特別編『汚れた少女』 ②「剣の妖精」
「ミルフィア。今日の作戦は忘れていないな?」
「当たり前です」
ベルベットの使用人序列4位のフォアードはミルフィアと夜の道を歩く。
行き先はマナダルシアのとある区画。目的地には豪華で城のような家が建っている。そこの主はマナダルシアでも有力な貴族だ。名は「シューレルト」という。
今からそこに向かう理由は一つしかない。その者を殺すことだ。
諜報の仕事を担う使用人から、彼が近々ベルベットに対して暗殺者を差し向けてくるという情報が入った。
シューレルトはとても強い反人間思想の持ち主で有名だ。
人間という種族は即刻滅ぼすべきとの攻撃的な考えは、昨今の魔法騎士団が掲げる「彼らを殲滅するのではなく、彼らの手から自分達を守る。そのために戦う」との守備的な意識からは大きくかけ離れている。
特に、ミリアド王国で数年間過ごしていたことから人間と魔人を繋げようとしているでは、と噂されているベルベットは彼にとって忌々しい癌であった。魔法使いにとっても影響の大きいベルベットのその思想がいつしか周りにも浸透していくのではと恐れたのだ。
しかし、彼女に真正面から挑めばとんでもない報復を受ける。草の根一本も残さぬレベルで叩き潰されるに決まっている。
それに、そもそも真正面から挑めるような武力すら存在しない。ならば暗殺しかないのは明白だ。
まぁ、そんなことをしてもこうして計画自体がバレてしまって自分こそが殺害対象になってしまっているのだから愚かとしか言えないが。
♦
「シューレルト様。とうとう明日ですな」
「おぉ……そうだ。明日はマナダルシアの時代が変わる日だぞ。はっはっは」
明日、ベルベットは不幸な死を遂げることになるだろう。そしてマナダルシアは生まれ変わる。
シューレルトは酒を飲みながら早く明日になれと笑みを浮かべていた。
最近のこの国ときたら、「もう『人間』と真っ向から争うべきではないのかもしれない」「相容れないが、大きな戦争だけは避けるべきだ」などとのたまいおって。
そもそも『人間』を人として扱おうとする考えが気に喰わんのだ。あれは「人」ではない。ただの「害虫」だ。
我らのようなこの星から「魔力」を享受する崇高な存在こそが、生きるべき存在。あんな魔力を感じることすらできない者らなどと同じ空気を吸っているだけで吐き気がする。
皆、第三次、四次種族戦争で変わってしまった。もう積極的に奴らを滅ぼそうという気概が消えてきている。
あの戦争は、「戦争」であるにもかかわらず良くも悪くも国の内面に大きな影響が存在しなかった。そのせいで多くの国民は対岸の火事を見ているかのような心地であっただろう。
第一次、第二次は徹底的な殺戮だったのに比べて第四次は「戦争」という名を得ただけのつつき合いにすぎない。あまりにも温かったのだ。あんなもの戦争ではない。
「くく……そうだ。今こそ狼煙を上げるべきなのだ。かの英雄が死したとなれば平和ボケした者でさえ否が応でも目覚めることになる。真の英雄とはいつだって私のような戦争を導く者なのだ」
「さすがはシューレルト様でございます」
気分を良くしてもう一つ酒をあおると……
「自分のことを英雄と呼ぶ者にろくな奴がいるとは思えんがな」
冷徹な刃の如き声が刺さった。
「な!? 誰だ貴様ァ!! 許可なく私の部屋に入りお─」
シューレルトは言葉を紡ぎ終わる前に凍り付く。
この私室には自分と執事しかいないはずだが、ここに絶対いてはいけないもの─ベルベットの執事であるフォアードが平然と立っていたのだから。
「貴様は……ッ……ベルベットのとこの……!」
「身の程を知れ屑が。分不相応なことをするな。お前ごときが我が主の名を口にすることすら罪だということがわからんのか」
「どうやって入ってきおった! ここにはいたるところに武装した護衛が……」
「……あれは護衛だったのか?」
まるでそうとは思わなかったぞとでも言いたげな。それの意味するところはすぐにわかる。
「こ、の…………蛮族がぁぁぁぁ!!」
♦
「ふぅ……」
ミルフィアは両手に剣を握ったまま、息をつく。
地には幾多もの死体。全員頸動脈を切断されていて糸の切れた人形のようだった。
最初の頃は血を見るだけで気持ち悪がったものだ。今では大分その感覚も麻痺していて破れた水袋としか感じられない。切れ目ができて中の水がドクドクと流れている。
2階ではフォアードがシューレルトを始末しているだろう。自分の仕事は1階にいる使用人を全員葬ることだ。
戦闘を主な仕事としているフォアードと、暗殺を主な仕事とするミルフィア。
本来なら今やっている仕事は逆のはずである。しかしこれはミルフィアを鍛える意味も含まれていてわざわざ数の多い方を回されたのだ。
だが、それもなんの問題もなく終わった。さぁ2階の様子でも見に行くか、
と思ったその時だった。
(……ッ!)
背後に何者かの気配を感じ取る。
すぐさま飛び上がり、前方空中でクルリと前転をきるようにして「避ける」。
上下逆転した世界でその結果を確認する。
見えたのは黒づくめの外套を着た背丈が180ほどの男。やけに長い剣─おそらく「刀剣」というやつだろうか─を振って空を切っていた姿を見とめた。
床に着地。すぐさま構えを取って戦闘態勢に入る。
「……あなたが、依頼を受けた暗殺者の方ですか」
「……」
ベルベットを殺すために雇った暗殺者。そう予想するが。
相手の言葉はなし。正解だ。こんな稼業をするなら喋りなんて必要ない。むしろ敵に余計な情報を与えるだけだ。
ただ、見るだけでも充分な情報を得られる。
刀剣を使っているあたり「日の国」出身の者。
着ている黒の外套は体全体を覆うほどに長い。つまりは暗器も使いそうだ。
自分と相手の体格差を考えて武器ばかりに気を取られて素の力で首をねじ切られないよう気を付けなければ。
人間ではないことは当たり前。つまりは「魔法」にも気を付けないといけない。
あとは……
ミルフィアはくんくんと鼻を動かす。
常人にはまずわからないほどではあるが……微かに刺激臭がするか? おそらくはあの刀剣に毒が仕込まれている……と、思われる。
正直これは確定ではない。周りの血の臭いのせいだ。
暗殺者同士の接敵。もちろんキリールから戦闘術は仕込まれている。
けれどこちらの方はあまり経験値が少ない。戦闘も暗殺同様、とはいかない。
「……!」
突如。空気が変わる。
これもまた常人ならばそんな感覚はわからない。鍛えた者でも向こうの暗殺者は殺気など感じさせない。ミルフィアは日々キリールから細かな殺気すらも感じ取るように訓練されているから感じ取れたのだ。
バックステップすると先ほどまで自分の首があった場所に刃が通る。毒があると仮定すると万が一にもかすらせるわけにいかないので余裕をもった距離を取る。
(かなりの腕……ベルベット様のことを舐めていたわけではなさそうですね)
ベルベット自身も最強クラスの魔人。そんなのを相手にどんな奴を寄越してくるのかと疑問であったが、これならまだ納得できる部類ではあるかもしれない。
瞬間、2人は疾駆する。邸宅の中の大きな空間を縦横無尽に走りながらの剣戟。
キュインッ! ギィンッ!!
刃物がぶつかり合う音が辺りに散らばりながらも観客は息絶えた死体共。
髪をなびかせる少女が宙を舞いながら迫りくる凶刃を受け流す様を見た者がいたならば彼女のことをなんと形容するだろうか。
剣閃煌めく中、暗殺者は懐からナイフを投げる。
十中八九、あれにも毒がある。食らうわけにはいかない。
顔面に迫ってきていたナイフを手に持っている魔法武器の剣で打ち落とす。
が、剣を振った次には敵の姿が消えていた。…………背後に気配ッ!
ミルフィアの首へと迫りくる凶刃。ナイフはフェイクでこちらが本命だった。
(【ミドラージュ】、分裂……!)
すぐに自分が使っている剣……魔法武器の効果を発動。
【ミドラージュ】の能力は64本までの自刃複製。つまりは本体を分裂させて増やすことができるのだ。
複製され、足元付近に出現した2本目の【ミドラージュ】の柄を踵で蹴り上げる!
するとそれはミルフィアの首に剣の腹を向け、迫る凶刃との間へ盾のように割り込んだ。
「うっ……!!」
それでも剣越しに強烈な衝撃を受ける。
大の男が振り回す鉄の一撃を首元に受けるのだ。ひとたまりもない。
インパクトに合わせて首に魔力を集中させ、さらに前へ飛んで衝撃を殺してはみたが背後からの攻撃ともあって完璧なタイミングとはいかなかった。
なんとか首の切断、毒殺は免れたが……脳震盪なのかグラリと視界が揺れ、首もズキズキと痛む。
もし、魔力を首に集中させるのがあとコンマ1秒遅かったら首の骨を折られていただろう。
「柳揺らす風 岩穿つ風牙」
敵はどうやら休ませる気はないらしい。
相手から強くなる魔力反応。これは……「詠唱」だ!
「『揺葉鼬』」
2節。しかし聞いたことのない魔法。日の国に移り住んだ魔人で独自に発展させた魔法か。
初見の魔法を相手にする場合は、念のため体全体を覆うように魔力を集中させて防御しながらの回避行動。それがセオリーだ。
感じるのは前方からの激しい殺気。回転しながらこちらに向かってくる三日月状の「風の刃」が5つ。
(1つ1つ避けるのは簡単……けど多分、ここまでの手合いを見るに避けているところを狙われる……!)
実に鮮やか一手一手。
ナイフの投擲からの背後への一撃。
それを阻止したかと思えば、脳震盪を起こさせた後、回避に集中を要する複数個の風の刃による魔法攻撃。
そして、それを避けるのに集中させたところを仕留める。
それなら、
ミルフィアは高く飛び上がって風の刃を全てまとめて避けた。
普通なら安易に飛ぶのは危険だ。空中での防御はどうしても難しくなる。この魔法攻撃も地に足をつけながら丁寧に1つずつ避けていくのが最善手と言える。
相手が空中に逃げたとわかって男はナイフを4つ投擲。
彼女は空中でそれらを剣で打ち落とす。
が、それと同時に男も床を蹴って飛翔。
これは先ほどと同じでミルフィアが投擲物を防御した後の隙を狙う一撃だ。
(かかった……!)
【ミドラージュ】の効果を再び発動。剣を複製してそれを相手に向けて蹴り飛ばす!
回転しながら相手の顔面に吸い込まれていくそれはすぐに防御されるが……
ドォォンッ!!!!
突如、暗殺者の男が防いだ【ミドラージュ】が爆発! 本人は魔力を纏っているので無事だったが持っていた剣が吹っ飛んだ。
先程、ミルフィアは剣を複製したと同時にそれを蹴った。
実は履いている靴に仕掛けがあり、靴底には『爆発魔法』の術式があらかじめかけられてあった。魔力を込めれば少しの遅延で作動するもの。
さらにこれは魔力の応用技術なのだが、「かけられている術式を別の物に移し替える」というものがある。
物にかけられた魔法術式とは「シール」に似たようなもの。貼ることもできれば……「剥がす」こともできる。
かなり難しい技術なのだが、ミルフィアは複製した剣を蹴った瞬間に
『爆発魔法』の術式を起動
↓
先ほど起動させた、靴底に付いてある術式を剥がす
↓
蹴り飛ばす剣に靴底から剥がした『爆発魔法』の術式を付ける
といったことをしてのけた。
魔法術式を剥がしたり付けたりするのはかなりの集中を要する技術だが、ミルフィアはこのような魔力を使った技が得意だった。幼少の頃から盗みをさせられていたせいか器用さには自信がある。
かくして遅延の後に『爆発魔法』は作動。相手の武器を吹っ飛ばせた。
防御する武器はなくなり、爆発により相手には決定的な隙。
ここしかない!!
即座に【ミドラージュ】を4本複製!
殺人剣技・三番
「『断頭台の首無し娼婦』」
上空から落下しながら、すれ違い様に計5本の剣を巧みに扱っての10連斬!
「こ…………かぁ……!」
一瞬のうちに手足を刻み、前と後ろの二方向から首を斬り裂く超絶技巧の剣技。
キリールから仕込まれた剣技と暗殺術から自らが編み出した「殺人剣技」だ。
ぼとぼと、べしゃ。
少女と一緒に、「死」が落ちる。両手両足、首から血を流した男が床に這いつくばった。
「私の……勝ち、ですね」
無機質な眼で敵を見下ろす。もう死体となった「これ」に興味はないけれど。
「終わったようだな」
ようやく2階へ向かおう……というところで、今度はその2階から声がした。その影は自分がいる1階へと降りてくる。
その正体はもちろん共に来たフォアード。シューレルトの始末は終わったようだが……
「見てたんですか……」
「序列12位であるお前の手並みを見ていた。ベルベット様に序列の引き上げを進言しておこう」
見ていたなら助けろよ、とも思うがこのメガネはいつもこうなので放っておく。
(序列……ですか)
なぜ使用人の間にそんなものが存在しているのだろうか。
噂では序列で上下関係を作ることによって使用人同士での争いを防いでいるのでは、と言われている。
それが本当で、そんなことを決めるということは。
序列がなかった過去に何かがあったということだ。自分にはどうでもいいことだが。
♦
仕事も終わったので館に戻る。現在、夜の11時。
お風呂で血と汗を洗い流し、その後は魔法武器の手入れをしてさっさと寝る。キリールに教えられたことだ。
「あ、ミルフィアちゃん」
自室に入ろう、その時に後ろから声をかけられる。この声の主は……アスト・ローゼンだ。
「なんだかよく知らないけどこんな遅くにお仕事あったんだよね。お疲れ様」
「気安く話かけないでくださいって言いましたよね。放っておいてください」
何の仕事かも、知らないくせに。
自分はこの男が嫌いだ。
「人間」のくせにベルベット様から何から何まで与えられているのを見ると、この歳で手を血に染めている自分が醜く汚れているように見えてひどく嫌になる。
なんの悩みもなさそうなこの面を見ているとイライラするのだ。
人を殺したこともないような無垢で綺麗なままのあなたが、私には心底憎い。
「あ……じゃ、じゃあ……おやすみ」
「……」
返事をせずに自室に引っ込む。そんな自分が性格の悪い奴みたいでまた嫌になる。
ああ、やっぱり自分はこの男が嫌いだ。




