8話 ロベリールの名
空気が重い。僕は今そう思っている。
空気に重さなんてあるのか? 何かの攻撃魔法か?
そんな質問が来ると思うがどれも違う。僕は寮の部屋のベッドで寝転がって教科書を読んでいるのだ。こんなところで魔法攻撃されるわけがない。
空気が重いというのはもう察しの通り。「この場を離れたい」と思う方の意味だ。
答えを言ってしまうとカナリアの機嫌がとんでもなく悪い。
今も机で勉強しているんだけどシャーペンが走る音と共に溜息が度々聞こえる。その頻度も尋常じゃない。
「カナ─」
「うるさい」
「まだ何も言ってないんだけど……」
ちょっと声をかけようとしてもこれだ。名前すら呼ぶのが困難なレベルである。
原因はわかっている。ベルベットに負けたことだ。だがカナリア本人も負けるのはわかっていたはずだ。相手が相手なのだから。
「いくら実力の差があってもあんな低級の炎魔法であたしの水魔法が破られるなんて……! どうしたらあんなに強くなれるのよ……!」
カナリアは歯ぎしりしながら教科書の内容をノートに書いている。こんなにイライラしながら勉強してる人初めて見たよ。
けど実際、僕も驚いている。カナリアが言った通り属性魔法の原則なんか関係なしに水魔法を撃ち破ったのもそうだが……属性魔法を2つ以上持っているということにもだ。
魔人が持つ属性魔法は1つだけ。そのルールだけは今まで例外はいない。
弟子の自分でもベルベットが複数の属性魔法を使えるなんてこと初めて知ったから戸惑っている。
(ベルベットっていっつもフワフワニコニコしてるけど謎が多いんだよな。僕のことも何か知ってるみたいだけど教えてくれないし……)
僕は寝返りを打ちながらそんなことを考える。
別にベルベットが嫌いになったとかそんなことはないけど。「何かを隠している」という事実が僕の心に靄を作る。
「………ちょっと頭冷やすわ」
「どこか行くの?」
「どこでもいいでしょ。散歩よ散歩」
「はいはい」
カナリアはノートを閉じると外に出ていった。
ずっと不機嫌のままだとこっちが外に出ようかと思っていたから助かる。
しっかりと機嫌を戻してきてくれ。……機嫌が戻っても僕に対する態度だけはあんまり変わらないと思うけど。
話し相手もいないので(元々いないようなものだけど)さっきカナリアが書いていたノートを勝手に見てみた。
そこにはびっしりと文字が羅列している。教科書の予習や今日の復習。
さらにはそれだけじゃなくベルベットとの魔法の撃ち合いに関する自分の見解や反省も丁寧な文字で細かく書かれているのだ。
カナリアの実力は天才と言えるレベルなんだと思う。試験の時に見た感じだとすごい戦い慣れしてたし魔法だってすごい。けどそれ以上に努力もしている。
僕は皆よりも劣っている。それも少しどころじゃない。だからこそ周りよりも努力が必要だ。
(僕はカナリアくらい努力をしているか? 授業の内容がさっぱりわからない自分に予習なんてものは無理だが……復習くらいならできるじゃないか!)
カナリアの努力に触発されて自分もノートを開く。
まだまだ白紙の多い自分のノートに文字を書き始めた。今日の授業の復習を。
「自分も、もっと努力しなきゃな……!」
♦
遅い。僕は今そう思っている。
「カナリア、いったいどこまで散歩してるんだ……?」
カナリアが帰ってこないのだ。30分くらいで帰ってくると思ったのだがもう1時間半も経っている。これはどういうことだ?
「探しに行くか」
僕は部屋着だったので上から制服を羽織って外に出る。
カナリアの身に何かあったとかはさすがに考えられないけど、この遅さはわからない。
♦
周辺を探してもいない。そこでベルベットのところかなと思って教員用の寮に行ってみた。
アーロイン学院の教師にも寮が用意されている。これに入る入らないは自由なんだがほとんどの教師は利用している。
主に生徒の質問なんかをいつでも答えられるようにするためと、もしもの時の外敵から生徒を守るためである。
ベルベットがいるとされている寮の部屋をノックした。
今は20時なのでまだ寝ていないと思う。ベルベット、寝るのはいっつも遅いし。
「…………あれ? いないのかな」
が、反応がない。電気はついているのに。またノックをする。しかし反応なし。
「ベルベットー? いないのー?」
周りに住んでいる教師の人に迷惑かもしれないが声をかけてみた。
するとあら不思議。中からドドドド!という音と共にすごい勢いでドアに何かが迫ってきている音がするではないか。
ガチャっと音と共にドアは開く。
「アスト? 何かあった?」
ラフな部屋着にメガネをつけていたベルベットは僕の前に何事もなかったかのように現れた。
ベルベットは外に出る時、ヨレヨレのトンガリ帽子に黒いローブがいつものファッションだが家の中では割と普通な恰好をしている。
これは使用人か弟子の自分しか知らないことだ。あとメガネをかけたりすることも。
「ノックしても反応がないからいないと思ってたよ。寝てたの?」
「や~…………そのぉ………………居留守使ってました…………。訪ねてきたのがアストと知って飛んできたけど。あはは…………ご、ごめんなさい……」
ベルベットは両手の人差し指を合わせてモジモジしながら白状する。目も泳ぎまくっていた。
先生としてそれは良いのか? 生徒の質問を受け付けるための寮なのに居留守て。
絶対生徒からの質問が面倒くさいからだろうな。ベルベットって自分の時間を誰かに割くのが好きじゃないから。昼の時もすっごい嫌がってたし。
「僕のルームメイトのカナリアが散歩に行くって言ってから1時間半も帰ってこないんだよ。ベルベットのところに来なかった?」
「カナリアって昼の子よね? まずアストとあの子が一緒のところに住んでるってことが初耳なんだけど? そこ詳しく─」
「あーもう! 話を脱線させないで! カナリア来たの? 来てないの?」
「む~。……来てないわよ。そうね……トレーニングルームは?」
トレーニングル―ム。アーロイン学院の施設の1つでそこには魔法騎士のために体を鍛える器具や魔女のために魔法を練習するための特別な部屋まで用意されている。
身体能力に関しては魔法で補助がかけられるのだが魔法が使用できない場合を想定してのことで魔法騎士は体も鍛えるのだ。
魔人の中でも魔法使いはその名の通り魔法に頼りすぎていることもあって魔法がないと何もできないなんてことにならないようにしなければいけない。
器具は人間と同じ物。これは魔女が魔法で肉体を改造できないかなどを試してみたのだがそんな魔法は創れなかったからだとか。
「そうかも。見てくるよ」
「私も行くわ」
ベルベットは指をパチンと鳴らすと部屋着からいつもの帽子とローブに変わっていた。メガネは外してローブの中に入れる。ベルベット、外出モードだ。
♦
ベルベットと2人でトレーニングルームへ。
「トレーニングルーム」とは言ったが1つの大きな建物にいくつもの鍛錬用の個室があるといったもの。
その建物の中に行くと……すぐにカナリアは見つかった。
よく見るとカナリアは誰かを待っているようだった。1つの個室の前でそわそわとしている。
少しするとカナリアが待っていた個室の扉が開く。そこから現れたのは……
(たしか、入学試験の説明をしてた……『ガレオス』)
全魔法騎士の憧れと言っても過言ではないトップレベルの魔法騎士。
今トレーニングが終わったと言わんばかりに鋼の肉体を薄い上着一枚だけでほぼ剥きだしにしている。強者というオーラがその身から溢れんばかりだ。す、すごい……!
「うげぇ~なにあれ。脳まで筋肉になってそう……。もうあんなの魔人じゃなくて魔物よ魔物」
横にいるベルベットはそんな失礼なことを呟いていた。いやほんとに失礼すぎるだろ。
そのガレオスさんが自分の部屋へ帰ろうとするとカナリアが呼び止める。
「待ってください……………………『お父様』!!」
「……」
お父様!? 聞き間違いじゃないよな? あのガレオスさんが、カナリアの?
思えばガレオスさんのファミリーネームは知らなかったな。フルネームは「ガレオス・ロベリール」ってことか。
カナリアがそう呼び止めるもガレオスの反応はない。無言だ。
「あた……私、魔法騎士になりました。試験も…………2位の成績で」
「なぜ、魔法騎士になった」
ガレオスは重くのしかかるようなプレッシャーを感じさせる声でそう問う。
カナリアはグッと何かをこらえるような顔になる。
「お母様のような魔法騎士に…………なるために……」
「………」
カナリアのさえずるような弱い声はガレオスに届いているのか。ガレオスは再び沈黙する。
「か、必ずっ! お父様が認めるような魔法騎士になりま─」
「お前には無理だ。諦めろ」
「─ッ!」
カナリアは持てる力を振り絞るように声を出すがガレオスはそれを無情にもバッサリと切り捨てる。冷徹な目でカナリアを見下ろした。
「試験は見た。お前の実力では魔法騎士など務まらん。せいぜい仲間を逃がすための囮になるくらいだ。すぐにどこかで野垂れ死ぬ」
カナリアは力が抜けるように俯いた。ガレオスの言葉に何も反論できない。
事実、アストには結果で負けている。2位という結果では何も誇れることなどない。
「言いたいことはそれだけか? 死にたくなければすぐに辞めることだ。今なら魔女コースか魔工コースに移るのも問題はない」
ガレオスはそれだけ言ってカナリアの前から去った。
「……む?」
だが、アストとベルベットは入口に立っていたので必然的に去ろうとするガレオスと出会ってしまう。
ガレオスはベルベットを見ると次に横に立っているアストを見た。そこで目を見開く。
「お前が『アスト・ローゼン』か」
「僕のこと知ってるんですか?」
「Aルーム入学試験1位通過の者だろう。知っていて当然だ。それも、若い個体とはいえバハムートを倒した者となるなら尚更な。あのバハムートはあそこで討伐されるつもりはなく試験が終わればまた保存されるはずだったんだが……」
「それはすみませんでした」
倒したいとは思ったがまさか本当に倒せちゃうとは思わなかったのでどうしても謝罪に力がこもらない。こっちも殺されかけたし。
それよりもあの竜がやられるはずがないって想定で出てきてたっていうのはカナリアの言う通りだったんだな。それだけすごい魔物ってことだ。
「お前は良い魔法騎士になれるだろう。もっともっと強くなれ。私も期待している。もし強くなったなら……私の下でさらに鍛えてやってもいいだろう」
ガレオスさんは僕の肩に手を置く。力は入れられてないのにズシリと重く感じた。
これが、トップレベルの魔法騎士の圧力か……!!
「なーにが『私の下で鍛えてやってもいいだろう』よ! アストは絶対に渡さないもん! くれぐれも変な気起こして弟子にしようなんて考えるなー! しっしっ! 帰れ筋肉マン! 暑苦しいのよ!」
ベルベットは弟子を取られてたまるかと守るように僕の腕に抱き着いてきて顎でさっさと帰れと入口の方を指していた。しかもガレオスさんの声マネまで織り交ぜて。やめなさい!
「ベルベット……胸当たってるって……」
「ほら見たかー! そっちの筋肉より私の胸の方に興味津々よ!」
「もうやめろこのバカ師匠! 恥を晒すなー!!」
これ以上ベルベットが変なことを言わないように頭を叩く。
今が夜ということでトレーニングルームを使っている人が少なかったからまだ良かったけどもし昼とかにこんなこと言われてたら学校中で噂になってたぞ。
「すみません。自分で言うのも変ですがこの師匠は僕のことになると少々アホになるので……」
「そのようだな」
「あ、アホ!?」とベルベットはこっちを見ていたが無視無視。
「では、これからも精進しろ。アスト・ローゼン」
「はい!」
ガレオスさんはそう言って僕達の前からも去っていった。僕もいつかあんな風に存在感を出せるような魔法騎士になりたいものだ。
間違っても今、自分の横でその英雄の背中に向かって中指を立てているようなのにはなりたくない。これ僕の師匠なんですけどね…………。
「……あっ」
僕は気づいた。その視線に。振り向くとカナリアがこっちを見ていた。
その視線には悲しみと悔しさが入り混じったような……複雑な何かを感じた。敵意だけは明確に感じ取れてしまった。
ちなみにベルベットはそのカナリアを見て「な、なんだ! やるかー?」と虚空にシュッ! シュッ! とパンチを繰り出していた。
コラッ刺激しない! っていうかベルベットほんと何しに来たの……?