87話 魔王覚醒! 我が名は……『支配』の魔王!!
「味見タイムですわね」
人間に対する想いなんてものは吸血鬼にとって「毒」でしかない。血液を摂取する。その相手でしかないのだから。「そうなる」ように吸血鬼の体には他種族もまだ知らないルールが刻まれているのだ。
リーゼは小さなピンク色の舌でペロッとアストの頬に付いていた血を舐める。
その味は……
「んぅっ!!………や………ぁ……!」
ビクンッと体が反応してしまう。
体が熱を持って顔が熱く火照る。ピリピリとまだ舌に味の余韻を残す。これは、これはなんということだろうか。
美味しいなんて域ではない。そんな言葉すら失礼になるほどの味。
人間の血は甘い。どんな甘美なデザートですら劣るほどで、それでいて嫌にならない甘さ。
魔人の血は少々苦い。それは血中に魔力を含んでいるせいなのか。魔力が苦みを引き起こすせいで血液の旨味の後には確かな苦みが残る。
だが、アストは人間なのに魔力を持っている存在だ。それならどうなるのか。
(頭が蕩けるほどの甘さの後にほのかな苦みが追ってくる。2つが上手く組み合わさって1種のデザートに成り立っていますわ……!)
これは飲みすぎると頭がおかしくなってしまうのではないかと恐れすら抱くほどの味。淑女を獣へ堕ちさせるほどに暴虐的な味だ。
「ああ、アストさん……なんて罪なお方」
2口目が怖い。自分はあまりの美味しさに我を忘れるんじゃないか、それでももう一度……いや、でも……とリーゼの中で天使と悪魔が言い争う。
「ん~! なんて味ですのっ!!」
頭を抱えて困り果てるリーゼ。美味しすぎるのも考え物だった。
♦
「ん……?」
アストは目を覚ました。
変なことに場所はあの城ではない。真っ白な天井が視界いっぱいに広がっていた。
まさか自分は何時間も気を失って運ばれたのか!?と勢いよく起き上がる。もしそうならカルナ救出に失敗したということだ。
「あれ、ここって……」
辺りを見渡すと一面真っ白で広い部屋。死んでしまったのかとも思うが……すぐに考えを改める。なぜなら僕はここを知っているからだ。
(アレンと会った「精神の部屋」ってやつだ。でも、なんかアレンの時と違うような……)
アレンの「精神の部屋」は適度に家具や本棚が置かれていてアレン専用スペースらしきものが存在していた。
しかし、自分が今いるところには何もない。本当にただ真っ白なだけの何もない部屋。
「やっと起きたかこのアホっ!」
「痛っ!」
呆けているとキンキンと高い幼女みたいな声と一緒に頭へ痛みがやってきた。誰かに後ろから頭を叩かれたのだ。
そっちを振り向くと……
「うんん????……うぇ!?」
蒼い瞳に黒髪の幼女と……グランダラスがいた!! え????? どういう状況!?!?
「あの……ここは?」
「ここはお前の『精神の部屋』だ。あのアレンとかいう奴のじゃなくて、お前のな」
な、なるほど。だからここにアレンがいないのか。代わりに変な幼女とグランダラスがいるけど。いやグランダラスまでいるのが異様すぎて頭が混乱してきた。
「君は……?」
グランダラスはどう見てもグランダラス。ならこの幼女は誰なのか。会ったこともない、ミルフィアやカルナよりも幼いであろうその幼女に問いかける。
「なっ!? あたしのことくらいわかるだろっ!! ほんとバカだなお前!」
「わかるだろと言われましても」
またキンキンと高い幼女の声で怒鳴られる。
「あたしは『バハムート』! お前が最初に支配しただろ!」
「は? ……え~~~~~!! 絶対嘘だ!! もうちょっとマシな嘘を─」
僕の反応が気に障ったのか、スパンッ!と頭を叩かれる。痛い!
「嘘なんてついてない!」
「そんな幼女の姿で言われても信じられないというか……」
「高位の魔物は保有魔力が多くて人の姿に変わることができるんだ! こいつなんかよりも知能だってたっかいしなっ!!」
「ルルル……」
そう言って横にいたグランダラスの脚をペチッと叩く。グランダラスはペコペコと頭を下げて申し訳なさそうだ。幼女に怯えるグランダラスがシュールすぎる。
「なんでわざわざ人の姿になってるの?」
「お前と大きさが全然違うから会話する時に下向かなきゃいけないだろ。首が疲れるんだよ。……なんだ? 竜の姿の方がいいのか?」
「ごめんなさい。その姿でお願いします」
「うむ。じゃあこれでいく」
あんなでっかい竜のままで話されると怖すぎる。その点こんな幼女の姿なら何も怖くない。
「えっと……その前にバハムートって女の子だったの?」
「む? 悪いか」
雌だったのか……。それにこんな子供だなんて。
そういえばガレオスさんが「試験で使ったバハムートは若い個体だ」と言っていた。これはいくらなんでも若すぎるよ……。
「それにしてもなんだあの体たらくはっ! 『魔王の力』を使っておいてあっさり負けて。同じ魔王後継者に負けるならまだしもただの魔人なんかに負けるなっ!……おい、椅子持ってこいデカブツ。あとなんか飲み物も」
バハムートちゃんはグランダラスにどこからか用意させた椅子にどっかりと偉そうに座り込み説教タイムに入る。完全にグランダラスがパシリにされてるのを見ると魔物の中にも上下関係があるのかな。
「ルルッ!」
またまたどこからか持ってきたプレートにティーカップを乗せてドタドタとグランダラスがやってくる。ティーカップには紅茶が注がれていた。
「よしよし……って、熱っ! なんでか知らないけど人間体の方のあたしは猫舌なんだよ! もうちょっと飲みやすくなってから持ってこい! あともっと丁寧に運べ! こぼしすぎ!」
ガミガミと不満点を挙げながらグランダラスをベシベシと叩く。
気に入らないことがあるとすぐ部下に暴力を振るうブラック体制をこれでもかと見せてきた。グランダラスは「ルル…………」と落ち込んでいた。可哀想。
「それでだ。話を戻すがお前弱すぎ。なんだあれ」
「弱すぎ……って言われても。あれが自分の実力なんだけど」
「そうじゃない。お前の実力のことを弱いって言ってるんじゃない。お前の『魔王の力』のことだ」
「僕の『魔王の力』?」
「お前は全然『魔王の力』を使いこなせてないっ! これっぽっちも! まったく!」
バハムートちゃんはすごい怒っている。それほど僕にも不満があるんだろう。
「魔王には『魔王深度』ってのがある」
「魔王深度?」
「そいつがどれだけ『魔王の力』を使いこなせているか。言い換えればどれだけ『魔王』に近づいているかを数値化したものだ。100が魔王完全体として……あのゼオンとかいうスカした奴が42。アレンとかいうもう一人のお前が27だ」
「アレンが27? 結構低いんだね」
「『魔王の力』と実力は全然関係ないからな。弱い奴でも『魔王の力』だけは使いこなせてるって奴も歴史の中にはいたらしい。あのアレンってのは『魔王の力』を使わずに戦闘することも多かったんじゃないか?」
強ければ「魔王の力」を使うまでもないことがあるってわけか。それならアレンの数値が低いのもわかる。
逆にあの「ゼオン・イグナティス」は42と高い。確かに「魔王の力」についても僕より知っている印象はあった。それでもまだ半分にも満たないというのが驚きだけど。
「僕は?」
「お前は1だ。ゴミだな」
「少なっ!! え!?」
最低値じゃん!! 低いとかの話じゃない!
「【バルムンク】だって本当はもっともっと強いんだっ! それをお前と来たらぶっ壊しやがって!」
「ごめんなさい……」
そうだった。リーゼの爪撃に【バルムンク】はバラバラにされたんだった。
でも、無茶を言わないでほしい。「魔王の力」のことなんかほとんど知らないのに。そもそも自分にそんな力あると知ったのだってつい最近のことなんだ。
それに……
「僕はアレンと比べると……強くなんかない。君達を倒したのだって僕じゃなくてアレンだ。僕は魔王なんていうほどの器なんかじゃないんだよ。従うなら僕なんかじゃなくて君達を倒したアレンの方が正しいんだよ……」
自分の弱さは知っている。グランダラスにだって僕は負けた。結局アレンが倒してくれた。バハムートも倒したのはアレン。僕はいつも……負けてきたんだ。
僕は沈んでいると……バハムートはまた僕の頭を叩く。
「情けないっ!! このアホ!!」
「え……」
「バカにしてるのか!? あたし達は倒されたから誰かに従ってるんじゃないっ! あたしも、このデカブツも、アスト・ローゼン……お前に従ってるんだっ! アレンとかいう奴じゃなくて、お前に!」
「僕に……? な、なんで……」
アレンならわかる。強いし揺らがない。何かの信念だってある。
僕なんか何の取り柄もないのに。人間なのに異能だって使えない。魔法も基礎魔法1つで精一杯。人間にも魔人にも劣る僕なんか……。
「お前だけだったじゃないかっ! 立ち向かったのは!!」
「僕……だけ?」
「このデカブツがカナリアとかいう奴を襲おうとした時だって、あたしが出てきて色んな奴が逃げていった時だって、お前が! お前だけが!! あたし達に立ち向かってきただろうが!!」
バハムートは駄々をこねるように叫ぶ。目の端に涙の粒も溜めて。
クエストの時にグランダラスが暴力の限りを尽くしてカナリアが戦意を喪失させていた。それでもアスト・ローゼンは勇気を出して何度も向かっていった。
アーロイン学院の試験の時にバハムートが出てきてからは全ての生徒が恐怖を顔に表してその漆黒の竜王から逃げていた。それでもアスト・ローゼンだけは勇気を出してたった1人立ち向かった。
「お前のことちょっとカッコイイなって思ってたのに……ぐす……」
えぐえぐと泣き出すバハムートをグランダラスはオロオロとして宥めようとするが「泣いてないっ!」と怒られてショボーンと落ち込んでしまっていた。
「倒す」ことがすごいことじゃない。「立ち向かう」ことがすごいことなんだ。それをバハムートは訴えかけてくる。それなのに僕はずっとウジウジとしていた。期待してくれていたのに失望させてしまったわけだ。
「『魔王の力』は欲望の力。『自分がこうしたい』ってのを貫き通して確かな強い意志を持ってる奴が最も魔王に近づけるんだ。お前の魔王深度が低いのは『自分』がないから。でも、お前にはあっただろ。思い出せ! そもそも今戦ってるのはなんのためなんだ?」
「カルナを、救うため」
「それは誰が言い出した?」
「ぼ、僕だ。僕が……言い出したことだ」
「そうだ。周りからすれば勝手も勝手。ベリツヴェルン共からすれば次女を一時的に奪われる行為。命より心を優先するとかいう現実的に考えない意味のわからん綺麗事。善から程遠い悪。……それでも!」
バハムートは好き勝手言ってくる。そんなことは承知の上だ。それでも僕は……
「カルナって奴を救いたいから立ち上がったんじゃないのか!?」
その通りだ。僕はカルナを真の意味で救いたいから立ち上がった。周りからなんと言われようと。ベリツヴェルン家と対立しようと。儀式を中止してカルナの命をまた危険に晒すことになろうとも。
「僕がそうしたいから……立ち上がったんだ!」
誰かが選んだ道じゃない。これは僕が選んだ道だ。これだけは譲れない!
「よし。じゃあ……あの吸血鬼を倒しに行くぞ」
「リーゼを?」
「当たり前だろ。負けたまんまで終われるか!」
バハムートはやる気満々だ。けれど僕にやれるのか?
「また不安になってるな? 言っただろ。魔王の力は欲望の力。確かな意思を持つ者こそ魔王だと。あとは……覚悟だけだ」
「覚悟?」
「『魔王になる』ということは……『人を辞める』ということ。魔王深度を深めることになればこれからお前は自分が自分じゃなくなることも、大切な物を失うこともある。それでもお前はその扉を開けて先へ進めるか?」
自分が自分じゃなくなる……? どういうことかはわからない。でも、答えは変わらない。
きっと魔王になる者はどんな代償があろうとも自分の意思を貫ける者にこそ資格があるんだ。
「僕に今必要なのはカルナを救うためにリーゼを倒せる力。それが得られるのなら……僕は魔王になる。誰かを救うために立ち上がる魔王に……!」
その答えにバハムートはニヤリと笑った。椅子から立ち上がり……グランダラスと一緒に僕の前に跪いた。
「では、魔王。あなたと共に」
「うん。僕に力を貸してくれ」
「力を貸してくれ? そうじゃないだろ?」
バハムートが試すように僕を見てくる。
魔王の力は、欲望と意思の力。
「僕に……力を寄越せ!!」
「仰せのままに」
バハムートは僕の横に立ち、つま先立ちで背伸びして……チュッと頬に小鳥がついばむようなキスをしてきた。するとバハムートの首を一周するように鎖の紋様が刻まれる。
「アスト・ローゼン……あたしの認めた、あたしの魔王。これが本当の契約だ。さぁ叫べ。お前は……」
「僕は……」
「『支配』の魔王だ!!」




