162話 人を斬るということ
魔力の器を広げる訓練が終了してしばらくの休憩。
結局、あれから何度も吐いては地面にぶっ倒れた。
気絶して本当に死んでしまうかもとなった時だけミルフィアが微量だけ回復の魔法を使ってくれたが、また気絶するまで走ることになるので倒れるために回復しているような心地だった。
しかし、なんだろうか。
いつもよりも、若干だが魔力の自然回復が早い気がする。
これが「器の成長」……? 保有魔力が増えるだけでなく自然回復速度も上がるのか。
あれだけの訓練を経て、変化したのはごく僅か。
それでも、基礎の訓練は続けることに意味があることを知っている。
ここでやめればそれこそただ地獄を見ただけ。本当の訓練はここからというわけだ。
「お待たせしました」
僕が自室で休息を取っているとキリールさんが入ってきた。
今、僕が休憩していたのは次の訓練の準備を待つため。
キリールさんが僕を呼んだということは、その準備が整ったことの合図だ。
「次は、ようやくお待ちかねの剣術の訓練です」
そうして連れてこられたのは、アーロイン学院にもある広い魔法演習室のような場所。
何もない空間だけれども、壁にはベルベットお手製の耐魔法結界が張られているので好きなだけ魔法をぶっ放しても館が壊れることはない。
つまり、絶好の訓練場所なのだが……
「あの、訓練やらないんですか?」
僕は剣を構えて待っている。
だが、キリールさんや、その横にいるミルフィアはちっとも剣を構えない。それどころかボーっとただ突っ立っているだけだ。
「あともう少しだけお待ちを。貴方の訓練のために人を呼んであるので」
そ、そうだったのか。僕なんかのためにわざわざ……ありがたい。
しかし、一体誰が……
「待たせたな」
部屋に入ってくる一つの人影。
とても大きな、燃える炎のような轟々とした魔力を携えた男。
「レオンさん!?」
魔法騎士団第三隊隊長─レオン・ブレイズ。
本来こんなところにいるはずもなく、毎日様々な仕事に追われているであろうこの人がなぜ……?
「キリール・ストランカから話は聞いた。剣のことに関しては俺が教える」
魔法騎士団の隊長直々に……!?
ただの学院の魔法騎士候補生ごときの僕に、こんな人からの指南を受けられるなんてありえることではない。
学院生の身分で隊長に会えるだけでも珍しいのに……。
「私やミルフィアの剣技はあまり正統なものとは言えません。変な癖をつけてはいけないので、ちゃんとした剣技を身に付けるにはこの方が最適だと思いました」
と、キリールさんは仰るが。
だが、本当にいいのか。僕が隊長の時間を奪っても……
「アスト。構えろ」
レオンさんは柄に蒼い宝石が埋め込まれた灼熱色の剣を抜く。
魔法武器【フリージング・イフリート】。
第三隊の隊長が使う、『炎魔法』をサポートするソードタイプの魔法武器。
特殊魔法武器ではないみたいだが、僕の【バルムンク】に負けないくらいの魔力を感じる……!
使う魔法武器は僕と同じタイプ。なるほど。だから、か。
僕は言われた通りに持っていた剣を構えるが……
「それじゃない。お前が戦う時に使う魔法武器を使え」
「え、ですが……」
「早くしろ」
ぐ……。レオンさんは訓練モードなのか厳しいな。でも、相手がいいと言うのなら。
「解放宣言ッ!」
サタントリガーの指輪を取り出して装着。そのまま「魔王の力」を解放。
『無限の造り手』によってバハムートが武器の形となった【竜魔剣 バルムンク】を呼び出す。
漆黒の柄に、蒼く光り輝く刃。蒼黒の剣が手に収まった。
「まずはお前の腕を見る」
よし。こんな機会そうないんだ。胸を借りるつもりで全力で……
そう……ぜん、りょく、で……
「どうした、早くこい。……安心しろ。本気で戦うわけじゃない。手加減する」
…………。
わかっている。それは、わかっているのだ……。
だが……どうしてだ……
動けない……!
レオンさんから発せられる闘気。まったくの隙が無い構え。
それに、完全に呑み込まれてしまっているのか?
いや……違う。それとは何かが……
「……やはりか」
「え?」
「お前は、人を斬ることを恐れている」
…………は?
人を斬ることを……?
「フリードから聞いた。魔物になった少女をその手で斬ったと」
「……はい」
「お前は人を殺したという事実が今もその身に刻み込まれ、また罪のない命を奪ってしまうのではないかと恐れているんだ」
そんなバカな。
たしかに、カルナのことは今でも忘れられない。忘れられるわけがない。
けれど、アルカディアの時は戦えたんだぞ。それなのに……
「アルカディアの時は無我夢中だったんだ。だが、冷静な今、お前は『人』に対して剣を振るうということと真正面から向き合っている。そして、お前の心はそれに耐えられていない」
人を、殺すことを恐れている?
いや……僕は覚悟している。
魔法騎士になろうとしている以上、この剣で誰かの命を奪うことになるかもしれないとちゃんとわかっている。そうでなくては戦いになんて出られないじゃないか。
「アスト。『人を殺す』……これを頭で理解するのと、実際にその手で経験するのとでは違うぞ。わかってはいても初めて人の命を奪ったんだ。そうなってもおかしくはない。むしろ、それが普通の反応だ。まずは、お前のそのトラウマを治すことから始める」
そんな……。
僕は立ち止っているわけにはいかないのに。
勝手な僕のトラウマで、貴重な時間を無駄にするわけにはいかないのに。
心で「早く動け。時間を無駄にするな」と叫んでも、体が「嫌だ。嫌だ。嫌だ」と叫んでいる。どうしてだ。
動け。動け。動け……!
せっかくレオンさんが僕を鍛えると言ってくれたんだぞ。ただでさえ少ない自由な時間を削ってまでここに来てくれたんだぞ。何をやっているんだ僕は。
早く動けよ僕の体! 剣技を身に付けたいんだろ! 待ちに待った時間じゃないか!
まずは今の実力を見てもらうんだ。それだけなんだ。
だから……! だから……!!
動いてくれよ……!!
結局。アストは一歩も動けず、その状態で30分が経ったところでレオンは訓練の終了を告げた……
「明日も時間をつくってまた来る」
レオンは魔法騎士団の服に着替え、それだけ言ってこの場を去った。
「…………」
アストはただ呆然と立ち尽くす。
何も。何もできなかった。
歯が立たなかったとかじゃない。文字通り何もしなかった。
それがどれだけ愚かなことか。
レオンさんの貴重な時間を無駄に消費させた。僕自身は剣技に関することを何も掴めなかった。
魔法騎士になろうとする者が、世界を救うとか言っている奴が、
人を殺すのが怖い、だなんて……
バカだ。愚かだ。情けない。本当に、情けない。僕は、僕は何をやっているんだ……
その様子を見ていたミルフィアは心配そうに彼を見つめる。
(兄様が動けないのも無理はありません。無関係な人ならまだしも、初めて人を殺めたのが関係の深い者である以上、その苦しみは……)
ミルフィアも初めて人を斬った時は、何日も吐き気に襲われた。
人を殺すなんてわけないと思っていたのに。
実際に生きている肉を斬って、人が「いなくなった」現実を直視すると、想像以上の寒気が纏わりつく。あの斬った感触を思い出しただけで激しい拒否感と虚脱感が襲い来る。
だが、自分はもうそれに慣れてしまった。使用人達は全員そうだ。
アストも、これを乗り越えなければならない。
自分達のように、「死」に慣れるのか。
もしくは、別の答えを出すのか。
いずれにせよ、アストは今こそ本当の意味でカルナの死を越えねばならない。




