164話 この剣は誰のために
「アスト。こい」
今日も例の魔力の器を成長させる地獄の訓練をこなした後、レオンさんとの修行に入った。
やはり昨日と同じく、実力を見るといって剣を構える。
僕は……
「レオンさん。善と悪って……なんですか?」
一つ、問う。
これは世界を救おうとする自分が、どうしても聞きたかったことでもある。
僕はカナリア達を守るために魔物になったカルナに剣を振るった。
この行為が「善」であるとして、
「カルナを殺したこと」は……「善」なのか?
「世界を救いたい……人間と魔人を繋げたいと願っている奴が、『人』を斬るなんて……それは酷い矛盾なんじゃないかって、思うんです」
これからも同じようなことがあるだろう。誰かを救いたいと思った時、「それを阻む人を斬る」ことは「善」なのだろうか。人を、殺しているのに。
じゃあ善と悪って何なんだ?
「お前は神にでもなったつもりか?」
「え?」
レオンさんは呆れたような表情で僕を見る。
か、……神?
「お前の言うことを聞いていると、まるで『自分は神だ。なのに何も上手くいかない』と言っているようにしか聞こえない」
「そ、そんなこと言ってません!」
「そうか。だが、お前の言いたいことは『自分は人を傷つけたくない。けれども人を、世界を変えたい』。こういうことだろう? そんなこと……」
「誰もが一度は願ったに決まっている!!!!」
「……ッ!」
レオンさんは怒鳴り、鋭い視線を僕にぶつける。いい加減に目を覚ませと言わんばかりに。
「だが、誰もがそれを口にせず諦める! なぜか?」
僕の胸倉を掴み上げて無理やり聞かせるようにして顔を引っ張り上げる。激昂した表情のままで、一切の甘えを許さず、お前の性根を叩きなおそうと言わんばかりの。
「時に人はその想いを踏みにじる! たとえ自分がどれだけ相手に尽くしたとしても、心を改めずにさらなる罪を犯す者がいる!!」
その声は、僕の芯まで響かせるくらいに強い。
「時に人はその甘さを逆手に取る! 自分が情けをかけたことをチャンスとばかりに反撃に出る!」
その眼は、僕を逃がさない。
「そして、人は裏切られ続けいつしかその理想を折る!」
僕は言葉が出ない。ただ、ただ、聞いているだけ。何も、言い返せない。
「……アスト。俺達は神でも魔王でもない。『人』なんだ。それぞれに抱えている想いはある。思想はある。お前が『善』と思っていることが他人にとってはそうではないかもしれない」
じゃあ……じゃあ、どうすればいいというんだ。
これからも自分の理想の邪魔をする奴は容赦なく殺していけというのか。
それが……『善』だとでもいうのか?
「そもそも……俺は、この世界に明確な善と悪なんて存在しないと思っている」
レオンさんは何の逡巡もなく答えを出す。
だが、次には目を伏せ、一呼吸置いた後に決心してとある話を切り出す。
「過去……俺は無駄な殺生を嫌い、敵意が無いと判断したハンターを殺さずに逃がしていたことがあった」
「人間を……見逃していた?」
「ああ。魔法騎士になったはいいが、それでも好き好んで人を殺したくはなかった。だから命を乞うハンターがいれば、見逃してやっていたんだ。俺はそれが『善』だと思っていた」
レオンさんにもそんな時期があったのか。
まるで僕の理想だ。人を殺さず、敵意をくじいて見逃してやる。なんて強さだ。
「だが、その見逃したハンターは数日後に仲間を引き連れて俺の部下を殺した」
「─ッ!」
「反省など少しもしていなかった。それどころか、俺に対して憎しみすら抱いていた」
せっかく人間を信じたのに……裏切られたのか。
見逃してやれば、きっと心を入れ替えるのではないかと。そう思っていたのに。現実は非常にも裏目に出てしまう。
レオンさんは、血が出るんじゃないかというほどに強く拳を握りしめた。それは振るわれる先を見失った矛先のように。彼の感情を、表すように。
「気づけば俺はそのハンターを斬り殺していた。怒りで我を忘れていた。結局……意味が無かったんだ。自分の自己満足で結果的に部下を殺してしまった。遺族からはひどく罵倒されたよ。『どうして自分の息子は死ななければならなかったんだ』『息子はあなたと一緒に仕事をしていることを毎日自慢のように自分に聞かせていたんだぞ』『どうせ殺したのなら、なぜ一度見逃したんだ』、と」
結果だけ見ればハンターは死に、部下も死んだ。
最初に殺していれば部下は死ななかった。
「善」だと思ってした行動が、部下の命を奪ってしまった。
僕にとってのカルナのように、レオンさんにとってはそれがずっと十字架として体に縛り付けられているんだ。
「アスト。もしも『悪』というものがあるのなら、それは『立ち上がれない者』だ。『善』とは……誰かを救う時、何かを成さねばならない時、覚悟を決めて誰かのために剣を振るえる者だ」
たとえ何があっても、自分のためではなく誰かのために剣を振るえる者。
それが、『善』。
「決して現実から目を背けるな。お前は間違いなくその手で人を殺した。お前が殺したんだ! だが……それは『自分のため』じゃない、『仲間を守るため』だったはずだ。そして、カルナのことも背負ったんじゃないのか!!」
そうだ。僕は忘れない。彼女のことを。僕が、彼女を斬ったことを。
彼女のためにも、この世界を変えなければならないと思ったことも。
「敵と対峙した時、心に『天秤』を持て! そいつを斬るべきなのか? それとも生かすべきなのか? 自分で決めろ!! 俺達は神じゃない。人の内面まで見透かせない。結局は自分で決めるしかないんだ! その者が罪を償える者なのか、それとも『真の悪』なのか。自分で定めるんだ!!」
心に……天秤を。
その者が、『善』になり得る者なのか。もしくは、それ以降も誰かを傷つける者なのか。
「善と悪以外にも、『自分の力』も考えろ! お前は敵に情けをかけられる余裕があるのか? 何様のつもりだ!! 今のお前にそれだけの力はない。精一杯戦い、死ぬ気で相手と刃を交え、その先にしか答えはない! 最初から相手を見逃すつもりで戦っているのなら今すぐに戦場から去れ! 仲間はお前の力を信じていても、お前の甘さに付き合うつもりはない! 仲間を守れる者だけが自分の意志を通せるんだ! まずはそこからだ!!」
カルナは悪じゃない。操られただけだ。だから「斬るべき者」ではない。
でも、あの場ではカナリア達に命の危険があった。僕がカルナを斬ってはいけないと言ったばかりに皆が瀕死の状態に陥った。
あの時、僕の中にカルナを救える明確な方法なんてなかったのに。無責任に「カルナを傷つけるのはやめろ」と言ってしまったんだ。
仲間を守れる。そして解決策を見出す可能性がある。それらが揃って初めて、仲間にそれを告げて「別の手段」を考えることができる。
今の僕は……理想だけを語っているだけ。
「それだけじゃない。 相手を斬る時、たとえどれだけ醜悪な心を持つ者だろうと、その者にも家族や大切な人がいることを考えろ! それでもお前は剣を振るわなければならない! その者が罪を犯して尚、償う気がないのなら! お前が止めねばならない! そして斬った相手のことを絶対に忘れるな!! その上で前へ進むんだ。もう二度とそんな者を生み出さない世界に変えてみせると誓え。それが『命』を摘む者としての最低限の心構えだ!!!!」
僕は…………
死を乗り越えるんじゃない。慣れるんじゃない。
背負うんだ。全部。たとえどれだけ心が醜い者と対峙したとしても。
斬った相手のことを背負う。
己の剣は、決して自分のためにあるんじゃない。
自分が生きるために、相手を殺すんじゃない。
自分の利益のために、相手を斬るんじゃない。
この世界に善も悪も存在しない。
それでも、存在するとしたら。
「せめて僕の剣は、自分ではなく誰かのために。それが、僕の、僕なりの……『善』」
「もう……大丈夫そうだな」
それから、アストはレオンと剣を打ち合った……
「ここから本格的に剣技習得の修行に入っていく。お前に最も合っている『技』がある程度わかった」
「本当ですか?…………お願いします!!」
アストのその真っ直ぐな目に、曇りのない表情に。様子を心配して見ていた使用人全員は一斉にホッと息を吐いた。




