88話 あの日見た輝きは今も僕の中に
「う~。やっぱりもう少しだけ飲むことにしますわっ!」
まだ迷っていたリーゼはようやく飲むことを決める。淑女を捨てて獣になろうともこの味には逆らえない。
牙をアストの首筋に突き立てての直飲み。快楽に溺れてしまう恐怖よりもそれを味わいたい心が勝ってしまったのだ。
鋭い牙が首へ向かう時、リーゼは微かな異変を感じた。
アストの体から感じる……異変を。
「……ッ!!」
体の奥からゾワリと出でる悪寒。何かはわからないけどマズイ。そんなあやふやな危機にリーゼは大きく飛び退いた。アストから距離を取る。
(なんですの……これは)
わからない。知らない。理解できない。それなのに底知れない何かを確かに見たのだ。
アストはムクリと起き上がった。
その右眼には……不気味な紋様が浮かんでいた。
「あらあら、アストさん。はしたないところを見られましたかしら?」
吸血しようとしたところを見られたのかと口元を隠して恥ずかしがる。吸血鬼は人によるが吸血行為を恥ずかしいと感じる者もいるのだ。
アストはそれに答えず、虚空へ手をかざした。
言葉を紡ぐ。
「現れろ! 希望を照らし出す魔法陣!!」
黒の魔法陣が出現する! それは支配した魔物を呼び出す「魔王の力」。
「黒き翼、黒き尾。天空に座し竜の頂から見下ろすは王者の眼。至高なる魔を纏いて、今こそ魔王の前に降臨せよ! 『漆黒魔竜 バハムート』!!」
「グギャガアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!!!!」
その呼び声に応じて魔法陣からバハムートは出てきた。黒の竜王は天を裂かんとするほどの咆哮を上げてアストの傍に降り立った。
「バハムート」
アストは名を呼ぶ。バハムートはアストを見る。
言葉を交わしたからわかる。君が何を想って僕と共にいてくれたのか。
試験で出会ったあの時、君は僕に「輝き」を見たんだね。
「生きている」という命の輝きを。立ち向かう勇気の輝きを。どんな時でも諦めない意思の輝きを。
僕にも同じことがあったからわかるんだ。ベルベットと出会った時、彼女に「輝き」を見たから。
何か大きな物を変えようとする確かな意思。強さと弱さを全部抱えた瞳。記憶を失った、真っ白な僕の世界に現れた女神のようで、彼女はとても綺麗だった。
君は僕を信じてくれるんだね? こんなに弱い、それでも誰かを救うために前へと進む僕を。
僕が戦う勇気を持っている限り、僕についてきてくれるんだね?
今、僕に……勇気はあるか?
その時、ふとあの鈴の髪飾りをつけた少女の言葉がリフレインする。
─諦めそうになった時、まずは立って。どれだけ痛くたって、体が千切れそうになったって、自分の脚で立って。
大丈夫だよ。僕は立ってる。体は痛いけど、まだ死んでない。
─立つことができたなら、今度は前を向いて。下を見ていても何もできない。前を向いて……敵を見て。自分が倒すべき敵を。
もう下なんか向いてられない。リーゼを見据える。僕は覚悟を決めたんだ。誰かを救うために立ち上がる。そんな魔王になるって。
─前を向けたなら、今度は決めて。自分がやるべきことを。その敵をどうしたいの? 貴方はなんのために戦うの?
カルナを救いたい。そのために……リーゼ、君を倒さなきゃいけない。いや、それだけじゃない。僕は、君も、救いたい!
─そうすれば、ほら……貴方はもう一度、
「戦える。そうだ。僕はまだ……戦える!」
アストはバハムートに向けて手をかざす。
「『無限の造り手』!」
それは「支配した魔物を武器へと変える」能力の名。真にアストが魔王へと覚醒したことで知ることのできた自分の力の名だ。
降した相手の全てを強制的に奪い、自分の支配下に置くことのできる力……『略奪者』。
支配した魔物をこの世界にはない未知の武器へと変換する……『無限の造り手』。
この2つこそが「魔王の心臓」の能力。アストの持つ「魔王の力」の正体だ
バハムートの体は光の粒子となって霧散し、アストの前に集まっていく。「剣」の形となって。
アストはそれを掴み取る。
「【竜魔剣 バルムンク】」
真の形を得た竜王の剣。それは魔王の配下と化した竜王が見せる本当の力。漆黒の柄に蒼く光り輝く刃。そしてその刃には……アストの右目に浮かんでいる物と同じ不気味な紋様が刻まれている。
それは魔王の力の恩恵を得た証でもある……「魔王の烙印」だ。
「リーゼ。僕と、戦え」
「支配」の魔王はもう一度挑む。真紅の女王へと。
次回、アストVSリーゼ決着です




