204話 黙示録
「ぐ………う、ぅ……」
魔王が破壊の限りを尽くしている頃、アストは意識の深層とも言えるような場所で身動きが取れず苦しんでいた。
ここはまるで悪夢の中のようなところだ。
周りの一切が暗闇で何も見えない。足元は汚泥にはまっているみたいに動けない。腕や体はまるで鎖で絡めとられているようだ。
怒りのあまり、あの奇妙な林檎を齧った時からここに縛り付けられている。声を出しても返事はないし、自分の体が何者かに乗っ取られた感覚がする。
でも、それはアレンじゃない。ましてや僕の中にいるムウやグランダラスでも、セーナという少女でもないとわかる。
それよりも、もっと禍々しい存在。自分の中とは違う第三者が自らの体の中に無理やり入ってきた……そんなものだった。
「どう、なったんだ……あれから死んだままで、ここは死後の世界ってオチじゃ──」
死んだならどうしようもないけれど、生きているならどうにかして自由になりたい。
そう思った時だった。
急に視界が暗闇から一気に開ける。
そこは自分が死んだ時から変わらずのエラの森だった。
意識が戻った……と喜びかけたが、依然として体は動かない。見たところ自分の目であるはずなのに、他人の視界を覗いている気分だった。
そんな視界で、今はハゼルを含むゲイル達ハンター四人が自分と戦っている。
ホークとハンナについては知らないが、ハゼルとゲイルは強力な異能者だ。
それなのに、今の自分はそれらを蹴散らしている。
自分が一つ唱えれば、体が癒え、
自分が一つ唱えれば、人は頭を抱えて苦しみ、
自分が一つ唱えれば、有象無象が消し飛んだ。
なんだこれは。なんだこれは。
これが……今の自分が振るっている力?
誰がこんなことをしているんだ。誰が僕の体を操っているんだ。
──目ザめたカ、我が後継者。
声が響いた。自分と同じ声で。
すると視界は破壊されたエラの森から、真っ白な空間──「精神の部屋」に戻った。
そこに人型の存在が一人。こちらに背を向ける形で立っている。
背丈は自分と同じくらいで、男。声のせいで自分と話しているみたいで気色が悪いが、その相手は決して自分ではないとすぐにわかった。
つい、反射的に「お前は誰だ」と問いかけたが……今の発言で図らずもその正体を掴みかける。
「『我が後継者』? あなたが……魔王?」
「お前達が、そう呼ぶ者で間違いはない」
魔王が、自分の体を乗っ取っている?
ダメだ。また理解ができない状況だ。
死んだと思ったら、変な果実を齧った瞬間に体を乗っ取られ、その相手が魔王ときた。理解不能のオンパレードだな。
「お前は願った。この世界の破壊を。だから実行しているんだ。後継者の体を借りて、私が」
「ねがっ……た……」
ゾクリと震える。
たしかに、僕は願った。
果実を齧った、そこで。
『ベルベットを守りたい…………たとえ、世界を殺しても!!』
「けど、それは……!」
「お前達が『魔王の力』と呼ぶもの。その中でも『心臓』は特別でな。真の絶望を抱いた者の魔王深度を一時的に100まで引き上げる能力がある」
「真の絶望?」
「『人間』と『魔人』という種への怒り、そしてこの世界への絶望だ」
魔王は血が出るくらいに拳を強く握りしめる。
「魔王深度が100に到達した者が現れた時、その者は『真の魔王の力』を得る。この世界全てを破壊しつくす最強の異能──『禁断果実』。それを使い、世界に裁きを与える。この争いに満ち、醜く腐った世界にな」
強く握りしめた拳を脱力する。呆れ果て、全てがどうでもよくなったかのように。
「あなたは……人間と魔人を憎んでいるんですか?」
「…………」
魔王後継者にそんな秘密があったなんて。魔王深度を上げていった先に待っているのは世界の破滅……
それではまるで、魔王後継者とは「世界の監視者」のようじゃないか。
人間と魔人を見張るための感情記録装置。
魔王後継者が力を求めたり、感情を大きく動かすのは……人間と魔人が争った証。
そして魔王深度が限界に達すれば、世界への裁きが訪れる。
「そろそろお前の魔王深度は通常の値に戻る。だが、お前の体を借りて久しぶりにこの世界を見たが……おかげで理解できた」
「何を?」
「人間と魔人は共存できない。やはりどちらも滅ぼさなければならない。それがよくわかった」
魔王は結論付ける。
人間は生きている限り、魔人を殺す。
魔人は生きている限り、人間を殺す。
それだけでなく、人間は人間同士でも争う。魔人は魔人同士でも争う。
この世で最も醜い生き物は「人」であると。
「アスト・ローゼン。お前も十分理解したはずだ。人の悪意をその身に受けて」
どれだけ言葉を尽くしても、ハゼルはベルベットへの復讐を忘れない。
それだけじゃない。
アリスにマジックトリガーを使って兵器にしようとしている。
争いは止まない。どちらかが死に尽くすまで。もうやめてくれと言っても何度も大切なものを奪っていく。容赦なく。無慈悲に。永遠に。
だったら、力を奪えばいい。
復讐を忘れないというのなら、記憶を奪えばいい。
その剣で誰かの血を吸うというのなら、腕ごと引き千切ればいい。
言葉がダメなら、行動で…………
『人間と魔人は絶対に分かり合える。そう信じていれば、いつか必ず。だって……同じ『人』じゃない、私達』
「!」
僕の心は魔王の意見に賛同しかける。
そこで……一滴の雫が僕の心の世界に落ちた。
それはベルベットの言葉だった。
信じていれば、必ず。
最後まで信じてあげなければ……絶対に人間と魔人は手と手を取り合わない。
その橋をかけようとする者が、どうして「人」を憎むか。
「僕は…………もう一度、信じてみようと思います。『人』を」
「信じる? 人を信じられるのか? 平気で弱者を踏みにじるのに? お前の大切なものはこれから幾度となく奪われていくぞ?」
「僕が変える。人も、世界も、何もかもを」
間違っていた。
言葉を尽くしてもダメだ、なんて。
それは僕が相手のことを何も知らなかったからだ。
ハゼルはどんな想いでこれまで生きてきたのか。
ベルベットの口から聞いても、彼の口からは何も聞いていない。
ゼオンはアリスのことを守ると誓っているけれど、僕は彼の想いを何一つ理解してあげられていない。
ゲイルにも、何か共感できるようなものはあった。けれども、それを深くは知ろうとしていない。
当たり前だ。「言葉を尽くした」と言ったって、僕が一方的に話しているだけじゃないか。相手のことを理解しようとしないで何が『分かり合う』だ。
今まで出会ってきた『魔人』の人にはそれができていたと思う。だからわかってくれた人や、心を開いてくれた人がいた。
けれど『人間』には……それができていたか? 魔人の世界で住んでいるせいで、どこか『敵』として見てなかったか? 「理解できないもの」として拒絶していなかったか?
そうだ。今の僕に大切なことは……
「魔人を守りながら……もっと『人間』の世界に触れなきゃいけない。今の僕は、魔人の世界しか知らないんだ」
「そんなことをしても、より強く奴らを憎むだけ。知ろうとすればするほど……人の悪意にも触れることになる」
「それでも……やっぱり僕は人間と魔人を救いたい。共存させたい。そしてその先にある……『人が生きる意味』というものを知りたいんです」
一度挫けそうになったけど、それでも。
「人間」の僕は、「魔人」のベルベットのおかげで生きている。
世界がそんな風に支え合っている光景を……僕は見たいんだ。
そして「人は何のために生きているのか」を……知りたいんだ。
「…………勝手にすればいい。だが、お前がこの世界に結論を付けた時。お前は希望を持ってこの世界を救おうとする存在となっているのか。お前は絶望してこの世界を破壊しようとする存在となっているのか。それだけは楽しみにしておこう」
魔王は指をパチンと鳴らす。
瞬間、暗転。
意識が黒く塗りつぶされ、強制的に眠りにつこうとする。
「アスト・ローゼン。『魔王の力』は……私が人間と魔人を繋げようとして生み出した力だ。私と同じ過ちだけは……犯すな」
誰もいない真っ白な部屋で、悲しく魔王はそれだけを呟いた。
──主よ どうか気づいて 貴方は禁忌を犯している
──主よ 貴方は狂っている 人の愛に狂わされた
──主よ 真実を見てはならない 神の子は貴方を愛している 決して神の子に真実を見せてはならない
──主よ 貴方は神に選ばれた
──貴方は選びなさい この世界の 行く末を




