、ミルフィアの姿だった。
「正体はわかりませんが、あの魔物がアストさんを攻撃したのですわ」
思い出した。あの化け物についている腕の1本に殴られたんだった。
……あれ? そんなことより、その前に何か気になったことがあったような。
「アストさん、お願いがありますの。私は魔力欠乏で動けませんわ。代わりに2階にいるカルナをここから逃がしてほしいんですの。ここにいるのは危険ですわ」
カル……ナ?
僕はようやく全てを思い出した。
遅れて口から声が出る。
「皆! そいつに攻撃しないでくれ!!!!」
カナリア達からすれば気を失っていた仲間の声。安心するはずが……アストが意味不明なことを言ったせいで困惑してしまう。
「アスト、どういうこと!?」
「攻撃すんなって言われてもよ……!」
わかっている。無茶なのは。けど……けど……それは…………!
「あれは…………カルナなんだ!!」
僕はその正体を暴いた。殴られる前に聴いた声。それは確かに僕を呼んだ。
それだけじゃ証拠なんて足りないっていうのもわかっている。でも、感じるんだ。心がざわついている。あれはカルナだって。
「は!?」
「アスト?」
「兄様……?」
口々に疑問が返ってくるのは想定済みだ。僕だって皆の立場ならそうなる。
だから、アストはあれがカルナだという理由を話そうとする。それよりも前に……
「あ~ス~~~~と。どーこ~~いいぃぃぃぃるーの」
化け物の口の1つからそんな悍ましい声が出た。声こそそんなものだったが内容はアスト達にとって信じられないものである。
これを聴いてしまえば誰だって疑いの半分は消化してしまう。
「嘘でしょ……?」
「マジ、か……なんでだよ……!」
「カルナ……?」
「兄様、カルナに何があったんですかっ!?」
皆の顔色は曇った。それもそうだ。あんなに可憐だった少女がこんな化け物の姿になっていれば「そうか」で済ませられることじゃない。
それに……
「アスト……さん? どういうことですの?」
姉であるリーゼの顔色は曇ったどころではない。これが夢であってほしい。顔からそれが読み取れるほど青ざめていた。
リーゼだって今の声を聴いていた。疑いたいという想いをどこかに抱えていて、それでもあれがカルナだとアスト同様わかってしまった自分もいる。
なんたって、姉なのだ。カルナの。
「リーゼ。どうしてこうなってるのかは僕にもさっぱりだ。だから教えてほしい。吸血鬼の体は何かの条件であんなことになったりするの?」
「ありえませんわ! 命に関わるルールはいくつかあってもこれはもはや吸血鬼ではありませんもの!」
吸血鬼には色々と制限があるとは言ったものの。これは違うようだ。リーゼの言うことも納得できる。これはもう……「吸血鬼」でもない。
じゃあなんだ? 未だ誰もがその疑問を抱え続ける中で僕の脳内へ響く声だけが確かな自信を持って答えた。
『アスト。あれはお前もよく知ってるやつだっ!』
アレンではない。この声はバハムートだ。僕が気を失っている間も【バルムンク】は消滅していなかったようで、そのおかげで僕とバハムートはまだこういった形で会話できるらしい。
「僕もよく知っている?」
『あれの魔力構造はグッチャグチャだ。何か外部から魔力を注入されたせいであんなことになってる』
「外部から……それって」
マジックトリガー!? カルナが……持ってたっていうのか!? それこそありえない!
……いや、待てよ。それならライハやガイトだってどうして持っていたんだということになる。それについては貰ったと言っていた。白いローブを羽織った、魔人に。
(カルナにも接触していたのか……!)
どこで、という話ならそんなの推理するのは容易だ。
カルナがマナダルシアに来てからは僕達とずっと一緒にいた。もちろんライハやガイトがアーロイン学院で入手したわけだからその時に受け取った可能性もあるがカルナが僕達以外の人と一緒にいたところなんて見たことない。
ウィザーズ・ランドで離れ離れになってからはクレールエンパイアにいた。
ベリツヴェルン家の誰かがトリガーをバラまいている謎の魔人の正体だというなら簡単だがそう何度も吸血鬼が魔法使いの国に来たりはしないだろう。
それならもう答えは出ている。僕とリーゼが戦っている時、あの時だけは……カルナの周りに誰も守る人がいなかった。おそらくはその時に接触されたんだ。
(まさか、僕を狙ってクレールエンパイアに来たのか……?)
ライハ、ガイト、カルナ……とくれば間違いなく僕を標的にしていることもわかる。ガイトからも「アストを殺せ」と命令されたと聞いている。
僕の友達に次いで……カルナまで。
「くそ……なんでだよ! なんで……!!」
辛いし怒りがこみあげてくるが悩んでいる場合ではない。
今は……カルナをどうにかするんだ。
「ああ、ああああああああ あす アスと どこおおおおおおおぉぉ~? ここれ、かくれんぼ? かくれんぼだああああああぁぁ!!!!!!」
カルナはアストを探そうと手を伸ばす。何十本もの腕が部屋内で縦横無尽に広がっていく。
その腕の一本がアストへ伸びていく。反射的にアストはその腕を斬り飛ばす……が。
「いああああああああぁぁあああああああ!! いたああああああああいたいいたいいたい!!!!!!!」
腕から噴射する血しぶきがカルナの泣き叫ぶ声とセットになってこの空間に降り注いだ。
全員は動きを止める。カナリア達も迫りくる腕を払おうとしたからだ。
カルナの声は演技でもなく本気の泣き声だった。姿が異形となっても変わらず痛みは彼女を襲う。
「そんな……!」
こんなのどうすればいいんだ。カルナを助けたい。でも攻撃することができない。自分達ができるのは避けるだけ。
どうすればいいんだ……!!
カナリア達はすぐに避けに専念する。そうしても、避けることにだって限界が来る。
「ぅ、あっ!!!!」
「ライハ!!」
カルナの腕の一本がライハの体を殴りつける。魔力を纏っていても血を吐いて昏倒させられた。
その力は異常。あのグランダラスよりも強力で一撃すら耐えるのも難しい。今のカルナは魔力の塊に等しく、その腕には膨大な魔力が乗せられている。
「アスト! ボーっとすんな!!」
今度は僕の背後へとその腕が飛んできた。ガイトは立ち尽くす僕の体を押して無理やり回避させる。
「ガイトありが……、が、ガイト!!」
「ぐぶっ……が、は……!」
腕は手刀の形をしてガイトの体を貫通していた。ガイトはライハ以上に血を吐く。ズリュ……ッと引き抜かれるとその場に静かに倒れた。
「兄様、非常事態です! 申し訳ございません!」
ミルフィアは魔法武器を抜いて戦闘に入ろうとする。自分はベルベットの使用人なので私情よりも使命を優先させる必要がある。
このままでは全員が死ぬと思ったミルフィアは皆の代わりに自分が戦うことを選ぶが……
「やめてくれ!!!!!」
「兄……様……!?」
「お願いだ……! カルナを傷つけるのは……ダメだ……! 頼む……やめてくれ……!!」
「です、が……」
仲間が2人も倒れてこんなことを言っているのはおかしい。それでも、ダメだ。カルナを殺すなんて、そんなの、ダメだ……。
ミルフィアもアストに強く言われては止まらざるをえない。……それが決定的な隙となった。
カルナの腕はミルフィアの首を掴む。
「くふぅ……あ……に、い様……」
こんな油断はベルベットの使用人からすればあってはならないことだ。戦闘において1つの油断が命を危機に至らせるのだから。
首を掴まれたミルフィアは壁に叩き込まれ……頭から血を流して意識を失った。
「これもちがう、あれもちがう。あああああああああああああすとどこおおおぉぉぉぉぉわた、わたわたわたわたしまもってあげるのにいいいぃぃぃぃぃぃぃ!!」
狂乱の遊びは続く。残るはアストとカナリアとリーゼだけ。
この3人にしても結末は変わらない。どこかで捕まって同じ目に遭うだけだ。
そして……1人欠ける時が来た。
「……!」
カナリアの足が掴まれた。そこからはガシガシガシッ!と何本もの腕がカナリアを掴んでいく。次の展開はいくつも予想できるがどれも想像したくないものだ。
「あすと?……ちがう。ちがあああああああああああぁぁあああああああう!!!!!」
ブンンンンンンンッ!!!!!!と目で追えない速度でカナリアはぶん投げられた!
カナリアの体が宙を舞い、壁を終着点として止まる。
固い物を勢いよく叩きつけた音が鳴る。……カナリアは【ローレライ】を落として地に伏した。
「カナリア! しっかりして、カナリア!!」
体を揺らすのは危ない。声だけをかける。
「あ……あす、と……」
意識はあった。ホッとしたいところだが……まだライハ達の様子も確認できていない。ガイトの状態は一目で早く治療しないと危ない域にあるとわかる。
……カナリア達の安否を確かめたところで何になるんだ。時期に僕とリーゼも……。
そこでまた脳内に声が響く。アレンかバハムート……と思いきや。
『あー。あー。聴こえるかアストくん。俺だ。フリードだ。君に通信魔法を使って直接話しかけている。こっちは器物損壊と侵入の罪でベリツヴェルン家の者を取り押さえているんだが……そっちは緊急事態のようだね。マジックフォン以外での会話を許してくれ』
相手はフリードさんだった。相手の頭を通して会話できる通信魔法もあるのか。
「……聴こえています」
『よし。じゃあ聞くが……今君の前に大きい魔物がいるはずだ。こっちからもそいつが見えてる。……あれはなんだ?』
「ベリツヴェルン家の次女、カルナ・ローラル・ベリツヴェルンです。魔法道具を何者かに使用されて姿を魔物に変えられているんです。…………フリードさんっ! 何か、何か方法はないですか!? 彼女を救える……そんな方法は!!」
僕は助けを求める。フリードさんは魔法騎士団に入っていることもあって今まで色んなケースを見てきているはずだ。緊急時の対応には一番頼れる。
「あるよ。1つだけね」
「!! 本当ですか!? それはいったい……」
さすがはフリードさんだ。よし。僕はどんなことでもするぞ。カルナを救うためなら……なんだって。
僕は、君を救うと決めて─
「死なせてやることだ。これ以上彼女を苦しませてやるな」
死? 何を?
『アスト・ローゼン。魔法騎士団第一隊副隊長として魔法騎士アーロイン学院生の君に緊急クエストを与える。魔物と化したカルナ・ローラル・ベリツヴェルンを君の手で討伐するんだ。』
「……………………………………は?」
世界は彼に告げた。
貴方はもう、無垢なあの頃には戻れない。
ああ、貴方は、汚れた、醜い、救世主。
皆を救ってくれる、真っ赤な剣を突き立てる救世主様。
貴方はもう、戻れない。
次回、VSカルナ・キマイラ、決着です…………。




