159話 使用人の地獄訓練
「キリールさん。お願いしますっ!」
「はい」
今いるのはベルベットの館にある一室。アーロイン学院のトレーニングルームのように広い部屋だ。
ここで僕とキリールさんは向かい合う。僕も彼女もシャツ一枚という軽く動きやすい服装だ。
何をするのかというと、
「約束通り、剣の修行を」
そう。学院でマジックフォンを介して頼んでいたことだ。僕に剣の修行をつけてほしいという頼み。
キリールは忘れていなかった。アストも同じく。お互い会った後はすぐにその話になった。
そのためにキリールも時間を取っていたのだ。
「では、剣を……」
「待ちなさい」
アストは木剣でも取ってこようかとするが、キリールはそれを止める。
「剣は必要ありません」
「え? でもそれじゃ……」
「正確なことを言うなら、貴方はまだ剣を使う域にすら達していません」
そんなバカな。剣の稽古は学院に入る前にちょうど目の前にいるあなたがやってくれたというのに。
今更そんなことを言われるとは思わなかったから僕は苦笑してしまう。
「何をヘラヘラと笑っているんですか?」
ピシッ……と空気が凍る。
もう、これはいつもと同じ日常会話ではない。修行の時間に入ったんだ、と思わせる。その冷たい一言。
突然ナイフを突きつけられたようなその言葉にアストも顔が固まる。
「学院に入る前の稽古程度なら問題はありません。ですが、今の貴方は『強くなりたい』と思って私に打診してきたはず。それまでに、ただの一度も……私に教えを乞うことがどれだけの地獄になるか想像しませんでしたか?」
ゴクリ、と喉を鳴らす。
以前のような、何の決意も関係ない時ならば気にすることはなかった。
けれど、今のアストは違う。
カルナの一件を経て、明確に「強くなりたい」と思っている。「魔王の力」だけでなく自分自身も何かできるようにならなければと思っている。それにはキリールも軽い稽古程度で済ませるわけにはいかない。
本気で鍛える。だからお前も本気でこい。そうキリールは言っている。
「すみませんでした」
アストは素直に頭を下げた。そこまでの決意はしてなかった、ではなく。今、この場で少しの甘えがあったことに対して。
慣れ親しんだ相手だからこそ、いつもの空気を持ち込んでしまっていたことに。
「ですけど、剣を使わないということは……?」
それでも剣の修行で肝心の「剣」が出てこないのがわからない。今度は普通の疑問で問うた。
「貴方は体の動かし方からしてまだまだ甘い。まるで、子供が刃物のおもちゃを握って遊んでいるレベルです」
「そ、そんなに……」
こうなっても毒舌は健在か。しかし、これでも今まで自分なりに頑張った。それを「子供」とまで言われればアストも不服を感じる。
「納得いかないようですね」
「は、はい! 子供、だなんてそんな……! 僕だって遊んでいたわけじゃありません」
学院前の自分ならまさにそうだったことだろう。
でも、リーゼとの戦いだって乗り越えた自分ならどうだろうか? 今の自分をキリールは実際に手合わせしたわけではない。もしかしたら実力はほんの少しでも彼女の域に到達できているのでは、と淡い期待がある。
「いいでしょう。まずはそれを打ち砕くことから始めましょうか。……どこからでも来なさい」
ゾワッ……と体に寒気が走る。
これは、殺気? いや、まさか。修行に殺気だなんて。しかし、これは?
動きたくても動けない。一歩でも踏み込んだらその濃密な気配に飲み込まれてしまいそうになる。次には急所という急所を潰され、悲惨な目に遭うと脳が警告してくる。
修行だ。死ぬことはない。だから行け。
僕は一歩踏み込む。そこで、
キリールの手が一度、疾風となる。
「あ、え」
脳が揺れる。視界が回る。意識が断絶、する。
「ぷぁッ!!」
急に顔面へ冷たい何かがぶっかけられる。これは、水だ。
そのおかげで、アストの意識は浮上する。
「き、キリ……」
「起きなさい」
「はい……!」
ぐぐ、となんとか体を起こす。気絶していても起きたらすぐ立てとは容赦がない。
「何をされたか見えましたか?」
「いえ……何も……」
「それが今の貴方の現状です。私は先程顎を狙って打ちました。けれど、貴方は防御はおろか反応すらできなかった。ここの使用人は全員、今くらいの打撃なら簡単に反応できます」
自信をたった一発でへし折られる。
今の今まであのリーゼに勝ったのだから、と息巻いていたのが恥ずかしい。こんな体たらくではたとえ【バルムンク】を使用しても結果は変わらないだろう。
武器を持つ前に、鍛えることがあるというわけか。
「ジョー・ハイビスから魔力のことばかりで、基本的な体の動かし方すら習わなかったようですね」
キリールは一つ溜息を吐き、すぐに冷徹な目を向ける。
「『武器』を扱う前に『体』と『感覚』。話はそこからです」
「は、はい!」
♦
「は、はぁ、か、体が…………う、動か、な……い」
僕は地面に大の字で倒れている。動けない。体中のあちこちが悲鳴を上げている。「まだやれる」と強がりを言いたいところだけど、それすら出てこないくらいにもう力の一滴も出てこない。
あれから無限に感じるほど拳の打ち込み、蹴りの型のようなものを繰り返させられた。
それらが左右500回程終われば、休みなく次に回避訓練。読んで字のごとくキリールさんの攻撃を避ける訓練だ。
疲労した状態でも感覚を研ぎ澄まし、彼女の手刀を避ける。さもなくば一瞬で意識を刈り取られ気絶する。
意識が落ちたら休みかと思えば水を浴びせられ強制覚醒。そしてまたすぐに打ち込みから再開。
地獄、ここに現れり。気絶から覚醒してもキリールさんは「立て」の一言。ここの使用人達はこんな訓練を「入口」と言えるくらいに簡単にこなせるのかと思うと恐ろしい。
だが、それでも適度に休憩や昼食を挟んでかれこれ8時間後。
「ッ!」
キリールさんの急所を狙った手刀をギリギリで避けられるようになってきた。
速度に慣れた……のもあるが、一番は「感じる」ことが出来るようなった。
なんだろうか。攻撃が来る……というのを体に電撃が走るかのごとく察知するようになったのだ。
言葉で表すのならば……「殺気を感じる」ようになった。と言っても「ほんの少し」程度だけども。
「さすが……呑み込みだけは驚くように早いですね。正直、今日中は無理だと思っていましたが」
僕がキリールさんの攻撃を避けられるようになった時、彼女はそう言って手を緩めた。
先程までずっと一撃で沈められ続けていた。一撃目を避けても二撃目が来ると思っていたので身構えていたのだが……もう終わりのようだ。
「随分と速度は落としましたが、それでも攻撃の気配を感じるようになれたのは上出来です。『気配の察知』は戦闘の基本中の基本。魔力だけでなく、こういった訓練も日々こなすことです」
「はい……」
訓練をクリアできたのは嬉しいが、「随分と速度を落とした」……?
いや、めちゃくちゃ速かったんですけど……。もっと速くなるんですか……???
「次の訓練に移ってもよろしいですが……」
そう聞いては寝てられない! とやる気を出すが、
「今日はここまでのようですね」
アストの体はガクン、と落ちる。そこで、大の字で倒れている今に至るというわけだ。試しに体を動かそうとしても、やはり無理だった。
当たり前だが何度も気絶させられて、かつ肉体を酷使し続けていれば体力の限界は来る。もうアストは体を少しも動かすことはできなかった。
彼女もアストの横に座り、休むことにした。水の入ったボトルを用意して倒れているアストの近くに置いておく。
今日の訓練はここで終了。時間も夜だ。どちら道休むほかない。
それならば、
「キリールさん。気になってたんですけど、ここの使用人の序列ってどういう基準で選ばれてるんですか?」
つまらない話題かもだが、話でもすることにした。自分の気になっていることではあるのだが。
ミルフィアが7位。フォア―ドさんが4位。僕が最下位。それくらいは知ってるんだけども。どうにも序列というものが決まっているから、その基準のことがずっと気になっていたのだ。
「基本は実力ですよ。上の序列ほど強いと思ってもらって構いません。ですが、例外もいます。よほど仕事をせずに怠けていたり、内面に難ありと判断されればそれだけ序列を落とされます。…………さらにその例外として何か特別な理由があって絶対に序列を落とされない方もいますが」
なんだ。完全実力制で間違ってはいなかったんだな。じゃあフィアちゃんの実力ってやっぱりすごいんだ。
「ベルベットはなんで序列とかって決めてるんだろう……」
「上下関係を作ることで統制しやすくするためです。ベルベット様が全てを管理できるわけではありませんから。あとは……これは明言されていませんが、実力を明確に示すことでどれだけの戦力を使えば『処分』できるかを表しています」
「処分!?」
「簡単に言えば裏切り者です。例えば、貴方が『人間』であることを話してしまう者が万が一にも出てくるかもしれない。その時に序列を見てどれだけの力を使えば殺せるかを暗に示しているんです。7位のミルフィアが裏切った場合、それより上が殺処分に駆り出されることになります。もしくは8位以下で数人チームを組む、というのもありますが」
そんな理由があったのか。ベルベットっていつもニコニコしてるからイメージないけど残酷な一面も持っていることを教えられる。
そういうよりも、これが当たり前なのかもしれない。大きな戦力を有する、ということはその対処も任されるということ。
前にレオンさんが言っていたことだ。「大きすぎる力を持つ者は処分できないからこそ恐怖の対象になる」と。
魔法使いの国だってベルベットが暴走することが怖いから彼女を崇める裏でナイフを研いでいる。いつでも殺せるように。そしてそれを守るために使用人という魔法騎士団に匹敵する戦力を持っている。
どれも血生臭い。逆に言えば。その戦力を管理することにもまた、血生臭い方法を取らねばならないわけだ。
「でも1位の人がもし裏切ったりなんかしたら……?」
「ルーガン様は長くベルベット様との付き合いがある方です。あの方が裏切ることはほぼありえないと言われています。実力も含め、だからこそ1位ということもありますが。……ですが、もしそうなればベルベット様ご自身が動くことになるでしょう」
え、1位ってあの人だったのか。
ルーガン・デミスケス。老人でありながらピンと伸びた背に、気のいい笑みを携える人。
とても優しくて、人間のこんな僕にも最初から敬称で接してくれていた人なのだ。あんなお爺ちゃんが使用人の中でぶっちぎりで強い人だったとは思いもしなかった。
「ちなみにキリールさんは何位なんですか?」
「何位だと思いますか?」
「…………2位、とか?」
「そろそろこの話は終わりにしましょうか。私は仕事に戻ります」
って言わないんですか!? き、気になる~!
 




