特別編『汚れた少女』 ⑥「私の生きる意味」
「今日もスープ持ってきたよー」
ガチャリと扉を開けて、笑顔で入ってくる少年。今まで覗いていたことなどまったく気づいていなさそうだ。こちらも気配を消していたので当たり前だが。
「昨日と同じ不味いスープですか」
「きょ、今日は大丈夫! 味見もちゃんとしたよ!」
そんなことは知っている、とは言えなかったが。ふーん、とした顔で口を開けて待つ。
「はい……どうかな」
パクリとスープを受け入れる。
うーん。微妙。これは舌が肥えているせいなのか。もしくはこの少年の味覚が問題なのか。
美味しくはない。ないが……でも……
「美味しいですよ」
「え!? ほんと!?」
アストは「やったー!」と喜ぶ。
そんな様子を見て、ホッと息をつく。
……なぜ、今、ホッとしたのだろう? いつもの自分ならこれでも「不味い」と言っていただろうに。
まぁ……そんなことはいいか。
「今日一日は何をして過ごしていたんですか?」
覗いてたことはもちろん内緒にして、そんなことを聞いてみたくなった。
なんて答えるのか試していたのかもしれない。そんな意地悪気な気持ちからだった。
……が、
「あ~……今日はベルベットとの修行サボってずっと外で遊んでたかな~……。あとで怒られちゃったけど……」
遊んでたなんていうのは嘘。嘘なのはわかっているのだが……
「え……今日はベルベット様との修行があった日なんですか!?」
「う、うん。そうだけど……? 今週はずっとだし」
この少年は、ただ暇だから自分の看病していたのではなかったのか?
昨日も、今日も、修行を休んで、主に怒られてまでわざわざ自分のことを助けていたのか?
ありえない。何をしているんだこの少年は。
「ミルフィアちゃん……?」
様子がおかしいミルフィアを心配するアストに、
「どうして……そんなことするんですか」
一つの問を投げかける。
「そんなことって?」
「どうして自分を犠牲にしてまで誰かを助けようとなんかするんですか!」
自分の親でさえ子にしてこなかったことを。どうしてこの少年はなんの変わりもない表情でそれを行えるのか。疑問になって仕方がない。
「犠牲に、だなんて……大げさだよ」
「嘘です! 掃除だって、修理だって、料理だって! 頼まれてもないのにやって! 邪魔者扱いされて嫌な想いまでして! なんでそんなことできるんですか!」
「み、見てたの……!?」
今更そんなことどうだっていい。
この少年は何なのか。なぜ他人のためにそこまでやれるのか。早く問いただしたかった。
まるで、他人のことなんかどうでもいいと信頼なんか一切していない己の醜さを直視させられているようだから。
「病人を看護するのは普通でしょ? 忙しくない僕がやったってだけだよ。だから─」
「普通じゃない!!!!」
叫び声のような自分の声にアストはビックリする。自分もなぜこんなに感情を昂らせているのかわからない。わからないのだ。
「私が泣いていても気にしなくて! お腹が空いていても気にしなくて! 病気になっていても気にしなくて! そんな親から産まれたなんの生きる価値も、意味もなかった私にとって……こんなの、『普通』じゃない……!!」
今、わかった気がした。
どうして彼が看病してくれた時に涙が流れたのか。
初めてだったのだ。こんなこと。
お腹が空けば察して誰かが持ってきてくれて。
動くのが辛いだろうからと食べさせてくれて。
自分のためにやったこともない料理を必死に作ってくれて。
自分のことで一喜一憂してくれることが生まれて初めてだったのだ。
私がずっと欲しかったもの。
絶対に捨てられないための「居場所」では、なかった。
それは、ただの、普通の、「愛」だった。
「『必要ない命』なんて……ないと思うよ」
今度はアストが口を開く。半泣きな私の目を真っ直ぐに捉えて。
「皆が皆、人生で色んなことがあると思うんだ。辛いことも。それでも負けずに生きていれば……どんな人だって、誰だって、きっとどこかで誰かの助けになれる日が来る。絶対に。だから……」
「私が今まで何をしてきたか知らないくせに……!」
そんな言葉には騙されない。何が誰かの助けになれる日が来る、だ。
「盗みだって! 殺しだって! たくさん、たくさんしてきた!! 汚れて汚れて汚れ切って!! こんな私になんの価値があるっていうの!? 生きてていい……ッ……命じゃないっ!!!!」
大粒の涙を流しながら必死に叫ぶ。
本当は……こんなはずじゃなかったのに……
盗みだってしたくなかった。暗殺だってやりたくなかった。
でも、汚れていくのが止められなくて。誰にも助けを求められなくて。
自分が生きるためだとずっと言い訳してきて。
本当は、好きに生きてみたかった。
父と将来の夢のことについて話してみたかった。
母と好きな男の子のことについて話してみたかった。
学校だってちゃんと行きたかった。
同年代の友達をいっぱい作りたかった。
恋愛だってしてみたかった。
色んな服を着てオシャレだってしてみたかった。
イタズラをして怒られてみたかった。
頭を撫でられて褒めてほしかった。
家族皆で美味しいご飯を笑顔で食べたかった。
他愛もない話を誰かとしてみたかった。
たまにはなんの意味もなく空を眺めていたかった。
もっと……ちゃんとした人に生まれたかった……
「生きてて、いいよ」
生きて……いい?
「たとえどれだけ汚れても、君は生きてていいよ」
なんで?
「僕さ、この館では……ほとんどの人から無視されてるみたいなんだよね。それがけっこう……辛くて。でも、ミルフィアちゃんはそんな僕に、こんなに話してくれてる」
違う。私だって無視してた。人間のあなたが気持ち悪いって思ってた。
ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい
「君は自分のことを汚れてるって言うけど……僕はそんな君に今、救われてるんだ。だから……」
「『ありがとう』」
「え……?」
「生まれて来てくれて……ありがとう」
そう言われた時、心の何かが決壊した。
『ミルフィア。お前は俺たちの宝だ』
『ミルフィア。私のお腹から生まれてきてくれてありがとうね』
『家族になってくれて、ありがとう』
ずっと、ずっと欲しかった言葉。
父に言ってほしかった言葉。母に言ってほしかった言葉。
ああ、ああ、私、わた、し……
こんな私でも、
生きてて、いいんだ……
少女は声をあげて泣く。これまでの分、全て取り戻すように。
「甘えたければ、甘えたっていいんだ。やりたいことがあればやりたいって言っていいんだ。生きたいと思ってるなら、生きていいんだよ」
ミルフィアはアストの胸に抱き着いた。
温もりを欲しがって。ただ抱きしめてほしかった。
アストは、何も言わずそれを受け入れた。
♦
翌朝。
目覚めるとすぐに体調を確認。よし、大丈夫そうだ。
エプロンドレスを身に付け、ヘッドドレスを装着。そして……
鏡の前で、ニコリと笑顔。
さぁ、今日からお仕事だ!
「ミルフィアちゃん、風邪の具合はどう?」
部屋を出ようとすると、その前にキリールが……と思いきや、今日はアストが様子を見に来てくれた。
「彼」が目に留まると、パァァと顔を明るくして、
「おはようございます…………兄様♡」
「……はい? に、『兄様』?」
ミルフィアはアストに眩しい笑顔で挨拶した。
「どうしちゃったのミルフィアちゃん……なにか変な物でも食べたんじゃ……」
「フィアはどうもしてませんよー! 風邪が治って元気が出ただけです!」
「いや……元気とかじゃ片づけられないような何かが……」
「ふふっ」
ミルフィアはアストの腕に抱き着く。
甘えていい、って言ったのは兄様の方なんですからね。
そう、心の中で呟く。
きっと。私の家族に兄がいたなら。
あなたのような人がいい。あなたが、いい。
だから……
「兄様っ! これからよろしくお願いしますね!」
♦
そういえばあんなことがあったなぁ……と、ミルフィアは自分の昔の写真を見ながら懐かしんだ。
あの頃の自分は……周りに対していつも棘を剥き出しにしていて、色んな人に迷惑をかけていた。……今は自分の心に素直になれているけど。
だけど、それでさらに思い出した。この話には、まだ続きがあったのだ。
私は……兄様の、誰も知らない秘密を知っている。
♦
ミルフィアが泣き止んだ後、しばらく2人で話し込んだ。
内容はどうでもいい話。
スープが実はまだ微妙だっただの、ベルベット様のどういうところが面白いだの、この広い館でどこが一番好きな場所かだの。
ただただ話したいことを好きなだけ話した。
そこで……アストはフッと視線を落とす。
今までの空気とは、少し変わって。
「僕もね。ミルフィアちゃんの気持ち、ちょっとだけわかるんだ」
「私の?」
「うん。皆には……特にベルベットには、内緒にしててほしいんだけど……。これは2人だけの秘密にしてほしいんだ」
何も悩みがなさそうな、いつも笑顔の少年。
そんな彼が「自分の価値」に悩んでいた私と共感できるとは思えなかったが……
「あんなに偉そうなこと言ったけど……実は、僕……どうしようもないくらいに『死にたい』って思う時が、たまにあるんだ……」
「しに、たい?」
「いや、いつもはもちろん『死にたくない』って思ってるけど、たまに……ね」
瞬間、ゾッとした。
まさか。こんないつも笑っている少年が、他人のために涙を流したりできる少年が?
「僕には、記憶が無い。どこで生まれて、どんな親で、どう育って、どう生きてきたのか。その記憶が、全部無いんだ」
それは……知っている。ベルベット様が記憶を失くしていたアルヴァタール家の長男を拾ってきたという話だったのだから。使用人なら全員知っていることだ。
「皆には当然あるものが……僕にはない。そう自覚した時……自分がひどく『空っぽな存在』に思えてくるんだ。そうなったら……今生きている『自分』ってなんなんだろう、『自分の価値』ってなんなんだろうって……思っちゃうんだ」
アストは虚ろな目で、そう語る。
あんなに眩しく光っていた少年の中に隠れていた「闇」を見ているようだった。
「僕は……誰かから必要とされてないと自分の存在価値がわからなくなるんだ」
そうか。気づいてしまった。
どうしてあなたはそこまで人のために動けるのか。
人の誰もが持つ、弱く醜い部分を簡単に受け入れられるのは、あなたの中に何も無いから。
そんな醜い部分すら、あなたは羨ましいと思ってしまうから。
きっと。
あなたは誰のことも愛しているように見えて、その実……誰のことも愛してなんかいない。
自分を犠牲にしてまで誰かを救おうとするのは、今にも消えてしまいそうな自分を救うため。
記憶がないせいで人知れずそんな歪んだ存在になってしまっている彼は、それでもそれを受け入れて生きていく。
私はそれを聞いた時、決めたのだ。
この人を支えよう。
誰かから必要とされていないと生きていけないのなら、私がこの人を必要としよう。
私の生きる価値を教えてくれたこの人の隣に、ずっと居よう。
目標が決まった。
ベルベット様ではなく、いつか……「この人の使用人」として仕えるために、頑張ろう。
生まれて初めて目標ができたのだ。
そのために。
もっと強くなろう。誰にも負けないくらいに。
もっと色んなことができるようになろう。この人の隣でいられるように。
ずっとずっと一緒にいよう。いつか世界を救う、あなたと。
♦
兄様。
もしかして、あなたは、
今でも「死にたい」って思う時があるんですか?
今でも誰かを救って、必要としてくれないと自分の存在価値がわからなくなるんですか?
「? どうしたの、フィアちゃん。僕の顔に何かついてる?」
昔の写真を持ったまま、アストを見つめていたミルフィアは。
「安心してください兄様。フィアはずっと……兄様のお傍にいますからね」
ニッコリと眩しく、笑った。
あなたと出会えて、本当によかった。
生まれてきてくれて、ありがとう。
お父さん、お母さん。
私を産んでくれて、ありがとう
これにて特別編は終了です。「ただ普通に生きたかっただけなのに、もう二度と取り戻せない大切なもの」というミルフィアのお話でした。彼女とカルナはとても似ているのでこの後にエピソード3を読むとまた違ったものが見えてくると思います。
すごいお待たせしてるエピソード5に関しては新しいプロットは完成したので書き終わるまでどうかしばらくお待ちください。自分が書いているもう一つの方が出せたらこっちを書き始めますが、出来る限り早く出せるように頑張ります……! 敵を一新してアストくんのバトルとか超熱くなってるので……!
ちなみに補足しておくとミルフィアの今の性格は演技とかじゃなくて心に素直になった末のものなのでご心配なく。使用人たちとはもう仲良くやってます。みんな大好き人気のマスコットです。
 




