163話 信じていれば、必ず
「くそ……明日こそは……」
何もできなかった無力感と情けなさに打ちのめされ、夕食を済ませた後も僕は明日の修行のことばかり考えていた。
今日まったくできなかったことが、はたして明日できるようになるのか。
その確証がなく明日も同じ結果を生み出すだけで時間を無駄にするのではないかというネガティブな感情が首を締め上げてくる。
強くなれ、強くなれ、強くなれ。
脅迫じみて脳の中がおかしくなったみたいだ。
しかし、この時の僕はその異常性にも気づけなかった。
♦
「はーい! ただいまー!」
突然、夜の館に来客が。
来客が「ただいま」だなんておかしい。
だが、一つだけその言葉を発してもおかしくない人物がつい最近この館に帰ることができていなかった事実を使用人達は思い出す。
その人物とはもちろんベルベット。究極魔法をマナダルシアの中心地で放つという大犯罪を犯して悲しいことにお縄になった。
しかし、魔法騎士さんたちの度重なる状況確認とたくさん払ったお金のおかげで無事帰還。
なのだが……
「なーんだベルベット様かー」
「解散解散~」
「急いで準備して来たのに損した~」
客かと思って集まってきた数人の使用人は自分たちの主だとわかった途端に散っていく。せっかく帰ってきたのにガラーンと誰もいなくなってしまっていた。
「皆冷たすぎない……?」
シクシクと泣いているベルベットに期間限定でここのメイドとなっているアリスが近づく。
「あ、あの……大丈夫ですか……」
「んぁ? あんた誰? 誰よ! 誰かが変装でもしてんの!?」
「ふぇぇ~やめへくらはい~!」
あ、そうだった。ベルベットはアリスのことを知らなかったんだった。
あーあー、アリスの頬がつねられ伸ばされてる。可哀想だ。
「ベルベット。その子はアリス。ちょっと事情があって少しの間ここでお世話になってるんだ」
アリスがミリアドにある研究所に住んでいること。そこの実験の失敗で外にワープして飛ばされたこと。そこを僕たちが助けてマナダルシアに連れてきたこと。諸々の事情を全て話した。
「なるほどね」
「はい……お世話になっています……」
ペコリと頭を下げるアリス。
キリールさんからここの主のことを聞いていたのか、さすがに挨拶をしておかなくてはならないと感じたのだろう。
「別に居てもいいけど……ん? ねぇ、あなた、なんか魔力おかしくない?」
ベルベットはむむー?とアリスの顔を凝視する。
それにアリスはギクリとでも音が鳴りそうなほど顔を強張らせた。
魔力が、おかしい……?
「ミリアドのどこのエリアにいたの?」
「えっと……その……は、8です」
「エリア、8……」
アリスは自分がいたエリアも言いたくなさそうではあったが、さすがにお世話になっているところの主に聞かれて黙っているわけにはいかないかと打ち明けてしまう。
その数字を聞いた時、今度はベルベットが硬直する番だった。
ミリアドエリア8。
この場所は、彼女にとって軽く流せるところではなかった。
なぜなら、ここのリーダーは……
「……まぁいいわ。ゆっくりしていきなさい」
「あ、ありがとうございます!」
アリスがお礼を言い切る前に、ベルベットはつかつか、と自室に帰っていく。
彼女の只ならない様子に僕は後を追った。
♦
「ベルベット……大丈夫?」
「アスト?」
ノックをして中に入ると、ベルベットは部屋のベッドに倒れこんでいた。
何かの病気や疲れではなく、思うところがあって考え事をしたかったかのような。
「うん。ちょっとハゼルのことを思い出しちゃってね」
ハゼル─ハゼル・ジークレイン。
現ミリアドエリア8のリーダーにして、かつてのベルベットの友人。
昔はとても仲が良かったらしいが、梟の面をした魔人「ミネルヴァ」によって共通の友人であった「マナ」を殺害され、その罪を被されたことにより今は恨まれている関係にある。
僕以外の魔王後継者であるゼオンと出会った時に、彼の声を聞いたことがあるが。
あの時のあれは……怨嗟の声と言うべきか。何も知らない自分が聞いても地の底へ引きずり込まれるんじゃないかと思うほどにドス黒い恨みが込められていたとわかった。
「ハゼルは今でも私のことを恨んでる。エリア8を調べれば調べるほど、あそこは不気味なくらいに何かの『力』を研ぎ澄ませているのがわかる……私を、殺すために」
何かの『力』……?
ミリアド王国のことを詳しく知っているわけではないが、異能のことだろうか?
「それも、仕方ないと思ってるけどね。彼から見れば私は唯一無二の親友を殺した張本人。裏切って大勢の人間を殺した大罪人」
「でも、それは……!」
ベルベットがやったことじゃない。ハゼルが憎むべきはベルベットではなくその「ミネルヴァ」という魔人だ。
「私はミリアドを去った時、ハゼルには全てを忘れてただ普通に生きていてほしかった。けれど、それが結果的に彼を茨の道に誘い込んじゃったのかなって」
ああ……。
ベルベットは、自分こそが彼の人生を壊してしまったんじゃないかとずっと後悔していたんだ。
逃げるのではなく、たとえ冤罪だろうと自分が大人しく処刑されていれば。ハゼルは復讐の道に囚われることなく普通に生きられた、と。
ベルベットは静かにポロポロと涙を流す。
ミネルヴァという真犯人を探すよりも、自分がハゼルに首を差し出せば。すぐに彼を救うことができる。憎しみの炎に身を焼かずに済む。
でも、死にたいわけじゃない。そんなわけ、ない。
「本当は……仲直り、したいんだけどね……」
もうこの絡まった糸は解けない。
説得など聞きやしないほどに憎しみの炎は業火と化している。自分がずっと放置してしまっていたから。自分が、彼から逃げ続けていたから。
「僕が、救ってみせる」
アストはベルベットの暗鬱とした表情を吹き飛ばすように声を上げる。
「絶対にベルベットとハゼルはいつか分かり合える時が来る。それまでは僕が強くなって、ハゼルからも君を守ってみせる」
その望みは彼女のため。その気持ちはもちろんベルベットも嬉しかったのだが、
「僕が……強くなるから……もっと、もっと、強く……強く……!」
彼の目には何か余裕がなかった。早く強くならなきゃいけないと、本来の自分をどこか失っているようにも見えた。
ベルベットは知っている。
「強さ」に囚われた者を。そしてその末路も。
そんな状態は非常に危うい。
周りが見えていないせいで思わぬ事故を引き起こす。
普段失敗しないことを土壇場で起こして敵に殺される。
そして……「力」に溺れて「悪」に引き込まれやすい。いつか「罪」を犯してしまいやすい。
そういった者を嫌というほど見てきた。
アストの目にマジックトリガーを盗んだ時と酷似しているドス黒い光を感じてしまった。
しかし、それは以前のような「強くなるためにどんな力だろうと手に入れる」という外道のものではない。
「強くなるために、自分がどうなろうと構わない」。
それは……自滅的な光だった。
これは危ない。危なすぎる。これでは……「自分が死んでもいい」と思っているようなものだ。「最悪の覚悟」を決めてしまっている。
今日の何かの出来事で悩んでいたのか。それに対して破滅の答えを出してしまった。自分の苦しみをつい吐露してしまったことがその最後の一歩を踏み出させてしまった。
ダメだ。それだけは。
ベルベットはアストを抱きしめる。
「ベルベット……?」
「お願い。無理だけはしないで」
彼を引き留める。また暗闇へと行かせないために。どうか間違いを犯させないために。
「それはアルカディアと戦ってた時も聞いたよ。でも、僕は大丈夫だから」
「ううん。そうじゃない」
ベルベットは彼と視線を交わらせた。真っ直ぐ。息のかかるような至近距離で。
あの時に言った『私を1人にしないで』。そんなエゴではない。
「誰かを救う前に、まずは自分を大切にして」
「自分を……大切に?」
「何かに恐怖する自分を否定しないで。それを、受け入れて」
「受け、入れる?」
「剣を振るう時、決して仲間との日々を忘れないで。あなたが斬る相手のことから目を逸らさないで。そして、絶対に自分を見失わないで」
恐怖する自分を否定しない?
そんなのダメだ。恐怖していては戦えない。恐怖を押し殺して前へ進むことが「強さ」だ。グランダラスやリーゼの時、アヴァロンを倒した時だってそうだったじゃないか。
僕は世界を救うんだ。アルカディアが、じゃない。
救うんだ……!!
この僕こそが……! 世界を……!!
「その力は自分のために。その剣は誰かのために。もしアストが何か壁にぶつかっているのなら、どうかそれを心に」
ベルベットはギュッと手を握ってくる。それに僕はハッと我に返る。
彼女は祈るように目を瞑り。
「これはね。ミリアドに居た頃の親友、マナの言葉なの」
「……」
「私とハゼルにいつもそう言ってたの。お願い。世界を、何かを救う人が自分すら見捨てようとしないで。『勇気』の意味をはき違えないで」
「『勇気』の意味を……はき違えない……」
その後、ベルベットは僕の手を放してニコリと笑った。
「それにアストが心配しなくても、大丈夫! 私とハゼルはいつか分かり合えるわ」
「ベルベット……」
「人間と魔人は絶対に分かり合える。そう信じていれば、いつか必ず。だって……同じ『人』じゃない、私達」
信じていれば、必ず。
僕は……




