17話 臆病者チャレンジャー
「カナリア!!」
グランダラスの腕に吹っ飛ばされたカナリアは壁に強く叩きつけられる。
【ローレライ】は手から放してしまい今もグランダラスの体に刺さったままだ。
「カナリア……大丈夫?」
「……大丈夫よ。あんたと違って魔力を纏ってるから。でも……」
魔力を纏っていてもダメージがないわけではない。今の一撃も致命傷は免れたが意識を失いそうになる打撃だった。体も痺れて動けなくなっている。
「僕も……やらなきゃ」
剣を握りしめてグランダラスを見据える。そんな僕をカナリアは引き留めようとする。
「無理よ! 近寄ってみてわかったわ。あれはあたし達のことを敵だとかそんなものに見ていない。『虫が来たから払った』。まるであたし達のことを虫としか認識していないわ」
虫、それか時期に腹に収まる肉塊共。それが妥当か。
カナリアとグランダラスの攻防とも言えない交錯。
それを見た僕でもバハムートの時ほどは絶望を抱いていない。だって斬撃が通るんだ。勝利への活路が見えないわけじゃない。
「行くよ……僕は」
「アスト!」
走る。グランダラスは食事を終えてこっちを見ている。大剣を持っている右腕を上げて頭上に構えた。
そこから……振り下ろしてくる!!
(今だ! 横に回避を……!)
僕の体の横ギリギリを刃が通る。大剣が地面にぶつかる。
ドオオオオオオオオォォォン!!!!
「ぐっ!!!!!」
轟音と共に凄まじい風が僕の体を横殴りに吹き、勢いよく飛ばされる。近くに置かれていた檻に体をぶつける。
大剣を避けたとしても……近くにいたらこれか。冗談じゃないぞ……!
僕はあまりの衝撃に怯んでいた。だが魔物にはそんなこと関係ない。むしろチャンスとなる。
「ルルルルゥ」
グランダラスは右腕を思い切り横一文字に振るう! 自分に迫りくる凶刃。
やばっ……
ガシャアアアアアアアアアアアアアアン!!
周りにあった檻を出鱈目に撒き散らす一閃。僕が背にもたれていた檻の上部がバラバラになり全て勢いよく壁際まで飛ばされた。
僕は………なんとかその一撃は当たることなく回避できていた。正確に言えば「回避できていた」ではなく「当たらなかった」が正しい。
僕は倒れた体勢から動けていなかった。目の前にいる暴力の化身に完全に気圧されていた。
まだたった剣を二振りしかされていない。それだけ、それだけなのに……
(死んでいた……? 今さっき、僕は……死……)
体がズシリと重くなる。思考が虚無へと引きずり込まれる。戦闘中なのに関わらず呆けてしまっている。
運良く助かった。さっきの一撃がもしもう少しだけ下がっていたら。檻と一緒に僕の首から上も切断されて壁に叩きつけられていた。それにヒヤリとする。
「ルルル」
だが……いつまで経っても追撃の気配がないことに驚く。どうしたのかと上を見やるとグランダラスは
嗤っていた。
ブラックウルフを蹴散らした時とまったく同じ。こちらをジッと見て観察している。
「助かった」と心底喜んでいる下等生物。それを見て嗤っているのだ。
それでわかった。今の一撃。運良く当たらなかったのではない。わざと外したんだ……。
体がゾクリと冷え切った。運良く助かった?…………違う。遊ばれている。
僕がどんな反応をするのか虐めている。楽しんで、楽しんで、最後に惨たらしく殺して僕の体は噛み砕かれる。
その遊ぶ過程で僕の体はグチャグチャになっているのかもしれない。形を保っていられるかが疑わしい。上半身が吹き飛んだブラックウルフのように一部分が千切れ飛んでいるかも。
バハムートより怖くない? それも違う。
ここで浴びせられる明確な悪意。「殺そう」ではなく「僕の体で遊ぼう」という死よりも恐ろしい地獄の遊戯。
あれだけ気を付けていたのにもう僕は思考の泥沼にはまってしまっていた。自分で自分の体を縛ってしまった。
「アスト!!!!」
僕はその声にビクリと反応する。カナリアの、声。
「何してるのよ……逃げなさい!」
すぐに我に返り立ち上がる。逃げようとする。……が、足が重い。
後ろから強烈な力の気配が。振り向くとグランダラスがまた右腕で大剣を振りかぶっている。
次の瞬間、僕がどうなるのかが頭に映し出される。真っ二つになった僕。そんな自分が地面に崩れ落ちる姿だった。
「『ウォーターガイザー』!!」
グランダラスの一閃は僕の背後に出てきた魔法陣から発生する水柱に軌道を逸らされた。刃は僕の頭上を通る。風が背中を押してくるように吹いた。
「なん、とか……!」
カナリアが魔法を発動して助けてくれた。試験の時と同じだ。あの時も、今も、僕は命を助けられた。
グランダラスは自分の「狩り」を阻まれたことにイラつきを覚える。カナリアの方を睨み標的を変えた。
それに、怯え切っている獲物をグシャグシャにするよりも抵抗する獲物を容赦なく潰した方が楽しいかと考えたのだ。
これもカナリアの狙いである。アストの位置からなら自分がグランダラスの気を引かせることで倒れている使用人の女性を助けながら地上へ逃げることが可能だった。
それにベルベットにこのことを報告すればきっとこいつを倒しに来てくれる。そうなればこちらの勝ちだと確信したからだ。
「カナリア……?」
「あんたはそこのメイドを連れて逃げなさい。それでベルベット様をここに呼んできて」
「それじゃカナリアが……」
「あたしはあんたと違って魔法だって使える。ベルベット様が来てくれるまではなんとかなるわよ……。だからあんたは逃げなさい」
弱々しい声を上げてアストに逃げろと伝える。
なんとかなる? 魔法で? さっきみたいにまた上手くいくのか?
レイピアだってまだあいつの体に刺さったままだ。魔法をサポートしてくれる武器も何も持っていない。
いくらベルベットを呼びに行くと言ったって何秒耐えることができるんだ。それにどう急いでもここにまた戻ってくるまで15分はかかる。
(僕がここを離れれば……カナリアは……)
「大丈夫よ! いいから行きなさい!」
僕の迷いを横から引っ叩く強い声。でもそれはもう本心が見え透いている。ベルベットを呼んでこさせるよりも僕を逃がす、それだけを考えている。なんでそこまでして……。
グランダラスは構わずカナリアに向けて進行する。カナリアに辿り着いてしまえば抵抗空しく彼女は八つ裂きにされる。
僕は今すぐ助けに行かなければならない。なのに立ち向かう勇気を振り絞れない。グランダラスへの恐怖心が向かう足に重りを縛り付ける。
「早く!!」
僕にもカナリアにも勝てる相手じゃない。誰でもここはベルベットを呼びに行くことが最善手だと思うだろう。
そう。僕がやるべきことは……ベルベットを呼びに行くことなんだ。僕がここに残っていたってどうすることもできないのだから。
「ぜ、絶対…………助けに来るから!」
僕は走り出した。………出口の方へと。その途中で、倒れているメイドさんの体を起こし、抱きかかえた状態で運ぶ。
あいつはこっちを見ていない。もう十分堪能した獲物は一匹くらい放ってもいいかと無視された。
早くベルベットを呼ばなきゃ。ベルベットならあんな怪物でもきっとすごい魔法で倒してくれる。僕なんかよりもとても頼れるんだから。
♦
部屋を出て、長い階段を駆け上がる。みっともなく逃げる。無様だ。情けない。仲間を置いて逃げてる。最低だ、最低だ、最低だ。
そして僕は…………最悪だ。「また助けに来る」という言葉を良いように、便利に使っている。
逃げられることに……ホッとしている。自分は助かったと思ってしまっている。もう戦わなくていいんだと安心してしまっている。
そこまで自分の姿を客観視できた時、僕は歩を止めた。
カナリアは死のうとしてる。この世界から消えようとしている。僕の記憶だけの存在になろうとしている。
僕を助けることで。
僕は失おうとしてる。彼女との繋がりを。
僕は……僕は……
「僕は…………!」
♦
(行ったみたいね……)
カナリアはグランダラスが迫ってきている今も壁に体を預けたまま動かないでいる。
最初に受けた薙ぎ払いが思ったよりも効いている。未だに体に力が入らず立てない。
これじゃ自分は戦えない。アストも戦力にならない。
それなら2人やられるより1人だけやられた方が良いに決まっている。そして動けるのはアストの方だ。そこで自分自身を切り捨てた。
(お父様の言う通りだった。自分は仲間を逃がすくらいしかできない。ここであいつを倒すことなんて到底無理。試験で良い成績を取ったって実戦になるとこんなにも手も足も出ないなんて……自分はちっとも強くなんかなかった……)
自虐も入りだした。とうとう自分の中で諦めがついてきたということだ。
アストがバハムートを倒した時、すごいという気持ちよりも……羨ましかった。悔しかった。そして…………何か失敗しろとも思った。
お父様はあたしじゃなくてアストに期待していた。あたしなんかと違って見込みがあると言っていた。
アストが何か失敗すればその期待もなくなる。このクエストでも自分がアストよりも活躍すればお父様もきっと認めてくれる。実はそんな汚いことをずっと考えていた。
マリーゴールドの花言葉は「嫉妬」「絶望」「悲しみ」。
(まるで自分みたい……)
だから嫌いだった。お前は汚いやつだと言われているみたいで。
努力はやめなかった。それでも上にいるやつは失敗しろ、つまづいてしまえと思っていた。
だってどれだけ努力をして上位の成績を取ってもお父様は認めてくれないから。成功する人間は最初から選ばれていて努力だとかそんなものを嘲笑うように功績を積み上げていくから。
自分は選ばれていないから…………。
自分は十分頑張った。それでも無理だった。終わり。もう、終わり。もう、疲れた。
「ルルルル」
この部屋で好き勝手やっていた暴君はあたしを見下ろす。次の人形はあたし。遊び相手になって、餌になる。
もう魔法を使う気すらおきない。死ぬって決めたから。諦めるってすごい。全てがどうでもよくなる。
(あ……剣、刺さったまま……)
グランダラスの体に刺さっている水色のレイピア。あれだけは返してほしい。あれは、お母様の形見だ。
どうせ自分はこれから死ぬのだからせめてそれくらいは返してほしい。こんな自分にも残っているただ1つの大切な物なのだから。
「返して……それ、お母様の……」
暴君は答えない。
「返して……それだけは………お願い……」
答えない。
自分の目に涙が滲んでくる。
「返してよ!!!!」
涙を流して懇願しても暴君は何も答えない。
弱いあたしは大切な物を取り返すことすらできない。
お父様は離れていって、お母様はいなくなって。残された物も奪われて。何も無くなった自分には残っているものが何も無い。この状況に抗う力すらも。
グランダラスはカナリアの反応を見ていたがさっきの少年のように怯えることもしなければ抗うこともしないので飽きていた。
大剣を、振り下ろそうとする。
「待て!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
グランダラスは振り向く。カナリアも涙が流れている目を向ける。叫びをあげた存在に。
「はぁ……はぁ……げほっげほ……はぁ…………はぁ……」
落ちていた剣を手に取った。その存在はグランダラスに剣を向ける。
「お前の相手は………………ぼ、僕だ………!!」
アスト・ローゼンは、震える体で、震える声で、震える心で、それでも舞台に舞い戻った。
ここからだ。まだ何も終わってない。ここからもう一度始めよう。さあ。
「僕と、戦え……!!」
何度も僕を救ってくれた君を、今度は僕が救い出す。




