特別編『自壊の救世主』(8)「虚無を語る」
自分にとって最も大切なものを失ってしまったゲイル。生きる理由を見失い、全てを諦めかけたその時、彼の前に一人の男が現れる。
その男は、物語を紡ぐ者
ゲイルはオルゴールを開いてからは力なく床に座り込んでいた。
俯いた顔を上げる力もない。起きる力も湧いてこない。もう何もしたくない。
このまま死ねば……あいつのもとへいけるのか?
「やぁ」
そんな腑抜けた男しかいないこの家に、来客。
あの豚男がまた立ち退き要求に来たのかと思った。厄介な母がいなくなったんだ。今来てもおかしくない。
だが……その男はあの豚とは違い中肉中背。手には一冊の本を持っている。
「ゲイル・ガーレスタだね。お母さんの件は残念だった」
「誰だテメェ……何の用だ」
豚男ではない。しかし、ここに用があるのは立ち退き以外にないだろう。だから、人が代わった程度にしか思っていなかった。担当でも代わったか、と。
「名乗るほどの者でもないけど……そうだね、」
男は自分に近づいてくる。
「『ディバイン』。しがない語り部さ」
「……」
意味わからん。どうやら頭のイカれた奴が来てしまったようだ。
これならまだあの愉快な豚野郎が来た方がいくらかマシだとも思う。どうして今の最悪な心地の時にこんな意味不明な奴の対応をしなきゃならんのか。
「その語り部とかいう奴が何の用だって聞いてんだよ」
「いやね。こういうやり方は僕も本位じゃないんだけど……」
ディバインと名乗った男は水が入った小さな試験管のようなものを渡してきた。
「それは道を切り開くための『力』。君が進むべき、正答の道だ」
その試験管を受け取ってゲイルはぴんときた。
ああ、こいつはあれか、と。
怪しげな文句と共に怪しげな水を売りに来た。そんな胡散臭い商人。
だとしたらただのバカだ。精神がズタズタにやられた奴に目を付けるのはなかなかだが、エリア2にこんな水を高い金で買うような奴はいない。それならドブの水でも飲んだ方がよっぽど水分を得られるのだから。
「変な壺売りに来る奴の方がよっぽどマシな文句でくるぞ。さっさと出ていけ」
「何かと勘違いしてないかい? それはあげるよ。君が困難を切り開くための道具なのだから」
「なんの困難をだ!! 意味わからねぇことをベラベラ喋って一人だけ気持ちよくなってんじゃねぇ!!」
ゲイルは試験管を握り、投げ捨てようとする。
その腕をディバインが止めた。
「君は知りたかったんじゃないのかい? 『どうすれば良かったのか』を」
「……!」
『どうすれば良かったのか』。
その言葉には心当たりがある。それどころか、つい最近に自分がこの世界に向けて叫んだものだ。
あれが聞かれていたと思うとなんともむず痒いが……
ならば。ぜひ教えてほしい。
親が病気で。日々食べるものを得るのも厳しくて。住む場所は良いところとは言えなくて。自分がいるエリアは住民の補助なんて考えず、むしろ貧しい人間から金を毟り取るクソ野郎ども。他エリアに頼ろうにも、こんな小汚いエリア出身の人間など相手にもしてくれない。
そんな身の上で、自分はどうすれば母を生かし続けられたのかを。
「はっ、答えてみろよ。俺はどうすりゃ良かったんだ?」
「全員殺し尽くせば良かったんだよ」
「は……?」
間髪入れずディバインは答える。その迷いなき、極端な暴論にゲイルは固まってしまう。
「君の母を捕まえに来た警察を殺す。それで事件になって追ってくる警察も殺す。邪魔な君を始末しようと暗躍するハンターも殺す。君に非難をぶつけてくるであろう住民も殺す。この腐ったエリアを作ったリーダーも殺す。全員全員殺し尽くすんだよ」
「テメェ……」
「そして、君が上に立てばいい」
ディバインはゲイルが握っている試験管を抜き取った。
「これは、それを可能にする力だ」
「…………それはなんだ」
ゲイルの目の色が変わる。
ディバインの暴論中の暴論。しかし、
「これは『神水』。神と交信して異能を授かることができる水だ」
「……聞いたことはあるが、バカバカしい。神だぁ? んなのいるわけねぇだろ」
「おや、信用しないんだね」
「いるなら、なんで最初っから俺達を救ってくれなかったんだ」
ディバインは肩をすくめる。「そりゃそうだ」とでも言いたげだ。
「ま、それはあげるからじっくり考えなよ。……あ、一つ言っておくけど」
「なんだ」
「君、命狙われてるよ」
「あぁ?」
またもおかしなことを吐いてきた。どうして母が自分の罪を被る形で死んだというのに今度は自分が命を狙われる展開になるのか。
十四件もの殺人を起こしたクズはミレーユ・ガーレスタ。そう認知されている。なら、復讐だとかそんな話も自分のところに来るわけがない。
……いや、
「立ち退き要求してきた奴らか」
「正解。彼らと繋がってるハンターが君を抹殺しにくる。子供の君なら他エリアに駆け込んでも本気にしてくれる人なんていないだろうけど、大人に育てば厄介だ。第一、自分達に対して復讐心があろう人間を生かしておいては夜もぐっすり眠れないだろうしね。君、一応殺人鬼だし」
クズの考えそうなことだ。
大人なら速攻で民意を得られて処刑確実。子供の方は抹殺してもこのエリアじゃ大して問題には上がらない。
結局、俺から何もかもを奪うつもりだったわけだ。
「このエリアの大規模改革に参加している人間、警察、ハンター……今回、君の母を処刑に追い込んだことに関係している全員のエリア2の人間……その居場所を記した地図を渡しておくよ。どうしたいかは……君の自由に」
何から何まで。一体どうやってそんな居場所や関係者まで調べ上げたというのか。
「もう僕は行くよ。これ以上物語に手を加えるのは本当に好きじゃないんだ。それじゃあね」
「…………最後まで意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇ」
やっと消えやがった。
が、これからどうするかだと? そんなのは決まっている。
「このまま抹殺される」だ。
こんな終わり方。俺みたいなクズ野郎にお似合いじゃねぇか。
殺してきた奴らもそれを望んでいるだろうよ。さっさと死ねってな。
母が罪を被ったからなんだというんだ。死ぬべきは俺だった。そう、俺だったんだ。
今更、俺に足掻く資格なんてねぇよ……
それに、あのバカのところへ早くいける。むしろありがたいくらいだ。
最後の晩餐でもと、有り金全部使って飯でも食ってやろうかと思った。どうせ死ぬんだ。死ぬ前の飯くらいたらふく食ってもいいだろう。……盗んだ金なのだが。
そう、思っていたのに。
「なんだい坊主。久しぶりだね」
「……」
なんだってこんなクソドーナツ屋に来たんだ俺ぁ……
よくよく考えれば豪勢な飯なんか食おうとしたこともなかった。こういう時にどこで食えばいいのかも検討つかない。料理もできないから材料を買っても意味がない。
知ってるのは……このドーナツ屋くらいだった。
「あんたの母さんのことでえらい騒がしかったけど、なんかあったのかい」
「……何もねーよ」
「…………そうかい」
婆さんは何か言いたげではあるが、そこからは何も言わずにドーナツを揚げていく。
いつも嗅いでいた匂い。大して食欲をそそられるわけでもないし、楽しみになるわけでもない。店員も婆さん一人だけで面白くもない。
なのに。自分が知っている店なんてここだけで。何か食おうと考えてもここしか浮かばない。
自分は明日くらいには死んでいる。ここの婆さんどころかドーナツ屋より早死にするとは思いもしなかったが、まぁせいぜい俺という厄介な客がいなくなった後はくたばるまで続けているといい。
ゲイルがそんな風に息を吐きながら暗くなってくるこのゴミエリアの風景を眺めている時に。
「ちょうど良かったよ。あんたが今日来てくれてさ」
「あ?」
「今日でね。この店もおしまいさ」
突然、それは投げ込まれた。
「……店、やめんのかよ」
「あんたも知ってるだろ。このエリアが吸収されるの。ここにもね、なんかえらい建物が建つのさ」
「……」
「元々ここはジジイババアだろうと生活になんの保障もしてくれないさね。みーんな金はエリアリーダーの懐さ。そのせいじゃないけど金にも困ってたしね。たたむのも頃合いさ」
「そうかよ」
つまんねーことを聞いてしまった。こんなことを聞くんじゃなかった。
これから死ぬってのに、追い打ちをかけられた気分だ。
別に続けていた方が嬉しいというわけではない。潰れるのなんか秒読み段階と言われてもしっくりくるぐらいのボロ店だ。こうなるのは予想できていたはずである。
「いいのか? 前にどうしてもやめられねぇとか言ってただろ」
「そうさねぇ……。それに関しては無念だけどね。せめて、死ぬまでは続けたかったよ。死ぬ場所くらい、主人といた場所にしたかったね」
「……」
一緒にいた場所……
なるほどな。あいつが立ち退き要求を何度も突っぱねてた理由はそれか。
どいつもこいつも、抱えるもんがあると生きるのは大変だな。
もう俺にはない。守るものも。俺が死んで悲しむ奴も。居場所も。もう何も。
「ほら。ドーナ──あれ、どこ行ったんだいあいつ……」
ドーナツが出来上がると。そこにゲイルの姿はなく、中身が空の試験管だけがそこに置かれていた……




