特別編『自壊の救世主』(3) 「薄氷は君を睨む、大罪は君を笑う」
──大罪はいつだって人の中
──狂わせるほどの誘惑で
──君はもうすでに罪の中
──おいで おいで こっちへおいで
「ふー。あの雌豚からは絞れそうにねぇかな……」
タバコをふかして、ミレーユに金を貸している男は人気のない道を歩きながらぼやいていた。
「女」であることを利用したいが、あんな痩せっぽちな女なんて誰が使おうか。「男」でもどこかの国に奴隷として送ることもできるが……さて。
(やっぱ、臓器なりなんなり取った方が手っ取り早いか。あの雌豚とガキをセットにして奴隷に落とすのも悪くなさそうだし……)
どうにかして金を回収しようと画策して嫌な笑みを浮かべていた。そこで、ふと誰かが後ろに立っていることを感じ取る。
「あ?…………ああ、お前あそこのガキか」
「…………」
来るだろうとは、思っていた。あれだけ家を荒らして親に酷い目を合わせていれば黙っていないだろうと。
そのガキをぶん殴ってやるのも面白いかと思っていたが……本当に来るとは。
「ほら。どうした? なんか文句あるかガキ」
「どうしてあんなひどいことをするんだ……お前は」
何を、言うかと思えば。
男はぷっ、と笑いだす。
「いやいやいや! 酷いのはお前の母ちゃんの方だろ。金借りといていつまで経っても返さねぇ。ちゃーんとしたルールがあんのに守らないのはいけないことって習わなかったか?」
爆笑しながら、言うことを聞かない子供に言い聞かせるように。本心ではバカにしているとわかる。見え透いている。
「……あ、学校にも行かせてもらえないか。あんな貧乏じゃあな。くっく、わりぃわりぃ」
「なぁ……どうしても金を返さなきゃいけねぇか?」
「あぁ?」
今度は、なんだ。
「ちゃんと話聞いてたかガキ! 『借りたら返す』。それがルールだろうが!! 『普通』のこともロクにできねぇくせに偉そうに喋ってんじゃねぇコラァ!!」
いい加減ウザくなってきたガキを怯えさせてその口を閉じさせてやろうと思っての恫喝だった。
これで黙って、泣かせて、家に追い返せばいい。それだけで愉快で酒が飲める、と心でほくそ笑んでいた。
その余裕は、それが最後だった。
ガツンッッッッ!!!!!!!!
と、強烈な音と共に、男の視界が突然揺れる。
「──は?」
ふら、ふら、と体を揺らした後……頭に手を当てると、ドロ……と液体の感触が。
それは真っ赤な、自分の体の中にある「血液」だった。
前には、先端が血液によって赤黒に塗られた鉄の棒を握っているゲイルが。どこかで見つけたのか。後ろに隠し持っていたのだ。
「お、おまえ……おい、んだ、こりゃ……おい……」
「借りたもん返せっつったよなお前」
ゲイルは、ぐる、ぐる、と揺れる正常をかなぐり捨てたような異常色の目を向けて呟く。
「じゃあ、じゃあよ、貸したお前が死ねばどうなんだよ。おい、教えろ」
そう言って、ずぶ……! と鉄の棒を腹に突き刺した。
「うぉ……いっ……お、おま……ま、じ…ふざけん……」
ゲイルは鉄の棒をすぐに引き抜き、倒れる男に馬乗りになる。
「死ね……死ね……死ね……死ね…………!!」
がん、がん、がん、がん、と鉄の棒で顔を殴る。
今までの恨み全部ぶつけるように。殴る。殴る。殴る殴る殴るなぐるなぐるなぐるなぐる。
「はぁ……! しね……はぁ……はぁ……」
──人ってのはね。何かに満たされてないと心が貧しくなるのさ
「しね……! しね……!!」
──自分にはあれがない、他人はこれを持ってるって。足りないものを自分以外に要求するようになる
「はぁ……! はぁ……! しね……!!」
──そうなったら他人のことなんて想いやれない。いつも自分のことばかりさ
「しね!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ゲイルは、最早ただの「血溜まり」を殴っていた。
腹が減った。
くれ。くれよ。奪おうとするな。何も持ってない俺達から。
持ってる奴から奪え。俺達から奪うな。
それなら……奪われる前に、全部奪ってやる。
俺達を壊そうとする奴を、俺が全部ぶっ壊してやる。
腹が減った。腹が減った。腹が減った。
そうだ。 最初から、こうすればよかったんだ。全部、ぶっ壊せば。
♦
「来たかい」
「ドーナツ」
「ったく……はいよ」
次の日。また栄養源を確保するべくドーナツ屋に。もうなんの遠慮もなくタダでドーナツを食っている。近い内に潰れるんじゃないかこの店は。今まで生き残っていただけでも謎なもんだが。
「あんた毎日食いに来てるけど、あたしのドーナツは美味いのかい?」
「しょーもねぇ味だ」
「……このクソ坊主」
「しょーもねぇクソババアが作ってるからそんな味になるんじゃねぇのか?」
「口の悪さだけは一級品だねぇほんと」
やれやれと婆さんは息をつく。
そんなドーナツでもぺろりと完食した。すると、それを見て不思議に思ったのか……
「あんた、今日は全部食べるんだね」
「あ?」
「いや、いっつも半分に割ってたくせに」
「……腹減ってたんだよ。わりぃか」
それだけ言い捨てて、踵を返して帰路についた。
♦
「帰ったぞ」
「あ、ゲイル。おかえりなさい」
なんとかテープで繋いでいる扉を開けると、頭にグルグルと包帯を巻いた母がベッドから起き上がる。
それを確認すると、持っていた大きな袋をテーブルに置いた。中からリンゴやらの果物だけでなく肉まで零れ出る。
「わっ。そんなにどうしたの」
「買ったんだよ。当たり前だろ」
「え……そんなお金あったっけ?」
「俺がみすぼらしい格好してたから安くしてくれたんだよ。だから手持ちの金で買えた」
はえー、とミレーユはたまげたという顔をしている。
無理もない。いつぶりだろうか。こんなに大量の食糧と我が家で出会えるなんて。
「そんな良いことあったってことは……いつも頑張ってるゲイルのことを神様が見てくれたってことね」
「なんだそりゃ。俺の何を見たっつーんだよ」
「優しい子は~光の子~♪」
「だからそれやめろ音痴コラ!!」
しょぼーんとミレーユは肩を落とす。この歌はそろそろ禁止しなければ。
♦
「ゲイル。お散歩行こっか」
「あぁ……?」
それから数週間経っての朝。起きると目には満面の笑みの母が。
どうやら今日は幸か不幸か体調が良い日のようだ。となると、待っているのはもちろん散歩。母の体調というのはまったく読めないので目覚め一番これに出迎えれたら誰だってしんどい気持ちになる。
……まぁ、行くのだが。
「本当にありがとうねゲイル。最近は助けられっぱなし。私の代わりに働いてくれてるなんて知らなかった。金貸しの人もまだ待ってくれてるし安心安心」
「あぁ……」
近頃は自分が十分な食料を毎日調達している。そのお金も自分で働いて稼いでいる。
それもあってようやく薬も買えそうだ。もうすぐ。もう少しの、辛抱で。
「ゲイルは優しいね。あなたの母親で、よかった」
「んだよ。今更」
「ふふん。優しい子は~」
「はいはい。『光の子』だろうが。気分上がったら歌う癖はいい加減にどうにかならねぇか?」
「そう言いながらちゃんと聴いてくれてるんだから。やっぱりゲイルは優しい子」
ちっ……と舌打ちして顔を背ける。
「……口はちょっと、悪いけどね」
ミレーユは……悲しそうに、笑った。
その顔を、ゲイルは見ることはなかった。
──人は皆、薄氷の上
──選択は歩を進めること
──誤れば踏み砕き、急転直下の地獄へと
──ほらもう君は、薄氷の上へは戻れない
──ざまあみろ この犯罪者




