84話 戦って、私の王子様
「くだらない話をしましたわ。それより……アストさんの血、一度飲んでみたかったんですの。それに……何やら匂いが……」
くんくんと小さな鼻を動かすリーゼ。アストの血液に何かを思う。
味わってみればわかるか……と口を開けて鋭い牙を出す。その牙がアストへと近づいていく。
その時、アストには……
(「随分とひどくやられたな」)
(「アレン……?」)
アレンの意識が、アストに話かけていた。
(「もう少し頑張ってみるか?」)
(「やって……みる」)
(「冗談だ。もう俺と代われ。お前とじゃ相手の格が違いすぎる」)
(「……わかった。けど、アレンなら……勝てるの?」)
アストは同意する。そして、気になっていたことを素直に聞く。それは前から聞きたかったことでもある。アレンならリーゼを破れるのかどうか。
(「言ったはずだ。俺は、目的を果たすまでは誰にも負けるつもりはない」)
アレンは負けないと言ってのける。リーゼの実力をまだ全て把握したわけではないのに。それほどの自信があるのだ。彼には。
(「だがこの戦いは分が悪いな。前にも言ったがおそらくリーゼは再生能力を持つ相手だ。しかも吸血鬼の中ではかなり強力な」)
再生能力……そうか。再生能力を持っている場合は15分以内で勝てるかどうかわからないと言っていた。負けることはなくても時間制限がある時点でアレンの不利があるのだ。
(「俺が奴を出来る限り弱らせる。お前は逃げろ。そして……カルナを捨てろ」)
(「カルナを!?」)
(「当然のことだ。今回は相手が悪かった。俺は15分経った後のお前の面倒までは見れないぞ。……諦めろ」)
アレンはリーゼとなんら変わらない非情な選択を突き付ける。
そんなこと、できるわけない。皆の想いを繋いでここまで来たんだ。カルナだって僕を待ってる。あの子の笑顔をもう一度……取り戻すんだ。
(「俺が戦い終わるまでに逃げる準備をしておけ。来た道は忘れていないな? すぐに引き返せ」)
(「待って! アレン!!」)
(「悪いな。向こうが待ってくれないようだ」)
その瞬間、闇に僕の意識は引きずりこまれた。
そこで僕の頭に映像が流れ込んでくる。
これはガイトと戦った時にもあった。過去の映像が流れる予兆だ。
視界に飛び込んできたその映像は……
♦
「兄さんっ!」
僕の……アレンの顔にグイっと近づいてくるシュシュで髪をポニーテールに纏めた少女。その少女はアレンのネクタイを手に取って不機嫌そうだ。
「兄さんはエリア6の次期リーダーなんですよ? もっとしっかりしてください! ネクタイが曲がってるじゃないですかっ」
そう言いながらせっせとネクタイを直してくれるこの少女は……。「兄さん」ということは僕の妹? アレンに妹がいたのか……。
「ミア。今いいかしら?」
僕とその子しかいなかった一室。扉の向こうから声が。ミア……この子の名前か。
「はい。いいですよー。……じゃあ兄さん、あまり服を汚さないでくださいね。今日は大事な式なんですから。あと、セーナさんと一緒だからって変なことしないでくださいね……」
「ただ話すだけだ。変なことなんて起こらない」
これはアレンの口から出た声だ。ミアの注意に困っている様子。
そしてミアと入れ替わりでやってきた「セーナ」という少女。鈴の髪飾りをつけた長い黒髪の……あの少女だ。
「ふふっ。アレン、カッコイイわよ」
「やめてくれ。この姿は動きづらい。奇襲をかけられれば数秒対応が遅れる」
「誰も襲ってなんか来ないわよ。ここはエリア6よ? ここに奇襲してくる奴がいるとしたら相当な命知らずね」
セーナは呆れたように返してくる。こんな時まで戦いのことを考えていたのかと。
「……セーナ。お前は『世界を殺してくれ』と言った。あれはどういうことだ?」
「…………さぁ? 忘れちゃったわ。そんなこと言ったかしら?」
アレンの質問をひらりと避けるセーナ。こちらに背を向け、その本心は見えてこない。
けれどセーナはすぐに向き直る。
「でも、アレン。どうか私の手を離さないでね。ずっと。どんな時も。何があっても」
「急になんだ。ずっと、は無理だろう。一緒に住んでるわけでもない。それに……父さんが何を言うか」
「あの人は私のこと嫌いだものね。ここにいることだってミアにお願いして内緒にしてるわけだし」
「そうだな……」
アレンの父さん……エリア6の現リーダーの人か。その人と……この少女の仲は良くないらしい。何が原因なのか。
「ねぇアレン。どうしても大切な物があるなら、絶対にその手を離しちゃダメよ? もし離しても……また繋いで」
「また……繋ぐ?」
「そう。いつでも……待ってるから。だから、どんな時も─」
─戦って、私の王子様。
そう言ってセーナは悲しそうな表情をした。
そこで映像は終わった……。
♦
「アストさんの血、いただきますわ」
アストの首筋に向かっていくリーゼの牙。その牙が届く前に……
「黙れ」
「え─あ え」
リーゼの2つの眼球が横一線に斬り裂かれた。
「い、ああああああぁ……!」
両手で顔を覆い、よろよろと後ろに後退する。その間も手のひらから血が零れて床を赤く汚していく。
「ベラベラ喋らないと戦えないのかお前は。少しうるさいぞ」
アストは……「アレン」は起き上がる。剣についた血を払いながら。
♦
「はぁ……はぁ……つ、着いた……」
カナリアはベリツヴェルンの城へ到着した。この中でアストが戦っているかもしれない。ならば加勢に行くべきである。
それでも焦ってはいけない。まだアストがリーゼにバレていなければここで不用意に入っていくのもマズイ。こっちもこっそりと入る必要がある。
音を立てずに扉をゆっくり開く。もしかするとすぐそこで戦闘になっているかもしれない。
予想は的中。アストは真紅の剣が体中に刺さって血だらけになりつつもしっかりと地に足をつけて立っている。対するリーゼは目元を押さえながら苦悶の声を響かせる。
すぐに自分の存在が入っていくのはどちらに事態が好転するかわからない。危険だ。魔法準備をしておいていつでも入れるようにしておく。これがベストだ。
(アスト……極力あんたの邪魔はしない。でもピンチの時はあたしがいる。安心して攻めなさい)
カナリアは密かにサポートを約束して扉の前で身を潜めた。
♦
「うあああ……あああああ!! 目がああああぁぁ! 私の、私の目があああぁぁ!!」
リーゼはまだ苦しそうな声を出す。アレンはそれを冷めた目で見ていた。
「いつまで猿芝居をしているつもりだ。いい加減にしろ」
「あら? 気づいてましたの?」
リーゼは目元を覆っていた手をどけ、ケロッとした顔でアレンを「見た」。─どこにも傷などない両の眼球で。
眼球を斬られても数秒ほどで修復を完了していた。アレンの予想していた通りリーゼの再生能力は他の吸血鬼を遥かに超えるほどの速度と回復力だった。
苦悶の声を出していたのも面白いと思って全てわざと出していたものだった。
「アストさん……ではないですわね。わかりますわよ。雰囲気がまるで別人ですわ」
「…………」
「さっきのアストさんは好きでしたけれどこっちのアストさんは面白くなくて嫌いですわ~。それに冷めてて……まるで悪役っぽいですもの」
「悪役」という単語にピクッと反応した。その単語はアレンの心に少しだけ波を立てる。きっとアストがそれを知れば意外と思ったことだろう。
(ふん。『王子様』が……『悪役』か。俺には当然の配役だ。まぁ……どうでもいいか。今となっては)
「『革命前夜』」
アレンは自分の「異能」を発動する。紫炎のオーラが体を包んで突き刺さっていた真紅の剣は全て消え去る。傷もたちどころに修復されていく。修復にかかった時間は「7秒」。
それを見ていたリーゼは目を見開く。これまでで一番の驚きを持って体が震えていた。
「あら?……あらぁ? これはいけませんわぁ……ベルベットったら。ふふ、なるほど。そういうことでしたのね。あのクソ豚魔法使いが最近『五芒星』に全然顔を見せないと思っていたら……これはいけませんわねぇ……」
リーゼの口から聞き慣れない単語が出るがそんなことよりも重要なことはアレンのその力を見て反応を見せたということだ。
「それ、『異能』ですわよね? アストさん、貴方……『人間』でしたのね!!」
♦
「え?」
扉の向こう、カナリアは聴こえてきたその言葉に硬直する。
脳が空っぽになった気がする。言葉の意味を理解してくれず開いた口もそのままで体に次の行動を命令してくれない。
そこからどれほど経っただろうか。きっと時間にしては10秒にも満たない時間だった。それでも永遠を感じるほどの時間だった。それくらい硬直してやっと脳が思考を掴んだ。
(アストが……『人間』?)
いや、アストは人間じゃない。だって魔力を纏っている。魔法だって『ファルス』が使えるじゃないか。それにベルベット様の弟子だ。そんなのあり得るわけがない。
「……」
アストは……最初、魔力を纏えていなかった。
アストは……属性魔法が使えない。
アストは……幼児ですら習得できる『ファルス』を習得するのに1年間を要したと言っていた。
喉が渇く。嫌なことに気づこうとする。
あの再生能力みたいなものが……「異能」。
「異能」を手に入れる方法は人間しか知らない。「魔法」に関しては「マジックトリガー」という例外が現れてしまったが、異能を与えるトリガーは出てきていない。
「アストは魔人だ」と組みあがっていたパズルのピースがバラバラに砕けていく。そして再度組み上げようとするとそれはまったく別の絵を見せていく。
「アストは…………」
カナリアはその後の答えを発する声が出てこなかった。