142話 「大きすぎる力」を持つ責任
「あ、ベルベットだ」
ガイトとは別れて、しばらくパーティの会場をウロウロしていると木にもたれかかって立っていたベルベットがいた。その表情は深く沈んでいる。
あの戦いの中、ベルベットは心に迷いが生じていた。自分と一緒に逃げてしまおうと言っていたのだ。
あんなことを言われると思ってなかったからそれなりに衝撃を受けた。「あのベルベットが……」って。
「や、やぁ」
「アスト…………」
いっつも会うとすぐに笑顔になってくれるけど、今回はそうならない。僕を見ても沈んだ表情のまま。
その曇り空を晴らしたくて。でも、その空模様を作ったのは自分だと知る。
「ねぇ…………どうしていつも無理して戦うの……?」
「ベルベット?」
「もうボロボロになってるアストを見るのが辛いの」
「ど、どうしたの急に。いつものベルベットらしくな─」
突如。パチン、と音が鳴った。次に頬にヒリつく痛み。ジワッ……と変な苦みが広がっていく。脳が繰り返し「何が起こったか」を探っている。
頬を、叩かれた? ベルベットに? でも、いや、そんなことは。
痛みよりも音で何かをされたと認知するくらいには自分の中の世界においてそれは不可思議なことだった。息苦しさや喉の奥で胃からせり上がってきた物を感じる。
頬を叩かれたせいで視点を彼女の顔から無理やり外された。もう一度彼女の顔へ戻した。
「泣いて……る…………の……?」
「…………」
彼女の綺麗な顔にボロボロと涙の粒が流れている。曇り空は雨を降らせて、僕の心はジメジメと嫌な感情に浸食されていく。ガツン、と殴られたように頭がクラクラとした。
ベルベットは泣き顔を見られまいとパタパタと走って逃げた。引き留めたかったけどその資格が僕には無いことに気づく。
アンリーさんに頼んでベルベットの様子を見てきてもらおうか。と、考えたがすぐにそれは最悪の手だと判断して却下する。原因は僕であり、解決するのも僕であるべきだとわかる。
でも、どうして? 僕はどうすれば良かったんだ。
女性の気持ちは難しい。ベルベットが僕の気持ちを理解するのは難しいのと同じで僕もベルベットの気持ちを理解するのは簡単じゃない。
僕が必死に解決を模索していると僕に近づいてくる影が。
「どうしたアスト」
「レオン、さん?」
なんとビックリすることか。アストのところへやってきたのは魔法騎士団第三隊隊長のレオン・ブレイズだった。
「レオンさん、こんなところに来たらここの生徒からもみくちゃにされちゃうんじゃないですか?」
「! その、通りだ。やはり隊長としてこういうところに来るべきじゃなかったか……」
いや、失礼ですけど100%隊長としてではないだろうな……と思う。証拠に絶対寄ってきた生徒のほとんどが「女生徒」だっただろうから。
「ベルベットと何かあったのか?」
「…………見られちゃってましたか」
いきなり本題を出してきた。これは、躱せないな。自分1人で解決するべきかもしれないが、抱えていても解決には繋がらなさそうだ。
僕はレオンさんに話した。さっきのこと、戦いの最中、ベルベットが一緒に逃げようと提案してきたこと。
「そうか。そんなことがあったのか」
レオンは夜空を見上げる。何かを言うか、言わまいかを悩んでいるように見える。
やがて決心して、
「ベルベットはお前の知らないところで尽力している。お前が『普通』に過ごせるように。俺やフリードなんかがその結果だ」
「僕が、『普通』に?」
「ああ。これから言うことは誤解せずに聞いてくれ。俺は魔法騎士団所属だが、お前のことを別に鬱陶しく思ってなんかいない」
僕はコクリと頷く。それを確認して話を始める。
「お前は……大きすぎる爆弾だ。もしお前が人間であるということがバレた場合、最悪マナダルシア内部で戦争になる。魔法騎士団とベルベットの使用人とのな」
「戦争? 僕がバレるだけでそんなことに?」
「お前が人間だとわかれば魔法騎士団のとある部隊が抹殺に動く」
「フリードさんも言ってました。動くのは、やっぱり人間対策の…………第一隊ですか?」
「違う」
違う? しかし、そこが動かないとなればどこが動くというのだ。
レオンさんはそこについて何も話さない。つまり、「言えない」ということだ。
「ベルベットはそれを絶対に許さないだろう。そうなればもう戦争だ。どちらが勝つかはわからない。あいつの使用人の高位序列者は途轍もないレベルの魔法使いだ。特に1位、2位と……今、何番かは知らないが低い序列にも1人ありえないくらいに強い人がいる。それらがその時にいるかいないかで大きく戦況が変わるだろうな」
1位、2位の人と、低い序列の人…………僕はベルベットの館の序列はよく知らないんだけど、誰のことだろうか。使用人の中には僕があそこで過ごした2年の内に遠くに出てて帰ってきていないって人もいるから会ったことのない人かもしれない。
「ベルベットも容赦なく究極魔法を使ってくるだろう。お前を守るためならな。だから、そうならないように俺やフリードが協力することになっている」
「レオンさんとフリードさんが?」
「魔法騎士団にお前の情報を一切入れないためだ。そうするにはそれなりの地位に就いている者じゃないと意味がない。大胆だが、それだけ慎重だということだ。……まぁ、俺とフリードがアーロインの同級生で、ベルベットとも知り合いだったからというのもあるが」
そうだったのか。魔法騎士団に知られちゃいけないのにどうしてそこの人が協力者なのか謎だったけど、そこまで考えていてくれてたのか。
「さらに。お前が『魔王後継者』だとバレるのもマズイ。ベルベットからそれに関して言われなかったか?
「言われました。学院の入学試験が終わった後くらいです。そんなに重くない感じだったので気を付けるくらいに、しか思ってませんでしたが……」
「『魔王後継者』のことは魔法騎士団にバレても問題はない。結局人間とバレる可能性があるからバレない方が良いんだが…………もし、お前が『魔王後継者』だということが広まればこの国の『王』が動く」
「この国の……王様!?」
「正確に言うと『マナダルシア』『エクロキュリプス』『カーリスマリド』の魔法使いの国、計三国を束ねる王だがな。『魔女王』だ」
魔女王……教科書でそういう人がいるということくらいは知っている。三国を飛び回っているからいつもここにいるとは限らないらしいが、魔法使いの頂点にいる人らしい。
そんな人の名前が出てくるとは思ってなかったから呆気にとられる。
「アスト。これだけは覚えておいてくれ。大きい力を持つ者は人から頼られる。だが、『大きすぎる力』を持つ者は人から恐れられるんだ」
恐れられる?
「例を出そうか。例えば国を消滅させるほどの魔力や魔法を持つ者がいたとする。そんな奴が自分の国の味方にいてくれたらどう思う?」
「そりゃ心強いですよ! そんなヤバイ魔法を使うか使わないかは置いておいて、それだけ強いってことですよね? とんでもない味方です! きっとその国では色々と優遇されまくるでしょうね……」
「そうだな」
レオンは小さく笑う。バカにした笑いではない。教え子を見るかのような笑いだ。
「だが、それは違う。国は表向きには優遇するだろうが、その裏では隙を見て鎖で縛りつけようか抹殺しようかと企むのがオチだ」
「な、なんでですか!? だってそんなに強いのに。そこまでしなくても……」
アストは納得できない。その答えは否とする。
だってそうだ。強いならいてくれた方が良いに決まっている。ましてや国を滅ぼせるような魔力というなら、自分から消してしまって手放そうだなんて考えはしないはずだ。
「では、もしそいつが裏切ったら?」
「はい?」
「もしそいつの気まぐれで自分達の敵に回ったら? 洗脳されて敵国の手先になったら? 意見や考えの違いが生まれて言うことを聞かなくなったら? 次にその魔法の標的になるのはどこだ?」
「ま、待ってください! ちょっと……待ってください…………」
混乱する。だって、そんな例えを急に出されても困る。想定のしすぎだ。現実にそんなこと…………。
そこで、僕はピタリと止まる。頭の整理がついたのか考えがまとまる。
「わかったか? 俺の言いたいことが」
「はい…………わかりました」
やっとわかった。レオンさんの言っていた意味が。
大きい力を持つ者は頼られる。味方でいてくれるのは頼もしい。敵になるのは脅威だが、それを想定するのは無駄だ。「対処」ができるから。
でも、「大きすぎる力」を持つ者は違う。怖いんだ。自分達に矛を向けられるのが。だって「対処」できないから。それなら、いなくなってくれた方がマシ。相手を滅ぼせる爆弾が、いつ自分の国で爆発するかわからない。相手に盗まれるかわからない。それなら元々なかったことにした方が良いんだ。
だから、表では機嫌を取る。裏ではそいつを殺すナイフを必死に磨く。決してバレないように。そんな歪な関係が出来上がる。
「そして、それがベルベットとお前だ。あいつに関してはすでにこの国にも敵が多い」
「僕も……ですか?」
「お前の『魔王の力』のことは聞いている。もしそれが人体にも有効ならお前はやりようによればマナダルシアの全魔法使いの力を奪い取ってこの国を実質的に『支配』することができる」
「そんなことしませんよ!」
「今は、じゃないか? だがこの先でお前は心変わりするかもしれない。誰かに洗脳されるかもしれない。そして…………全ての記憶を取り戻して魔人の敵になるかもしれない」
言葉が出ない。まさにさっき言われた通りじゃないか。
アレンがそんな奴だとは思えない。けど、想定の一つとしては否定しきれない。
僕は顔を沈ませる。自分の存在が酷く嫌になってくる。
そんな思い詰める僕の頭に、レオンさんはポンと手を置いた。
「少し意地悪をしたな。俺が言いたいのは『大きすぎる力を振るうにはそれなりの責任がある』ということだ」
「僕は……ここにいていいんですかね?」
レオンさんはそう言ってくれるが、僕はマナダルシアにいない方がいいんじゃないかと思えてくる。僕の我儘でここにいたいだなんて、そんな小さい次元で考えていたことが恥ずかしくなってきた。
「じゃあまた一つ質問するが、アルカディアを倒した時にどうして奴を『支配』しなかった? あいつを『支配』できるかどうかは知らないが、できたならお前はその時点で止められない存在になっていた」
そうなのだ。アヴァロンを倒した時、アルカディアを倒した時、僕は『支配』を使わなかった。
『支配』できるラインが「殺す」か「気絶させる」のどこにあるのかはわからないけど、どちら道、僕は彼を『支配』するつもりがなかった。
「アルカディアは、あれでも友達なんです。友達……だったんです」
「そうなのか」
「はい。それで……もし、彼を『支配』してしまったら、人を『支配』してしまったら、自分の中の大切な何かを失ってしまう気がしたんです。奪うことが、怖かったんです」
強くなるために魔物ではなく『人』から奪う。手を出す。そうしてしまえば僕はまたそんなことをやってしまう気がしたからだ。
強くなるためにカナリアを、ライハを、ガイトを。
ベルベットを。
僕にはそういう心が潜んでしまっている。弱さというコンプレックスが隠れている。自分の存在理由を探そうと闇を泳ぐ。もがいて、飲み込み、闇の一部にならんとしてしまう脆さがある。
でも、それは自分の使用人を餌にグランダラスを育てていたコールドと何が違うんだ。
「だから、あの時は『使っちゃいけない』って思ったんです」
それが答えだった。アルカディアを見ているとわかったんだ。
ああ、これは「道を間違えてしまった末の僕」だ。……って。
力や世界を救いたいという思想が似ているということもある。だから「鏡」のように感じた。
僕はまだこちら側でいられているだけで、何かが掛け違えば僕もアルカディアのようになっているかもしれないって。
「そこで止まれたなら、大丈夫なんじゃないか?」
レオンは答えが出てるじゃないかと、多くは言わなかった。そう思えている時点は、まだ大丈夫だと。
「勘違いはしないでくれ。そんな『大きすぎる力』を持っていてもベルベットは、お前は、決して化け物なんかじゃない。『人』なんだ。アスト、お前はベルベットを過剰評価しすぎだ。力はたしかに規格外だが、内面は普通の18歳の女の子だからな」
そこに今回のベルベットが泣いていた答えがあると教えてくれる。
あいつは「力」は規格外だが、「心」は普通なんだと。
「あいつはお前のことが大切なんだ。そのためにお前を守ろうとあの手この手を尽くしている。その先で、もしもお前が敵になってしまっても『自らの破滅』を選ぶだろう。お前に殺されても良いとさえ思っているのかもな」
「どうしてそこまで…………」
「その答えだけは自分で辿り着け。俺が言うことじゃない」
それだけは聞くな、とレオンは苦笑する。
アストはまたも模索するが…………答えは出ない。
しかし、ベルベットと仲直りするくらいの答えだけは見つかった。
「ありがとうございます! 僕、ベルベットのところへ行ってきます!」
アストはベルベットが走っていった先へ向かおうとする。彼女と話し合うために。だがレオンは最後に言いたいことがあった。
「アスト、安心して前に進め。お前が『魔王の力』に飲み込まれて俺達の敵になってしまっても。その時は………………俺が斬ってやる。必ずお前を止めてやる」
「…………」
一見、物騒に聞こえる。でも、その言葉は悪い意味じゃない。
僕がそうなってしまえば大切な人にまで手を出そうとしてしまう。そうはさせない。そんなことはさせてやらない。お前のために。そう言ってくれてるのだ。
「はい。お願いします」
アストは走っていった。ベルベットを追って。
レオンは自分の魔法武器の剣─【フリージング・イフリート】を握る。
「俺はそうならないと信じているぞ、アスト」




