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ヘクセンナハトの魔王  作者: 四季雅
幕間 少女が泥濘の日々に生まれた意味を
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特別編『汚れた少女』 ④「無償の愛」



「うぅ~……」


 翌朝。起きた瞬間から、その異変はあった。


 いつもなら目覚めた瞬間にある程度時間が経てば体の調子を整えられる。睡眠が不十分でも気怠さをシャットアウトできるのだ。


 だが、今日は上手くいかない。それどころか気怠さは余計に増すばかり。理由は簡単。



「風邪ですね。熱があります」


「やっぱりそうですか……」



 様子を見に来たキリールがミルフィアの容態を確認した。

 予想通り風邪をひいていた。原因はどう考えても昨日の、水をぶっかけられたことだろう。

 頭はボーっとするし、あちこちの関節が痛い。喉もズキズキとする。


「治るまではお休みですね。仕事は他の者にやらせておきます」


「で、でも……!」


「風邪をひいているものが厨房に入られては困ります」


 自分の仕事を他人に渡すわけにはいかない。それでもこう言われてしまえば引き下がるしかない。


「訓練もしばらくは中止にしておきます。今は回復することに専念しなさい」


「はい……」


 ミルフィアが大人しくなったのを見て、キリールは部屋を出て行った。彼女はここのメイド長。仕事が山ほどあるのでいつまでもミルフィアの面倒は見ていられない。




   ♦




「……」


 ベッドの上で天井を眺めていると……気づけば今は11時頃。


 いつもこの時間は厨房で調理をしている。それなのに、自分はベッドの上で寝転がっている。

 普通なら、休めることを喜ぶかもしれない。もしくは皆に悪いので早く回復せねばと焦るのかもしれない。


 けれど、違う。

 不安。とても不安なのだ。これも病気のせいだろうか。いつもよりも1人で塞ぎこんでより心の中の虚無を感じられる。


 自分がいるべきところにいない。それなのに何も問題なく仕事が回っている。

 そう思うだけで言い知れぬ不安に襲われる。考えすぎかもしれないが「お前は必要ない」と言われているようでとても苦しい。


 ここまでくればもはや異常だ。

 親から必要されなかった、それならばと自分の価値を必死に見つけようとなんでもした。それでも結局ゴミのように捨てられて。自分は生きる価値もない存在だったのだと知らされた。


 休まなければとわかっていても休めるわけがない。

 嫌だ。休みたくない。私の価値を奪われたくない。大げさだと言われてもいい。それでも、


 「病気になったあいつのことなんか放っておこう」と己が誰の認知からも外れているであろうこの時間がただただ辛い。この部屋がまるで使い物にならなくなった(くず)を捨てるゴミ箱のように思えてきた。


 息が荒くなる。忌々しい記憶がズキズキ痛む頭をさらに刺激する。

 どれだけ泣いても助けを請うても無視した両親。お腹が空いても何も与えられず、愛すらも与えてくれない。


 そう。誰からも─



「よい、しょ!」


「……え?」



 不本意なことに聴き慣れてしまったとある少年の声。それと共にガチャリ、と突然部屋の扉が開かれる。


 自分にしつこいくらいに声をかけてくる人間の男─アスト・ローゼンだ。


「あ、起きてたんだ。ちょうどよかった。お昼ご飯持ってきたよ!」


「は?」


 アストは鍋のようなものをドン、と手近な机に置いた。パカッと蓋を開くと湯気が立つ。


「お腹空いてるかなーと思ってさ。皆お仕事忙しそうだったから僕が作ってきたんだ」


「別にお腹なんか空いて……」



 くー…………。



「ほら。やっぱり」


「…………」


 小動物の鳴き声のような空腹の音がお腹から鳴ってしまう。

 どうしてこのタイミングなのか。今だけ自分の体が恨めしかった。


「厨房貸してもらってさ、頑張って作ったんだ」


 そう言って(てのひら)に収まるほどの大きさの器に注いだのは……


「スープ、ですね」


 くんくんと匂いを嗅ぐと……


(煮込まれてるのは……鶏肉……トマト…………チキンスープですか)


 鼻は常人より何倍も利く方だ。なんたって毒までわかる。料理を担当しているならばこれくらいは朝飯前。


(のど)痛いだろうから具材は少なめにしといたよ。はい」


 ほかほかと温かな器とスプーンを渡してくる。

 けど……正直今は起き上がるのも一苦労だ。それでもなんとか起き上がって見せるが……体の(だる)さのせいでなかなかスープを受け取れない。


「辛いなら食べさせてあげようか?」


「……お願いします」


 本当は嫌だったが、変に強がって余計に醜態を晒すことになれば恥ずかしいなんてものではない。自らの弱いところをこれ以上見せてはならない。


「はい」


 口を小さく開けると、そこにゆっくりとスプーンが入れられる。

 熱さを考慮してか口に入れられたのはごく少量だった。それは助かるのだが……



(うっ……あんまり美味しくない……というか不味いですぅ……!)



 匂い「だけ」はなぜか良いのに、どういう作り方をしたのか聞きたいくらいに苦い。それに酸味が強すぎて口に嫌な後味が残る。ドロドロとしていてスープというより固形物を流されているみたいだ。喉のことなんかお構いなしではないか。


「りょ、料理したことあるんですか?」


「い、いや……初めてだけど」


「味見しましたか?」


「し、したよっ!…………途中に1回だけ……」


 出た。そんなの初心者以前の話。味見を面倒くさがって適当に済ませる奴がたまにいるのだ。


 味なんていうのは何かを加えれば微妙に変わっていく。それがどうなっているのかを確認したり、次のアクションを決めるための事前調査のようなものなのだ。

 特にスープなんていうのものなら尚更。風邪を引いているのは自分なのであまり強く出られないが、よく初心者が手を出してくれたなと言ってやりたい。


 アストは用意していたもう一本のスプーンで味見をしてみる。


「……す、すっぱ……」


 ほら見てみろ。常識すら知らないくせに病人に料理なんか出すべきではない。より悪化したように思えてくる。


「で、でも途中までは良かったんだよ? 早く持って行かなきゃって急いでたら……」


 もう溜息が止まらない。一番料理をさせてはいけない部類だ。

 しかし、作ってくれたのに捨てろと言うほど血も涙もないわけではない。これでも料理を作る仕事に就いているので食材を無駄にはできない。


 少年に対して口を開けて見せる。


「早く次の一口を運んでください」


「え……でも……」


「いいですから」


 パク、パク、ゴクン。

 苦くて酸っぱいスープをお腹が満たされるまで口に入れ続けた。



 ああ。不味い。不味い。ほんとに不味い。




 不味い……不味い……




「あ……れ……」



 目から(しずく)が一つ、ポロっと落ちた。


 どうして?


「? どうかした?」


「な、なんでもないです! もうお腹いっぱいなので横になります……」


 どうやら見られてなかったようだ。よかった。


 でも、どうして涙なんか。


 泣くほど不味かったということだろうか。そういうことに、しておこう。




   ♦




 翌日。朝にまたキリールが体調を確認しにきた。


「具合はどうですか?」


「もう大丈夫そうです」


「本当に?」


「……すみません。まだ本調子とまではいきません」


 早く復帰して自分の居場所を取り戻したかったが嘘はすぐバレる。まだベッドからは離れられないようだ。


 昨日はあれからキリールが汗を拭きに来てくれたりした。しかし、それだけ。

 皆、使用人の容態を気にするよりも自分の仕事を片付けた方が良いという判断だ。


 シャーネあたりは来てくれそうなものだが、戦闘の仕事に就いている者はよく館を出ることになるので今はきっといないのだろう。

 同じく、フォアードがいなくて良かったとも思う。あのメガネなら「風邪を引くなど未熟の証だ。ベルベット様の使用人である自覚を持て」とか言ってきそうだ。ウザっ。


「私の仕事……どうなっていますか?」


 やはり気になってしまうのでキリールに聞いてしまうことにした。

 歳はまだ幼くても序列が高いので自分のやることは多い。掃除1つでも館はとにかく広いので使用人全員が多くの場所を分担して行っているくらいなのだから。



「それなら昨日から全てアストさんがやっていますよ」


「え」



 昨日、看病してくれた少年。彼が自分の仕事を?


 感謝するべき……なのだろうが、複雑だ。


 誰かが代わりに入ってくれている、と予想はしていたが……自分の代わりとはあんな少年でも務まるものなのかと思えばひどい虚脱感が襲ってくる。

 病人が何を言っているんだと思われるだろうが、彼には自分の口から仕事を奪われることは侮辱に等しいと伝えたはずだ。

 これが有能なキリールならいくらか納得できたかもしれない。むしろメイド長である彼女が自分の代わりに入っているということは、それだけ重要な仕事だと言えるからだ。



 それなのに。まさかあの無能な少年が。



 それは……「悔しさ」なのか。何も言わずに黙っていると……



「気になることがあるなら自身の目で確かめてみればどうですか?」


「……そうします」



 納得できない。自分から何も奪うな。あんな無能な少年と一緒にするな。

 そんな想いが体を焼いて今だけは気怠さが吹っ飛んだ。風邪をうつさないようにマスクをしてなんとか立ち上がる。


 これであの少年が自分の仕事場に定着している姿でも見てしまえばどうにかなってしまいそうだが。



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