54話 アンリー・ベラルナ
アーロイン学院には怪我をした者を運ぶ「保健室」とは別に「緊急治療室」という部屋も完備している。
2年、3年の魔女コース学生の魔法演習や魔法騎士コースの魔法戦闘、そして学内戦などでは稀に事故が起きる。時には医療施設へ運ぶ時間すら惜しいほどの大怪我を負う。
そういった事故に対応するための部屋が「緊急治療室」だ。
元々学院には凄腕の治療専門の魔法使いもいるので他の医療施設と同等の治療を行うことも可能である。
今回ベルベットが運ばれたのはもちろん保健室ではなく、緊急治療室だった。
緊急治療室の前には待合室も用意されており仲間の安否をすぐさま知れるようになっている。アストはそこでベルベットの治療が終わるまで待っていた。
それから2時間ほどが経った頃だろうか。緊急治療室の扉が開いた。
アストはそれを確認すると前につんのめるほどに急いで中に入ろうとする。
「おい! 君、中に入るな!!」
当たり前だが治療に関係していない者が中に入っていいわけがない。アストは何人かの大人の魔法使いに止められる。
しかし、アストはそれを振り切って中へと進む。治療の行ったとされる部屋にも扉をぶち破らん限りの勢いで突撃した。
「ベルベット!……ベルベット!!」
アストは彼女の体が置かれている台座へと駆け寄る。
「なっ、待て!! 何者だ!!」
突然入ってきたことに周囲は驚き、すぐに彼を外へ叩き出そうとした。
だが、それを1人の女性が止める。
「おい。そいつ通してやれ」
「アンリーさん! しかし……」
「いいから。お前らもう全員帰ってマスでもかいてろ」
「は……? は、はぁ……」
どうやらその女性こそがこの中のリーダーのようで全員が言われた通りに帰っていく。……帰った後のことも言う通りにするわけではないと思うが。
気を失ったままのベルベットを除けばアストとその女性だけになった室内。
アンリ―と呼ばれた女性はまだベルベットの顔を心配そうに見ているアストに声をかける。
「ねぇ。あんた、アスト・ローゼンでしょ?」
「……へ?」
アストは涙でぐしゃぐしゃになった顔でそちらを向く。
アンリ―は「うわ、すごい顔」と笑いながら話を続けた。
「そいつの治療はまだ一旦終えたってレベルだからあんま触んない方がいいよ。動かすとマジで死ぬかも」
アンリ―の言葉にアストはすぐに飛びのいた。心配しているのに自分がトドメをさしてしまうわけにはいかない。
それと同時に、気になる言葉もその中に隠れていた。
動かすとマジで死ぬかも……ということはだ。
「一命はとりとめた……ってことですか?」
「まーね。つってもほんと首の皮一枚。死んでもおかしくなかった。ってより、こんだけやられて生きてる方がおかしいくらい」
あのベルベットが……!? 最強とも言われる魔法使いである彼女が死んでてもおかしくなかったと。
俄かには信じられない。強すぎる実力がそう思わせてくれないのだ。どうせ大丈夫だって思ってしまう。
「あー、そうだ。あんたこいつの執事かメイドに連絡取れる? 今誰がいんのかな……キリールあたりとかまだ生きてんの? キリール・ストランカってやつ。こう……不愛想で万年生理来てんのかって感じの」
「は、はい。キリールさんは、いますけど……」
「じゃあこいつが死にそうになってるって言っといて。それだけで今何が起きてるのか多分伝わるから」
アンリ―はこんな場所でどこから出したのか缶ビールを取り出し、プシュッ! という音を響かせて急にグビグビ飲みだす。
さっきのセリフといい、今の行動といい、どこから何をツッコめばいいのかわからない。
見たところ20代後半のような見た目の綺麗な女性。
だけどボサボサの髪の毛や残念な言動と行動のせいでズボラそうな印象を与える。今なんかビール片手に重要そうな機器を椅子がわりにして座ってるよ。
気になったところといえば……ベルベットを「こいつ」呼ばわりしていることだ。
ここの教師はガレオスさん以外ベルベットには逆らえないみたいな風潮がある。風潮どころか実際に魔法使いとしての力量や実績で敵わないからだろうけど。
そんなここの教師ですら尊敬するほどの相手に対して言葉を取り繕っていないのだ。いくら相手が聞いていない、聞けない状況とはいえガレオスさん以外にこんな人を初めて見たからビックリした。
「もしかして……ベルベットと知り合いなんですか?」
「ん? そーそー。『アンリ―・ベラルナ』。ここの保健の先生やってるよー。こいつとは学院時代の頃からの付き合いで飲み友達。たまーに杖とか剣とか作ってあげてるし」
ふぇぇ……やっぱり。
でも、待てよ。ベルベットと学院時代の頃からの付き合いというのならガレオスさんくらいの年齢なわけだ。どう見てもこの人は人間年齢で20代後半にしか見えない。変だな……。
「あの……アンリーさんって年齢の方は……」
「あぁ!? 女に歳聞くんかワレェ!!」
「ご、ごめんなさい! もう聞きません!」
「ベルベットと同じ歳」
「って、答えるんかい!!」
あまりに流れができすぎてついノリノリにツッコんじゃったよ……。アンリ―さんはケラケラ笑ってるし。
「あーおもろいおもろい! 君おもろいねー! ふふふ……『答えるんかい!!』って……ぷぷっ……あーおもろ!」
「もうそのことはいいですから!」
僕の声真似までして大爆笑してらっしゃる。どこがそんなに面白かったのか。……なんかこの人のノリ、どことなくベルベットに似てる気がするなぁ。
「見た目と歳が全然違ーうとか考えてんでしょ? ベルベットと一緒よあたしも」
ベルベットと一緒?そういえばベルベットも歳と見た目が一致してないんだよな。まるで若い頃から時間が止まってるみたいに。
「こいつもあたしもずーっと18歳のまんま! これぞまさに永遠の18歳ってか! なーんて。あはは!」
「18歳……?」
「おい、今あたし見て18歳にすら見えねーよババアって思っただろガキコラ」
「お、思ってません!!」
っていうかそこまで言ってません!
「あたしはベルベットより大人っぽいの! こいつがガキみてーなだけ! はい復唱!」
「は、はいぃぃ……」
アンリーさんはプンスカ怒って缶ビールをブンブン振り回してきた。僕が言われた通り復唱している間ビールの雫が僕の顔にかかる。あー! ベルベットの顔にもかかってるし!
「ベルベットに聞いたんですけど昔、魔法実験に失敗した影響なんですよね?アンリーさんもそれに参加してたんですか?」
「は? なにそれ?」
缶ビールの手を止め、本当にわかっていないような顔をする。
「……違うんですか?」
「違う。ま、嘘ついてるってことは言いたくないってことだから言わないけど」
ベルベット、これも嘘だったんだな。
でも、これに関しては本人にとって触れられたくないことかもだから別に構わない。
あくまで僕が怒ったのは僕に関することだったからなわけで。追及もしないでおこう。
「ってか、君も大変だねー。人間なのに魔人のとこで暮らすようになっちゃって。ぶっちゃけしんどいでしょ?」
「僕が人間ってこと知ってるんですか!?」
「うん。ベルベットから聞いた。いやーあの時は笑ったな~」
僕のことを人間と知ってるのに何も恐れずケラケラ笑っていたのか。それはそれですごいな。
「アンリーさんは何も思わないんですか? 人間を前にして」
「そういうめんどいの嫌いなのよー。人間とか魔人とかどっちでもいいじゃん」
ぶっちゃけすぎだ……。
やっぱりベルベットと似てるなーこの人は。だからベルベットも信用して僕が人間ってことを話したのかな。
ベルベットもあんまり人間と魔人に関して強く意識はしてないし、知り合いは皆そうなのかも? そうだと僕的にはありがたい……のか?
「ねー、ちょっとだけ真面目な話していい? 今回こいつは本当に死ぬかもしれなかった。けど、死ななかったのはこれのおかげだろうね」
アンリーさんはベルベットの手をペシッと叩く。
あんまり動かすなって言っといてそれはどうなんだ……と思ったけれど。それよりも目に入って衝撃を受けた物がそこにはあった。
それはベルベットの左手……の薬指につけられたハート型の指輪。僕がプレゼントした「ハートリング」だ。
効果は……ほんの少し、微量の「生命力の向上」。
「なんでこいつがこんな安物つけてんだろーって疑問だったんだけどさ。これあんたがあげたやつでしょ? そうじゃないとこんなに大事そうにつけてないだろうし。正直このパチモンみたいな指輪のおかげで……助かったよ、こいつは。これだけは『魔工』のあたしの口から断言できる」
僕があげた……指輪のおかげで……。
それに、ずっとつけてくれてたんだ。この指輪を。
ベルベットからすれば息をするように消える金額のひどい安物なのに。つけてくれてたんだ……。
僕はベルベットからの気持ちが全部嘘だと思っていた。
アレンは「全てが嘘ではなかったはずだ」と言ってくれたけど……形となってここにあったんだ。ベルベットの、気持ちが。
また涙を流す。なんて最低なやつなんだ僕は。一番信頼しなきゃいけない人を僕は信頼しなかった。誰よりも僕を想ってくれた人に僕はひどいことを言った。
誰よりも近くで僕を愛してくれた人なのに……!
僕は涙を拭う。もう泣いていられない。
「ベルベット。目覚めた時……僕と話そう。ちゃんと話をしよう。まだ僕自身『人間』としてこの世界を生きられるか覚悟を持てない。でも、ベルベットの言葉をしっかり聞いて、それで考えるから。精一杯考えるから。だから……絶対に、生きて……!」
必死に言葉を届ける。治療の魔法なんて使えない僕にはそれしかできない。
けど、それならできる。「信じて待つ」。それならできるんだ。
「じゃあ……ベルベットのことをよろしくお願いします。今からキリールさんに連絡しますので」
「あいあいー。ほんじゃーねー」
アストはプラプラと手を振ってくれるアンリーと別れた。
「……あんた、十分愛されてんじゃん」
アンリーは中身の無くなったビール缶をポイっと捨てて軽く伸びをした。
「さーてと。こんなことやったのどうせあの『バカ吸血鬼』だろうし、一々喧嘩の傷治すこっちの身になれってんのよ。いい加減どっちか死ねばーか」
ベルベットの頭をポコッと殴って……アンリーは目元の雫を一つだけ払った。




