20話 人間と魔人
アストの『支配』はグランダラスの魔力を全て吸収した。
「また……バハムートの時と同じ……?」
さすがにカナリアも理解した。
あの「支配」とは……倒した敵を己の眷属として従わせる力。眷属となった魔物は召喚することができ、武器にもなる。しかもその武器は『魔法武器』だ。
(急に戦闘能力が向上したり、『支配』とかいう見たことない魔法や魔法武器を使ったり、ほんと底知れないわね)
「………くっ」
アストはガクンと膝を落とす。立ち上っていた紫焔のオーラも無くなった。持っていた【バルムンク】も消滅する。
「はぁ……はぁ……! なん、とか……勝ったのか、僕は……」
アストは元に戻っていた。雰囲気も前のアストだ。
「アスト、あんた……」
「カナリア……ははは、僕達……助かったね。……クエスト、成功」
アストはクシャリと笑顔を作る。カナリアはキョトンとした後、つられて笑った。
「……バカ。ちゃんと無事に学院に戻るまでがクエストよ。ベルベット様の方がどうなっているかわからないんだから」
「そうだった……いてて、体中が痛い……傷は治ってるのに体がメチャクチャ痛む……」
もうどこにもひどい傷を負っていないのにふらつくアスト。魔力が欠乏しているのかもしれない。
そんなアストを見て1つ息を吐くと、
「ねぇ」
「ん? なに?」
「…………ありがと。あんたのおかげで戦うことができた。また立ち上がることができたわ」
「え? 僕なんか言ったっけ? ごめん。覚えてなくて……」
「はぁ!?」
自分のお礼の言葉が記憶がないという返しで全て無となりカナリアは激怒する。アストは「ごめんなさい……」と縮こまっていた。
戦いの最中、確かにアストは自分へ言葉を送った。もう一度戦う力をくれる言葉を。アスト自身に言った覚えがないというならあれはアストではなく誰だというのか。
「まぁいいわ……。じゃあこっちの方はあんたも覚えてることよ」
「はい?」
カナリアはゴホンと咳払いする。少し頬を赤らめる。
「助けに来てくれて……ありがと」
目を合わせずにボソッと呟く感じにそれを伝えた。アストは照れ臭そうにそれを聞く。
カナリアは母の形見であるレイピアを抱きしめた。今度はアストと目を合わせて、
「あたしの大切な物、取り返してくれて………………ありがとう……!」
カナリアの目から一筋の涙が流れた。
母を失くして、父からの期待は無くて、自分に残る唯一の物さえ奪われて。
絶望の淵にいた自分を彼は助けに来てくれた。救い出してくれた。奪われた物を取り返してくれた。自分に勇気をくれた。諦めない力をくれた。未来への希望をくれた。
「どういたしまして……?」
「ふふっ、なにそれ」
カナリアは可愛い笑顔を咲かせる。それを見て僕はドキッとした。
カナリアのこんな笑顔を見たのって初めて……かな? すごい……可愛い。普段もこんな風に笑ってくれてたらいいのに。
「か、帰ろっか。……階段の途中でメイドさんを降ろして引き返したんだ。もう意識が戻ってるかもしれない」
「それもそうね。それにまだベルベット様が戦ってるかも……!」
♦
アストとカナリアは地下を出るために階段を上がる。
「そういえばさ。結局カナリアがマリーゴールド嫌いって言ってた理由はなに?」
戦いが終わったからこそできる会話。カナリアを救うことができたからこそ失うことのなかった物だ。
だからか、せっかくなので気になっていたことを聞いてみたのだが、
「そんなこと言った? 記憶にないわね」
「えー!? 何それ!」
カナリアはわざととぼけたふりをする。それにアストはそんなバカなという顔をした。
「だって……マリーゴールドはあたしの一番好きな花なんだから」
アストは何がどうなっているのか訳がわからないと困惑しきっていたが……その時にカナリアが悪戯をした子供のような笑みを浮かべていたことには気づかなかった。
それから階段を上っていくと、アストの言う通りで階段の途中にメイド服を着た人間の女性が座り込んでいた。意識はもう戻っている。
しかし意識を失う前に怪物を見た時の恐怖で腰が抜けているのか立ち上がれないでいた。
「大丈夫ですか?」
アストがその女性に駆け寄り安否を確認する。アストの顔を見ると目に涙を溜めてコク……と1つ頷いた。
「はい……あの、……ハンターの方ですよね? 本当にありがとうございます……ありがとうございます……!!」
泣きじゃくっている人間の女性はひたすらアストに感謝を述べる。さすがにこの状況でアストが自分を助けてくれたんだと察したのだ。
だが「ハンター」という言葉が出た。彼女はアスト達のことを魔人ではなく人間だと思っているのだ。
魔法使いの外見は人間そのままということや「人間を助けた」という事実の2つがアスト達は人間なんだと推理させるに十分だったのだ。
その女性の言葉にアストは一瞬硬直する。カナリアも「やっぱりこうなったか」と溜息を落とした。
彼女は人間。自分達は魔人。相容れない存在同士なのだ。求められている味方も「違う」。
カナリアは何も言わずにこのまま去ろうとアストに耳打ちしようとする。だがそれよりも早くにアストは口を開いた。
「……いえ、僕達は………『魔人』です」
「ちょっ!! あんた何バラしてんのよ!」
何を言い出すかと思えば自分達の正体を白状したのだ。黙っておけばこれ以上何も起こらずに済んだものを。
「え…………」
やはりと言ってか使用人の女性は顔がサーっと青くなりみるみるうちにまた恐怖が押し寄せてきていた。命の危機はまだ去っていないとでも感じたのだろうか。
「逃げるわよ! ほら!」
カナリアはマズイ空気を察知し、アストを引っ張る。
もしハンターなんかに通報されたらおしまいだ。ベルベットもいるとなればエリア7のハンター全員がここに押し寄せてくる。
アストも無理やり引きずられる形でそこから離れていく。
「なんで……私を助けたんですか?」
ポツリと零れたその言葉が空間に響いた。てっきり慌てふためくかと思っていたカナリアも意外な反応に足を止めてしまう。
使用人の女性はアストを見ていた。アストもその視線に応える。
「どうして魔人が……私、人間ですよ? なんで……」
カナリアが「なぜ人間なんかを助けるんだ」と言っていたように、この人間の女性もまた「なぜ魔人が自分を助けるんだ」と言った。
もう心には救ってくれた感謝よりもアストへの疑問の方が多く残っていることだろう。
「人間と魔人は………違うんですか?」
「え?」
「この街に来て思ったんです。決してひどい人間や魔人がいないとは言いません。考え方も人間と魔人で違うかもしれない。でも……本質はどちらも同じだと思うんです。人間も魔人も……同じ」
「おな……じ?」
「はい」
カナリアも黙ってアストの言葉を聞いている。まるで自分にも言われている気がした。
憎む相手は「人間の誰か」だとしても「人間という種族」ではない、とも聞こえた。
「今、僕とあなたが言葉を交わしているように……きっと人間と魔人は分かり合える。人間が魔人のことを、魔人が人間のことを、よく知らないだけで本当は……僕達は同じなんです。同じ……この世界で生きる存在」
アストはそれだけ言うと使用人の女性はもう何も言わない。カナリアも何も言わず……アストを再び引っ張って歩き出した。出口へ向かうために。
♦
「……って、さっむ! なんでこんなことになってるの!?」
地上に出るとあら不思議。地下以上に極寒の世界になっていて何から何まで凍っている。
それならなぜ地上に出られたのかという話になるが隠し扉は外側から破壊されていたのだ。
「やっほ~……くしゅんっ!」
ベルベットが凍っている椅子に腰かけていてこっちに手を振っていた。寒そうにガチガチと身を震わせて。
「ベルベット! やっぱりそっちも戦ってたんだ?」
「うん。倒した後に助けに行こうと思ったんだけどね。キッチン前で滑って転んでお尻打ったの……で、休んでた。いたた……ねーおんぶ! おんぶしてー!」
持っていた剣が壊れてて良かったよ……。今も持ってたら柄でベルベットの頭叩いてたな。なにがおんぶだ。むしろこっちがおんぶしてほしい。
「それよりもこの有様はベルベットのせい? なんかすごいことになってるけど」
「うん。『フィンブル・ヴェト』ってので全部凍らせたの。なんかあのおっさんすっごいムカついたから」
何をやったらここまでされるんだよ……と呆れているとカナリアはあぐあぐと口を開閉していた。
「ふぃ、ふぃふぃ、『フィンブル・ヴェト』……!? 究極氷魔法ですよそれ!! まさかベルベット様って究極魔法を1人で発動できるんですか……?」
「そうだけど……」
カナリアは眩暈にでも襲われているかのようにクラクラとふらつく。もうわけがわからないと言いたげだ。
「カナリア、それってすごいことなの?」
「すごいも何も究極魔法よ!? それを1人で発動するなんてヤバイなんて話じゃないわ! 演算量や使用する魔力量だってバカにならないしそもそも座標指定や範囲指定だって甘くするとエリア7全域が氷漬けになってたし─」
「あ~ごめん。難しくてよくわからないんだけど……」
「メッチャすごい。以上」
カナリアは熱く語っていたのがスゥ……っと無の表情になってそれだけを告げる。
な……なるほど。メッチャすごいことなのか。もうちょっと僕も魔法について勉強しなきゃな……。
そういえば自分が魔王の力を使ってから何を喋っていたかは覚えていないんだけど戦いの記憶は残っている。自分が黒い剣でグランダラスを斬り裂いた映像とか。
それ以外に逃げようとしていたグランダラスの足元にあった水たまりが急に凍りついて動きを止めたことも。
(あれはベルベットの魔法のおかげだったんだな……。僕だけじゃなくカナリアとベルベットの力もあったからこそ勝てたんだ)
また勝てた。この経験が僕の心の強みになっていく。ここから少しずつ強くなっていくんだ。ゆっくりでもいい。着実に。
「あのおっさんがベラベラと喋ってたことだけど下にグランダラスいたんだって?」
「いたよ。死にかけた。っていうか1回死んだかな……?」
「……使ったの?」
ベルベットは僕の顔を覗き込んで聞いてくる。隠し事はできないな。
「うん。使った」
「どうだった?」
「なんか……すごかった。戦ってる時、僕はずっとボーッとしてて体は動かしてないのに勝手に動いてて……まるで自分が戦っているのを傍観してたって感じだったんだけど……」
しかもカナリアが言うには僕は何か言ってたらしいし。本当に僕とは違う人格が戦っていたというのか。
「あの力はすごかった。でもまだ何もわかってない。もっと知らなきゃいけないと思った。あの力のこと。そして……自分のことも」
「それなら、よし。また詳しく聞かせてねー」
「……怒ったりはしないんだ?」
「なんで怒るの? 絶対に使うなとは言ってないし。怒らな~いにゃー!」
ベルベットは猫のように椅子からピョンと飛んで抱き着いてくる。って、胸当たってるって!!
アストに抱き着いたベルベットはムフフと笑いながら心の中で呟く。
(だって……今回はそれが目的だったから)
アストにレベルBクエストを受けさせたのは経験を積ませるためともう1つ。魔王の力を早く使いこなせるようにするためだ。魔王の力の熟練は強くなる近道なのだから。
ただ……アストは魔王の力を発動していた時に戦っていたのは自分ではなかったと言っていた。
自分は最初見た時は魔王の力で暴走していただけだと判断したが……もしかすると戦っていたのは……。
それに関しては戦いの様子を見ていたカナリアに話を聞いておいた方が良いかもしれない。
もしかすると魔王の力はアストが「過去の自分」と繋がるものなのかもしれないから。
アストにとっては悪いことではないのにこれを警戒してしまうのはコールドにキツイ言葉を言われたからだろうか。
『お前に注がれる愛は賞味期限付き』
『彼が記憶を取り戻せばお前はすぐに殺される』
あれは一番言われたくないことだった。予想以上にショックを受けている自分がいて、それだけ自分はアストのことが好きなんだと改めて自覚する。
いくらアストの記憶が誰かによって封じられているとはいえ自然に記憶が戻らないとは決して言い切れない。
その最悪の展開はアストとの日々が長くなるにつれ「きっと大丈夫」と自分の頭から無理やり追い出してしまっていた。
アストが全ての記憶を取り戻せば、自分はアストに殺される。
(そんなこと……私が一番わかってるのに……)
それでも、承知の上で進む。その先へ。
そんなことを心の中で呟いていたベルベットだが、抱きしめているアストの温もりを感じてネガティブな感情をすぐに振り払った。
「ま! 今はそんなこと考えなくてもいーよねー」
「は……? なに言ってるの?」
「なんでもなーい。ほらっ! おんぶしておんぶ!」
「そんなにはしゃいでるのに歩けないの……? 仕方ないなー。今日だけね」
「やったー!」
僕はいつも今日だけと言ってベルベットの我儘を聞いている。弟子と師匠って以前に……ベルベットは自分を拾ってくれた大切な人なんだ。
それでも僕はベルベットに甘すぎるかな……。なんだかんだ言ってもこれが嫌だと思ってない自分もいるんだから。
「くんくん……アストの匂い……」
「こら、嗅ぐなー!」
といっても限度がある。うちの師匠はアホなので気を許すと何をやらかすかわからない。そこは気を付けねば。
「もう……早くここから逃げないとバレるわよ!」
カナリアは僕の脛を蹴って「走れ」と骨伝導で伝えてくる。それ、僕にしがみついてるベルベットに言ってくれない……?
僕達が使っていた使用人用の部屋から自分達の荷物を回収してこの館を出る。
荷物はベルベットが魔法の対象外としたのか凍ってはいなかった。凍ってたらどうしようかと思ったけど。
完全に無音となったこの館。氷漬けになったことで飾られている全ての花の時間も止まっている。ここで死んでいった使用人達の墓のように。
唯一マリーゴールドだけ、燃え散っていた花弁が凍って床に落ちていた。




