3話 『支配』の魔王
「あれはバハムート!? いつあんなの捕まえてたのよ! 伝説級の魔物よ!?」
ベルベットはモニターに映されたその竜を見てガレオスに向かって吠えた。
ガレオスは依然として目を閉じたまま。眠っているわけではない。そう言われるとわかっていたからだ。
「まだ若い個体でな。数年前から学院側が隠していた」
「若いって言ったってそれでもまだ試験生には荷が重すぎるでしょ。下手すれば全員死ぬわよ?」
「安心しろ。魔法で攻撃力は落としてある。通常のバハムートなら魔力を纏っていようが構いなしに貫通させてくるが……あの試験用のバハムートは魔力を纏っている相手にはまともにダメージなど与えられないようになっている」
「そうは言ってもバハムートは防御力も高い。チンケな攻撃なんか通らないわ。それこそ試験生レベルの魔法じゃ傷なんかつくわけない!」
バハムートは爪の攻撃、炎のブレス。それ以外にも鱗による防御力も目を見張るものがあった。
圧倒的な攻撃と防御。それがバハムート。魔物の中でも最強と評されるに相応しい力を持っている。
「私はバハムートを倒せとは一言も言っていない。これは戦力差を見極める練習のようなものだ」
バハムートという勝てない相手に対してどう行動を取るか。それがこの試験の本番のテーマ。
つまりこの魔物は倒せないという想定で出している。
「なるほどね……。500ポイント、か~」
ベルベットはガレオスに反論していたが、顔を手で覆い隠した後にニヤリと笑った。
あれを倒せば一気にトップになれそうだな、と。
(アスト。あなたならやれる。さぁ見せて。あなたの……力を)
目を開けてそのベルベットの笑みを見たガレオスは怪しみ再びモニターを睨む。その先に映っているアスト・ローゼンの姿を。
(なぜだ……胸騒ぎがする。あの少年に何があると言うのだ?)
♦
「やらなきゃ……500ポイント。もうあれしかない……!」
アストは歩く。バハムートがいる方向へ。その目はバハムートを見据えていた。
「やめなさい! 確実に死ぬ。あれはバケモノよ。あんたみたいな魔力を纏ってもいない雑魚なんかちょっとかすっただけで死ぬわ!」
カナリアはアストを制止させる。絶対に勝てないから。どう転んでも勝てるわけがないからだ。
「カナリアさんはいいんですか? 500ポイントですよ?」
「あたしはもう合格に十分なポイントを集めてる。だから……狙う必要なんかない」
カナリアは一瞬だけ迷う素振りを見せながらも自分は安全圏と言えるほどのポイントを確保していることを明かす。
「そうですか。でも……僕は違う」
もうブラックウルフはいない。それにちょっとポイントが高い程度の魔物を倒したところで合格には遠く及ばない。ならば……
(あいつを倒すしかない……!)
アストは再び歩を進める。
「ちょっと! これはきっと討伐だけの試験じゃないわ! 絶対勝てない敵が出てきた時の対応を見られてるのよ! ここは逃げるのが正解のはず……」
「だとしても!! 逃げたところで僕は終わりだ。終わらない道は……あそこにしかない!」
焦っていないと言えば完全に嘘になる。
今まで強い魔物をスルーしてきたからこそ今になってこんな絶望的な状況になっている。どこかで勇気を出して戦うべきだったんだ。
アストは走り出す。カナリアによる制止などまったくといってアストには効かなかった。
「あれを倒さなくても合格は確実……だけど」
カナリアは遠ざかるアストの背を見つめる。自分がなぜ魔法騎士になるのか。それを頭の中で巡らせる。
「ああもう! やってやるわよ……。あたしだって、こんなところで逃げるわけにはいかないのよ……!」
自分が持っているレイピア【ローレライ】を握りしめて歩を進めた。バハムートがいる方向へ。
♦
「おいおいこんなの無理だろぉ!」
「なんで試験なんかにバハムートがいるんだよ! 伝説の魔物だぞっ!?」
「逃げろおおおお!」
逃げ惑う魔法使い達。だがそれとは違い逆走する影が1つ。
「おおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」
たった剣1本でデカイ竜に向かう男。アスト・ローゼンは魔力という鎧を纏わずに立ち向かう。
(相手は飛んでいる。それなら……)
「『ファルス』!!」
魔法を使って身体強化。その強化された足で近くに立っている岩壁の上に飛び上がる。そしてさらにそこから飛んでいるバハムートに向かうように岩を蹴る!!
「うおっと……! やっぱり魔法ってすごいな……!」
なんとアストはバハムートと同じくらいの位置まで飛び上がった。足の骨も折れてない。下を見ると試験生達が小さく見えた。
(よし、これなら……!)
今や手が届くところにいるバハムートを持っている剣で落下しながら引き裂く!
ギャギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ!!!!
火花を散らし、甲高い音を響かせていく。手ごたえと肉を斬り裂くような音じゃない時点で気づいた。
この魔物、見た目通り防御力も半端ではない!
そのままアストは落下。地面に着地する。普通なら下半身の骨が折れたりするだろうがそこは身体強化魔法『ファルス』のおかげ。体は無事だ。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
安心する暇はない。今の一撃はまったく無意味と言えるものだったがバハムートを怒らせるには十分すぎた。
バハムートは低空飛行する。地上にいるアストにその巨体が近づいていく。ブラックウルフが接近してくるのとはまったくレベルが違う威圧感だ。
「うあ……ああああああ!!」
地面を破壊しながら襲い掛かってくる黒の暴竜。それと共に体を吹き飛ばすほどの旋風も。徐々に距離が近づき相対的に恐怖も膨れ上がっていく。
(剣で防げるわけない! どうすれば……くっ、クソ……! 何か防御の魔法が使えたら……)
いや、防御の魔法が使えるかなんか関係ない。本能が叫んでいる。どうやっても無理だと。
「水の精霊よ我に力を 悪しき魂に今こそ罰を 勇気ある魂に祝福を 忌まわしき心を洗い流す 敵を撃ち抜け断罪の水流」
そこに詠唱を紡ぐ声が。逃げるアストの前に立つ少女が1人。
『ウォーターガイザー』!!」
大きな牙がアストを斬り裂こうと迫る……が、寸前で地面から発生した水柱がバハムートの顎に直撃する。その巨体ごと空中へ吹っ飛ばした。この魔法は……
「カナ、リ……ア……」
「はぁ……はぁ……無茶、するわね。剣1本で戦う、とか……はぁ……」
レイピアを構えて魔法を発動していたカナリアは激しく息をつきながら地面に座り込む。
空中に吹っ飛んだバハムートを確認すると……ダメージは0。まったく効いていなかった。
(最大出力で放ったのに無傷って……。低いところを飛んでいる時がチャンスだったけど……もう無理ね)
カナリアの息が荒いのは魔法を使ったから。そうは言っても普通に魔法を使う分にはここまで消耗はしない。では、なぜか?
簡単に言うとすれば今撃った『ウォーターガイザー』はカナリアの手持ち魔法の中でもかなり高威力の魔法。そしてそれを「全力」で撃ったから。
魔法使いの魔法にも使う魔力を調整することで「加減して撃つ」、「全力で撃つ」等の力加減が存在するのだ。
魔法は、詠唱と同時に必要とする魔力を杖または魔法武器に注ぎ込むことで発動する。その時に注ぐ魔力の量で魔法の威力を変えられる。
カナリアはさっきの魔法にかなりオーバーに魔力を注ぎ全力で魔法を放った。それでもなお、ダメージを与えることはできなかった。
これはカナリアの魔法が弱かったというよりもバハムートの防御力が強かったという方が正しい。この竜は魔法に対する防御力もトップクラスに高いのだ。
「こんなのどうしろって言うのよ……!」
カナリアはこれでバハムートが倒れてくれればと思っての一撃だったために戦意がかなり削がれてしまう。
それでなくとも魔力を消耗したことでもうあれ以上の攻撃力を持つ魔法なんて使えないことから絶望は必至だった。
「攻撃を続けることが勝つための道だ……。やめればそこで終わる……」
アストは残り時間を気にする。この試験では制限時間は1時間と言われているが今どこまで時間が経過したのかは確認できないことになっている。
そのため次の瞬間には時間が尽きていて試験終了が告げられるかもしれないのだ。
(まだ僕は何もできていない。このままじゃ、終われない!)
再びバハムートに向かって跳ぶ。身体強化された力がアストをまた空へと誘う。
「ああああああああああああ!!!!!」
通らないとわかっていても剣を振り下ろす。堅牢な鱗とぶつかって耳障りな音を響き渡らせるがやはりノーダメージ。
「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
「あ………………」
黒の暴竜はその鬱陶しい小さき存在を二度も逃さなかった。
本来、空中では翼がある方に分があるのは誰でもわかること。翼が無い方に動きが大きく制限されることもわかりきっていることだ。
勝ち目など、ないことも。
大きさが何十倍も違う相手に向けられる無慈悲な暴力。手加減など一切感じさせない野生の一撃。空中で乱れ咲く鮮血の華。
バジュッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!
バハムートが繰り出した爪撃がアストの体を斬り裂いた……!!
「アスト!!」
カナリアは悲鳴のような声を上げる。戦いを遠巻きに見ている受験生達も悲鳴を上げた。
アストの体は勢いよく地面に打ち付けられる。
……。
…………。
え? どう……なった?
空中で何かが自分に襲い掛かってきたのは見えた。でもそれを認識した瞬間にはもう自分は地面に落ちていた。
意識も抗うことすらできず一瞬で手放してしまった。いったいどれくらい気絶していたのかわからないが暗闇から目覚める。
「アスト……! あんた大丈夫なの!? 生きてる?」
「あ、……あ、か、り、…あ」
うまく声が出ない。大声でも出して安心させたいのに。力が入らない。声を出すのに「力が入らない」なんておかしなことだ。声を出すのに力なんてそこまでいらないだろうに。
だが、今のアストにはそれすらも重労働だった。
アストの体には痛々しい、大きく斜めに斬り裂かれた傷が2つできていた。
膝の部分は先が少しだけ削り取られて血がドクドクと流れ、胸のところにはまさに「抉られた」という表現が正しいほどに真っ赤な斜線が走っていた。
地面に打ち付けられた時の傷か、頭からも血が流れている。
重症なんて話ではない。このままでは死ぬ。
これも普通の魔法使いならここまでの重症なんか負わない。
魔力を纏っていれば試験用に用意されたバハムートの爪の攻撃はほとんどダメージが入らないように設定されているからだ。
だがアストは他の試験生とは違う。あるべき鎧がない。それがここでは致命的だったのだ。「試験用の魔物の一撃」という温い言葉もアストにとっては何の意味もない必殺の一撃だった。
「おい……なんだよあの試験生。魔力纏ってなかったのかよ……」
「集中してなかったってことか?」
「いやいや、魔力を纏うのに集中も何もないだろ…」
遠くからそんな声が聞こえる。「鎧」を着ることが当たり前にできている者の声。それは暗になんでそんなお前がここで戦っているんだと言われているようで辛かった。
自分だって魔法が使いたかった。努力だっていっぱいしたのに。言われたことは全部やったのに。
魔人であるなら当然の武器を身に着けていない自分は疎外感を感じることだって少なくなかった。ベルベットの下で修業する時間が長くなるほどに辛い気持ちも増えていった。
それでも自分の過去を知るために全てを押しとどめて頑張ったんだ。なのに……なのに……!
もう、終わるのか……?
♦
「終わり、だな」
モニタールームでガレオスが呟く。
ここでも悲鳴は上がった。今までのアーロイン学院の試験で死人なんて出ていない。今回が初となるからだ。
「ベルベット。お前には悪いが……これが良い例となった。人間と戦うため、死をも恐れぬ必要がある魔法騎士。それになるということにどれほどの力と覚悟がいるのかというな」
ガレオスは少しだけベルベットの心配をしてやりアストの死は無駄ではないと言ってやる。声音はいつもとまったく変わらない無機質なものだがこれでもまだ心配している方だった。
魔法使いの世界では弟子を取ることは珍しくなく、むしろよくある。
けれどもベルベットは弟子なんてものを今まで取らなかった。ガレオスと同じく色んな魔法使いから慕われる存在でありながら堅苦しいことが大の苦手であることから面倒なことはやらなかった。
でも、アストは弟子に取った。初めての弟子だったのだ。それが死んだとなると……悲痛も計り知れないだろう。ガレオスはベルベットの顔を覗き込むと……
その魔法使いの顔は、女神のように微笑んでいた。
「ベルベッ─」
「アスト。まだ、やれるわよね?」
ガレオスの声を塗りつぶしてベルベットは声を発する。変わらずベルベットの目はモニターに映る血にまみれて倒れたアストに注がれている。
「大丈夫。あなたならやれる。……あなたの力を見せて」
ベルベットはここにいないはずのアストに話しかける。ガレオスはその光景に言葉が出なかった。
(あの少年はもう終わっている。いったいこれから何を……)
ガレオスはモニターに目を戻す。これから起こることを見逃しはしないと。
♦
(最初から、無理だったんだ。魔法を使えない自分が、こんな……)
アストは絶望の淵にいた。瀕死の状態になってようやく諦めがついた。自分はここに来るべきではなかったんだと初めて自覚できた。
先ほどからカナリアは自分の体に魔法をかけてくれている。おそらく傷を治癒するような魔法だろう。けれども顔色を見るだけで上手くいっているかどうかなんてすぐにわかった。
(もう……終わり、か)
アストは自分が握っていた意識の命綱というようなものを手放してしまおうかと思った……その時、
─もう、諦めるの?
(え?)
頭に声が響いた。それはベルベットのものではない。カナリアのものでもない。ベルベットの館に住むようになってから聞いた声でもない。
自分の知らない少女の声だった。
知らない……はずなのに。なぜか懐かしいと思ってしまう。もしかすると過去の記憶の断片なのだろうか?
─諦めそうになった時、まずは立って。どれだけ痛くたって、体が千切れそうになったって、自分の脚で立って。
その声は立てと言ってくる。それは浸透するように自分の頭に広がってあんなに諦めていた自分がなぜか早く立たなきゃと思うようになった。
「ぐ、あ、あああ……があああああ……!」
「アスト!? まだ動いちゃダメよ! あんた傷が……」
僕は体を起こす。横でカナリアさんが何か言っているけどそんなことよりも立たなければいけない。今、僕の頭の中ではそれしか考えられなくなっている。
僕は立ち上がる。血をボタ……ボタタッ!と流しながらも、ブチブチ……!と体の中で嫌な音が聴こえてきても。自分の体に鞭を打つ。
─立つことができたなら、今度は前を向いて。下を見ていても何もできない。前を向いて……敵を見て。自分が倒すべき敵を。
僕は引き続き声に従って前を向く。そしてその先、斜め上の空中にいるバハムートを目で捉えた。黒い暴竜もこちらを睨んでいる。
─前を向けたなら、今度は決めて。自分がやるべきことを。その敵をどうしたいの? 貴方は何のために戦うの?
「僕、は……あい、つを倒す。そして、魔法……き、騎士に、なる。いっしょ、に……いてくれた……ベルベットの、ため、に……」
アストは弱々しくも頑張って言葉を紡いでいく。魔法の詠唱と同じように。自分に言い聞かせるように。
「……過去を、知りたい……じ、自分の……ために…!!」
それを口にした時、頭の中で少女の声が響く。
─そうすれば、ほら……貴方はもう一度、戦える。
その声が頭に響いたのと同時、ドクン……!!と心臓が強く鼓動する。
(な、なんだ……?)
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……
心臓の音は止まない。徐々に強くなる。自分を内側から支配していくかのように。
ドクンッ!!!!!
(─ッ!)
一際強い心臓の鼓動と共に、アストの意識は闇に塗られた……。
─さぁ、舞踏会は開かれた。……踊りましょう。
最後にはそんな少女の声が、聞こえた気がした
「アスト! あんた、だいじょう─…………え?」
カナリアは立ち尽くしているアストの様子を心配していると……信じられないものを見た。
アストの体から紫の炎のようなものが溢れ出る。それはアストの体を包み込み……バハムートにつけられた傷を急速に治癒していった!
みるみるうちに傷は無くなっていき……わずか数秒で綺麗に全ての傷は完治した。
「嘘でしょ……回復魔法? いや、そんなのじゃない……。魔法なんかじゃない……! これはいったい……」
「やつを………………倒す…………」
カナリアは聞こえたそれが誰の声か一瞬わからなかった。それほどに底冷えする声だった。
「バハムート、『俺』は、お前を……倒すッ!!」
アストは地面に落ちていた自分の剣を拾い、そのままバハムートに向かって走る!
「『ファルス』」
そう一言唱えて身体強化の魔法をかけ直し、アストは地を蹴った。空中にいる竜に向かって砲弾と化す。
剣を構え、バハムートの体を狙い……向かっていく勢いのまま斬り上げていった!!
ギャギギギギギギギギギギギギギギ!!
「グギャギャアアアアアアアアア!!」
またも火花と甲高い音を出すが、ダメージは通るわけがない。ノーダメージだ。
バハムートは2度目の時と同じく空中で満足に移動ができないアストに向けて必殺の爪撃を放つ!
また空中に鮮血の華が咲き誇る……と思われたが、
「くだらんな」
なんとアストはその爪撃を斜めに構えた剣で軽く受け流した。
ガガガガガガガガガッ!!と激しい音が響くも爪はアストの体に当たらず。
「グガアアアアアアアアア!!」
バハムートの爪撃、2発目。無傷のままで落下していたアストに向けて再び爪の一撃を放つ。
……しかし、またも
「……ふん」
ガギッッッッ!!
激しい音と共に受け流す!! アストの顔は涼しいまま。
そのままアストもダメージを受けず地面に着地した。
攻防を見ていた試験生のほとんどが驚愕していた。空中で竜を相手にあそこまで立ち回れる者がいるのかと。
いくら試験用のとはいえプロの魔法騎士の中でもバハムートを軽く相手にできるものなどいない。むしろまともに戦える魔法騎士すら少ないのだから。
「……!」
だが、さすがに竜の爪を受けるには不相応だったか。アストの剣は崩れ落ちるようにバラバラに砕けた。
「使えんな……」
アストはそれを見ると柄だけになった剣をポイッと捨てる。
「あ、アスト……? あんた……」
カナリアは急に動きが良くなったアストに声をかける。
「………」
アストは、何も答えない。カナリアの方を見てもいない。気に留めてもいなかった。ただその目は……バハムートの方へ。
「……倒すには武器が必要だ」
アストは周りに目を向けた。その中で探す。やつを倒すのに十分な武器を。
「!」
アストは目当ての物を見つけて、瞬間移動と見紛うほどのスピードでそこに移動した。
「ひ、ひぃ! なんだよぉ……」
移動した先は1人の試験生の前。その試験生は……「斧」を持っていた。それも魔法武器。通常の斧よりも丈夫で一撃の重さもありそうだった。アストはそれを……
「貸せ」
奪い取る。
持ち主の許可など聞く前に。まるで王が自分のために用意されていた武器の中から好きなものを選んでいくかのように自然にそれを奪い取って、バハムートへの殺意を再始動させる。
体からはゆらゆらと紫焔のオーラのようなものが発生していた。魔力のようで魔力とは違う何かをアストは纏っている。それはこの世の何よりも禍々しく恐ろしいものと見ている誰もが感じた。
「……行くぞ」
アストは駆け抜ける。紫焔を纏う幽鬼となって。
「グギャガアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
バハムートは……恐れた。「それ」は小さい姿であっても持つ力は尋常ではないとすぐにわかった。
4度目の飛翔。アストは斧を振り上げた体勢のままバハムートの至近距離に跳び上がる。
それに対してバハムートはアストに向けて自分の2つ目の武器─ブレスを放とうとした。
灼熱の炎を喉元から装填。
一切合切を焼き捨てる地獄の業火。これを受ければ魔力を纏っていないアストなど全てが掻き消える。
しかし、その炎が彼を焼くよりも早く─
「『ファルス』」
アストは身体強化の魔法と共に………斧を、振り下ろした。
バガアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァンン!!!!!
空間が裂けたと錯覚するほどの音が世界を包む。
衝撃波は計り知れず見ていた試験生はその余波で吹っ飛ばされていた。
バハムートの体は上半身と下半身で破れた雲のように真っ二つに両断される。いくら身体強化魔法の『ファルス』を使ったとはいえ、斧のたった一振りで。
アストは着地し、一振りすら耐えられなかった斧は粉々に崩れていった。
ゴミと化した斧も地面に捨てると……今度は同じく地面に落ちた両断されたバハムートに向けて右手をかざす。そしてそこから「黒い魔法陣」が現れた!
「天空を暴れる漆黒の竜王バハムートよ。今からお前を………『支配』するッ!!」
魔法の詠唱か何かと思われたその言葉を吐いた瞬間、バハムートの体から魔力と思われる光の粒子が放出され、アストのかざした右手から出現した魔法陣へと流れていく。
それは誰からの目にもアストがバハムートの魔力を吸収しているように見えた。
敗北した者に科す死刑……そんな表現がこれを見た者全員の頭に浮かび上がる。
魔力を全て吸い上げるとバハムートの体は虚空へ霧散した。同時にアストは気を失って崩れ落ちる。
『1時間が経過しました。試験を終了します』
機械など見当たらないこの魔法で造られた荒野のような世界でどこからかアナウンスが流れる。それは受験生に試験の終了を告げた。
『トップの成績は………アスト・ローゼン 511ポイント』
その言葉はバハムートが討伐されたことを証明していた。試験生達は叫ぶ。
とんでもないものを見た歓喜か、バハムートをたった1人で討伐したアストへの恐怖か、未来の魔人の英雄としての期待か。
「アスト……なんなのよあんた……」
カナリアはまだ見たものが信じられないと呆然としている。
アスト・ローゼンがバハムートを単騎で討伐するのに使ったのは大魔法でも竜を屠るほどの超絶剣技でもない。
ここにいる誰もが使える初歩の身体強化魔法『ファルス』それだけ。
けど、あれは『ファルス』で出せるような斬撃の威力ではなかった。バハムートの鱗をも破壊する初級魔法など聞いたことがない。まだ何か圧倒的な斬撃の魔法を使ったんだと言われた方が信じられる。
「もう……訳わかんないわ…」
カナリアは眠っているアストの顔を見て溜息をこぼした。
♦
「どういうことだベルベット!」
ガレオスはアストの異常な力を見るとすぐに横にいたベルベットの肩を掴んで問いただす。
「あれは……あれは……『魔王後継者』か!?」
ガレオスの言葉を聞くとベルベットは嗤った。正解、と言うように。
ベルベットは口を開く。
「私の弟子なんだもの。特別なのはわかりきってるでしょ?……名前はもう憶えてくれた?」
世界に「王」が現れる時、それは時代が進む時。
「彼の名はアスト・ローゼン。この私、ベルベット・ローゼンファリスの弟子よ」
その言葉は、偉大なる魔法使いとその弟子の物語の始まりを告げる号砲だった……。
さぁ。世界が、動き出す。