特別編『自壊の救世主』(1) 「ただ普通だけを求めて」
以前言っていたゲイルの特別編です。ミルフィアの時みたいに過去についての話になります。正直この話はなかなか辛いので自分で考えた話なのに4回くらい号泣してしまいました。
「ヘクセンナハトの魔王」本編でもゲイルはかなりのキーキャラになりますので興味があれば読んでみてください。全12話です。
ミリアド王国。
10の数字のエリアに区切られ、1は王宮が存在するメインエリア。そして2~9は「リーダー」と呼ばれる者が疑似的な王となってそこを統治するサブエリア。さらに王以外の一切の進入と干渉が禁止されている特殊地域の「エリア10」。
それらで構成された人間最大の国。その輝かしき姿から人間達からは「光の国」とも呼ばれている。
しかし、光は眩ければ眩いほど、影も濃い。すなわち……「闇」も存在するのだ。
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~ミリアドエリア2~
「……」
ここのエリアのリーダーとなっているゲイル・ガーレスタは、自分のために王宮から用意されているハウスの中に設置されたボロボロのソファーにこしかけて考え事をしていた。
その脳裏にあったのはつい先日のことだ。
アスト・ローゼンと呼ばれる「魔王後継者」を討伐する大作戦に参加したこと。そこでその少年と戦ったわけだが……
(何だったんだあいつは……)
一々とウゼェことを言ってくるのもそうだったが、一番意味不明だったのは持っていた力だ。
「禁断果実」という謎の異能。あれは今まで見たことがないものだった。
異能というのはたしかに常識外れの力を人の身に宿してくれる。しかし、あの異能は別次元だ。まるで「世界を滅ぼすための異能」といっても過言ではない。
すでに死に絶えている体を再生したり、一撃で森を吹っ飛ばす衝撃波もそうだが、さらに驚いたのは……
「おぅゲイル。ほい、ドーナツ買ってきてやったで。お前これしか食わへんねんやからせめてたらふく食っとき」
「はー疲れた。毎回毎回わざわざ遠くのドーナツ屋に行くの面倒だよな」
突然、このリーダーに用意されたハウスで同居しているホークとハンナが帰ってきた。
いや突然も何もあいつらが買い物してくるというので「ついでにドーナツ買ってこい」と言ってパシらせていたのだが。
ホークから袋を受け取り、中にある輪っかの形をしたパンにかぶりつく。
そこで、先の思考を再開した。
そう、最も驚いたのはこのホークの身にあった異変だ。
こいつは、あのエラの森での一連の出来事を一切覚えていないのだ。
本人に聞いても何も覚えていないと言うし、アスト・ローゼンについても「誰やったっけ……そいつ」とごっそりと記憶が抜け落ちている。
自分とハンナにはそんな兆候は見られない。しっかりとあの夜のことは覚えている。
超回復、超破壊……ときて、人の記憶の改竄。これらを全て一つにやってのける異能が存在していたことに驚いたのだ。
(まぁ……次会った時はぜってぇぶっ壊してやるけどな……)
どんな異能を持っていようが関係ない。魔王の力なんてどうでもいい。
自分の前に立ちはだかるならぶっ壊す。それだけだ。
「なぁゲイル。お前いっつもそればっか食ってるけどうまいのか?」
「あぁ?」
バクバクとホークの買ってきたドーナツを食っているとハンナが横に座ってきてそんな質問をしてくる。
ゲイルは基本的にドーナツしか食わない。本人が甘い物好き……というわけでなく、それなのになぜかドーナツを注文してはそればかり食っているのだ。
そうなると相当な大好物であると考えるのが普通である。
だが……
「別に。大してうまくねーよこんなの」
興味なさそうにシラっとゲイルは答えた。
「うぇぇ!? 別に好きでもないのに毎日食ってんのか? イカれてるじゃん……」
「ほっとけ……」
ゲイルは鬱陶しそうに横にいるハンナを睨む。
「しっかし気になるなぁ。そんならなんでわざわざこのエリアに一つしかないボロっちぃドーナツ屋選んで、そればっか食うんや」
ホークは昼食の準備をしながら、ハンナの疑問に自分の興味も乗ったのか援護射撃をしてきた。余計なことを。
「んなもんどうでもいいだろ。俺が何食おうがよ」
鬱陶しい奴らからの質問責めを回避するためにソファーから立ち上がり、ハウスの二階へと逃げ込む。
だが、そうは言いながらもゲイルはその質問がトリガーとなって頭の中は過去への旅を始めようとしていた。
(チッ。嫌なこと思い出しやがる……)
嫌々ながらも自分の頭は勝手に記憶を潜っていく。
それは神から異能を授かりハンターとなるきっかけになったもの。
その鍵となるのは、自分の母。
彼女は、
窃盗五十八件、殺人十四件の罪で、死刑となった女性だった……
現在。貧民街であり、廃止、エリア1との統合が考えられているエリア2が、さらにボロボロに腐っていた頃の話。
♦
~7年前~
「なんだい、金はこれっぽちしか無いのかい。帰んな! あんたに売るパンはないよ!」
「ちっ……」
パンを売る店に立っていたしかめっ面が染みているような老婆に怒鳴られ、舌打ちをしながら道の石を蹴る少年。
名はゲイル・ガーレスタ。まだ特殊な磁力を発生させる「異能」を持っていなかった、そしてまだまだ子供だった、頃の。
持っていた金は30G。パンを買うには100Gもいる。これではリンゴすら買えない。
ゲイルの腹の虫が鳴る。
お腹が空いた。
今日、母から貰ったお小遣いでは腹を満たす飯さえ手に入らない。
昼飯はもう食べているのだが。といっても、少しばかりの野菜と、果物だけ。
自分の年齢くらいの子供が日頃食べている量と比べれば天地ばかりの差がありそうだ。他エリアにいる裕福な家の子供は肥え太った者もいるらしい。野菜と果物だけでそうはならないだろう。
「おや、まーたこんなところで道草くってんのかい」
声をかけてきたのは、先のしかめっ面老婆とは人種が違うんじゃないかというほどの優しい笑みを携えた老婆。
その老婆が立っていたのは、「ドーナツ」とだけ書かれた小さくみすぼらしいボロボロな店の前だった。
「……」
「腹、空かしてるんだろ。ほら、食いな」
そう言って、老婆は─ここは彼女の店なのだろう─店の裏に回り、こちらに戻ってくると一つの輪っかの形をしたパンらしき物を渡してくる。
数日前に自分がこの辺を歩いていると、今日みたいにこの老婆はドーナツというものをくれたのだ。もちろんそれを期待して今日もここを歩いたのだけれども。
「ありがとな婆さん」
「あれま、口が悪いね。お姉さんと呼びな」
どう見ても60代はいってそうな老婆を相手にお姉さんとは想像すらもできないだろう、と心の中でツッコむが……食べ物を得られたのはありがたい。そう呼んでやってもいいくらいには満たされた気分だ。
甘いパンが空腹を満たし、心も満足したので婆さんに「じゃあな」と一言だけ返して家に戻る。そこにいたのは、
「ゲイル、おかえりなさい」
「……おう」
ミレーユ・ガーレスタ。折れそうに痩せこけた肢体に、慈愛のこもった眼差しを持つ女性。─自分の母である。
彼女も自分と同じく食べ物を満足に得られていない。
そう、この家は貧しい。父は早くに亡くなり、母は病弱で一週間に三度外に出られれば調子がいい方で。唯一、健康であったのは自分だけだが……年齢のせいで働くこともできない。日々のお金に四苦八苦としている状態だ。
今も、母は内職で弱った体に鞭打っていた。
「そんなことしなくていい。今は休んでろよ」
「そういうわけにはいかないわ。ゲイルのご飯のために頑張らないと。……それでもあんまり食べさせてあげられてないけどね」
本当は母の体を良くする薬を買ってやりたい。
けれど、薬は高い。パンなんて何日、何百日と食えるんじゃないかというバカみたいな金額をしている。
医療を専門としている横のエリア3に行けば母の体をなんとかできるかもしれないが、エリア移動にだってお金はかかる。それすらも厳しいのだ。
ここにも当たり前に病院はあるが、隣にそんなエリアがあるのにわざわざここの病院に来るような人間なんて相当の訳あり以外にいない。そのせいで金額が通常の倍以上に高く設定されているという笑えない医者がいるところだ。そんなクズのところに通うこともできない。
結果、毎日を生きようと病弱の母がなんとか頑張ってくれているのだ。
「ほら、これ食えよ」
「……?」
そんな母にしてやれることなんて、これくらいしかない。
そう思って自分は持っていた袋から、ドーナツの半分を差し出した。
「これ、どうしたの」
「買ったんだよ。小遣いで」
嘘だ。貰った物。たった30Gでただのパンすら買えなかったのに、こんな物買えるわけがない。
しかし、心優しい母のことだ。貰ったなんて知れば決して受け取ろうとしない。食べ物であるというのに返しに行こうとか言いだしてもおかしくない。それほど「悪」というものとは無縁の者だった。
「それなら、私はいいから。お腹空いてるでしょ? ゲイルが食べて」
ほら。金を払って買ったと言えば今度はそれだ。これだから、母はどんどん痩せ細っていく。それでは治るものでも治らない。
「~~~! いっつも金稼いでんのはそっちだろ。いいから食べろ!」
「むぐっ!」
こうなれば強硬手段。母の口に無理やりドーナツを咥えさせる。
ただでさえ少ない食べ物を自分に多く与えようとする。仕事をしているのは自分の方なのに。せめて、何かの助けになりたいと思って食べ物を調達してきたのだ。食べてもらわないとこっちが困る。…………誘惑に負けて半分食べてしまったのは謝りたいが。
「ゲイルは本当に優しいね。そういうところお父さんに似てるわ」
「……うっせ」
そんなことを言われればむず痒い気持ちになる。振り払うように母から顔を背けた。
その時だった。
自分達のボロい家の扉が激しくドンドンドン!!と叩かれる。それに母がビクリと体を揺らした。
「……また、あいつらか」
あいつらが来た。それを知るとどうしても忌々しい顔になるが、自分達にとって「それ」は抗えない来訪だ。
母はゲイルの前に出て、扉を開ける。
「おっ。いましたかミレーユさん」
「……は、はい」
「んじゃ、単刀直入に。お金は用意できました?」
「─ッ」
これだ。この来訪が、自分達を暗鬱とした気持ちにさせる理由は。
自分達と彼の関係性は至ってシンプル。
彼は金貸し。そして自分達は金を借りている者。
このミリアド王国の各エリアでは、毎月リーダーに献上金が必要となる。
それを払うことでリーダーは土地を渡したり、彼らの守護を約束したりしてくれる。払えなければそのエリアにはいられない。
自分と母にはその献上金すらも払えなかった。そして、借りてしまったのだ。金を。
献上金が必要になる度に借りていればどんどん借金は膨らむ。そんなの当然。さらに利子まで膨らむので途方もない金額になっていた。
「その、すみません……どうか、来月まで……」
「はぁっ…………また、それですか」
苦しい顔をしてひたすら懇願する母を見ると、金貸しの男はボリボリと頭を掻く。
そして、
「いい加減にしろゴラぁ! 借りたもんは返すっつーのが人として『普通』なんじゃねぇのか雌豚!」
母の体に掴みかかって豹変する。病弱の母にだ。もちろん比喩ではなく青い顔をして怒声に怯え切る。
「やめろ!」
耐え切れなくなって俺は飛び出すが、邪魔な虫でも払うように足蹴にされて抑えられる。
「ゲイル!」
「金もねぇのにこんなうぜぇガキなんか作りやがって。おい、こいつの臓器でも売っちまえば楽に暮らせんじゃねーのお前」
「やめてください……この子だけは……お願いします……」
「ちっ。んなこと金返してから言えっつーんだよボケ。それか、テメェの体で返したらどうなんだ、あぁ?」
恫喝は止まない。それから数分間地獄のような時間だった。
「次来るまでに用意しとけ。じゃねーとガキの体バラすぞ」
「…………」
バタンと乱暴に閉じられる扉。
母はペタンと力尽きたように体を落とす。俺は情けなく鼻血を垂らし、目には涙が滲んでいた。
「ごめんねゲイル。私のせいで。私のせいで……」
「……謝んな」
生きるには金が必要だ。必要なんだ。
でも、薬は高い。食べ物を食う金を稼ぐにも難しい。このエリアにいるためのお金だって俺らからすれば高い。
そんなにお金を借りたことは悪いことなのか? あんなにボロクソに捨てられるほどの罪なのか?
ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな。
♦
「また、こんなとこで道草くってんのかい」
あのドーナツ屋の前を横切ると(わざとだが)、老婆が声をかけてくる。
「ほれ。腹減ってるんだろ。食いな」
「……わりぃな婆さん」
「口が悪いねぇ。お前さんはほんとに」
ふん、と鼻を鳴らして老婆は店に戻ろうとする。
「なぁ。なんであんたはそうやってこれをくれるんだ?」
「急になんだい。藪から棒に」
これで三回目。最初はろくに食えていない俺をバカにしているのかと思っていたが、この婆さんにそんな様子が窺がえない。
金を借りたら酷い言葉をぶつけてくる男はいるのに、何も言わずに無償で物を与える婆さんはいる。この世界そのものが不思議で、そこから出た疑問だった。
「人ってのはね。何かに満たされてないと心が貧しくなるのさ」
「……」
「自分にはあれがない、他人はこれを持ってるって。足りないものを自分以外に要求するようになる。そうなったら他人のことなんて想いやれない。いつも自分のことばかりさ。そんなの、せっかく生きてんのに勿体ないさね」
「勿体ない……?」
婆さんはうんと頷く。
「世界ってのはね。優しいもんと優しいもんが繋がってできてんのさ。人と人との助け合い。他人を想いやって初めて繋がりが生まれ、そうして世界ができていく」
「……そうとは思わねーけどな」
助け合いだなんて。じゃあ弱者を平気で食らってるあの金貸しはどうなんだ、と。
「そう思うのは、お前さんの腹が減ってるからだ。そのドーナツ食いな。腹くらい満たされりゃ、ちょっとは人のことを考える余裕が生まれるってもんだ」
そう言ってワハハと老婆は笑う。
一口、ドーナツを食った。
甘い。振られた粉砂糖が唇に付着し、そこからもじんわりと甘さが広がる。
また、半分を母に渡そう。いや、今度は、もっと多く。




